武&山根の展覧会レビュー 絵画とは何か
── 武 盾一郎&山根康弘 ──

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武: こんばんは!

山: ういーっす。

武: まったく、ちょっと聞いて下さいよ!

山: さあ、呑むでっ! ってなに?

武: 前回「嫁希望の方はどしどしメール下さい!」とあれほど言ったのに一通も来ないっ!!! 何故だーーーーーーーーーーっ!!!!

山: なんやそんなことか。あたりまえやん。励ましのメールも来んのにましてや嫁希望のメールなぞ、来るわけないやろっ!

武: がくっ。

山: あー久々の黒霧島はうまいのー。

武: こうなったらやけ酒だぁーーーーっ!!

山: いっつものみすぎやろ(笑)。

武: うぃ〜、前後不覚じゃ。

山: もう呑んでたんかっ!

武: こうなったらアプローチを変えよう、どなたか俺の遺伝子要りませんかーーーーっ!

山: そんなアルコールに浸された遺伝子など誰もいらん!

武: オーッ、ノーッ!! 綺麗な身体に致します!

山: いまさら遅いがな(笑)。

武: あぁ、取り返しのつかない人生(泣)。こうやって今年の夏も過ぎて行く。
「ベランダで 蝉の屍骸と 共に呑み」(詠み人知らず)

山: 「共に死に」の間違いとちゃうか(笑)。

武: 死んでたまるかっ! 蝉の分まで生きてやる!

山: 一週間だけやん(笑)。まあそう息巻いても嫁はきませんよ(笑)。

武: ミーン、ミーン、ミーン(泣いてるの図)

山: こうなったらもう、嫁に行けばいいんちゃうか?

武: む、一理ある。。。山根、この際だから俺を嫁に貰ってはくれないか?

山: 何言うてんねん! 勘弁してくれ! 俺はこんな嫁などいらんっ!! この前なんてひどいですよ。皆さん聞いてください!

武: なんすか?

山: 僕が疲れて現場から帰ってきたら、勝手に僕ん家あがりこんで酒盛りやってるんです! この人は!

武: まあ、ありがちっちゃーありがちだわな。(参照:安部公房「闖入者」)

山: 文学に置き換えるなっ! ってそのまま飲みに参加する僕も僕だが。。

武: シンポジウム(語源はギリシア語の「共に 呑む」から)ですがな(笑)(ネットラジオ「武と山根のシンポジウム:プロトタイプ版シンポジウムについて」
< http://jp.youtube.com/watch?v=PLFIBcBxvgU
>

山: これはひどいですねー。方々からお叱りをいただきます(笑)。もっと行け!ってことと解釈しております。

武: 俺たちのネットラジオ「武と山根のシンポジウム01:アーティストブックとは何か?
< http://jp.youtube.com/watch?v=yu4OXbCfI1c
>
これも是非聞いて下さい! よしっ、これでつかみはオッケー!

山: ほんなら本題いきましょか。

武: 俺の遺伝子欲しい方、どっしどしメール下さい!

山: いらんっちゅうねん!



●今回のテーマは「絵画とは何か?」


武: ってかね、このデジクリチャットも一年以上続けたし、今回はレビューじゃなくて、「絵画」についてちょっと真面目に討論するのはどうだろうか、と思うのだよ。

山: 最近自分らのデジクリ原稿を読み直してんねんけど、結構いろんなとこ行って観てきましたからねー。

武: これからもいろんなところ行きたいんだけどな。

山: 行きますがな!

武: アゴアシ代が出ればマジでドクメンタだってミュンスターだってベネチアだって行きたい!

山: むしろ作家で呼んでくれっ!

