渋谷駅前宮益坂下交差点を、明治通り沿いに原宿方面に歩いて行くと、左手に「うなぎの寝床」のように細長い公園がある。宮下公園だ。その公園が知らない間に有料「ナイキ・パーク」になろうとしている。隠された問題は、ふらっと公園に訪れることが出来る全ての人々への暴力なのだが、なかなか誰もそこに気付けないところ、だと僕は感じるのだ。
宮下公園は砂場などの子供用遊具があったり、会社員が昼寝や昼食をしたり、恋人同士がイチャイチャしてたり、ホームレスが暮らしてたり、夜中若者が遊んでたりと、東京のごくごくありふれた公園のひとつでもあるが、それ以外にちょっと意外な特徴がある。
宮下公園は砂場などの子供用遊具があったり、会社員が昼寝や昼食をしたり、恋人同士がイチャイチャしてたり、ホームレスが暮らしてたり、夜中若者が遊んでたりと、東京のごくごくありふれた公園のひとつでもあるが、それ以外にちょっと意外な特徴がある。
●宮下公園の意外な3つの特徴
1:デモの集会所として使われて来た
僕は実はデモとかまるで詳しくない。参加したデモと言えば、高円寺「素人の乱のサウンド・デモくらいである。宮下公園は、どうやらかつての新宿西口地下広場じゃないけど、デモや集会の拠点の一つであったそうだ。北京オリンピック前たまたま宮下公園にいたら、右翼団体がフリーチベットと北京オリンピック粉砕を訴えたデモを宮下公園を拠点に行っていた。多くのサウンド・デモも宮下公園拠点で行われていたらしい。
高円寺「素人の乱」< http://trio4.nobody.jp/keita/
>
サウンド・デモ< http://jp.youtube.com/watch?v=dPnozAWF2IQ
>
つい先日も日の丸を掲げた団体がデモ集会を行っていたので、「宮下公園がナイキ化されるらしいよ」と話しかけてみた。宮下公園がナイキ化されることに対してはあんまり良く思ってはいないようだった。
では何故デモの拠点となっていたのか? その理由の一つにデモコースがあるようだ。これを見て欲しい。宮下公園デモコースと日比谷公園デモコースを比較した「ザックバランなビデオ調査」。アーティストの藤井光氏が実際にデモコースをビデオを撮りながら歩き、一コマ一コマ再生しながら人数を数えたそうだ(驚)。
< http://www.hikarufujii.com/research.html
>
休日の昼間に宮下公園からデモを行う場合、かなりの歩行者に見られることになる、しかも若者に。そして、デモルートの定番として「左折」があるらしい。これは左翼がデモをしがちだからではなく、交差点での右折はメンドクサイので警察もデモ隊もイヤだからだそうだ(笑)。宮下公園拠点デモは左折のみで、人通りの多い道をぐるっと廻ってまた帰ってこられる、なかなかのスポットなのである。
2:(ウナギも捕れた)渋谷川と宇田川の暗渠に囲まれている
僕は「246表現者会議 < http://kaigi246.exblog.jp/
>」の発起人をやっているのですが、この会議を行うきっかけとなったのが、渋谷桜丘周辺地区まちづくり協議会が日本デザイナー学院に依頼した渋谷駅高架下の全長40mにおよぶ壁画「春の小川」である。そのコンセプトは、「高架下近くを流れる『渋谷川』の上流『河骨川』は、1912年に作られた文部省唱歌『春の小川』のモデルとされている。現在は暗渠化され、下水道となっているが楽曲は世代を超えて歌い継がれている。」(『渋谷アートギャラリー246』のメインパネルより。現在はなぜか取り外されている)。
< http://www.ktr.mlit.go.jp/toukoku/04topics/h18/20070314.htm
>
暗渠となる前は、ここら辺には野花があり魚も泳いでたワケだ。それら小さな命が満ち満ちていた、渋谷の過去を甦らせるべくコンセプトで描かれたこの壁画によって、野宿してる人たちの命を奪いかねない排除を行おうとしたのは本当に皮肉な話なのだが。
