歌う田舎者[05]女はそれを我慢できない
── もみのこゆきと ──

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恥の多い生涯を送ってきました。罪深い行いもたくさんしてきました。このまま死んでしまいたいと、自らを責め苛んだことも一度や二度ではありません。それでも生きていかねばならない。神は自ら命を絶つことをお許しにはならないのですから。それなら、この場でひとつずつの罪業をつまびらかにし、神の許しを乞いながら、天に召される日を待ち続けることにいたします。

それは10年前の枯葉散る秋の夜でした。出来心で罪を犯してしまったわたくしに、神は大いなる罰をお与えになったのです。

週末の夜、同僚と食事を楽しんだ帰り道。家まであと5分ほどで到着する片側1車線の道路を走っているときのことでした。



「あー、ちょっとすみませーん。検問にご協力くださーい」
赤く光る棒をぐるりと回し、わたくしの車を止めたのは若い警官です。車の窓を開けると、冷えた秋の空気が車内に流れ込んできました。
「お忙しいところ申し訳ありません。免許証を拝見できますか」

窓からこちらを覗き込んだ警官は、年の頃、28歳ほど。浅黒い肌に精悍なマスク。鍛えられた肉体に隙のない動作。薩摩藩風に言うとヨカニセとでも申しましょうか、たいへんに美しい男でした。バッグから取り出した免許証を手渡したわたくしは、警官がチェックしている間もその美しい見目形に見惚れていました。
......あぁ、この男を彫像にしてずっと家に閉じ込めておきたい。つれづれなるままに、心にうつりゆくよしなし事を語りかけ、そこはかとなくその厚い胸板を撫で回し、倒錯の調べに溺れたい。あやしうこそものぐるほしけれ。でへへへへ。

「はい、ありがとうございます」
不埒な妄想を破る声で我に返り、顔を赤らめるわたくし。返された免許証を再びバッグに仕舞っているときでございます。
「じゃ、息を吐いてください」
「......は? 何と申されました?」
「息を吐いてください」
「どこに」
「ここに」
そういって、警官は自分の鼻を指差しました。
「な、な、なんですってぇ!?」

このわたくしに、あなたの鼻先に向かって息を吐けと??
......できない。そんなことできませんわっ。だって、わたくしが今日の食事の最後に食べたものは『ニンニクたっぷりチャーハン』。しかもその前に食べたのは『ペペロンチーノ』。食後に殿方と会えないほど、絶望的にニンニクが効いた料理ばかりだったのでございます。それなのに、監禁したいくらい美しいあなたの鼻先に向かって息を吐けと??

皆様ご存じでしょうか。竹宮恵子の名作「風と木の詩」。主人公のジルベールが無理やり男子生徒にキスされたとき、『カレースープの味がするキスなんて。ゲス野郎!』と叫ぶシーンがございました。なんて屈辱的なセリフでしょう。もし愛する殿方と接吻して、このようなことを言われたら、舌を噛み切って死んだほうがマシでございます。あの名作を読んで以来、わたくし、カレースープだけは食べないことにしようと心に誓っているのです。もし、美しい警官に『ニンニク臭い息を吐くなんて。クソババァ!』などと思われでもしたら、ジルベールのセリフと同じくらいの屈辱。わたくしの女としてのプライドはズタズタでございます。

それでも、薩摩藩では警官に逆らうなど考えられないこと。『泣く子と地頭には勝てない』と申しますが、薩摩藩では『公務員と警官には勝てない』のでございます。この世でもっとも偉いのは公務員と警官。逆らったら辻斬りされても文句は言えないお国柄。公務員とか警官と聞いただけで平民は道にひれ伏し、恐れおののいて震えているのでございます。もし警官の命令を拒んだら、公務執行妨害で市中引き回しの上、打ち首に処されるやもしれませぬ。

