[2556] 『変』に続くのは

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<自分を見つけてしまったら冷静に対処しましょう>

■音喰らう脳髄[61]
 『変』に続くのは
 モモヨ

■アナログステージ[6]
 腹肥商事社内プレゼン その2「人間相関図の悲劇」
 べちおサマンサ

■ローマでMANGA[16]
 私の人生の節目に現れた人
 midori

■ところのほんとのところ[8]
 不完全燃焼のパリ
 所 幸則

■お詫びと訂正


■音喰らう脳髄[61]
『変』に続くのは

モモヨ
< https://bn.dgcr.com/archives/20081216140400.html
>
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年末になると、今年を一文字であらわす漢字が公表される。2008年は『変』なのだそうだが、これには同意しがたいものがある。少しあいまいな気がする。

後の世の歴史家がこれを見た場合、Changeを旗頭に高揚する退嬰大国の様子をその属国がまねたようにとられかねない。いうまでもないが、『変』には英語Changeを意味するところがある。

もっとも『変』には軽度の『乱』という意味もあり、その部分では、相当に納得できる。もっと納得できるのが、変態とか「あの親父、少し変だよ」という類の『変』だ。

特にこの秋、少し変な親父が首相に就任してから変なことばかりが相次いで政治が動かない。口では「緊急事態」というけれど動かない。現実がどんどん悪化するのに動かない。これは、どうみても変であろう。いや、稀な、というか、異というか、いずれ尋常な話ではない。

というわけで『変』に部分的な賛意を示す次第だが、やはり納得がいかない。というか、現実が悲惨すぎるのである。来年の漢字が『革』なんてことになったら、気分も少しは晴れるだろう。そうなれば続けて『変革』である。

「今年の漢字は『革』」

そんなニュースを聞くためにも、私たちは生きていかなければならない。そう思うのである。私たち一人一人が『革』の字を胸に保っていかなければ実現するはずもない。

風たちぬ いざ生きめやも

である。

Momoyo The LIZARD 管原保雄
< http://www.babylonic.com/
>

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■アナログステージ[6]
腹肥商事社内プレゼン その2「人間相関図の悲劇」

べちおサマンサ
< https://bn.dgcr.com/archives/20081216140300.html
>
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【前回のあらすじ】
健康促進グッズの製造・販売をしている腹肥商事は、社長の山本と微妙なアイデアマン、相川の二人で切り盛りしている会社。山本社長はダイエットDVDを企画するも、身の危険を察知した相川に逃げられてしまう……。

「社長、ここ数日、まったく電話がかかってきませんね。」
「うむ、アメリカの経済事情がわが社にまで影響を及ぼすとは……」

「いや、まったく関係ないと思いますよ。ん? まつばら博士から電話だ。なんで携帯のほうにかけてきたんだろ。もしもし、相川です、お世話になっております。その節はいろいろとお世話になり、ありがとうございました。え?ハイ? 本当ですか? 申し訳ございません、すぐ確認いたします、ハイ、わざわざスミマセン……」

《まつばら博士からの一本の電話。なにやら相川の様子がおかしい》

「シャチョさん、シャチョさん。会社に電話すると、女性オペレーターが音声ガイダンスでサービス中みたいですよ。」
「何を言っているのか分からんが、そんなサービスは申し込んでないけど。まつばら博士のことだ、この年末の忙しい時期に、またトンチンカンなことを喋って、構ってほしいだけじゃないのか。」
「全然ヒマですけどね。ちょっと、携帯から会社に電話してみますね。」
『おかけになった電話番号は、現在、お客さまの都合により……』
「シャチョさん、シャチョさん、会社の電話、止められてますよ。」
「なんだと? どうりで電話が鳴らないわけだ、ハッハッハ。」
「ハッハッハじゃないですよ! 会社の電話止められてどうするんですか! 仕事にならないじゃないですか、早くコンビニに行って払ってきてくださいよ。」
「スマン相川くん、5千円貸してくれんかね。」

