ネタを訪ねて三万歩[70]勘違いの思い込みが多い世の中......
── 海津ヨシノリ ──

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今月の原稿は正直辛いものでした。何も出てこないのです。私の場合一か月に一回なので、旬なネタはよほどの好タイミングでもない限り使えません。下手をすると、別の方のテキストに酷似してしまう危険性すら生まれてしまいます。だいたい、新製品に対する感想なんてほとんど違わないですからね。

そもそも、連載内容に対してしっかりとした方向性のようなものを決めていないことが、こんな事態を呼んでしまいます。とにかく、何も出て来ません。いや、正確にはいつもの分量で3回分相当の内容を書き直し、書き直し、結果的にすべて廃棄してしまいました。いわゆる消去法です。

理由は色々ありますが、「批判的な内容は避ける」ことが一番大きな理由になっているかもしれません。誤解が発生することは避けたいです。今までもそれを繰り返してきました。もちろん、あからさまな批判を書かないようにしてはいますが、読み返してみると限りなく黒に近いグレーかもしれないと感じる表現を発見することがあります。もうそうなったらスパッと削ってしまいます。ところが、そうすると削ったことで話の流れが不自然になってしまうために、大幅な変更と削除に発展してしまうわけです。

「何もそこまでしなくても」と突っ込まれそうですが、こればかりは苦い思いをした者でないとわからない「自衛」としか説明できません。文章を書くのは嫌いではありません。しかし、最近は仕事関係だけでなく授業用のプリント作成も膨大化しています。結果として、毎日かなりの文章を作成していますが、自由文という「なんでもあり」は、逆にストレスが溜まってしまうかもしれません。



これはデザイン処理と同じですね。デザインは様々な縛り(制約)の中で、どう作り込んでいくかという世界。まったく自由に作れてしまったら、それはデザインではなくてアートになってしまいます。恐らく「デザイン=アート」と思っている方は、大いなる勘違いをされているのでしょう。

勘違いで思い出したのが、渦中の関係者は勘違いの固まりであったという再認識。最近になって、ニフティ時代の私のことを知っているという方達と出会うことが多く、不思議なことに彼らの当時の共通点は、メールのやりとりは疎か書き込みすらしていなかったのです。にもかかわらず、当時の私の心理状態を把握していたのです。

メールのやりとりをしていた人達でも誤解していた部分を、まるで私の考えが読み取れるかのように。でも、こんなふうに意外と客観的に場を俯瞰している方達の方が、冷静に場を分析出来るのかもしれませんね。生半可な情報と知識だけでゴリ押しする方が増えてきているので、よけいにそう感じてしまいました。生半可な情報は本当に相手を不快にします。

よくパーティー会場などで話しかけられます。「大学でPhotoshopとか教えてるんだって?」あるいは「まだ大学で教えてるんだって?」といった上から目線の「い」抜き言葉で。間違いではないですが、それは事実の2割程度しか示していません。とにかく、学生さんに対しても失礼な愚問に、まともに答える気分が消えて数年経ちます。もちろん、無視なんて出来ませんから「そんなところです」と答えて終わりにします。正しく説明しても、更に間違ったイメージだけしか伝わらないのに決まっているからです。

余談ですが、かなり昔に名刺交換した時の相手が「初めまして梅津(うめづ)さん。いつもサイトを見せて頂いています。サイト名が分かりやすくて良いですね」と、挨拶してくれた時には笑いそうになりました。思わず、こんな時は名刺を差し出しながら「梅津(うめづ)です。宜しくお願いします」とやっちゃいます。しかも、それでも相手は気が付かなかったわけで、結局、彼はもしかしたら今でも私を梅津(うめづ)だと思っているかもしれません。

そもそもこんな名字なのが問題と言われてしまえばそれまでですが、日本人の名前は原則濁らないというお約束があります。忌み嫌うといった方が良いのかもしれません。ですから、私の「かいづ」は「かいつ」だと思っている方が多いのです。ある意味悲劇ですね。今まで間違いから派生した呼ばれ方でこんなことがありました。

「うめづ」⇒「うめじ」⇒「めいじ」。「かいつ」⇒「あいつ」⇒「あいづ」。「かいづ」⇒「かいじ」⇒「あいち」。まっ、面倒臭いからそのまま返事しちゃいますけどね。

話を戻すと、私よりも一回り若いにもかかわらず、既に上から目線のオジサン言葉を使っていることが逆に哀れに思えて仕方がありませんでした。そもそもこんなことは誰も注意しないですからね。さらに質問者がクリエイター系の方であったりすると、そのあまりにも低い発想に失笑しそうになる表情を押さえ、遠い目で一歩下がるのが私のいつものスタイルです。

