歌う田舎者[18]うさぎさんのために鐘は鳴る
── もみのこゆきと ──

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「僕のうさぎさん、髪の毛をさわってもいいかい」
「わたしもずっとあなたに髪の毛をさわって欲しかったの」

前回ストリップ劇場について格調高いコラムを書いたからには、劇場繋がりということで、宝塚大劇場についても一層格調高いコラムを書かねばなるまい。そんなわけで、紅葉燃える晩秋、タカラジェンヌのおわします大劇場に足を運んだわたしである。

冒頭の台詞は宝塚宙組公演「誰がために鐘は鳴る」の中の、ロバート・ジョーダン(大空祐飛)と、マリア(野々すみ花)のやり取りである......つーか! このセリフの方がストリップよりよっぽど恥ずかしいじゃねぇか! どうしてくれるんだ!

いや、ヅカファンの皆々様におかれましては、気を悪くしないでいただきたいのですが、こんな台詞吐かれちゃ、ほんとに恥ずかしくて舞台のどこを見ていいかわからなくなり、おろおろと視線を泳がせた揚句、じっと手を見る......になってしまうシャイなわたしなのであります。普通の男がかようなことを口にいたしましたら、間違いなく生卵をぶつけられることでありましょう。「もし、あなたが彼氏にこう言われたら?」と、職場のうら若き女子に問うたところ、「別れる」「ドン引き」に多数の票が集まりましてございます。

しかし、そんなわたしでも、過去に二度ほど宝塚にどっぷり感染していた時期がございました。一度目は第一次ベルばらブームの頃、二度目は天海祐希がトップスターに就任した頃でございます。第一次ベルばらブームの頃、花組の安奈淳オスカルにKOパンチを浴びて、「高校行かずに宝塚に入る!」と決めたあの遠い日々......。
「おかん。おら、宝塚に行きてぇ。バレエ習わしてけろ」
「まったく何を言ってるんだろうね、この子は。うちのどこにそんなお金があるってんだい。おとんに聞いてみな」
「おとん、いないよ」
「またあのバカ、パチンコに行ってんだねっ! うちはね、父ちゃんがこさえるパチンコの借金だけであっぷあっぷしてんだ。それだけでもうたくさんだよ!」

おかん......おら諦めねぇ、諦めねぇだ。アラベスクだってパ・ド・ブレだって、
鏡に向かってこっそり練習してきただ。おら、演技だって練習してんだ。あぁ、
うめぇ。おら、こんなうめぇもの喰ったことねぇ。ほら、泥まんじゅうだって、
こんなにうまそうに食べられるんだ。北島マヤにだって負けねぇ。

こっから宝塚さ行くには、まず飛行機で大阪に行けばいいんだって聞いた。お
らのお年玉全部かき集めたら行けるだか? 足りねぇなら出前ももっとやる。
航空券くれるんなら、年越しそば120軒でも届けるだ。だから、だから宝塚に
行かせてけろ!



......とまぁ、そんないたいけな少女時代を過ごしたわたしなのだ。あの時、バレエさえ習っていたら、今頃女王の教室で離婚弁護士やっていたのはわたしだったはずなのだが(違うだろ)。

それにしても「僕のうさぎさん」ですと? いったいどこから出てきたんだ、その台詞。まさかゲイリー・クーパーがイングリッド・バーグマンに「僕のうさぎさん」なんて言ってねぇだろうな。十河さん、言ってませんよね? とお伺いするのも畏れ多いので、調べましたとも。TSUTAYAでわざわざ「誰が為に鐘は鳴る」を借りて。

ちなみに宝塚版は「ために」はひらがななのだが、映画の方は「為に」と漢字である。そして、誰が為に鐘は鳴る・台詞分析委員会第4ワーキンググループが、170分にも渡る不眠不休の作業を展開した結果、ゲイリー・クーパーが「僕のうさぎさん」なんて言ってる箇所はひとつもないことを確認した。

ということは、「僕のうさぎさん」は宝塚オリジナルの台詞なのだ。なんでまた「うさぎさん」なんだ。来年が卯年だからか? するってぇと、来年が寅年だったら「僕のとらこちゃん」になるのか? 亥年だと「僕のうり坊」か? 海老年だったら......いやいや海老蔵の話はもうおなかいっぱい。世界各国でウィキリークス創設者の強姦容疑がトップニュースになる中、日本だけ海老蔵がトップニュースだなんて、本当に我が国は平和ですこと。おほほほほほ(高笑い) byマリー・アントワネット。

ちなみに冒頭の台詞の元になったと思われる、映画版「誰が為に鐘は鳴る」の該当箇所はこんな感じである。
「髪が乱れた?」
「乱してほしかった」
「僕もだよ」
こっちも十分恥ずかしいじゃねぇか。

第一次ベルばらブームの終わりとともに、宝塚はわたしの記憶の奥深くに封印された。しかしながら、宝塚ウイルスは再発率が高い。一度感染した人間は、いくら寛解したと思っていても、ちょっとしたきっかけでウイルスが増殖を始めるのだ。

宝塚などとっくに卒業したと思っていたわたしが再感染したのは、同僚に無理やり貸されたビデオ三本のせいである。「いやもうねー、今さら宝塚とか、ありえないから」と思っていたのに、一本目であの派手なメイクに、二本目でクサい台詞に耐性が出来てしまい、三本目の星組「紫禁城の落日」では、愛新覚羅溥儀(日向薫)の腕の中で、アヘンに身を持ち崩した正妻・婉容(毬藻えり)が死んでいくところを見ながら、テュッシュボックスを横に、鼻をかみつつ号泣していたのだ。こうなると完全に再発である。発病すると、クサい台詞もこうなってしまうのだ。