《どうやら電話料金未払いで止められてしまったようです。大丈夫なんでしょうか、この会社》

「従業員のボクがこんなことを言うのもおかしな話ですが、やる気あるんですか? 電話を止められてる会社なんて聞いたことがありませんよ。今月の売上げが幾らか知っていますか? 20万円ですよ、にじゅうまん。どうやってボクの給料を払うつもりですか!」
「まぁまぁ、相川くん、落ち着きなさい。」
「落ち着いてられませんよ! 従業員に電話代を借りる社長なんて、初めて見ましたよ。新しい商品も開発しないで、本当に潰れちゃいますよ!」
「それよりもだな、先日、凄い発見をしてしまったのだ……」
「なんスか、どうしたんスか? くだらない言い訳は聞きませんよ。」
「話すよりも、とにかく見たまえ。」

《パソコンのモニターに向かい始める山本。凄いものって、もしかして…。》

「昼からエロ動画とかは勘弁してくださいよ。」
「これを見たまえ、相川くん! < http://spysee.jp/べちおサマンサ
>」
「うわ、なんですかこりゃ? 有名人だったんですか、彼?」
「ワタシもびっくりしたのだが、なぜか存在している。」
「しかも、イメージ画像が石川さゆりのジャケットじゃないですか。」
「それよりもここを見たまえ! タグが歴史上の人物になっておる。」
「何時代の人だったんですか……。何をやって、歴史上の人物になったんですか……」
「おそらく、勝手に登録した隠れファンか恨みをもった人物が、『ぷぷ、歴史上の人物に設定しておいてやれ、ブフフ。』とやったんじゃないかと睨んでおる。面白いけどね。」
「フリッツ・フォン・エリックと知り合いだったんですかね。」
「知り合いなわけないでしょ。」

《消すのも面倒なので、そのまま放置することにしました。》

「OtakuワールドのGrowHairさんを見ると、< http://spysee.jp/GrowHair
>
 まぁ、イメージ画像はまともだとして、キーワードの組織・団体に注目。」
「カメコ……。」
「カメコのNPO法人でも設立したような勢いを感じるだろ? それに羅列してあるキーワードをよく読んでみたまえ。」
「……。際どいですね。ところで、なんですか、コレって。」
「あのひと検索 SPYSEE(スパイシー)といってな、次世代の検索エンジンらしいのだ。出始めた頃から知ってはいたが、まさか、べちおサマンサが検索でヒットしてくるなんて思いもよらなかった。」
「確かにびっくりしますね。」
「著名人に限らず、個人でも調査・分析を依頼すると登録されるらしい。現に、一般サラリーマンのべちおくんが出てくるくらいだからね。」
「勝手に調査依頼されると、某検索エンジンのプライバシー問題のような騒動が起こりそうな予感ですね。」
「確かに。相川くん、次にこの人のを見たまえ。」

《誰かが自分のことを勝手に登録しても、きちんと運営側で削除対応はしてくれるようなので、自分を見つけてしまったら冷静に対処しましょう。》

「うわ、永吉さんじゃないですか。< http://spysee.jp/永吉克之
>な、永吉さんって女性だったんですか? しかもアイドルみたいですけど…」
「熱烈な地下ファンが多い永吉さんは、どこかインテリジェックで、いつも窓から遠くを眺めている寡黙な男のイメージがあるでしょ?」
「ありますね。近寄りがたいオーラがありそうですもんね。」
「まさか、酔っ払ってエスカレーターにズボンの裾が巻き込まれそうになったり、躓いて電車の券売機に顔面を殴打した永吉さんを想像できるかね?」
「できませんね。」
「そのイメージを打破した画像だ。」
「この画像って、ご本人は知っているんですかね?」
「わからん。わからんが、ワタシは何もしていないぞ。それで、繋がりはまだまだ続くのだよ、相川くん。ここから柴田編集長へ飛んでみたまえ。どうだね、このイキナリな圧倒感は!< http://spysee.jp/柴田忠男
>」
「これはインパクトありますね…。大相撲大全集〜昭和の名力士〜ですか……」
「実は、柴田編集長のイメージ画が選択されていなかったので、ワタシが勝手にメイン画像を変更してみたのだよ。ハッハッハ」
「怒られますよ……」
「それよりも気になる項目に気が付かないかね。」
「え? どこですか?」
「ここだよ、ココ。」
「あ。『柴田忠男がメイド喫茶に行った』って最新ブログの紹介ですね。柴田編集長も行くんですね、メイド喫茶。やっぱり、オムライスにケチャップで『自転車萌えキュン』とか書いてもらうんですかね。」
「これはもう、変なタイトル付けて変なこと書けなくする、戒めシステムに近い環境だ。名前を変えて地下に潜らないといけない時代の到来だよ。」

