歌う田舎者[62]私はコレで会社をやめたくなりました
── もみのこゆきと ──

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禁煙パイポの話ではない。と言っても、40歳以下の人々には何のことか意味不明であろう。1984年に発売されたタバコ禁煙グッズである。

禁煙パイポを持った中年男性がカメラ目線で、「私はこの禁煙パイポでタバコをやめました」と語りかけ、二人目も同じように「私もこのパイポでタバコをやめました」と語る。三人目は右手の小指を立て、「私はコレで……会社をやめました」そんなCMが世を席巻したのは、もう30年以上も前のことなのか。

今、禁煙パイポはどうなっているのだろう。そう思ってググってみたところ、マルマンヘルスケアでまだ販売されているではないか。なかなかのご長寿商品であることよ。

ものはついでである。タバコの有害性について、デジクリ読者の皆さまに専門家の見地から詳細な解説を行い、愛煙家の方々の意識改革に資するのはいかがかと考えてみたものの、「あ、吾輩、タバコの専門家じゃなかったわ」ということに気付いたので、いやあ、これは致し方ない。代わりに吾輩の近況でも語ろうではないか。

それはある初夏の日のこと。いつものように無言の会社でパソコンに向かい、カタカタとキーボードを鳴らしていた。え、無言の会社って?

歌う田舎者[61]無言……陰気っぽい
https://bn.dgcr.com/archives/20170921110100.html


カタカタカタカタ鳴らしつつ、なんだか腹が痛い。朝から脇腹に違和感があったのだが、だんだんと、まっすぐ椅子に座っていることも苦しくなってきた。

「…痛い、腹が痛い。う、ううううう…」右手で左の脇腹を押さえ、体を前に折り曲げるようにして呻いた。

「あ…うっ…ぐう…うぐ…っ…」

顔面蒼白になり、椅子から崩れ落ちそうになる吾輩を、前に座るプロジェクトリーダが心配そうに覗き込んだ。

「も、もみのこさん、大丈夫ですか。だれか、だれか病院に!」





顔を上げた吾輩の目に映る白い旗。

「ついに…陥ちたか…! おお! 果敢にして偉大なるフランス人民よ…自由…平等…友愛… この崇高なる理想の、永遠に人類のかたき礎たらんことを… フ…ランス……ばんざ…い…!」

市民(シトワイヤン)の歓声がバスティーユにこだまする。無数の銃弾を浴びた軍服は、みるみるうちに血で染まり、虚空を掴むように伸ばした手は、やがて……。

などという芸を弄する気力もなく、徒歩1分の病院によろよろとなだれ込み、その日は帰宅。翌日は薬でなんとか持ち直したため出社したのだが、仕事のスケジュールは超絶逼迫。しかも、その翌日には某所での会社説明会にアサインされている。

あんなあ、要らんやろ、その仕事。吾輩の持ち時間は5分と指示されていたのだが、会社説明会に必要なのは、えらいオサーンと新人君の話だけで、オファーがあったときも最初から「吾輩、要らんじゃね?」と思っていたのである。

んなことやってたら、納期に間に合わねえ上に、最終バスにも間に合わねえじゃねえか。よって、「吾輩、病を得て床に臥せっており、明日のご奉公は何卒免除いただけぬかと御願い申し上げ奉り候」と、平身低頭願い出る矢文を送ったのであるが、えらいオサーンから戻ってきたのは果たし状であった。

「最初から決まっていたアサインに対して、体調を合わせてくるのがプロです。あなたは社会人のプロではありませんね」

はあ?

「社会人のプロ失格です」

もういっぺん言ってみろ。

「人間失格」

……生まれてきてすいません。かくなる上は、薩摩藩の人間のけじめとして、西郷どんもすなる錦江湾への入水というものを、吾輩もしてみむと……待て待て、ちょっと待て。社会人生活30年を超える吾輩に何を言っておるのだ、貴様。吾輩は新人か? 22歳か?

22歳になれば少しずつ臆病者になるのは谷村新司である。誕生日に22本のローソクを立てて祝ったものの、ながすぎた春で他の男と結婚するのは伊勢正三である。そんなことはどうでもいい。だいたいな、吾輩も具合が悪くなろうとしてなったわけじゃないのである。

前日駆け込んだ病院の待合室で、腹が痛いあまり待合室の長椅子に横たわり、うんうん唸っていた吾輩。よろよろしながらレントゲン室で腹部を撮影した後、診察室に呼ばれた。医者が指し示したレントゲン写真には、内臓全体になにかもやもやとしたものが写っている。

「これは……いったい何ですか」
「おそらくベンですね」
「BEN?」

マイケル・ジャクソンか。腹の中がスリラーなのか。それはバッドでデンジャラスだ。

てゆーか、何? 便? 内臓の中が便でいっぱいってこと? 要するに便秘? オーマイガーーーーッ!