武: おー、そうだそうだ。それで行こう。レビューじゃなくて出展レポートな。

山: で、絵画について我々がなにを考えてんのか、っちゅう話やね。

武: おーそうだ。忘れてた。「絵画とは何か?」

山: 難しい話をまたもってきたねー。

武: 今「絵」と呼ばれてるものがあるけどさ、そのカテゴリー自体ほとんど意味をなさなくなってるし、様々な表現形態がありすぎてなんだかよく分からなくなってるような気もするんだよな。で、大本から考え直してみるのはどうじゃろか、ということなんですよ。

山: 大本からかいな。大変な話やのー。じゃあまずどこらへんからいこかね。


●「行為の痕跡」について


世界の名画100選―ラスコー洞窟画からサルバドール・ダリまで武: 絵画の発祥をラスコー洞窟の壁画とかに見るワケでして、おおよそ15,000年とか前、旧石器時代のクロマニオン人が描いたと云われている。。。

山: えらい昔の話やなー。どういう経緯で描いたんか僕は知りませんが、まあそんなに昔から人々は描いてる、と。

武: でだ、なぜ人は絵を描かなければならなかったのか。

山: ふむ。なんででしょうな。

武: 牛とか、星とか、描かれていたことは周知の通りだけど、手形とか、引っ掻き線だとか、そういうのもあるらしい。

山: これにはまず自分の事を考えてみる必要がある。誰でもガキの頃、なぐり描きをしていると思う。

武: そうそう、絵画の原点の一つとしては「行為の痕跡」ってのがあるよね。描かれた事象(つまりこれを一般的に「絵」と呼ぶが)が重要ではなく、何らかのアクションによって現実が変化するという「現象」なんだと思うんさよ。

山: ふむ。なぐり描きはまあほとんど昔っから変わらず子供はやるんよね。なんでか知らんが。しかも楽しそうにやるんやな。

武: でさ、出来上がったモノ(つまりこれを絵と呼ぶのだが)には興味なかったりするでしょ、子供。

山: そうやね。気がついたらまた別のとこに描き始めてたりするからな。グワーっと床なんかに描きだすからびっくりするけどね。おいおい、なにしおんねん! みたいな。

武: 「変化の最中に居る」事が重要なんだよな。で、「キャッキャッ!」とか喚いたり、意味不明にジャンプしたりするよね、子供。

山: そやね。で、最初は自分でもなにを描いてるのかわからんのやろうけど、ある程度しっかりしてくるとこれは何を描いてる、とか自分なりの意味が出てくる。

武: うむ。

山: そうなってくると「描く」という事象が別の意味を持ちはじめるんやな。でも最初はなんかよーわからず手を動かして、武さんの言葉で言うなら、ある変化なりアクションなりを体現するわけやな。

武: そだね。例えば、棒を持ってるとするならば「棒で地面や壁を擦ると線が生じる」「棒で何かをひっぱたくと音がする」「棒を振り回すとなんだかおかしい」、この遊び(行為)は、絵画・音楽・ダンスが未分化な状態ね。

山: そうやね。表現そのもの、っちゅうかね。

武: そもそも表現は未分化だったワケですよ。

山: そういうことやろね。

武: で、子供場合はその行為になんら意味付け的理由はないんだろうけど。大人が表現行為を行う場合のそれらは、「まつり」─「祭り・奉り・祀り・政り」になる。


●抽象について


山: ふむ。子供がある程度しっかりしてきて、自分の行為に意味が出てくる、って話やけど、自分が何をやってるか、あるいは何を知っているか、っていうことを徐々にわかっていく。

武: ふむ。

山: 例えば、これは雲です、とか。これは誰それ、とか。絵としてみた場合、なぐり描きとあんまし変わらないにしても、本人にはそういう意志がある。「意味」、か。

武: それは言語の絵画化というか、言葉や意味をどんどん知って行くと、つまり、世界を(知的に)認識していくと、そういう絵を描きたくなる。言語的絵画の発祥っていうのになるんかな。

山: 言葉の問題は重要やね。でもね、言葉をまだ喋れない子供と、言葉でのコミュニケーションを取るのはできないが、だけどそういった行為が彼らにとって明らかに何かを意味してる、っていうのは何となくわかったりする。

