羽化の作法[78]現在編 矢沢永吉はジャンルである/武 盾一郎

投稿:  著者:  読了時間:10分(本文:約4,700文字)



気が付くと、2019年もあっという間に2月になってますね。私はまだ2018年の10月下旬くらいの気分です。この現実とのギャップは、年々加速度的に広がっている気がします。そして、この現象はおそらく宇宙が加速度膨張していることと関係があると思ったりするのです。

●矢沢永吉というジャンル

さて突然ですが、矢沢永吉に関するツイートの紹介です。

「USENの機材でチャンネル一覧を見てたらまさかの矢沢永吉専門チャンネルが。さすが世界のYAZAWA…。一大ジャンルYAZAWA…。シャンソン、森林浴、YAZAWA…。」


なんと、矢沢永吉は「アーティスト」としてではなく、「ジャンル」としてチャンネルになっているというのです。

もはや「個」を超越して存在する「YAZAWA」です。もちろんですが、このツイートは見て「ふふっ」と笑うものです。

ここでふと私は思ったのです。ジャンルとなってしまった矢沢永吉は「個人」なのだろうか? と。





矢沢永吉さん本人は、自分を「私」だと思っているのだろうか? もはや「私」の所有者は、矢沢永吉本人ではない状態で生きているのかも知れない。

がしかし、矢沢永吉さん本人にとって矢沢永吉はたったひとりの「私」であることは確かだろう。

というか誰にとっても「私」はたったひとりだ。

と書いたところで思うのだが、それは本当だろうか?

ひょっとしたら私はひとりではないのかも知れない。複数いて、いや無数にいて、それらが場面場面でシャカシャカと入れ替わっているのではないだろうか?

実際問題、この瞬間にも分子レベルで私はどんどん入れ替わっている。しかし、「私」は相変わらず「私」のままである。

また、夜になって眠ると「私」は消えてなくなる。そして、翌朝目覚めると意識が戻り、「私」は相変わらず「私」のままなのである。

カフカの『変身』は朝起きると虫になっている。私が私の姿ではなくなったと
しても、私は私のままであるという設定だ。

入れ替わっても、一旦消えてなくなっても、私は私のままなのである。たとえ
私を私だと認識する意識が錯覚だとしても、その錯覚は存在しているのである。
これはとっても不思議なことだ。

もう一つ不思議なことは、私以外は私ではないことだ。

そんな曲もある。
ゲスの極み乙女の『私以外私じゃないの』


確かに私以外は私ではない。

例え私を素粒子レベルでコピーし、そこに意識が宿ったとしても「私以外は私ではない」だろう。「私」には「私の意識」、「私のコピー」には「私のコピーの意識」がそれぞれ宿るだろう。

しかし、そうすると個性とはなんだろう? 「私」と「私のコピー」はまったく同じなので個性がない。「私が存在する」ことと、「私には個性がある」ことはイコールで結び付けられないことになる。

いや待てよ。素粒子レベルでコピーを作ったら「私」と「私のコピー」は統合されたひとつの意識を持ったりしないだろうか?

複数の人が「心をひとつにする」という言い方もあるし、「一心同体」という言葉もある。そんな言葉があるなら可能性はゼロではないのかも知れない。

この思考実験の正解は分からない。しかし、細胞や分子が入れ替わっても、毎日消滅しても「私」は続いていて、しかも「私以外が私になることはない」ことは分かる。

これらを見ると「私」とはとても強靭だ。まるで永遠に続くかのようである。しかし同時に「私」は極めて不確かだ。「無」や「空」であるとも言える。

「私に中心軸があると思ったら空洞だった」という体感が私にはあります。

私は二十代はずっと以下のように思っていました。

「自分に積もってしまった常識とか既成概念とか偏見とか、外から付け加えられたものを剥がして行くと、いつかは自分の核(コア)に辿り着く」と。つまり、内観を深めていくと奥に本当の自分があり、それを見つけることが重要なのだ、と。

しかしある時、気が付いたのです。自分の中心には何もない。空洞なのである、と。そして、これはどうやら真理めいている、と。

イメージするとなぜかとても恐ろしい気持ちにもなりました。とりとめがなく、憂鬱になるし、なんだかやる気も失せてくるのです。

で、これら「私」の正体が「無」であるとか「空」であるとかいった実感とは、無は道教、空は仏教由来で、それらの教えの無意識レベルでの影響なのだろう。東洋思想はどこか壮大で虚無的な気分を味わせてくれる。

では西洋的な「私」と言ったら、どんなものなのだろう?

