ネタを訪ねて三万歩[98]一般常識とは何なのか?/海津ヨシノリ

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多摩美術大学造形表現学部の卒業式と入学式は、毎年必ず出席するようにしています。今のところ皆勤賞ですが、不思議なもので毎年の記憶が鮮明に残っています。そして、巣立っていった学生達の顔も。

小さい学部だからなのかも知れませんが、教員と学生という関係だけで見たら取るに足りないセンチメンタルも、人と人という観点で見つめ直してみると興味深い結びつきが見え隠れします。

つまり、刺激を求め合うことがモノを作ることを生業にする者の基本だとすれば、連想ゲーム的に繋がり始める不思議な交友関係という、学生との結びつきがとても新鮮なのです。

例えば、取るに足らない私の昔話に微妙に反応してくれた学生が現れたときは驚きでした。その反応から、新しい二次的な繋がりが発生するのです。考えてみれば、その学生の年齢では生まれる前に世の中から消滅したモノは逆に新鮮に見えるのでしょう。モノはひとつの側面からだけ捉えてしまうと大きな勘違いを犯します。

これは年齢が高いほど少なく遅いのに対し、低いほど多く速く感じるはずです。つまり、現代に近いほど一年という感覚と世の中の動き、あるいは進化が短い(速い)からです。新製品のリリーススピードと言い換えた方がわかりやすいですね。

もちろん、古いモノへの憧れという懐古趣味的な感覚かも知れません。私など40年代から60年代のアメリカ広告が大好きです。古い印刷物や造形は何か心を揺さぶられます。しかし、これはあくまでも趣味の世界の話であり、仕事として関わる場合は少し立ち位置が変わってきます。

実際に身銭を切って購入するモノに対する感覚と、気軽に人に紹介する場合との違いのようなものかもしれません。こだわりは趣味の世界で、ドライは仕事の世界と乱暴に切り分けてしまった方が話が早いかも知れません。綺麗事では生活できません。今この瞬間に、目の前にある現実を無視した仕事は長続きしないでしょう。

けれども、幾ら顔見知りだからと言って、金の切れ目が縁の切れ目を力説するような人とは関わりたくないですね。そんな屑のような輩にとって、交友関係もまた打算的な上に成り立っているのでしょうから。




さて、就活は既に次年度の学生のイベントに切り替わっていますが、就活と言えば一般常識問題集を私は連想します。もっとも、私自身がリクルートスーツを着て就活をしたことがないので、なんとも感覚が鈍いのですが、それでも一般常識という言葉が気になっています。

何が気になっているかというと、一般常識とは何なのか? 例えば、エクセルをワープロ代わりに使う日本のビジネスマンの行動は、常識ではなくて一番非常識だと感じています。生産性は悪く意味不明ですが、それでも確立してしまったこの悪しき慣習は、一般常識と化して日本のビジネスシーンを席巻しています。

ビジネスシーンにおける、Illustratorのようなレイアウトソフトの存在がないことが要因なのですが、それでもワードではなくてエクセルというのがなんとも不思議な話です。

もちろん私もエクセルは多用しています。当然、ワードの書類も学校関係は定番なので外せません。ただし、私はへそ曲がりなのでそのまま使うことはありません。なにしろ融通が利かないからです。

そこで私が編み出した便利な方法というのは、ワードの書類のキャプチャーまたはスキャンデータとしてIllustratorに配置してからトレースし、別のレイヤーに文字データの類を入れて印刷あるいはPDFというわけです。

さすがに少し乱暴な展開になってしまいましたが、案外このくらいドラスティックな軌道修正を強制でもしない限り無駄な動きは変わらないでしょうね。間違った価値観やイメージは、どんどん本物としてすり替えられてしまいます。エスカレーターを二列で使い、右側の人は歩いて上がってもいいという変な風潮のように。

少々脱線しますが、ネットで見つけた面白いネタに次のようなものがあります。

【Aタイプ】
自分自身の具体的な目標がない
相手の夢を阻止するのが生き甲斐
常に何かが起こってから行動
受け身の姿勢
単独〜少人数で行動
いつも怒っている

【Bタイプ】
大きな夢、野望を抱いている
目標達成のために研究開発を怠らない
日々努力を重ね、夢に向かって手を尽くしている
失敗してもへこたれない
組織で行動
よく笑う

明らかに【Aタイプ】の方が嫌な奴です。しかし、これはそれぞれのタイプが何であるかを隠しているから出る結論に過ぎないのです。そして、このそれぞれのタイプは【A>正義の味方】【B>悪の組織】なのです。あまりにも言い得て妙ですね。実は、正義の味方ってかなり嫌な奴だったんですよ。

こういった意外な結果は、色々なものに見え隠れしているのではないでしょうか。某有名デザイナーの、プロにあるまじきロゴタイプ処理が話題になったことは記憶に新しいですね。