《セマンティックウェブの技術は、まだまだ発展途上。これからに期待です》

「面白いなと思ったのが、テレビSPYSEE。< http://spysee.tv/
>地域、時間帯を選択すると、その地域の放送されている内容から、出演者や関係者が表示される。出演者をクリックしてその人のページに飛ぶと、プロフィールなどの情報はもちろん、関連動画まで埋め込まれているサービスっぷり。まさに至れり尽くせり。ウチも、このきめ細かい仕事を見習わないとな。」
「うち、健康促進グッズ会社ですよ。なにを夢みているんですか。それより、今回はまともなネタですね。」
「今年最後だからねぇ。ビシっと決めないとね、ビシ! っと。」
「ビシ! っと決めるなら、会社の電話代くらい自分で払ってくださいよ。」
「ところで、相川くんはお正月の予定はあるのかね? なければ、家に来ないか? 8年前に、妻が出産でお里帰りしたまま帰って来なくて寂しいんだよ。去年、あまりにも戻ってこないので、心配になって妻の実家に迎えに行ったら、実家ごと引越していてね。行方が分からないんだ。」
「SPYSEEで探してみたらどうですか?」

【べちおサマンサ】 pipelinehot@yokohama.email.ne.jp
FAプログラマー兼、ナノテク業界のR&D。
・mixiで誕生日のお祝いコメント&メッセージをたくさんいただき、ありがとうございました。今年はいろいろな人たちから支えられた一年だと感謝しております。来夏頃に、感謝の気持ちをたくさん込めて、アーティスト、クリエイター、ミュージシャンたちと、小規模ながら異種コラボの開催を計画しております。
・2008年度の『アナログステージ』は今回が最後です。来年はデジタルネタも含め、ギリギリな裏話を綴れればなぁ……と。読者様の健康とご多幸を横浜から祈りながら、来年も宜しくお願い申し上げます。良いお年をお迎えください。

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■ローマでMANGA[16]
私の人生の節目に現れた人

midori
< https://bn.dgcr.com/archives/20081216140200.html
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●「実録! 少年マガジン編集奮闘記」に出会う

この場合の「出会う」は、「運命的に」というニュアンスが後ろにある。すべての出会いは「運命的」なのだけど、自分の人生に節目をつけてしまうような大きな意味合いをもつ出会いのことだ。

東京滞在中に当然本屋へ行ったわけだけど、そこでタイトルと著者に引かれて買ったのが「実録! 少年マガジン編集奮闘記」宮原照夫著(講談社刊)だ。

宮原照夫さんは、今の私を作るきっかけになった方と言っても差し支えない。宮原さんは「少年マガジン」で「巨人の星」、「明日のジョー」を世に出した仕掛人だ。当時、「少年マガジン」の編集部員でこの二大作品をプロデュースしたのだ。

当然、このMANGAを読むために「少年マガジン」を、毎週ではなかったけど買った。さらに同誌の編集長だった時に、上村一夫、川村コオといった劇画家、大人向けのMANGAの作家に読み切りを描かせる企画をたて、それが面白くてわたしも毎週買った覚えがある。今でもその頃の数冊を持っているくらい。グラビア2色刷りが新鮮だった。「巨人の星」連載開始が1966年だそうだから、「少年マガジン」には中学、高校、大学とお世話になったわけだ。

就職する頃、友人が「少年マガジン」編集部に勤め始め、MANGA好きの私に編集者を一人紹介してくれた。そこでは仕事には結びつかなかったけれど、イタリアに滞在するようになってから、その編集者を通じて、当時マンガ編集局長をされていた宮原さんを紹介してもらった。宮原さんは海外のコミックスに興味を持っていて、イタリアのコミックスをレポートするお仕事をいただいたのだった。