クソババァを選ぶか、打ち首を選ぶか。わたくしは人生の岐路に立たされました。しかしながら、女の尊厳を失ってまでおめおめと生き延びることにどんな人生の意味がありましょうや。女はそれを我慢できない(※1)のです。やはり拒否、断固拒否ですわ。毅然として打ち首を選びましょうぞ。

「絶対にいやでございますっ。いっそ今すぐアルコール検知器にかけてくださいまし。風船でも何でも膨らませてご覧に入れますわ!」意を決してそう叫びかけました。そして、ハタと気付いたのでございます。

わたくし、ワインを2杯飲んでいたのです。アルコールで顔色が変わることもなく、酒豪と呼ばれていた当時のわたくし。ワイン2杯程度なら大丈夫と、つい誘惑に負けていたのでした。風船など膨らましたら、アルコール検知器に反応してしまうかもしれません。そうなると、市中引き回しで打ち首どころか、むち打ち、石抱き、海老責めなどされた挙げ句の果てに、鋸引きの刑にされてしまうかもしれません。

吐くも地獄。吐かぬも地獄。
神よ、あなたはなんという罰をわたくしにお与えになったのですか。
「どうなさいました? 息を吐いてください。さぁ、どうぞ」
窓から顔を突っ込む警官。
「さぁ、あとがつかえていますから」
「.........」
「さぁ、どうぞ」
ついに観念したわたくし。ほんの少し、ほんの少しだけ、警官の鼻先に息を吐きました。

ふたりの間に舞い落ちる色づいた枯葉たち。微妙な間をおいたあと、美しい警官は無表情で「ありがとうございました。お忙しいところお邪魔して申し訳ありませんでした。安全運転でお帰りください」と、型どおりの挨拶を口にし、赤く光る棒を回してわたしの車を送り出しました。でも、彼がひそやかに左の眉をひそめたことを見逃さなかったわたくしです。

あぁ、なぜ飲酒運転などしてしまったのでしょう。ワインさえ口にしていなければ、女の尊厳を守るため、自らの首を差し出した聖女として歴史に名を残せたものを......。わたくし......わたくしこのまま、はかなくなってしまいとうございますっ。

日本では、道路交通法第65条第1項において「何人も、酒気を帯びて車両等を運転してはならない」と規定されております。バイクや自転車はもちろん、牛馬に乗っての飲酒運転も禁じられております。「おらこんな村いやだ」(※2)と、酒をかっ食らってベコに乗っても取り締まりの対象となるのでございます。そろそろ忘年会華やかな季節。御酒を召し上がる際には、ゆめゆめ御国の決まりごとを破ることのないようになさいませ。たとえ法律で罰せられなかったとしても、わたくしのように神が罰をお与えになることもあるのですから。

あれから10年が経っても、秋深まる頃になると、わたくしは歌うのです。
The falling leaves drift by the window(※3)
枯葉の朱色や黄金色を見ると
秋の夜に「息を吐け」といったあなたの唇や
免許証を差し出す陽に灼けた掌を想うのです

※1「女はそれを我慢できない」アン・ルイス
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※2「俺ら東京さ行ぐだ」吉幾三
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※3「AUTUMN LEAVES」Eva Cassidy
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「窓辺でゆれる枯葉の朱色や黄金色を見ると、夏の日にキスしたあなたの唇や、陽に灼けた掌を想うのです」がホンモノです。

【もみのこ ゆきと】qkjgq410@yahoo.co.jp

働くおじさん・働くおばさんと無駄話するのが仕事の窓際事務員。かつてはシステムエンジニア。
飲酒運転、大変反省いたしております。ごめんなさい、ごめんなさい。鋸引きの刑でございますが、かつてNHK大河ドラマ「黄金の日々」で、川谷拓三演じる杉谷善住坊が織田信長狙撃の咎により科された刑罰でございます。首まで土中に埋めて、通りすがりの通行人に鋸で少しずつ首を挽かせるという処刑方法でございますが、幼心にその衝撃は大きく、大人になっても織田信長だけは襲わないようにしようと決心したわたくしでございました。