吾輩、慢性的便秘持ちである(頭痛持ちとはいうが、便秘持ちっていうのか?)。台湾5泊6日の旅でも、食べたものをすべて腹に入れたまま持ち帰るくらいの便秘持ちである。

歌う田舎者[55]あこがれのBEN E.KING
https://bn.dgcr.com/archives/20160322140100.html


しかし、便秘でなんとなく腹部不愉快な日々が続くことはあっても、こんなに腹が痛くなることなど一度もなかった。しかも、このときの便秘日数は5日くらいで、わりと日常茶飯事的日数だったのである。

この頑固な便秘を解消するために、ヨーグルト、大根おろし、青汁、プルーン、さつま芋、コーヒーがぶ飲み、白湯がぶ飲み、牛乳がぶ飲み……などなど、さまざまなことを試してみたものの、効果は一時的で、しばらくすると腹が慣れてしまい、また便秘になってしまうのだった。

だが下剤には妙に敏感で、半日トイレから離れられなくなってしまう。致し方なく、金曜の夜と土曜の夜を下剤の日と定め、翌日は薬の効き目がおさまるまで、外出もせずに、息を潜めて便意の訪れを待つ休日を過ごしているのである。

このように、吾輩、常日頃から便秘解消のために血の滲むような努力を払っているにもかかわらず、「最初から決まっていたアサインに対して、体調を合わせてくるのがプロです。あなたは社会人のプロではありませんね」だとう〜〜〜〜? どの口が言うかゴルァ!

じゃあ聞くがな、貴様は毎日毎日毎日毎日うんこ出してんのかよ。全全全部ひり出してんのかよ。吾輩はな、ちっちゃな頃から悪ガキで、15で便秘と言われたよ。食べるものみな溜め込んで酒も飲まずにビール腹。

ああ、わかってくれとは言わないが、そんなに吾輩が悪いのか。入社以来まだ有休1日も使ってねえんだぞ。便秘で腹痛になって何がいけないってんだ、くっそ暴れてやりましょう、そして戦うウルトラソウッ!

そのように威勢よく拳を振り上げた初夏の日から数か月。実際にはネット弁慶な小心者で、ちっとも戦っていない吾輩、相も変わらず仕事場の片隅で小さくなってカタカタカタカタとキーボードを鳴らしていたのだが、今度は新たな病魔が忍び寄っていた。梅核気、またの名は咽喉頭異常感症である。

・咽喉頭異常感症(Wikipedia抜粋)

咽喉頭異常感症(いんこうとういじょうかんしょう)とは、咽喉頭部や食道の狭窄感、異物感、不快感などを訴えるが検査値の異常や器質的病変がみられないものをいう。耳鼻科領域では、咽喉頭異常感症と呼ばれるが、内科領域で「ヒステリー球」と呼称される疾患と概念的に同じものである。また、東洋医学・漢方医学的な「梅核気(ばいかくき)」の疾患概念とも重なる。

黙っていても喉が塞がれた感があるのだが、しゃべると喉に詰まった梅の種的な異物感が強まり、たまに空気をゲェと吐くことがあるので、しゃべりたくない。耳鼻科に行っても、鍼治療しても、漢方薬飲んでも治らない。仕方ないので、不必要な会話はなるべくせず、無言でいる昨今なのである。

そうか。無言の会社に合わせて、お前も無言であれ……と、神の見えざる手が恩寵をくだされたのかもしれぬ。日本の片隅で老いさらばえていくばかりの吾輩のことも、神は見ておられたのだ。

嗚呼、光はここに。神とはなんと情け深い存在であることか。主よ、感謝いたしま…うおおおっと、吾輩どっちかってえと仏教徒だったような気がするぞ。浮気はいかん、浮気は。つーか、具合悪いから治して、頼むよ、神様仏様。

そもそもこの病気、器質的病変がなければ、原因は精神的なもの(うつ病、心身症、神経症)ということなので、メンタルやられた原因をなんとかしないと多分治らないのだが、思い起こせば、顕著に症状がひどくなってきたのは、マイケルが吾輩の腹の中でBENを歌ったあの時期あたりからである。

そうか……BENが原因か。もうこれは、会社に盃返して足洗うたほうがええんじゃね? ほうよほうよ、それしかありゃーせんよ。

そうと決まれば、占いである。吾輩、五年に一度くらいの周期で、「あかん、もうダメや」となると占い師に見てもらいたくなるのだが、鍼灸の先生より、さる高名な四柱推命の先生が薩摩藩に来られるとの情報を得て、見てもらうことにした。さて、吾輩の運命やいかに……。

