エセー物語(エッセイ+超短編ストーリー)[42]季節感の話◇幻の淡水魚
── 海音寺ジョー ──

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◎季節感の話

職を転々としてきたのだが、それでもトータルしたら飲食店の仕事が長く続いた。大抵の飲食店は年中無休で24時間営業の店も多々あった。

儲けを追求すると、ずっと店を開けておく方がランニングコストは安くなるのだ。もちろん夜中でも来客をのぞめる。立地条件が必須なのだけれど。

そして長時間営業をしてゐるということは、忙しい状況が続くってことなので、働きに働いて家には寝に帰るだけスタイルの生活が続いた。(バックナンバーの『舞台女優・杉村誠子の話』もよかったら参照して下さい)
https://bn.dgcr.com/archives/20180627110200.html






その頃住んでた、東京の代表的ベッドタウンのひとつ、上北台の団地は立川にちょっと近かったので夏にはボボーン…ボボーン…と平和記念公園の方角から、花火の音が聞こえた。

昔の団地は、通路幅が広く取ってあって植え込みもあるので、蝉の声もうるさかった。うるさかったら、それは夏だった。モノレールの駅前の、狭い畑の白菜が間引きされてたら、それは冬だった。

しかしそれは本当に記号的な区分で、脳みその中は食材発注、備品発注、スピード調理、人材確保、冷蔵庫の床掃除など仕事のことがほとんどを占めていた。

まあ、それは仕事が楽しくもあったので「もやしが切れた、ピンチ!」→「友だちのいる他店で借りてこよう」→「ついでに忘年会の打ち合わせをしよう」→「ついでにスケをこまし・・・」と、危機をうまく乗り越えるのを面白がってもいた。(スケをこますのは成功しなかった)

月日はハイスピードで流れてゆき、何やかんやで東京を去り、滋賀で介護仕事をしてるとき、北大路翼さんの『天使の涎』という句集に巡り合った。これは俳句集なんだが、ふつう句集とか歌集は一頁に2、3句しか印刷しないのに、一頁に12、3句と滅茶苦茶たくさんの句が載っていた。お得だった。ケチの僕も即買いした。

その高密度の句集には、東京、日本有数の歓楽街である新宿歌舞伎町で働く人たちの物語があった。ハッとした。こんな、風俗街中の風俗街にも四季があるのか、と意表を突かれた。同じように繁華街で長年働いてきたのに、自分が見つけられなかった風景がそこにあった。

 タクシーにシャンプーの香や春の夜

 閉店を客と迎へて浅蜊汁

 生ゴミの臭ひの朝や夏兆す

 『天使の涎』北大路翼著(邑書林)より
 https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4897097770/dgcrcom-22


俳句には季語を入れるというルールがあるけど、それは頭の中で整頓されてる知識でしかなかった。その魅力というものが、自分の灰色の記憶が彩色されていくことで、肉感的に把握できた。

とはいえ、今も年中無休の介護施設で、24時間不規則勤務で働いてるので、前の暮らしと状況は変わらない。それでも最近、季節感という元々持ってたかもしれない得体のしれない感覚が、俳句・短歌を学ぶ過程で自分の中に徐々に浸透されつつある。

2年ほど前から、図書館で新聞歌壇・俳壇を読み、気に入ったのを大学ノートに書写している。これは勉強というより、掘り出し物の名句、秀歌を保存しときたいというコレクター欲が高じて習慣化しただけなのだが、思わぬ効果があった。

毎週朝日新聞、日経新聞、毎日新聞のそれをノートに書き写すことで、全国津々浦々の投稿者さん達の生活や感動に同調できるようになり、そのことによってバーチャル的に季節の移ろいを感じられるようになった。ついでに時事ネタにも強くなった。

今年5月毎日俳壇・小川軽舟先生の欄に、このような句が載った。

教会の牧師転勤鳥雲に  東京 松岡正治

東京の神父さんにも人事異動的なんがあるのんかー、と微笑ましく思った。他の掲載句を目で追っていくと、西村和子先生の欄にこんな句があった。

花林檎村に異国の牧師来る  長野市 中里とも子

あっ、と思った。前の句に出てくる、東京の神父さんなのではないか? 神父が渡る先の土地にも、そこに住み慣れた人、中里さんがいて、彼が越してくる光景を目の当たりにしたんだろうか。

いや、単なる偶然の一致かもしれない。けれど・・・この新聞紙の、びっしりと俳句短歌で埋まる詩歌欄のだだっ広い1ページに、異国の老神父の姿が立ちあがって来て、晩春に花畑に囲われた村をゆっくりと歩いている錯覚に囚われた。

その朝、古びた小さな教会に続く並木道の、白い林檎の花は、もう散っていただろうか?(おわり)

◎幻の淡水魚

京都府立東乙訓高校探検部の夏休みの特別活動予定は、サバジャコ探索に決まった。かつては京都の西南部に棲息していたとされる淡水魚である。学名はミナミトミヨ。1960年以降いっさい記録が無く、もし発見されたら京都新聞ぐらいには絶対載りますよ! という副部長の功名心に乗っかって、僕たちは鶏冠井の池やら田んぼやら用水路やらを細かい目のタモを使い、一斉捜索したのだった。しかし連日、網にかかるのはドンコ・アメンボ・ザリガニ・タニシと、三日もたたぬうちに部員全員飽き始めた。部員全員といっても僕と部長と副部長の三人だけだが。

「体長2センチですよ」
「僕ら全員近眼ですから」
「ニホンオオカミとかモケレムベムベとかのワイルドさ、あらへんから」

はっきり言って四日目には全員もう嫌気がさしてたのだけど、橙色の美しい流線型のサバジャコの資料写真を見るともう、これはオレたちが見つけてくれるのを待ってるのに違いないという親愛の情が勝ってしまって、結局夏休みの日々は探査に明け暮れたのだった。

最後の日に、新種の淡水魚を発見した。これは俺たちだけの秘密にしておこうなと、三人でニヤッと笑った。
(コトリの宮殿出張版「絶滅動物」応募作品)


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