ざっくりと「近代自我」というヤツだ。人の精神を宗教や社会制度などすべての支配から解放する個の独立。個性があって唯一無二で自由な精神と意志を持った個人としての「私」。パッと見良さげだが常に「孤独」と「狂気」に向かわせる強迫観念的な力もある。近代の芸術が激しく狂ってみせるのは、近代自我問題と言っていい。

特別な「私」を求めて疲れてしまうのも現代になお残る近代自我問題だろう。

これらの東西の「私」をうまくリミックスして、解決モデルを作れないだろうか? とちょっと考えてみた。ソリューションの提案である(ソリューションという言葉を使ってみたかっただけ)。

●「私」のネットワーク・モデル

まず、私は一つではない。複数あるのだ。

それらを「私1」「私2」「私3」「私4」「私5」と記述しよう。とりあえず仮に5つ設定します。複数アカウントみたいなイメージです。

各々が人格・特徴を持っている。これらはノード(node)でそれぞれネットワークされています。そして各ノードは基本、他のすべてのノードとネットワークされています。

そしてノードは誰かのノードと共有されていて、ひとつのノードになっているのです。

図にするとこうです。
https://pbs.twimg.com/media/DylSai-UUAEWj27.jpg

「私1」〜「私5」のそれぞれのノードは、誰かのひとつのノードと共有されている。

つまり、「トータル私」は複数の私(「私1」〜「私5」)からなると同時に、繋がりのある他者の一部(ノード)で出来ていることになります。

そしてこのノードはくっ付いたり離れたりします。また、今はノードが5つですが、3個に減ったり20個に増えたりします。多分ですが、人は普通、数十個〜数百個以上はノードがあるのだと思います。

それから、ノードは人間のノードにくっ付くとは限りません。

「ドラえもんのアニメ」とか「ルネサンス絵画」とか「AKB48」とか「日産株」とか「酒」とか「マルクス主義」とか、あらゆる物体、コンテンツや概念にもノードとしてくっ付きます。

依存症というのがありますが、それは多分ノードの数が少ない人が、なんらかと極端に強く接続してしまっている状態を表すのだと思います。例えば「酒」とか「仕事」とか。

そうすると、「トータル私」は「酒」とのネットワークの強さに囚われて、身動きが取れなくなってしまいます。それを「アル中」と呼ぶのだと思うのです。

アル中の解決方法は実際には難しいのですが、このモデルで言えば、とにかく自分のノードを増やして、いろんな人や概念やコンテンツやモノと接続することになります。

このネットワークモデルでいうと、人はそもそもが多重人格だ、ということになります。

そしていわゆる「解離性障害」というのは、「トータル私」内の「私1」〜「私n」のノードのネットワークが途切れてしまって、それぞれのノードが「トータル私」内で孤立してしてしまっている状態を示すのだと思います。

そして「私1」の中を見てみると、入れ子の構造になっていて、そこに「私1中私1」「私1中私2」「私1中私3」……と続き、さらにそれぞれのノードの中も入れ子になっている、とフラクタルになっています。入れ子深度には限りがあって、深度はまちまちなんだと思います。

「私」とは複数の私を常に増減させ、いろいろな他者と繋がったり離れたりと時間的に変化し続ける、ネットワーク・フラクタル複合体なのである。

また、この時空四次元上なのか、余剰次元になのか分かりませんが、ノードが単体で浮遊していたりすることがあるのかも知れません。そして、そのノードはいつでも誰かのノードと接続可能なのだと思います。そうなるとどうなるかは分かりませんが、何か不思議なことが起こるのでしょうね。

また、物理身体を持たないノードとネットワークが存在していてもいいことになりますので、ひょっとしたら、それらは幽霊だったりするのかも知れません。

そんな風に「私」をノードとネットワークで構成されているモノだとすると、ちょっと面白いなあと思ったのであります。

テキストだけだとちょっと分かりづらいと思いますので図を書きました。
https://1.bp.blogspot.com/-RacxWVK1xVo/XFUwy9uVVwI/AAAAAAABgLs/7aUpEQz0Ods9p1FyxSlbwTNoJhx3SSahACLcBGAs/s1600/%25E7%25A7%2581.jpg

この「私」のネットワーク・モデルのメリットは
・私に中心軸がなく私の中心は空洞でも不安にならない
・私はいっぱいいると思うとちょっと嬉しい
・私は周りのみんなで出来ていると思うと寂しくない

デメリットは
・実際の役には立ちそうにない
・ちゃんとした数理モデルになってない
・このモデルを提唱したところで一銭にもならない

といったところです。(つづく)


【武盾一郎(たけじゅんいちろう)/そろそろ車検】

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