「暗渠」という聞き慣れない単語を僕は246表現者会議で耳にするのですが、その宮下公園は渋谷川と宇田川のふたつの暗渠に囲まれてるそうである。第7回246表現者会議/2008年6月20日 < http://kaigi246.exblog.jp/8158422/
>で「そこではかつてうなぎが捕れたらしい」「うなぎとナイキマークは似てる」(笑)という発言も飛び出し、ナイキロゴマークをもじった「Just Doite?(ジャストどいて)うなぎマーク/作:渡辺篤」が誕生した。
< http://kaigi246.exblog.jp/8252721/
>
「ところで、渋谷川に本当にうなぎはいたのか? 本当にいたようです(笑)。
参照:「渋谷川に本当にうなぎはいたのか?」
< http://kaigi246.exblog.jp/8712976/
>
「東京は水に浮いている都市である」とどっかで聞いたことがある。東東京はほとんど埋め立て地らしいし、縄文期の東京の大部分は水中だ。東京の地下には暗渠となった川、地下水、海水、いろんな水が大量に横たわっていて、その上にこんだけの建物が建ち並んでると思うとちょっと怖くなる。東京は「砂上の楼閣」ならぬ、「水上の浮き舟」だったりするのかも知れない。
3:フットサル場は野宿者排除の効用も狙って作られている
現在、宮下公園には有料フットサル場がふたつある。
< http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/sports/sp10_miyashita.html
>
誰でもフラッと来て利用できる訳ではない。渋谷区在住・在勤・在学の団体として登録し、使用料は一番安い時間帯9〜13時で1時間4,000円、一番高い時間帯19〜21時で1時間7,000円だ。相場を知らないので、フットサルをしたい人たちにとってはそれでも安いのかもしれない。ところで、このフットサル場、野宿者対策としての側面もあったようだ。
「のじれん< http://www.jca.apc.org/nojukusha/nojiren/
>」が配布していたビラ「2007年10月11日決算特別委員会 文教分科会」の議事録に伊藤毅分科員の発言にこんなくだりがある。
「(前略)利用者からいろんな声を聞くんですよね。例えばフットサル場の周りに、確かにやる人のところはいいんだけれども、ちょっとしたベンチみたいな、観客、一緒に応援に来た人たちのためのものが何かないかという要望も聞きます。さらに、あまりいい話じゃないですけれども、ホームレスがまだいなくならないと。本当はホームレスの対策も含めてやったはずなのに、ホームレスはいなくならないねというと、それは福祉保健部のほうになったりするじゃないですか。さらには、あまりよくない話なんですけど、朝方、夕方、ちょっとねずみがちょろちょろ走ってるのをよくみるよという話を聞いたりすると、それはまた所管が別になってくるとおもうんですけれども、(後略)」
フットサルに罪はない。けど、フットサル場が野宿者排除の道具としても活用されてると聞いたら、「清く正しいスポーツマンシップ」を持つ方々はどう思われるのだろうか? 「ホームレスが違法なんだからそっちがアンフェアだ!さっさと撤去してしまうべきです。それが正義です」なのだろうか。
ネズミが発生するのも、暗渠と無関係ではないかも知れない。ドブ川と化した渋谷川を暗渠にし、劇薬と汚物と残飯のドロドロの地下で「スーパーラットの亜種」たちは更に逞しく巨大化してしまったのかも知れない。
※「スーパーラットとは、ネズミを殺す殺鼠剤に抵抗性のあるクマネズミのことで、クスリを食べてもなかなか死なない。」
< http://www.jgoose.jp/tml/kanamaru/kanamarunews27.htm
>
金丸弘美のスローライフ旅日記より
●「宮下公園がナイキ化される」とはどういうことなのか?