「なになに、転職か、あるいはフリーランスになりたいですと? …ふむふむ。有火有炉、良い運をお持ちですのう。燃え盛る火を炉で調整し、燃え過ぎぬよう、消えぬようにしながら、ものを作り上げていくことができるという、そういう素晴らしい運勢ですな。

いやはや、生まれてこの方、運勢は段階的にどんどん下がってきていますが、48歳で底を打ちました。これからはどんどん上がっていきますよ、ええ。お金には困りません。そうそう、転職やフリーランスはよろしいですね。今の会社にいるといずれ体を壊すことになります。年末頃を目途に仕事を変えられるとよろしいでしょう。

え、今日明日にも応募書類を出したい? ふむふむ…ううん、悪くはないですが、年末近くのほうがよろしいでしょう。今は少しお休みになって、方向転換を図られるといいかもしれませんね。

動を以て静となす…と、このように申します。今の会社に居続けるより、動いたほうがいいと出ておりますよ。表現することが大変お好きでいらっしゃると思いますので、音楽であるとか美術であるとか芸能方面も大変よろしいですね」

かいつまんで、このようなお話だったのだが、なんと言っても吾輩が食いついたのはココである。

「お金には困りません」

なんですって!? もう一度言って!

「お金には困りません」

なんて甘美な言葉。

「お金には困りません」

ああ、もうチョベリベリ最高ヒッピハッピシェイク!

そうか。これから吾輩、婆タレとして芸能界デビューし、歌に絵画に大活躍。第二の八代亜紀とか第二の五月みどりとか、そういう路線を目指せばいいんだな。よし、わかった!

これ、たれかある。今すぐ「かまきり夫人」の脚本を持て!

「YOU、来ちゃいなYO!」そういってくれる芸能事務所はどこかにないのか。

しっかし、毎回お前の話は長いな。結局何が言いたいんだ、20文字以内で言え! と、ちゃぶ台をひっくり返したい短気な読者の皆さまもおられることと推察する。かたがたに簡潔にお伝えいたそう。

つまり「私はBENで会社をやめたくなりました」と、本日の主旨はそういうことなのだ。

さて、それにしてもマイケルのBENは名曲だ。便秘に苦しむ諸兄の応援歌として、代々語り伝えたい曲と思われるので、ぜひ、正しい日本語訳を噛み締めながら、皆さまも一緒にご唱和いただきたい。

Ben, most people would turn you away
I don't listen to a word they say
They don't see you as I do
I wish they would try to
I'm sure they'd think again
If they had a friend like Ben
A friend like Ben
like Ben
like Ben

─便、きっとみんなは君から目をそむけると思う。
─でも、ぼくはそんな言葉には耳を貸さないんだ
─みんなは毎日君をトイレで流しちゃうから
─ぼくがいつも見てる お腹の中の君のことが見えないんだ
─みんなもぼくのように便秘になってみたらわかるよ
─もしみんなのお腹に、便、君がずっといたら
─便、便、便

吾輩、翻訳の専門家ではないので、若干違う部分があるかもしれないが、大意はこんなもんだ。細かいことは気にすんな。きっとマイケルも、便秘がもたらす悲劇に翻弄される吾輩たちのことを、天国から暖かく見守ってくれているに違いない。

これにて近況報告の結びにしたいと存じます。合掌。


※「禁煙パイポ」マルマンヘルスケア
https://www.youtube.com/watch?time_continue=6&v=2opz5VSlCCs

※「ベルサイユのばら コミック全10巻」池田理代子
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00I2K5XYI/dgcrcom-22/

※「22歳」谷村新司

※「22歳の別れ」伊勢正三

※「ギザギザハートの子守唄」チェッカーズ

※「ULTRA SOUL」B’z

※「SHAKE」SMAP

※「五月みどりのかまきり夫人の告白」

※「BEN」MICHAEL JACKSON



【もみのこ ゆきと】qkjgq410(a)yahoo.co.jp

今日明日にも応募書類を出そうとしていた会社は、数週間ぶりにサイトを見たら「35歳以下」という条件がついていた。くっそう、足元を、いや年齢を見やがって。

ところで病院で処方された便秘の薬は酸化マグネシウムだったのだが、下剤と比べてマイルドな効きで、平日の通勤バスの中で便意が襲ってきても、なんとか我慢できるレベルで結構なお点前だった。

酸化マグネシウムが切れたあとは、twitter上でヤマシタクニコさんと、フォロワーのディレルさんから、ビオフェルミン激推しを受けて、ひと月ほど飲んでいる。酸化マグネシウムより、さらにマイルドで、毎日出なくても、3日以上出ないということもないので、当面ビオフェルミンで様子を見ようと思っている。