宮原さんが「少年マガジン」の編集長だった頃、編集部員として編集者教育を受けたKさんが、後に「モーニング」を創刊して編集長になり、そのkさんを通じて「ローマ海外支局」の任を受けたのだから、宮原さんなくして、今の私はなかった。

そんな事もあって、この分厚い本を見つけた時、迷わずに買ったのだ。しばらくご無沙汰してしまっている宮原さんへのご挨拶のようなつもりでもあった。

●今のMANGAは自然に成ったのではない

ローマ宅に帰ってから、食後の30分とか、就寝前の30分とか時間を盗んでこの本を読み始めた。読んでいるうちにドキドキしてきた。すごく鼓舞されるのだ。

宮原さんは、「巨人の星」「明日のジョー」の他に、その前に「ちかいの魔球」、「紫電改のタカ」をプロデュースしているのを知った。この頃は、雑誌を買うには幼すぎたが、祖母宅の貸間に住んでいた男の子がこの雑誌を時々買っていて、遊びに行っては夢中になって読んだのだった。

こうして私の成長期に傍らにあったMANGA達の多くが、宮原さんの手になっていた事を知ったのも驚きだったけれど、それ以上に、今のMANGAの在り方が形成されて行く歴史をこの本は教えてくれる。

自然に成ったわけではなかったのだ。編集者、編集部、漫画家の熱と努力の賜物だったのだ。MANGAの多くは当初、ギャグが主流だった。宮原さんは、「ちかいの魔球」をプロデュースした頃から、MANGAが小説に対抗するメディアにならないか、という考えが脳裏をよぎるようになったという。

当時の「マガジン」の柱だった「8マン(桑田次郎画)」の連載中止と「W3」(手塚治虫)の「サンデー」への移籍という事件を機に、逆境に敢えて攻撃に出て小説に対抗できるMANGA、「巨人の星」プロデュースとなったのだそうだ。

重ねて言う。今のMANGAは自然に成ったのではなく、プロデュースされたものだった! その事を改めて知ったのが、目から鱗、ドキドキの原因だ。宮原さんが、またしても私の人生の節目に現れた!!

●私の使命がはっきり見えて来た

昨年、コミックスエージェンシーを立ち上げて、イタリアと日本のマンガの橋渡しをしたいと、漠然と言っているが、この本を読みながら私が本当に望んでいることが自分で見えてきた。

不毛なるイタリアマンガ界に一石、いや大きな岩を投げ込みたい…ということなのだった。イタリアのマンガ家志望者達が、外国へ行かないと仕事にならないというのはおかしい。イタリアの読者が、自国のマンガ家の作品ではなく外国の作品しか選択技がないというのもおかしい。

成るのを待っていないでプロデュースしていいのだ!! コミックスエージェンシー・ネコノアシは資本がなく、出版社でもない。また、誰も月給を出してくれないという問題もあるのだが。

講談社の「少年倶楽部」から「少年クラブ」へ。さらに「少年マガジン」へ。そして私つながりで言えば、「マガジン」から「週刊モーニング」へと。編集者の在り方、プロデュースのノウハウなど、長年の蓄積がそこにあった。

ネコノアシには、それがない。だが、編集者の在り方は、今でもつながりのある「モーニング」の編集者とイタリア人作家のやり取りなどを通して、私にもわずかだが伝わっている。それをイタリアマンガ界へ伝えて行く事、イタリアマンガを興すこと。それこそが、こうして今ここにイタリアに暮らし、ずっとずっとMANGAを離さずにいた私の使命ではないか!!