武: ふむ。それは興味深いね。

山: それを言語と言えるのかどうかはわからんが、つまり何が言いたいのかと言うと、世界を認識していく上で、意味がでてくるんやと思うんですよ。それって物事の抽象化やと思うんです。なんかわかりにくいが。

武: うーん、ただ抽象と言うのは多い情報から一つの方向の情報を抜き出すという事だと思うから、知って行く過程はまだ抽象作業は行われてないと思うんだが。

山: うん。だからね、子供はなぐり描きから徐々に世界を獲得していって、自分の行為に意味が出てくる。そうすると、技術的にはなぐり描きとあまり変わらないように見えるんだが、それはめちゃめちゃ具体的、具象なわけです。

武: うん、それは分かる。

山: それは抽象化ではないのか、って話し。そうやって世界を抽象的に捉えていくのではないか、と。

武: うはっ! こんがらがるなあ。

【抽象】ちゅうしょう〔abstraction〕
事物や表象を、ある性質・共通性・本質に着目し、それを抽(ひ)き出して把握すること。その際、他の不要な性質を排除する作用(=捨象)をも伴うので、抽象と捨象とは同一作用の二側面を形づくる。(goo辞書より)

山: これ、めっちゃ昔っから考えてたんです。抽象の意味がよくわかんなくて。

武: ほぼ哲学の分野ですから(笑)。

山: 辞書で何回も読んだ(笑)。

武: 抽象と言うと「あいまい」というニュアンスに解釈するからね。

山: そうやねんな。具象の反対、って簡単に考えてまうから。で、話しもどりますけど、子供はそうやって具体的に物事を描き出せるようになったりするんだが、

武: 抽象として事物を捉えて行く、と。

山: そう思うんだが。

武: 確かに。ここ、難しいけど、伝えられるとオモシロいなあ。。。

山: 実はこの話はすでに武さんにしたことあんねんけど、覚えてますか?

武: 忘れた。

画狂人ホルスト・ヤンセン―北斎へのまなざし (コロナ・ブックス)山: ヤンセン(参照:< http://japan.swamp-publication.com/?eid=352814
画狂人ホルスト・ヤンセン―北斎へのまなざし (コロナ・ブックス)山: ヤンセン(参照:< http://japan.swamp-publication.com/?eid=352814
>)の帰りやで。このチャットレビューのはじまりやね。北浦和の寿司屋で。

武: よーく覚えてるなぁそんなことまで、まるで女みたいだ(はい、フェミニストの方々ごめんなさいよーだ)。

山: いや、自分にとってすごく重要な問いだったので。

武: ってことは、子供の描く絵は正しい意味で「抽象画」ということになるわけか。

山: なぐり描きは別としてね。


●言語と絵画


山: ここでラスコー壁画にもどって考えてみよか。

武: ラスコーに描かれてるのは「牛」とか言うじゃないですか。

山: そうやね。描かれている事象は非常に具体的なこともある訳やね。

武: 実は「牛」じゃないという見方もあったりする。

山: ほう。どういう意味や?

武: つまり、「牛」という言語を獲得する前の牛が描かれている、と。

山: ん? それはつまり、牛と呼ばれる以前の「何か」ってことか。

武: そう、「何か」。「何か」を描いてる、と。

山: なるほど。でもそれは「何か」やねんけど、確実に抽象してるわけやな。

武: 教科書とかではバッチリ言語通りの「牛然」としたものが紹介されてるけど、ミョーな形態になってるのも多いらしい。

山: なるほどね。でもそれってただの技術的問題やったりとかとちゃうの?

