武&山根の展覧会レビュー 大竹伸朗「全景 1955-2006」を観て どこに置いとくねん! って話やで。あの作品量。
── 武 盾一郎&山根康弘 ──

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山: はい、どうも!
武: こんにちは〜。
山: あー、ノド乾いた。
武: もうウチには酒がない(泣)。料理酒に手を出すか。。。
山: あ、そうなんや。僕は今日はコーヒー。
武: おっ、珍しく酒じゃないのか?
山: ちゃうで。
武: じゃあ、俺は料理酒持って来ようっと。。。あーーーーーーっ!!!! 料理酒がほんの一口しか残ってない!!!!!
山: わはは。料理酒なんて飲もうとするからや。料理酒は料理酒。
武: うー、キリギリスになった気分だ。。。あー、酒のない夜なんて、、サンタの来ないクリスマスのようだ。
山: 武さんの家にサンタなんて来たことないやん(笑)。妙なじじいは毎日鏡覗いたらいるやろうけどな(笑
武: つまみなし ひとり手酌の イヴの夜。詠み人知らず
山: イヴちゃうやん! ひとり手酌って酒ないやん!
武: 酒も無し 料理酒切れて 手が震え。詠み人知らず
山: ただのアル中のおっさんやないか!
武: 今回は大サービスで二首歌いました。つかみはオーケイ!!
山: どこがサービスやねん。。迷惑なサービスやでまったく。
武: ってことでね、そろそろまいりましょうか
山: そうやな。針生一郎展!
武: 針生じゃねーっつーの!!
山: あれ? ちゃうかったか。
武: そんなおじいちゃんをボケに使っても、奥樣方には伝わりません!
山: 「針生さん」っていうセリフが今だにこだまする!「これから何処行くの?」って(笑)。ほんま映画の内容全部喋ってまうがな。
(註:映画「日本心中(http://www.nihonshinju.com/)」を観て、針生一郎(http://harryblog.exblog.jp/1382525/)があまりにも良い味出してたのでローカルで盛り上がっている状態
m(_ _)m )


●大竹伸朗「全景 1955-2006」を観て

武: さて、本題いくよ。ってことでですね! 行って来ましたよ! 大竹伸朗「全景 1955-2006」展。
< http://shinroohtake.jp/
>
山: はい。東京都現代美術館やね。
< http://www.mot-art-museum.jp/
>
武: 大竹伸朗は1955年東京生まれ。武蔵野美術大学油絵科卒業ですな。今回は日本の現代美術ど真ん中のレビューってことになるねー。
山: ふむ。大竹伸朗って展示によく「景」って言葉を使うな。「日本景」、「鼠景」、「既景」、「秒針景」などなど。
武: ほー。俺、ちゃんと見たの初めてなんすよ。しかも今回の「全景」は二回観に行った。展覧会に二度行くのも初めてかも。
山: 武さん二回行ったんやったな。一回だけ見るのと二回行くのとではやっぱ、ちゃうかね?
武: 一回目観に行った時、その作品量に圧倒されてグワーって感じで観てまわって、美術館を出たんさよ。そんでふと思ったことが「美術館っていったい何なんだ?」っていう素朴な疑問。
山: ほー。作品の事やなしに美術館の事を考えたんや。
武: うん。だから、二回目は大竹伸朗の作品世界をもうちょっと冷静に観たいなあって思ったんよ。
山: 作品の量が半端やなかったなー。ほんま。
武: それが、大竹伸朗のアイデンティティーと言っても良いと思う。とにかく量。
山: どこに置いとくねん! って話やで。あの作品量。
武: で、作品そのものが俺をどこかに連れて行ってくれるっていう感じは全くなかったんよ。でね、今回のレビューは、もちろんリスペクトを前提とするんだけど、批判をあえてしたいって思ったんよ。
山: いつもそうやん。わはは。
武: アート界やその周辺の人たちが諸手をあげて絶賛してるんだけど、その無批判がなんだか気持ち悪いんだよ。
山: 実際、話題になってんの? まあでも見に来てた人は仰山おったか。
武: 表参道ナディッフ(http://www.nadiff.com/home.html)でも大竹伸朗の「ヤバな午後」(10/20-12/25)やってるじゃないですか。この間立ち寄ったんだけど、DMは大人気でアッというまに品切れ。