今、約半分まで本を読み進んで、ますますドキドキしているのだった。

【みどり】midorigo@mac.com

イタリア中、雨に見舞われている。テベレ河の水位が危険なくらい上がり、我が家でも庭がプール状態になった。半日ほど太陽が出ることもあるけれど、また雨模様。湿気が骨までしみ込んできそうで、寒い、寒い。

イタリア語の単語を覚えられます! というメルマガ出してます。
< http://midoroma.hp.infoseek.co.jp/mm/menu.htm
>

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■ところのほんとのところ[8]
不完全燃焼のパリ

所 幸則
< https://bn.dgcr.com/archives/20081216140100.html
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さて、ようやくパリフォトも終わって。

月曜日になった。実際、ところもかなり緊張してたみたいで、ちょっと風邪気味で寝込んでしまった。晩ご飯は、軽めのベトナム料理のフォーとか食べたくなって西美夫妻(画家)にベトナム&中華街に連れてってもらった。胃に優しくてほっとしたなあ。

普通に考えて、ギャラリーは火曜日ぐらいまでは、会場から自分のギャラリーまでの作品の搬送やら、売れたプリントを送る準備とかあって忙しいのは想像にかたくない。そして、今回は日本年ということで、日本人作家の大量攻勢に嫌気がさしているオーナーも多いので、ところも火曜の午後遅くまではギャラリーに対して何もしない事にした。ちょっといらつくんだけど。

火曜日になって、ギャラリーと連絡をとり始めたけど、まだまだみんな忙しくてつかまらない。ひとつだけ、金曜の朝(帰国日)に会う事になったけれど。火曜のアポ取りはそれでおわった。うーん。ちょっとブルーになりながら、フランスパンでもかじってふて寝しようと思ってたら、西美さんに夕食にさそわれる。

西美さんが昔やっていたという、デッサン教室の元生徒というパリ郊外の美大に在学中のイクミちゃんというとても可愛い子と、西美さんのアトリエで超豪華な具材のポトフと、西美画伯とっておきのブルゴーニュワインを飲ませてもらって、21才の子の初恋話で盛り上がって楽しかった。

水曜日はPhotoマガジンの編集長のエリックさんと会う事になっていたけど、夕方までは時間があるので、取りあえずホテルの周辺を初めて写真を撮りに歩いた。なんかいいの撮れそうだな。

夕方になって、西美さんと僕とティモくんとレゾ君で編集部に向かう。「エル」とか同じビルなんだね、18誌ほど出してるのかな? なんだか受付のお兄ちゃんまで面白いというか、フレンチジョーク満載でなかなか話が終わらなくてちょっとびっくりしたけど、なんとか4人で編集部へ。コンパクトだけどすっきりとしてカッコイイ編集部だった。

写真については「いい、これはいいよ。私は好きだ。」ってことだったので、まあところとしてはかなりほっとした。アポのとき、日本人特集の枠があいてるから、っていわれていたんだけど。それはアマチュアの日本人カメラマンの特集だとわかったので、「所はちがうから、別のときにやろう」という話になった。3月以降だそうだ。個展の情報などは必ず伝える、ってことで別れた。

木曜日、今日は帰る前日だ。実際、不完全燃焼ではあるけれど(だって、ちゃんと写真見てもらった人まだ2人)もう駄目でしょう〜って感じで、お土産でも買うか? って気持ちが大きかったけど。

アトリエで西美さんから、レゾ君今日貸してあげるから、飛び込みでいってきたら? と突然いわれた。

ところ「え?」
西美「顔が不満そうだよ。」
ところ「まあそうだけど、無理でしょう。アポもなしで」
西美「確かに強引な日本人の売り込みが続いて、嫌気はさしてたと思うけど」
ところ「でしょ? 出直した方がいいかなって……」
西美「だけどね、ああいう会場で効率重視で持ってこられて、しかもそれが自分たちの商売の邪魔だからってことが大きかったと思うんだよ。わざわざ足を運んで来た作家に対して、よっぽど機嫌が悪い時も人間ならあるけどさ、基本は作家あってのギャラリーなんだからさ、しかも木曜日はわりと暇じゃないかと思うんだよね。それでも見ないって言うようなやつは、画商として考えたら駄目なやつだと思うよ。そう思えば気も楽じゃない。」
ところ「なるほどね、まあいってみるよ。しかし、レザ君、フランス語と英語だけだよね。」
まあいいか、いってみますね。

ということで、2区〜4区のなかで気になるフォトギャラリー5か所を地図でチェックして行くことに。言葉が通じない2人で飛び込み! どうなる??
もちろん作品の説明や、ところの事はレゾ君の頭に叩き込んである。メトロを降り立ってから2人でずんずんと歩いて行く。さあ、もうじき最初のギャラリーだ! っと思ったら。いきなり、知り合いのパリジェンヌと立ち話を初めてしまったレザ君! さすが……愛の国だ……って言ってる場合か!