武: 変なところが人間の顔みたいになってたり、人間の足のようなものが突然出て来たり、なんともつかないものがあったり、つまり「牛」という名詞はあんまり確定していなかったんではないか、と。

山: うーん。それって言語の問題とはまた別なような気がするけどな。

武: つまりね、俺が言いたいのは言葉の代替物として絵画が存在した、みたいなところが強調され過ぎてるんじゃないだろうかってこと。どうもね、絵画のベースをキリスト宗教画に置きすぎてるっていうのかね、確かに字を読めない人たちに宗教を伝える為に絵は大活躍するが、絵画の根本はそこじゃない、と俺は言いたいのよ。

山: うん。そうやと思うで。言葉の代替物として絵が存在してるとは、僕にはまったく思われへんけどね。

武: そうか。でも現代の絵画史観って「言葉」を軸にしてるじゃん。

山: そうなんかね。西洋ベースに考えるとそういうことになるんかもしらんな。

武: 俺たちは物事を言語化することで世界を獲得したかのような錯覚を覚えてしまう。

山: ふむ。

武: 病名なんて特にそうだ。やれ鬱病だの、なんたら症候群だの、なんたら症だの。そんなの大昔からあったんだよ。大昔から知ってたんだよ。

山: わはは。そりゃそうやな。結局言語化、名詞化することによって分類して、安直にやってまうんよね。

武: 実はそれが直感的理解(体感)を遠ざけてたりする。

山: そういうとこあるやろな。

武: でね、「絵画」はそんな方向性に加担しちゃいけないんですよ。

山: まあな。でも人間「わからないこと」って不安なんよな。

武: けど実は体感してたりするんよ。うすうす感づいてるっていうか。まあ、結局それを説明するのに言葉が必要なんだけどね。

山: それってほんま、体験をどう理解するか、っていう問題やな。それは頭というより、勇気とか必要やったりする。

武: そうか、知性とは別の問題になるわけだ。

山: 多分そうやと思うで。

武: で、絵画の話だ。牛以前の牛が描かれているという話。要するに目に見えるものだけを描いたわけでもない。「牛」という名詞を描いたわけでもない。行為の痕跡だけでもない。それでいて何かが描かれてる事だけは確かである、と。

山: そやね。じゃあなんやねん(笑)。

武: それが、「絵画」だ、と。


●絵画と脳について


山: 輪郭線、という話があるよな。

武: あー!! 輪郭って存在しないよね。

山: 実際にはね。輪郭という存在しないものによって何かを描き出す、というより創り出すわけやな。

武: 輪郭とは脳内処理で生成されるわけだよね。

山: そういうことやろね。でも例えば人を見た時に、確実に、周りとその人を見分ける能力は人間にはそなわっている。

武: 目に見えた世界をより単純化して脳に収めるわけだからね。情報処理。

山: それは当然と言えば当然やな。なんせ人間の体、動物かって同じやけど、そこ(体)で一つ構成されてるからね。区切りは自分自身で感じるわけや。もともと切り離されてるんやね。物理的には。

武: ところが生まれたての赤ん坊は世界を情報処理せずに丸ごと把握してるそうな。

山: ふむ。世界と自分との距離はない、とか聞くよな。

武: 全知全能な訳だ。

山: そやね。

武: その時の映像を呼び戻したい(笑)。

山: つまり、抽象化という人間特有の能力のせいで、世界と切り離されるわけだ。動物には抽象化するって頭はないんやろうし。

武: まるで別の世界が見えてるわけだよね。その映像を見てみたい(笑)。

山: こだわるねー。映像が欲しいんか体感が欲しいんかどっちやねん。映像やったらいくらでもありまっせ。

武: 体感ですね。意味が産まれる前の体感。世界が全く分離してない頃の体感。例えばライブペインティングをしてる時とかってまるでそこに還ろうとして、その片鱗をほんの少しだけ感じとろうとする(思い出す?)為の祈りのようなもんかも知れん。祈ってるんですよ。実際にはそうならないにしても。

山: たぶん、実際にそうなるんやけどね。それをなかなかわかろうしないだけで。頭が邪魔するんよな。

武: そう考えるとな、絵画ってのは、絵画だけじゃないけど、「まつり」が原点なんじゃないだろうか、と。


●異界とのコンタクトについて


山: ほい。一本あけたどーーっ! 大漁じゃー!

武: 焼酎一本かよーーーーーっ!!! 呑みすぎです、われ。

山: ふっふっふ。しかし今日はまだしらふに近いぞ。

武: 俺は何かとても大切な事を思い出しかけたんだが、、、

山: なんやねんな。

武: 俺たち、21世紀の思想家なんじゃねーの?

