歌う田舎者[27]哀しみのバスラウンジ
── もみのこゆきと ──

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♪バ〜スを〜待つあいだに〜 涙〜を〜拭くわ〜♪

羽田空港第2旅客ターミナルのバス出発ラウンジ。701番搭乗口で女がひとり、さめざめと泣いている。「これこれ、どうかなさったのかな、お嬢さん」通りがかった初老の男が話しかける。

涙でくしゃくしゃの顔を上げた女は、「どうぞ、放っておいてください」と答えつつ、再び嗚咽した。初老の男はしばらくその様子を見守っていたが、ほぅ、と小さなため息をつき、ひとりごちた。

「彼氏にでも振られましたかな。いやはや、若い頃はいろんなことがあるもの。いつか年老いて振り返ったとき、枯葉色に変わった写真を眺めるように、あれは甘酸っぱい青春の出来事だったと思い出せるじゃろうて......」男は白髪混じりの頭に、ゆっくり帽子をのせた。

BGMは懐かしの名曲、バストトップ。......あ、すいません。バスストップでした。一文字違うだけなのに、エラい違いですわな。雰囲気ぶち壊しやないですか。誰ですの、こんな間違いやらかしたの。

ところで、この女が泣いていたのは、彼氏に振られたわけでもなければ、出張期間中ずっと便秘だったせいでもない。

そう、大都会への出張中は、ひたすらに外つ国の料理を食べ尽くすのが仕事のわたしであるが、韓国料理・エチオピア料理・トルコ料理に加えて、さくら水産まで喰いまくった4泊5日の江戸幕府への参勤交代中、一度もウンチのお渡りがなかったのである。まことにもって嘆かわしい。便秘は美肌の敵である。

しかしながら、下剤など飲んで東急東横線でいきなり催してしまったりなんかしたら、東京人たちに「まったくこれだから田舎者は困りますわね、おほほほほ」とうしろ指をさされてしまう。そうなっては末代までの面汚しではないか。仕方がないので、東京土産として5日分の消化済み食物を腸に抱えて薩摩藩に帰ったわたしである。

しかし、さすがに常日頃より喰いまくった5日分の食物を抱えた腹はデカい。十五夜の季節も終わったというのに、♪でーたーでーたー腹がー まーるいまーるいまんまるいー ぼーんのような腹がー♪である。

掃いて捨てるほど独身男が溢れかえる東京で、とっかえひっかえイケメンをひっかけてやろうと思っていたが、どうやらわたしの人生を格言にすると「虎穴で喰い過ぎて男を得ず」になるようである。

それはさておき、話を元に戻すと、女が泣いていた本当の理由はコレである。「ひどい、ひどいわ。また3桁の搭乗口......遠く遠く隔離されたバスラウンジじゃないの。どうしてボーディング・ブリッジからじゃないの? 夢から醒めてしまったわ......」




ボーディング・ブリッジ......ターミナルビル内から直接搭乗できるように、航空機の乗降口の位置に合わせてビルから接続する、蛇腹型の通路設備である。年に何度か飛行機に乗るわたしであるが、そのほとんどが離島便である。薩摩藩からの離島便に使われる機材は、ボンバルディアDHC8-Q400(74席)・サーブ340B(36席)の2機種だが、小型機であるため、搭乗時にボーディング・ブリッジを使わない。つまり、飛行機が駐機しているところまで歩いていき、横付けされたタラップを上って搭乗しなければならないのだ。

これら離島向けの飛行機を飛ばす航空会社はJAC(日本航空系)である。生まれてこの方、わたしが最もお世話になっている航空会社なのだが、もちろんJACというからには、操縦席には千葉真一が座り、チーフパーサーは志穂美悦子、キャビンアテンダントは真田広之だ。

離陸後はブルーインパルスばりのアクロバット飛行でご搭乗の皆様をおもてなし、搭乗便によっては、機内ライブミュージカル「仮面ライダー対ショッカー」を鑑賞できるという世界一のエンターテインメントキャリアである。ただしサーブ340Bでは、仮面ライダー1人にショッカーが20人いると、乗客を15人しか乗せられないので、毎回プラチナチケットを巡ってヤフオクで血みどろの争いが展開される。

......あの〜、何の話をしてるんですかね? それはJapan Action Clubのことでは? あいすいません、わたしがお世話になっているのはJapan Air Commuterの方でした。いや、しかしこのくらいやると離島振興とJAC搭乗率アップに非常に役立つのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

とまれ、かような機体の都合で、薩摩藩の離島便は全てタラップ搭乗なのだが、都会に向かう飛行機は違う。ビンボー県薩摩といえども、ターミナルビルにはボーディング・ブリッジなる文明の利器が備えられているのである、一応。東京便や大阪便などは全てこのボーディング・ブリッジを使う。名古屋便や神戸便、上田敏や牛乳瓶も使っているかもしれない。

離島以外に飛行機で出張するときは、行き先がおおかた東京ということもあり、わたしにとってボーディング・ブリッジを使うということは、東京人になることと同義語なのである。あぁ、夢の東京、憧れの東京。

旅立ちにあたり、薩摩藩のボーディング・ブリッジの前で「ふふ......あたくしは今日から東京人よ、何か文句ある?」と高らかに宣言し、「ライダー、へんっっしんっっ、とおぅ!」と叫ぶやいなや腰のベルトが火花を散らして回転。歌う田舎者から仮面ライダー・トウキョウジンに変身するのだ。

【仮面ライダー・トウキョウジン スペック】

 流暢な標準語を話す能力を有し、TOEIC標準語検定は920点。薩摩藩をベースとし、日常は、世を忍ぶ仮の姿「もみのこゆきと」と名乗り、窓際事務員として身を潜めて暮らす。薩摩藩のボーディング・ブリッジに入ると、変身ベルトの力によって、仮面ライダー・トウキョウジンに変身する。