ところはどうなる!

【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則
< http://tokoroyukinori.seesaa.net/
>
所幸則公式サイト
< http://tokoroyukinori.com/
>

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■お詫びと訂正

前号のタイトル下パーマリンクの表記に誤りがありました。
< https://bn.dgcr.com/archives/20081212150300.html
> 誤
< https://bn.dgcr.com/archives/20081215140300.html
> 正

< https://bn.dgcr.com/archives/20081212150200.html
> 誤
< https://bn.dgcr.com/archives/20081215140200.html
> 正

< https://bn.dgcr.com/archives/20081212150100.html
> 誤
< https://bn.dgcr.com/archives/20081215140100.html
> 正
となります。
お詫びし訂正いたします。
ご指摘くださりありがとうございます。

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■編集後記(12/16)

・spyseeか、迷惑な技術じゃのう。昔は自分の名前で検索し、同姓同名の人物がローカルのフルマラソンで何位とかの「情報(?)」を見つけて面白がっていたが、最近ではまったくやらない。読めば不愉快になる「情報」も増えているはずだ。かつて脇が甘かったというか、自業自得なトラブルに巻き込まれたときも、名指しであれこれ言われている現場には一切近寄らなかった。いままでネットにのせた物件で、取り消してほしい、なかったことにしてほしいヤツがいくつもある。昔の自分の不適切な発言や行動の記録は、二度と読みたくないし、ネット上に存在していてほしくない。この編集後記だって、削除したいヤツがいっぱいある。spyseeか、おもしろいのう。とくに他人のを見ていると。柴田忠男については、まったく知らない交友関係もあって笑える。なつかしい「情報」がいくつも出て来て、それを読んでいたらたちまち時間が経過していた。「05-1 Typos」というウェブページでは、1997年の後半に手がけた日本最初のPDFオンラインマガジン「月刊アイピーネット」のページが出て来たのはうれしかった。この事業は3号で撤退したので、もちろん現在はサイトが存在しない。いま思い出してもエキサイティングな編集作業だったが、その成果は一部プリントアウトでしか持っていない(正確には、創刊号内容を抜粋したA5判冊子が存在する)。当時そのままのかたちで、タイプバンクのサイトにあったのを見つけて来たのがspyseeだ。ぜひ見ていただきたい。インターフェイスも使いやすく、当時の15インチモニターで楽々読めるデザインを目指したものだ。デザインや組版の実験もさまざま行っていた。10年以上前のプロジェクトだが、いまでも通用しそうだな。ところで、「柴田忠男がメイド喫茶に行った」というのガセネタです。わたしのもっとも苦手な世界だもの。(柴田)

・「蜘蛛の糸」を検索したら、Yahoo!知恵袋がひっかかった。質問内容を読んで、こういう考え方をする人が存在すること自体、最初は信じられなかった。個々のアンサー内容にも驚いた。解釈は自由とはいえ、こんな風に思ってしまう人もいるのか……。ベストアンサーを読んでほっとした。質問者がベストアンサーに選んでいたことにも。道徳やモラル低下の話をよく耳にするが、こういう考え方をするなら仕方がないのかもしれない。/お釈迦さまの童話のことを調べていたら、「ジャータカ物語」に行き着いた。読んでみたいと思ったら、全10巻、各100話超。どんな訳なのだろう。/昨日紹介した「おしゃかさまの童話」の中で、自民党に読んでもらいたい話は「弟子の争い」。日本のことを考えて動いて欲しいな。/「荒」かなと。今年は何かと荒れた年でありました。「平成」なのにね。来年は「革」に一票!(hammer.mule)
< http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/92_14545.html
>  全文
< http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1415116599
>
Yahoo!知恵袋
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4393116216/dgcrcom-22/
>
ジャータカ全集