そもそも公園とはなんなんだろう? 僕は素朴な疑問持ち続けている。
「公園 < http://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=22025148
>」
・「空き地」が消え、「公園」が浮上
ドラえもんやサザエさんのマンガ本で、のび太やカツオが遊んでる場所は公園ではない、「空き地」だ。土管が積んであり、中途半端に有刺鉄線があり、木の間仕切りは必ず穴が空いてたり壊れたりしてる。「公園」はどちらかというと用途が決まっている場所のイメージがあった。僕自身子供の頃、公園でももちろん遊んだが、天然アナーキストのガキどもはむしろ所有や目的の曖昧な場所、雑木林、空き地、用水路、川べり、田植え前の田んぼ、廃屋(工場)、などで勝手に遊びを作り出していた。また、立ち入り禁止区域なんかは簡単に入り込めるようなアバウトな囲いがしてあるだけだったりして、絶好の探検場所だった。舗装道路ですらローセキで落書きしたりする遊び場だった。
現在、東京23区のみならず、都市近郊でさえ、のび太やカツオが遊ぶような目的の定かでない昭和的「空き地」はほとんど存在しないと言っていいだろう。あったとしても完全に囲われ、子供らが入れないようにしっかり閉鎖してあったりする。ましてや、道路なんかでは車が怖くて決して遊べやしない。
そんな平成の世、公園やストリート(歩道)は「無目的な遊び地」になるしかない部分があると思う。用途の定められていない場所、無目的な場所、何もせずにずっとボーッと出来る場所、自分たちで勝手に遊びを作り出せる場所。そんな「社会のルール」から切り離された自律的場がないと人間正直狂って来るんじゃないだろうか、とさえ思う。
公園とは都市設計で任意的に作られた場所でありながら、社会的束縛から逃れられる場所としての必要性がどんどん強まってきたんだと思う。「空き地」が消えて行ったし。それゆえ、現在、公園に対し逆ベクトルの圧力がかかって来たんじゃないだろうかとも思う。
▼「何かをしてくれるというのなら、ただ何もしないでいられる場所を」
< http://illcomm.exblog.jp/8495736/
>
イルコモンズのふた。< http://illcomm.exblog.jp/
> より一部引用。
「いま、怖れられ憎まれてるのは、もしかすると公園という場そのものじゃないかという気がするんだ。あの禁止の多さがなによりの証拠で、公園という場所自体が恐怖の対象になっているんじゃないかと思った。怖れてるからこそ、あんなに禁止が多いんだと思った。云うまでもないことだけど、公園は人が勝手にただで休憩し、余暇を楽しみ、自由に何かをする場所だ。だから、いってみれば公園は、資本主義のテリトリーとそのコードからはみだしたフリーゾーンで、資本や通貨の流れから外れた残余の場所だ。「帝国」の中に最後に残った野性の地だ。「帝国」の生活に塗れきってしまった僕らは、その最後の希望の地かもしれない公園という場の力を読み違えてしまって、それを怖れているんじゃないだろうか。これは微妙な感覚なんだけど、たとえば僕らは、ただでモノを手に入れることや、ただでモノを手にいれることに妙な居心地の悪さを感じるし、休憩や娯楽ですら、資本に管理された価格のあるものの方を求めるようになっている。あらゆるものにお金を払うことに慣れすぎてしまっていて、消費者根性とでも呼びたくなるような卑しさを身につけてしまっている。無償のモノのなかで生きる感覚や想像力をなくしてしまっている。そんな僕らは、ライセンスのないとりひきや、パッケージのないたべもの、レシートのない品物や、ビジネスのないつきあい、コピーライトのない歌や、イズムのない思想、マーケットのない努力や、プライスのないただのサービス、そういう資本主義生活のやりくり(エコノミー)から外れたモノや事件に囲まれた「野性の暮し」というものを想像することすらできなくなってしまっている。だから公園を怖れているんじゃないだろうか。」
・ナイキとホームレス、どっちがいい? という単純化誘導
実際にナイキ・パークになると夜間施錠を行うらしい。つまり、野宿者一掃ということだ。渋谷区は自らの手を汚さずホームレスを片付け、ナイキからネーミングライツなどの巨額資金が入るとなればウハウハなのは一目瞭然なのである。この話がちょろちょろと漏れ始めた頃、いちはやく反応したのが野宿者支援団体の「のじれん」で、のじれんの呼びかけで幅広い人たちが参加してるのが「みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会」である。
< http://minnanokouenn.blogspot.com/
>
まあ、ネーミングのセンスは置いておこう(笑)。
渋谷区議会の伊藤たけし議員の2008年10月01日(水)の日記には「国会と並ぶように昨日から渋谷区議会も本会議・定例会に入り、代表質問や一般質問が行なわれています。前期から私が提案してきた宮下公園のスポーツ公園化、いわゆるネーミングライツを使った企業とコラボレートする案も区長から『やる!』との表明があったりして、それなりに実り多き秋になっています。」と書かれている。
< http://www.yesno.net/itou/itou.htm
>
「ナイキ」という名前は出てない。恐らく今の段階で「ナイキ」に決まってると公言すると法に引っ掛かるのだろう(笑)。ってことは既に違法なんじゃないのか?