山: うん。ちがう(笑)。ただの飲んだくれです(笑)。

武: 返し早すぎ。

山: いまバリバリですよ! 僕。タイピングめちゃめちゃ速いぞ!

武: それ、錯覚だから。ラスコーに戻るけど、その絵は描いた向こう側に見せる為だったらしい。

山: ん?

武: 壁に描くわけだけど、壁画の見える俺たち側ではなくって壁の向こう側に見せる為に描かれているのでは、というんですよ。

山: 壁の向こう側ってどういうことなんやろ?

武: 神々の世界。

山: なるほど。

武: 手形とか引っ掻き傷のような原始衝動的絵画もあるけど、牛様の絵はもっとはっきりと目的を持っているだろう、と。それは人間に向けて表現したんじゃなくて、神々と言ったらいいのだろうか、「神」という概念もなかったかも知れないので、けどとにかく向こう側になんらかのコンタクトを求めて描いたんじゃないかろうか、と。

山: ナスカの地上絵みたいな話やね。

武: 重要なのは絵の表じゃなくて、絵の裏側なんだよね。

山: その意図ってことですかね。

武: 洞窟の壁の奥に向こう側の世界がある、と。こっちに見せる為じゃなく向こう側、向こう側の世界からすると絵の裏側を見るわけだ。

山: 洞窟っていう場所性も関係してんのかもね。

武: つまり、絵画(に限らずだけど)の原点は人間に見せる為ではない。

山: 異界、そこに通じる道なわけやね。

武: そう!! 異界に通じる道を作る為に絵画を描く必要があったんだよ。

山: ふむ。そこでまた輪郭線の話に戻るんだが、

武: ほい。

山: 一本線を引く、というのはある世界を遮断してある世界を構築する、ちょいと言い方がよくわからんけど、線を引くという行為自体が「境界」を創ることやと思うねんな。

武: そだね。

山: つまり、一本線を引く事によって、分断する訳だ。分断すると、そこには、あちら側とこちら側ができるわけでそれがつまり、抽象化を更に高度にした意味性を感じるんねんけど、うーん、言葉が足りないな。。

武: うん。わからん(笑)。

山: 僕が思うには、絵を描くというのは境界線を、輪郭線を明確に引くことやと。しかし、いや、だからこそその境界線、輪郭線が支持体の上、キャンバスでも紙でも壁でも本のページでも、その表面に存在するという点では同一だ、なんて思う訳ですよ。僕が絵を描く意味っていうのは昔っから変わってなくって、世界を理解して、自らの手で「絵=美」として構築したいという欲望。

武: 線を描くほど様々な世界が生じ、コチラ側もアチラ側も自らの絵画で体現出来得るってことかの。で、俺の意見をまとめるとだな

山: ほい。

武: 絵も踊りも歌も音楽も同じ場所から産まれて、それらは神々に捧げる祈りだった。ということなんだよ。

山: そうやな。そこには異論はないです。

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか (青春文庫)武: で、細分化されすぎた今、そこいらへん全部ひっくるめて、エイヤッて原初に立ち返れれば、ダイナミズムも産まれるでしょうと。お、これって岡本太郎(参照:「この夏、岡本太郎ツアーに行こう!」か?
< https://bn.dgcr.com/archives/20060731140007.html
>

山: ……ぽいけどな(笑)。でも今までのチャットレビューを読み返してみると、自分らの言ってる事って基本的に一緒やねんな。

武: わはは! 進歩ナス。

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/遺伝子いかが?】
< http://iddy.jp/profile/Take_J/
>
< mailto:take.junichiro@gmail.com >

【山根康弘(やまね やすひろ)/黒霧島1本半】
・SWAMP-PUBLICATION < http://swamp-publication.com/
>
・交換素描 < http://swamp-publication.com/drawing/
>
< mailto:yamane@swamp-publication.com >


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by G-Tools , 2007/08/22