「髪の毛をさわってもいいかい」
くっさーーーっ!でもいいの。素敵だから。
「私も死ぬときは愛を残そう」
くっさーーーっ!でもいいの。素敵だから。
「千の誓いがいるのか、万の誓いが欲しいのか。命を賭けた言葉をもう一度言えというのか?......愛している。生まれてきてよかった」
くっさーーーーーーっ!!でもいいの。素敵だから(鼻血ブー)。

しかし、普通の男がやってはいけない。普通の男がやったら、即座にBGMは♪別れの予感byテレサ・テンである。岩場に座るときにも、脚の開き方や膝の角度まで計算し、カメラ目線で完璧なポーズを取れる男でなければ、生卵なのである。

ところで、髪の毛というものは、よくよく考えてみると、他人にさわられることがあまりない部位なのではあるまいか。美容院代をケチるために、おかんが髪を切ってくれた幼少期以降、美容師以外で髪にさわる人間というのは、そらあんた、乳繰り合うような関係の相手に決まっとりますやろ。女同士でも、せいぜい枝毛探しとか白髪探し的な実務的用件があるときにしかさわることはない。髪をさわるとは、セクシャルな行為なのだ。わたしの数少ないセクハラ体験のひとつも、髪の毛絡みである。

それはまだわたしがぴちぴちに若く、新入社員に毛が生えた程度の頃だっただろうか。ねずみ男似の上司が、飲み会の席で酔って絡んできた。「ね、ね、もみのこちゃん、髪さわっていい?」「は? 何言ってんですか。ダメに決まってます」「うーん、さわらせてぇん」「ぎょえー! やめてくださいってばっ」「あぁぁぁ〜ん、気持ちいい。髪の毛って素敵ぃ〜」髪に指を差し入れ、恍惚の表情を浮かべるねずみ男をぶん殴ろうとして気付いた。ねずみ男の頭髪に。......はい、そうですよね。髪の毛って素敵ですよね。すいませんすいません。ぶん殴ろうとしたわたしを許してください。誰がために髪はある。それはわたしの人生にふいに現れた哲学的問いかけであった。

※「誰がために鐘は鳴る」宝塚歌劇団
< http://kageki.hankyu.co.jp/revue/194/
>
※「誰が為に鐘は鳴る」ゲイリー・クーパー+イングリッド・バーグマン
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000LZ6EAE/dgcrcom-22/
>
※「ガラスの仮面」美内すずえ
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4592880013/dgcrcom-22/
>
※「女王の教室」天海祐希・羽田美智子ほか
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000BHZ0KM/dgcrcom-22/
>
※「離婚弁護士」天海祐希・玉山鉄二ほか
>http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002L48RS/dgcrcom-22/
>
※「別れの予感」テレサ・テン
<
>

【もみのこ ゆきと】qkjgq410(a)yahoo.co.jp
働くおじさん・働くおばさんと無駄話するのが仕事の窓際事務員。かつてはシステムエンジニア。

結局バレエを習うことができなかったわたしは、自分で稼げるようになって、今さらながらダンスのレッスンに通っているのであった。ちなみに今回の「誰がために鐘は鳴る」の場合、お芝居のあとのフィナーレで、歌とダンスのショーがあるのだが、舞台がスペインなだけに、男役が打ち揃ってマタドール祭である。いやいや、これはかっこよかった。悩殺されました。再び感染しそうで怖い。ところで「紫禁城の落日」を上演していた当時(1992年)、まだ存命中であった愛新覚羅溥傑が宝塚を鑑賞にやってきたそうである。いったいどのような感想を持たれたことやら。「くっさーーーっ! でもいいの。素敵だから」と身もだえされたであろうか。

◎追記◎
恐ろしいことが発覚した。この原稿を送信したあと、誰が為に鐘は鳴る・台詞分析委員会第1ワーキンググループの濱村隊長より、映画ではなく、ヘミングウェイの原作がうさぎちゃんであるとの情報がもたらされた。ま、ま、ま、マジですかっ!
< http://www.highbeam.com/doc/1G1-219309567.html
>
マジみたいです。ラビット言うてるやないですか。ラビット関根やないですよね。関根恵子でもないですね。ケイコ・リーでもないですね。ってことは、このクサい台詞は宝塚オリジナルじゃなく、ほんとーに本家本元の台詞だったのかっ! わたしとしたことが、な、な、な、なんということをっ!

「かような不始末をしでかしては、もう生きていくことはできぬ。かくなるうえは、腹かっさばいてお詫びしなければ、天に言い訳が立つまい」「殿っ、早まってはなりませぬ!」「このわたしの手で、そなたたち愛する家臣を幸せにしてやりたかったぞ」「殿っ」「花に散り、雪に散りゆく我が命。皆の者、達者で暮らせ。さらばじゃ」「殿ーーーっ!」くっさーーーっ! でもいいの。素敵だから。

しかし、どいつもこいつもヘミングウェイまで、クサい台詞を随所で炸裂させておるのぅ。まぁ、このくらいの台詞、ヘーキでほざくことができないヤツには、クリスマスにラブロマンスなんか訪れないということだな。
それにしてもヘミングウェイ、おそろしい子。