山: ほう。
武: やっぱり、大人気なんだよ。じゃあどんな人たちにか、っていうともちろんアート好きな人たちっていうか、そう、「アート系」。アートに幻想を抱いてるっていう意味で。
山: なるほど。

●日本の美術教育制度とアート

武: でね、なんで「美術館って何なんだろう?」って思ったのかって言うと、大竹伸朗の作品って美術館あるいはギャラリーに展示されてこその作品なんだよね。例えるなら、便器が美術館に置かれるとアートになるっていう手法(byマルセル・デュシャン)< http://ja.wikipedia.org/wiki/マルセル・デュシャン
>「アート内限定」の「アート」なんだよな。「アートの為のアート」っていうのか。ちょっと説明しにくいんだけど、例えば大竹伸朗の作品が公園に置いてあった場合、「あっ、なんかこれ凄いかも」っていう発見はされないだろうと思うんだ。規定範囲内なんだけど、型破りを装ってる、っていうのかな。そいういう臭いが非常にかっこ付きの「アート」っぽいなあ、と。
山: ふむ。それは単純に言えば、「絵」っぽくないってことなんかね。
武: あー、それはある。作品一点一点からは世界を感じないんだよね。
山: 公園でもなんでもいいけど、すごい絵やなあ、っていう絵があればそれはすごい訳やから。
武: そうそう。子供頃からの絵が展示されていたじゃないですか。とても上手いわけですよ。
山: 上手やったな。
武: きっとクラスでも学校でも絵の上手い子だったと思うんだよ。で、そういう子が美大なり芸大なりに行くワケだよ。
山: 目指す、と。
武: 美大なり芸大なりを目指せる絵を描くようになるワケだ。
山: わはは。そうやな。いわゆる入試絵画やね。
武: そんでもって、大学入ったとたんに、いわゆる上手い絵を放棄していろいろやり出す、と。
山: だいたい美大系の入試がすごい話やからね。石膏デッサンから始って、静物デッサン、人物デッサン、色彩構成、油彩、などなど。そん中で、うまく描けた人から芸大なり美大なりに入っていく。
武: そうなんだよね。
山: 別に何かを作りたいから合格するっちゅう話しやないからね。入試の中で上手けりゃ(あるいは運が良けりゃ?)入る、って話しやから。でもそんなん当たり前か。
武: で、大学に受かったってことが人より秀でた「アート」を獲得したかのように感ずる訳でしょう。
山: 一応そうなんやろね。
武: 油絵科なんかに入った人は、学校行かなくなって、絵を描かなくなって、パフォーマンスしたりバンドやってみたり写真やってみたり、または上手じゃない絵を描いてみたりキャンバスに車輪くっつけてみたり、するわけでしょう。そういった日本の美術教育とか受験システムから生じる美・芸大生の典型的な行動パターンが大竹伸朗の作品なんだよね。
山: そこで、あの量。
武: そうそう。
山: いや実際のとこ、僕は美大系予備校に都合6年間通ったんやけど。
武: 長いのー!
山: 長いでー。高校生の時からやからね。そこでは結局「量」っていうのも問題にされたりする、というかそうしやすい。
武: ん、というと?
山: 石膏デッサンはすでに数百枚描いた、だの。実際僕も数百枚描いたんやけど。でも受からへん(笑
武: わはは!
山: それはまあええとしても、石膏デッサン数百枚描いて見えてくるのは「石膏デッサン上手くかけるようになった!」って言うことだけなんやな。
武: うむ
山: 上手く描けただけでただそれだけ。変な話、自分と関係ない。
武: 絵の下手な人から観ると、絵が上手いってだけで別次元に感じることも確かだけどね。
山: まあね。上手いってそりゃすごいことやねんけど、石膏デッサンをギャラリーで見せたり売ったりするってことではないから。
武: はは、そだね。で、美大芸大に受かったって事はなんらかの免罪符が貰える訳でしょ。
山: 4年間遊んでもいい、アトリエスペースは確保(笑
武: おー! それはやっぱり羨ましい!
山: 高い買いモンやけどな。タダとちゃうでー。
武: わはは! でですね、大竹伸朗なんだけど、そういった美大芸大系の人たちが思いっきり共感する、ってことでしょ。
山: おそらくそうなんやろな。
武: で、果たしてそれが「絵」となんの関係があるんだろうか? なんか、まるで関係ない感じもする。
山: ふむ。

●絵とは?