もっとも、若くして上から目線のオジサン言葉をマスターしないと、著名クリエイターに進化しないと勘違いしているのかも。でも、現実は著名なクリエイターほど腰が低くて常識人だったりするわけです。とにかく人間は思い込みの激しい生き物ですからね。

もっとも、勘違いでも相手を不快にしない勘違いもあります。例えば、多摩美術大学ではかなりの学生が、私を専任教員と勘違いしていることを知りました。レポートの担当教員の欄は60%強の確率で「海津ヨシノリ教授」になっています。こういう勘違いはうれしいのですが、原因がさっぱり分かりませんでした。

ところが、ふとした会話からその原因が判明したのです。要するに、私は直ぐに帰宅しないからです。授業終了しているにもかかわらず、研究室や副手の控え室で雑談していたり、学生の質問に答えたりしている間に一時間超過はあたり前となっています。また、心配性なのでどんなに遅くても授業開始一時間前には学内に入るようにしています。

これはどの学校でも同じです。そのため、多摩美術大学ではなんとなく学内に住み着いているような錯覚が生まれていたようです。しかし、別の見方をするとそれだけ学生は自分の大学のサイトを見ていないと言うことになりますね。まっ、積極的に見るほど面白くはありませんから否定出来ないのは事実です。

とにかく、学生さんなら仏の顔も三度までをしっかりと守りますが、同世代あるいは同世代以上の方から理不尽な扱いやふざけた対応を一回でもされたら、私はそれで関係を切ることにしています。

ところが、それが双方の誤解から発生した場合なら、確実に第三者あるいは何か説明の付かない偶発的な出来事が問題を解決に導いてくれます。きっと、それっきりでいい関係の人と、それではまずいよという人を、不思議な力がふるいにかけているのかもしれませんね。もしかしてご先祖様ですかね〜。

結局、愚痴っぽい終わり方になってしまいました.........反省。

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■今月のお気に入りミュージックと映画

[ラスト・チャンス]by キャロル in 1975(日本)

作詞:ジョニー大倉、作曲:矢沢永吉、ボーカル:矢沢永吉で、解散コンサートでの演奏が印象的だった和製ロックンロールの基本ですね。「だからほんとの答えをおくれ〜せめて最後の時に〜」の一節が好きです。

[クワイエットルームにようこそ]by 松尾スズキ in 2007(日本)

正直、それほど期待していなかったのですが、主演の内田有紀のコメディエンヌぶりはちょっと意外で面白かったです。オチもナイスでした。基本的にコメディーなのですが、共演の宮藤官九郎、妻夫木聡、りょう、大竹しのぶの汚れっぷりは必見です。もちろん内田有紀の汚れっぷりも。物語は冒頭で観客に対して提示された謎が、少しずつ明かされていく構成。そして、観客の思い込みがメラメラと崩れ落ちる展開は衝撃的ですらあります。興行的には成功したとは言えないのかもしれませんが、こんな良心的な作品がまだ公開されている日本は捨てたものじゃないですね。

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■アップルストア銀座のセッション 11月15日(月)19:00〜20:00

Hands on a Macとしての画像処理セッション
『海津ヨシノリの画像処理テクニック講座Vol.52』Adobe Photoshop CS5によるフォトレタッチ技法前編【レタッチ編】として、画像合成用に元画像を料理する時のマスキングのコツと、背景画像との調整テクニックについて、短時間処理を想定して整理いたします。なお、予約などに関してはAppleに一任しておりますのでご了承下さい。
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【海津ヨシノリ】グラフィックデザイナー/イラストレーター
yoshinori@kaizu.com
< http://www.kaizu.com
>(renewed)
< http://kaizu-blog.blogspot.com
>
< http://web.me.com/kaizu
>

ネットである商品を購入したら、ショップから「クレジット決済が下りませんでした」とメールが届きパニックに。しかし、問い合わせの電話は18時を過ぎているのでアウト。電話受付は9時から18時って、今は昭和ですか? と怒ってもどうしようもありません。とにかく我慢して翌日の9時15分に電話するも「本日の営業は終了しました」の空しい自動アナウンス。しかもそれが10時過ぎまで続く「怠慢脳天気」状態。

結局10時過ぎに繋がるも、怒りを抑えて冷静に問い合わせをすると、「決済は下りました。行き違いのミスです」というクールなお言葉に、電話を切ってから思わず「○○野郎」と、普通の神経なら出るお決まりの罵声が出たのは言うまでもありません。もっとも言葉のように怒り狂っているわけではなく、実際は呆れかえっているわけです。