まあ、僕はアーティスト兼アナーキストなんで法には興味ないのでどうでもいいのだが。ところがこれまで渋谷区役所は、宮下公園で野宿してる人や、宮下公園を集会場所として使っていた団体などへの説明や告知はしていないそうだ。「〜守る会」が計画を明らかにするように求めても「わからない」の一点張りで応じない、というのが現状らしい。
「共同声明の賛同が476人(団体含む)に!」を見ると、
< http://minnanokouenn.blogspot.com/2008/09/471.html
>
賛同者は学生、学者、アーティスト、会社員、フリーター、様々だ。僕も賛同してる。個人の賛同者はWEBからも署名ができる。こういうのは楽でよい(笑)。
「1分できるオンライン署名 by 宮下公園をナイキ化計画から守る会」
< http://form1.fc2.com/form/?id=319692
>
「宮下公園をナイキ化計画から守る共同声明」
< http://minnanokouenn.blogspot.com/2008/07/blog-post.html
>
「宮下公園の改修に関する陳情」
< http://minnanokouenn.blogspot.com/2008/09/blog-post_22.html
>
署名もある。こちらはWEB署名はないみたいだ。運動は署名が多いのがメンドクサイんだよな(笑)
話を戻そう。のじれんが単独で野宿者支援としてこの運動を興せなかったのは、この問題が「ホームレス排除問題」だけではなく、もっと次元の違う性質を孕んでると察知したからなんだろうと思う。それこそが宮下公園ナイキ化問題のキモなんだが、
マスコミ報道。例えば、MSN産経ニュース2008.9.11
---------------------------------------------------------------------
渋谷に"ナイキ公園"誕生か 反発の声も
< http://sankei.jp.msn.com/politics/local/080911/lcl0809110850000-n1.htm
>
スポーツ用品大手のナイキジャパンが、東京・渋谷にある宮下公園のリニューアルに意欲を見せている。既に公園の命名権買い取りを区側に打診。区議会で承認され次第、本年度中に改修に着手し、レジャー・スポーツ施設化を目指す。しかし「施錠し夜間は人の出入りを締め出す」との方針で、反発の声も出ている。
宮下公園は1階が駐車場、コンクリートの上に土盛りした2階部分に樹木を配した独特の"空中庭園"スタイルが特徴。山手線と明治通りに挟まれた縦長型で、庭園部分は約1万800平方メートル。渋谷駅から徒歩約5分。公園内にスケートボード場やオープンカフェなどを新設する計画だ。
一方、宮下公園に寝泊まりするホームレスの支援者らによる「みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会」が、区の担当者に説明を求めたところ「公園を柵で覆い、夜間は施錠する」と告げられた。守る会のメンバーは「利用者がスポーツ愛好家に限られ、行き場のないホームレスは追い出される。なぜ営利目的の企業論理が優先されるのか」と憤っている。
---------------------------------------------------------------------
この報道でやっかいなのは、「公園とはなにか」の問題ではなく、「ナイキとホームレス、どっちがいいの?」という単純化誘導を与えているところである。「ホームレス」へのネガティブ・イメージはここ最近特に高まって来ているような気がするし、あたかも「野宿支援者という特定の連中が反対運動やってるー」、みたいな印象操作にマスコミ・プロパガンダの狡猾さも伺えるのだ(笑)。案の定、問題が「ナイキとホームレス、どっちがいい?」にすり替えられ、ネットでは野宿者支援団体へのバッシングと、ホームレス排除賛成が圧倒してるようである。ホームレス排除に大賛成の書き込みをしてる連中も、案外とワーキングプアや無職の若者だったりしてそうで、そうなるとことさら悲劇の様相を呈してることになる。
僕はホームレスの味方とかホームレス問題の解決とかホームレスの人権とか、実はそういう事を思ってる訳ではない。これはちょっと説明しにくいのだけど、一介の画家が、浮浪者、乞食、ルンペン、放浪者、宿無し、ホームレス、不具者(差別用語をあえて使いました)といった言葉でくくられる人たちに、不可思議なシンパシーを感じるのはむしろ自然だとすら思う(そしてそれはれっきとした差別意識でもあると思う)。そんな気持ちからであって、多分正義とかでもないし主義とかでもない。僕はナイキで公園が塗り潰されるよりホームレスが居た方がいいけどね、その方がむしろ「健全な都市」だと感じるのだ。
第64回:東京のアート?【後編】・会田誠
< http://www.realtokyo.co.jp/docs/ja/column/40nen/bn/40nen_064/
>
/昭和40年会の東京案内 より一部引用します。