具体的な内容は伏せますが、プロであれば当然処理すべき基本的なデザイン処理を行っていない有名デザイナーのアートワークは「有名だから」「独自の解釈で」という曖昧なオブラートで括れば、多くの人が納得してしまいます。あるいはありがたがってしまうのかも知れません。それが全体の意見でしょう。

しかし、絶対に譲れない基本的処理というモノはどの世界にも存在しています。アレンジや創作はそれらの上に成り立つ芸なのです。結局、有名という流行病であったということなのでしょう。

発注する側もただのおまかせではなく、一緒に良いモノを作ろうという気持がなければ胡散臭いプロに振り回されるだけです。有名だから正しくきれいなのではなく、きれいで正しいアートワークは有名な人が作っていたのだと、後から気付く逆のベクトルでなければダメなのです。

かつて、ある方が「メディアで目立つほどニセモノである」という話をされていたのが印象的でした。既存メディアの化けの皮は既に剥がれてしまっていますが、それでも崇拝している方達はまだまだ多いわけです。

細部にまで台本のあるドキュメンタリーに、主義主張を逆転させるツールの間違った使い方に徹する編集に、個人情報を弄ぶメディアは早く消滅して欲しいと本気で思っています。

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■今月のお気に入りミュージックと映画

[When will I see you again]by The Theree Degrees in 1973(USA)

1963年にペンシルヴァニア州フィラデルフィアで結成した、70年代にヒット曲を連発した女性ヴォーカル・トリオの代表作のひとつで、邦題は「天使のささやき」。透き通るような歌声とゴージャスなステージは観衆を飽きさせませんでしたね。偶然見つけて思い出したように聞き込んでしまいました。しかし、こんなに有名なのに、日本のウィキペディアには情報がありません。どうでもいい人の情報は山のようにあるのに。

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[The Next Three Days]by Paul Haggis in 2010(U.S.A)

邦題「スリーデイズ」。2008年に公開されたフランスの映画『すべて彼女のために』のリメイク。無実の殺人罪で逮捕・服役させられてしまった妻(エリザベス・バンクス)を、自分の手で脱獄させる事を決意する教師の夫(ラッセル・クロウ)という感じ。派手な銃撃戦などはない代わりにシリアスな展開と不条理、そしてエンディング......ネタバレはマズイのでこのくらいにしますが、とっても良質のドラマです。

なお、劇中ブライアン・デネヒーがラッセル・クロウの寡黙な父親役を熱演しています。台詞がほとんどないにも拘わらず、圧倒的に印象に残る演技でした。彼は「ランボー」のティーズル保安官役が有名ですね。

しかし、「トロン・レガシー」にも出たオリヴィア・ワイルドが脇役として出演していたのすが、存在感がありすぎ、ちょっと浮いてしまっていたかも。そうそう、リーアム・ニーソンがとってもおいしいところに出ています。

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■アップルストア銀座 4月22日(月)19時00分からのセッション

『海津ヨシノリの画像処理テクニック講座Vol. 76』
Photoshopによる3D効果についてロゴタイプ処理を中心に解説。データ形式を理解していれば、3D専用ツールで作成したモデリングデータをPhotoshopに読み込んで活用することが出来ます。

また、デフォルト環境だけであっても、かなり突っ込んだ処理と対応が可能となっています。理解しておくべき点は、マッピング用データをPhotoshopでどのように作成するかです。Photoshopでの3D処理の考え方は専用の3Dソフトと同様ですので、しっかり理解することで専用ツールを使うときに困惑することは少なくなります。簡単なデータとしてロゴタイプ処理をベースに可能性を探ってみます。

なお、現時点でAppleからの連絡がないために公式には未定となっています。詳しくはブログでご確認下さい。

【海津ヨシノリ】グラフィックデザイナー/イラストレーター/写真家
/怪しいお菓子研究家

yoshinori@kaizu.com
< http://www.kaizu.com >
< http://kaizu-blog.blogspot.com >

「今宵限りで」なんていうお洒落な表現が日本語にはあります。「今生の別れ」までいってしまうと大袈裟ですが、3月は別れの季節ですね。

翌月に訪れる新しい出会いの前に、もしかしたらもう二度と会うことがないかも知れない方への対応は、普通の神経の人なら自然体で出てくるはず。それがないということは、残る人が感謝に値しなかった人ということになるのでしょう。あるいは出て行く人に普通の神経がなかったのかもしれません。

イヤ、そんなことを気にすること自体が歳を取った証拠なのかも知れませんね。どちらにしても、常識の欠如した人は、そのちょっとしたラフな対応が後々大きなしっぺ返しに繋がることなど理解出来ていないのでしょうね。