 変身すると大げさに気どりまくった演劇系の台詞で周囲を煙に巻く。これは、小さい頃、テレビに出ているタレントや俳優は、タカラジェンヌも含め全て東京人だと親に教えられたため、カメレオンのように東京人に溶け込むには、スターに化けなければならないと思い込んでいるせいである。

 怒りのアドレナリンが放出されると、地下からマグマ大使を呼びだして火山灰を降らせ、まわりを死の町にする。中近東・アフリカ・中南米系のスパイスの匂いを嗅ぐと、猫にマタタビ状態となる。

仮面ライダー・トウキョウジンとしてさんざん気どりまくった4泊5日を過ごし、「ふふ、誰もわたしのことを田舎者だとは見破っていないわ、おーほほほほ!」と勝利宣言を出した東京最後の日、羽田で渡された案内シートの搭乗口は701番。こっ......この不吉な3ケタは、これはもしや......またバスラウンジからの搭乗では?

「東京と言えばディズニーランドだよね」とか、「何言ってんの。東京と言えば六本木ヒルズだろ」「おまえ古臭いな。東京と言ったら今やスカイツリーでしょ」「あいや待たれい。東京と言えば浅草に決まっておろう」などなど、皆々様におかれましては、さまざまなものを東京と結びつけておられることであろう。しかし、わたしの中では、「東京と言ったらボーディング・ブリッジ。ボーディング・ブリッジと言ったら東京」なのである。嗚呼それなのに、羽田からの帰りはいつもいつも3桁搭乗口、バスラウンジからの出発って、いったいどういうことかしらっ!

目に涙を浮かべながら周囲を見渡すと、このバスラウンジに集められた飛行機の行先は、鹿児島、大分、佐賀、熊本である。これはもしや九州の田舎者ばかりを集めたラインアップなのではないか? ♪かもね、かーもね、そーうかーもねー、100%...SOかもね。そういえば、このバスラウンジで福岡を見たことはない。ましてや大阪においてをや、である。うぅぅ、田舎者はボーディング・ブリッジを使ってはいけないとでも言うのか。

手ぬぐいで目頭を押さえつつ、あれこれネットを彷徨っていたところ、このような記事を見つけた。

四国新聞「面倒だぞ!羽田空港のバス移動」
< http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/339/
>

 「バス移動があるんは仕方ないにしても、頻度はどうなんや。高松はほかの
 便より邪険に扱われとらんのか」声を荒げるのは、バス便に怒り心頭という
 高松市内の五十歳代会社員。確かに、高松のランキングや搭乗橋の割り当て
 方法は気になるところだ。とはいえ、サービスの地域間格差を示すことにな
 るだけに、航空会社は「営業戦略」を盾にガードを固める。

ということで、四国の人々もバス便に怒り心頭なのであった。誰も知らないだろうが、福岡を除くこれら九州・四国の一帯は、西南海田舎者ベルト地帯として小学校の教科書にも載っている不憫な地域なのだ。え、知りませんか? 今わたしが作りました。ひょっとすると航空会社の皆様においては、「田舎者は足腰丈夫やから、ちょっと歩かして運動させんと、機内で走られたら大変やで」と思いやってくださっておるのかもしれぬが、余計なお世話である。

ちなみに、この中に掲載されている2005年12月の「羽田空港の路線別搭乗橋(ボーディング・ブリッジ)使用率」(国交省調べ)、第2旅客ターミナル(ANA側)の薩摩藩行き使用率は78%となっているが、この6年で絶対悪化しているはずだ。ここ数年の、わたし的経験値は30%程度なのである。もっと高いとしたら、わたしはボーディング・ブリッジに激しく嫌われているのだ。

あぁ、それにしても羽田でボーディング・ブリッジを通らなければ、世を忍ぶ仮の姿のわたしに戻れない。気どりかえった仮面ライダー・トウキョウジンのまま帰らねばならぬではないか。

羽田空港に沖止めされたボーイング767-300。搭乗するタラップの手前で、女は振り返った。

「皆さま、お見送りありがとう。ここまでで結構よ。あ、今日はタラップに赤いペルシャ絨毯をひき忘れていらっしゃるようね。次回からはお忘れにならないで。え、なんですって? ボーディング・ブリッジ? んまぁ、そんな下々のものが使う味気ない通路など、真っ平御免ですわ。日本国首相が政府専用機で外遊するときに、ボーディング・ブリッジなんて使いまして? ビートルズが来日したときにはいかが? スターはタラップを使うものよ。一歩一歩、優雅にタラップを降りて、皆さまから抱えきれないほどの花束を渡され、握手攻めにあう。そのためには、タラップでなければならないの。でも、今日みたいに赤い絨毯を忘れてはダメよ。それでは皆様、お別れのときがきたようですわ。ごきげんよう、また逢う日まで」

スターを乗せたANA625便は、薩摩藩へ向けて飛び去って行った。

※「バス・ストップ」平浩二
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※「100%...SOかもね!」シブがき隊
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【もみのこ ゆきと】qkjgq410(a)yahoo.co.jp
働くおじさん・働くおばさんと無駄話するのが仕事の窓際事務員。かつてはシステムエンジニア。茨城空港にはボーディング・ブリッジがないそうな。あれを使うと、航空会社は設備使用料を支払わなければならないため、LCC(Low-Cost Carrier 格安航空会社)などは運航コスト低減のために、ボーディング・ブリッジを使わず、沖止めタラップで運航するのだそうである。

そーですかそーですか。運賃下げてくれるんだったら、バスラウンジでも全然構いませんわ。むしろ、是非バスラウンジで! つーか徒歩で行きますよ、徒歩で。