「ホームレスがいるから東京が好きでした。生まれ育った新潟では、郊外の住宅地で育ったせいもあって、ホームレス(当時は浮浪者と呼ばれてましたが)を実際に見ることはほとんどありませんでした。美術予備校の講習を受けに東京に来た高校3年の夏、初めて多くの浮浪者を目にしました。僕は何かとても嬉しくなり、「浮浪者がいるからこそ、僕は東京に住みたいと強く願う」といった趣旨のことを、興奮して日記に書き付けたことをよく覚えています。
(中略)自分の過去の作品を振り返ると、直接的であれ間接的であれ、ホームレス的なモチーフが多いことに我ながら驚きます。もちろん前述のような、ホームレスに対する怖いもの見たさみたいな、ミーハーな憧れも要因になっています。しかしそれだけではなく、芸術ならば必ずやるべき「根源的思考」から自ずと導き出されたモチーフだった、とも思います。公務員であれ社長であれ、それは一時的で表面的な肩書きに過ぎず、誰が明日、突然ホームレスになってもおかしくはありません(自然災害や戦乱を想定すればなおさらです)。人間社会に平等なんて基本的にないけれど、誰もがホームレスになる潜在的可能性を持っている、という点においてのみ、人は平等なのでしょう(もちろん『死』もあるけど、それは根源度の一段高い別の話)。
(中略)つまり、放っておくといつのまにか増えているもの。無くそうとしても、いつの間にかひょっこり顔を出すもの。それを力で押さえつけて曲がりなりに完全駆除してみると、なにか不自然で、嘘っぽく、世界全体が薄ら寒い感じになるもの。ことわざでも「水清きに魚棲まず」といいますよね。そういう雑草的なものが排除された「嘘くさい花壇」みたいなものが、僕はとにかく好きじゃないのです。まあ、そういう近代的・合理的なものがあってもいいでしょう。というか、現代ではそれが主流なのも仕方ない、と思っています。けれど東京が全部、そんなきれいきれいな「なんとかヒルズ」みたいになったら、僕は二度と東京に足を踏み入れないでしょう。そして賭けてもいいけれど、そんなことになったら、東京では自殺者が激増するはずです。」
●「遊び」としてのデモ
冒頭にも書いたけど、宮下公園ナイキ化の隠された問題は「ふらっと公園に訪れることが出来る全ての人々への暴力」なんじゃないかと感じている。
寝られないどころか、長時間座ってられないベンチ。通行の迷惑をかけずに座っていても、20分もしないうちにガードマンがやってきて追っ払われる地下道、理由を聞いても「そういう決まりだから」。立ち止まる事すら禁止されている長い通路。ベルトコンベアで運ばれて突き出された先には巨大ショッピング・モール。「消費せぬ者、人に非ず」。止まらない大再開発。一見ピカピカで自由に見えるが、実は人間の能動性はどんどん奪われているじゃないだろうか。そんな大きな流れの小さな突端が「宮下公園」に垣間みれる。
僕は「反対運動」として宮下公園ナイキ化問題を捉えていない。ただ単に自然に立ち振る舞い、ボーッとし、遊びたいのだ。
2008年9月28日(日)、「みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会」主催のデモを行った。
< http://kaigi246.exblog.jp/8691155/
>
僕も準備だけ参加した。段ボールを拾い集めてウナギのパペットを作ったり(これがまたショボイ!)、「Just Doite?(ジャストどいて)うなぎマーク」を段ボールに描いたりした。10人くらいしか集まらないのかなあと思ったら、80人くらい集まったようである。この日のデモはどちらかというとプレ・デモで、次回に行うデモはもうちょっと大々的になる。というかさせたい。
僕は、公園の楽しさが路上に溢れ出てしまったようなデモになるといいなあと思っている。ここで僕がやりたいのは「消費によって手に入る遊び」ではなく、原初的な「遊び」だ。「公園の可能性」はそういったところにあるんじゃないかと思う。そして「デモだってアートかもよ」って言ってみるのはどうだろうか、と思っている。
◇「宮下公園がナイキ・パークに!? チンドンパレード・デモ」
日時:2008年10月13日(月・祝)15:00集合、16:00出発
集合場所:宮下公園
ゴミで作った手作り楽器、鳴りモノ、ちゃんとした楽器(笑)、うなぎのパペット、絵とかなどを持ち寄り、チンドンパレードを行います!
ナイキユーザーも、ただ単にパレードしたい人も、ナイキ化反対の人も、野宿の人も、右翼も、左翼も、子供も、主婦も、公務員も、サラリーマンも、無職も、公園を使った事のある人、パレードしよう!
【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/ リアル蟹光線】
take.junichiro@gmail.com
246表現者会議
< http://kaigi246.exblog.jp/
>
「リアル蟹工船」と話題のドキュメント映画『フツーの仕事がしたい』(監督:土屋トカチ)、ポレポレ東中野で上映! 看板描いたよ! 10/9はトークゲスト出演します!
< http://nomalabor.exblog.jp/
>