エセー物語(エッセイ+超短編ストーリー)[59]買いものの話 百年と八日目の蝉
── 海音寺ジョー ──

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◎エッセイ

買いものの話

ネットの科学コラムで、火山湖(カルデラ湖)に棲む魚は、最初どうやってここに来たのか? という謎を解いていた。川と繋がってない、もともと水溜まりとして生まれた湖に。

鳥がエサとして摂食した魚の、胎内の卵が胃で消化しきらず、ごく少数生き延びて、糞として湖に落とされ、それが繁殖していったというのが、一番妥当と考えられるとのこと。

https://nazology.net/archives/63129






ふーん、そうなんかと、その確率の低い魚の繁殖、種の存続の知恵に感心した。そして、ちょっとした時間差や、その日の天気や鳥の機嫌で、捕食される魚の運命、次世代の運命も含めて大きく変転する奇妙さを思った。

思ったのは一瞬で、すぐに明日の仕事や頼まれてた原稿のことや、いま図書館で借りてる本の返却期限、冷蔵庫内のR-1ヨーグルトの残存本数などなどに気を取られて、あっという間に記憶うやむやになった。

ただでさえ疫病フィーバー、悪天候、それに伴う葉野菜の高騰…おもしろサイエンストピックに耽ってられなかった。

そう、葉野菜である。春に100円で買えたキャベツが128円になり、さらに158円になり、248円に。ついには298円(税別)に跳ね上がった。レタスもだけど、レタスは普段あんまり買わないから、まあいいわ。

買いものはたいてい、家と職場の間にある平和堂というスーパーか、ジャパンというスギ薬局グループのドラッグストアですませるのだが、主に観光客目当てで、山の方で営業してる道の駅やマキノピックランドの方が、野菜は少し安いのではないか。直売所なので、少し安いのである。

ただ、葉野菜がどれだけ売ってるかは、滅多に寄らないので記憶あいまいだった。夜勤明けの先週、(8月末の)金曜日にふと思いたって、道の駅まで車で野菜を買いに行った。坂を上ってバイパスに合流した直後に、助手席からパタパタパタ、ジッジジー! と力強い羽音と啼き声が聴こえた。

蝉やん。いつの間に車に乗ってたのだろう。家のガレージの隣は空き地で、草ぼうぼう、雑木生えほうだい伸びほうだいなので、そっちからスルっと忍び込んでたのかもしれん。落ち着かなかったが、そのまま道の駅へと車を走らせた。

信号を二つ越えたくらいで、蝉の音は後部席へ移動した。窓を全部開けていたが、車外へ飛び出さなかった。気圧差があるからだろうか。車を走らせながら最近読んだ、くどうれいんさんのエッセイ『うたうおばけ』の帯に書いてあった惹句を思い出してた。

「人生はドラマではないが、シーンは急に来る」

車を道の駅の駐車場に停めたと同時に、バタターッと大きな羽音を立てて、蝉は窓から飛び去っていった。結局音だけで、蝉の姿は一切見ることがなかった。

自宅から、ここ追坂峠の道の駅まで、約10キロ。蝉はもともと交尾し、子孫を残すはずだった隣の空き地から、山手の叢林まで生活圏を変えてしまったな。そして、その子孫も。火山湖の魚みたいに。

道の駅にはキャベツは売ってなくて、ネギ(120円)とカボチャ(150円)となすび(120円)、うなぎ弁当(800円)を買って帰った。


◎超短編

百年と八日目の蝉

りゆ婆が食べなくなった。おしっこも出なくなった。もうそろそろらしい。

KPを呼ぶように、と院長指示があった。キーパーソン。りゆ婆の。りゆの居室に行ってみた。りゆがオレを見とめて片手を差し出した。両手で包むように握ると目をつぶって嬉しそうに握り返してきた。飯もいらないのに肌の温かみは必要なのか。いちばんさいごに欲しいものっていったい何だ? オレはまだ、それが何なのかわからないな。

その日から百年後、オレはりゆ婆が寝ていたのとまったく同じ部屋でベッドに横たわり、窓から蝉が羽化するのを見た。三人の孫がベッド脇に座って、その光景を一緒に見た。

蝉の成虫が殻を破る時に、あの日りゆ婆の口元にニヤッと浮かんだ皺を思いだした。

もういつくたばっても思い残しはないが、いやないはずだったが、今、羽を固めている蝉が、今日からどんな八日間をおくるのかが急に気になってきた。(500文字の心臓タイトル競作応募作品)


【海音寺ジョー】
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