武: 「絵」ってそもそも美術館やギャラリーに置かれて初めて成立するようなものじゃないワケでしょう。
山: ふむ。ほんならどこで成立するんやろ。
武: 絵ってのは勝手に描いて勝手に消えてくもんなんだよ。そもそもは。
山: そんなん言ってまえば、人間ってのは勝手に生きて勝手に死んでいくモンなんだよ、と言うことと同じやと思うけどな。
武: いやね、何が言いたいのかっていうと、美術館なり美術制度なりがまずありき、ってことろから作品が産み出されているんだよね。大竹伸朗って。きっと今の美術エリートのアーティストも、アートに憧れてる美大出ただけの連中もそこら辺はみな同じ。上手く言葉に出来ないけど、ここんところが実は一番の問題点なんだと思う。みんなそこを見ないようにして、アートだのカッコいいだのってぬかしてるから、何だか気持ち悪いんですよ。
山: まったく美術関係ではない人はそれはわからへんよな。
武: わはは!
山: 大竹伸朗を見て、何を思うんやろ。
武: カッコイイ! ってのが多いよね。
山: かっこいいのか。ふむ。で、あんなにたくさん作ってるよ、すごいね、って話か。
武: そうそう! それ! そこなんですよ。で、実際それは凄い。
山: 誰でもできることではないわな。
武: いくらなんでも、メンド臭くなる日も多いし、絵描きで毎日絵を描いてる人間って殆どいないでしょう。
山: 中にはいるんちゃう? でも毎日描いてるからいい、ってわけでもないやろけど。
武: むしろ、アニメーターとか漫画家の方が毎日絵を描いてるゾナ。
山: ゾナ!
武: ぞ! で止めようとしたけど勢い打ってしまったの! そんなとこ突っ込んでも編集ではカットだゾナ!
山: で、それがなんやねんな、って話しやんか。
武: わはは! たしかに。ってことは大竹伸朗の「作品量すっごーい!」っていう感動は、幻想ってことか!
山: わはは。いや、幻想やけど幻想ちゃうよ。実際描いてるんやし。「なんの為に描いてんだ」って話になりそうやな。
武: そだね、絵を描いてる大体の人はその疑問が沸き上がって来て、結局描かなくなる。
山: そうやねー、それあるよな。大竹伸朗の場合、そこは振り切って作り続けるってことをどっかで腹に決めたんやろか。
武: ほう。
山: 疑問を持ち出したら描けなくなるから、それは考えるけど描いてから考えよう、っていうのを延々とやる、と。延々とやるということで何か見えてくるのでは? ということやろか。
武: そうなのかな? ふと思い出したけど、字をずーーーっと書いてないとならない知的障害者がいるじゃないですか、小学校の時に同じクラスに居たけど、アウトサイダーアートなんかでも時々見かける(例:http://www.yukikokoide.com/news/news.html)。

山: ほう。
武: その人の、字・筆跡って、世界があるんですよ。どういうワケか。そうせざるを得ない感じが字から感じ取れる。
山: ふむ。
武: 大竹伸朗がもし、描き続けなければならない性分だとしたら、その一枚一枚に何か世界というか、狂気というか、そういったものが潜んでいて然るべきなんだと思うんさよ。けど、実を言うと、俺はそれは感じれなかったんだよ。なんだか、量があるだけ。確かに量には感動したよ。けど世界が見えないんですよ。
山: そやな。面白いことに大竹伸朗の絵からは狂気性であるとか、なんていうのか、そういうのはほんま感じへんねんな。なんか無理矢理な泥臭さをわざと見せようとしているように見える。
武: うーん、けど泥臭くはないよな。

●アーティストブック

山: 描き続けなければならない性分、というのはまあなかなかない事で。むしろそこに対しての一つの「憧れ」の形を、僕は今回の展示で感じた。だからこそ、アーティストブックに繋がっていくんやと思う。
武: アーティストブックは良かったよね。
山: 収集癖というのか、とにかく作ったものをある型式として見せれるんよな。本って。妙に納得できる形。
武: 集積が一つの大竹伸朗のフォーマットだとすると、アーティストブックとかノイズ(音を広い集めて繋げる)とかピッタリのメディアだと思う。
山: とにかく拾い集めることから始めてたりするやん。大竹伸朗。
武: そうですね。捻出って感じではないよね。
山: それだけなんやと思うよ。で、そこに何か見えてくるかも、っていう。そこに腹を括るというのか。
武: 情報を収集してスクラップする。今の情報化社会と通じることは確かだよね。
山: そうやな。しかしその情報が、なんやろ、なんかよくわかんない情報。ノイズ、って言ってしまえばむしろ乱暴やけど。要するに「どうでもいい情報」(笑
武: 深化しようとしない態度が共感を得てるんだろうね。
山: あー、それ。深さは感じへんねんな。
武: もうさ、厭なんだよ。深く考えるの。深く考えるとたいがい暗いとこに行かなきゃならないでしょう。
山: めんどくせー、って(笑)なんとなく暗い絵も描いてるけど暗くなり切れてない感じ。
武: 暗さは感じないよね。なぜか明るさも感じないけど。
山: わはは。つまり何も感じない(笑)情緒に訴えかけてこない。
武: その何も感じなさ加減がひるがえってリアリティーを呼んでるのかも。
山: それはあるな。
武: 本当は意味も世界も内容も何もない。ただただ、毎日膨大な情報の中で膨大なゴミを生産して忙しく生きている。その意味のない営みは、しかしこれだけの量がある、と。
山: それを拾い集めている、と。
武: 集めて美として昇華させるつもりなく、ただただ、集め積もらせて行く、それを観せた、と。
山: 構築の破棄やな。破壊やなしに。
武: で、アーティストブックだとそれは見事に成立する。
山: そうやな。そこに本の懐の深さを感じる。あと立体のこと。音出すブースみたいなやつ、たぶん時代の体温展で出したやつ。ギターとかあったやろ。そこでライブやってる映像も流れてた。
武: 「ダブ平&ニューシャネル」
山: それかな。そういう作品はすごくわかる。愛情感じる。
武: イメージ伝わる。
山: そうそう。そうなんやろうなー、っていう感じがね。よくわかる。あの作品ではべたべた貼付けてるモノが、感じ出てる。
武: 楽しい感があるよね。
山: 音楽というかライブに対する感じなんかな、伝わってくる。その線で展示が繋がって見えてきてたら全然違う見え方したと思う。

●回顧の先

武: 何しろ「回顧展」だったからね。
山: そうやな。死んだことにしてしまったんか(笑
武: 「大竹伸朗ってこうでした。」って感じの展示だったよ。
山: わはは!
武: ノイズ←→アーティストブック←→絵っていう繋がりがホントは重要で、そういう作品から展示コンセプトを立てていたら違った見方は出来ただろうね。
山: おそらくキュレータもわかってるんやろうけどな。
武: 回顧しちゃったからねー。
山: だからこそ、最初にアーティストブック(スクラップブック)があった。めっちゃ力はいってたで。
武: そだのう。。。じゃあ、最後に、「大竹さん、これから何処行くの?」
山: それはもちろん「針生さん」にならって…「ゴミの果てまで」!

【大竹伸朗:全景 1995-2006】< http://shinroohtake.jp/
>
会期:2006年10月14日(土)〜12月24日(日)月曜休館
開館時間:10:00〜18:00(入場は閉館の30分前まで)
場所:東京都現代美術館 企画展示室 全フロア(東京都江東区三好4-1-1 TEL.03-5245-4111(代表)03-5777-8600(ハローダイヤル)
< http://www.mot-art-museum.jp/
>
観覧料当日:一般1,400円、学生1,100円、中高校生・65才以上700円
前売:一般1,120円、学生880円

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/グラフィックデザイナー兼画家】
・新宿西口地下道段ボールハウス絵画集
< http://cardboard-house-painting.jp/
>
・夢のまほろばユマノ国
< http://uma-kingdom.com/
>
take.junichiro@gmail.com
※11.27〜12.19まで「Asia Art Now 2006」(期間:12/2〜12/17)の展示で韓国へ行きます!

【山根 康弘(やまね やすひろ)/阪神タイガース信者兼画家】
・交換素描
< http://swamp-publication.com/drawing/
>
・SWAMP-PUBLICATION
< http://swamp-publication.com/
>
yamane.yasuhiro@gmail.com
※12/1〜12/4まで「Asia Art Now 2006」展で韓国行き!