武&山根の展覧会レビュー とある特殊な少女の夢──【草間彌生 永遠の永遠の永遠】展を観て
── 武 盾一郎&山根康弘 ──

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武:もしもしー、こんばんはー。

山:どうも。おそなりまして。眠い。

武:俺も眠い。一日中寝てたのに。朝だけ元気だった。

山:とりあえずまた呑み始めてみた。


武:俺は夕飯時に2杯ほど乳酎を頂きました。今はコーヒーを飲んでおります。呑み疲れだなw

山:まー呑んだしな。一昨日もその前も。久しぶりに仕事休みやと呑み続けてしまう!


武:これが一昨日ねw
< http://www.facebook.com/photo.php?fbid=224503814329188&set=a.170085093104394.34366.166790456767191
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山:いつの間に写真撮ってたんや。


武:昨日5月5日はスーパームーン&稼働原発ゼロの日。稼働原発ゼロになるのが23時だったらしいけど、その前に寝てた。

山:確かに月でかいな。

武:今夜の方が月がスタイリッシュに見えるね。

山:スタイリッシュ?? ...で、どないしましょか。


武:眠いのどうにかならんかなw おれ。

山:僕も眠いっちゅうねん。だから呑んでるんやないか。

武:時間を決めよう。

山:はよ寝たいだけやないか! まあええわ、とりあえず始めてみよか。


【草間彌生 永遠の永遠の永遠/埼玉県立近代美術館】


武:もうね、のっけからタイトル「永遠の永遠の永遠」だしね。観るほうは諦めるしかないからね。

山:なんかもう、感想とかも言わんでいいような気がするな。

武:わはは! 困っちゃうよな、この人w

山:どうすればええねん。


武:つまりだな、批評を拒絶してる作家なんですよ。もし、あーだこーだ言ったとしても、それは草間彌生に対する非難に聴こえちゃうんですよ。なので口をつぐむしかない。と、最初は思ったけど。まあ、展示観て思ったことを述べて行こうかしら。

山:そうしてみよか。





武:実際に展示を観に行った証拠写真はこれね。
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『永遠の永遠の永遠』

毎日、私をおそってくる死の恐れを克服する時は
私は命の限りの心をしづめて
芸術へのあこがれを見いだすのだった
人の世に生まれいでた時の感動が
私の人生を新しい創造のあらしをもって再生するのだった
地球の深々とした神秘のささやきが
いつも自殺しようとしていた私のうらぶれた命への救済をもって
私は死のあこがれと恐怖を追放して
華やいだ生命のかがやきにいつもめざめさせてくれたのだった
わたしは生きてゆくことに
生命のかがやきに
深く打たれ、心打たれ
人間の生命は永遠に回帰するのだという事を実感するときの喜び
私は死の憂鬱を乗り越えて
世界最高の芸術をもって
人間のすばらしさを求めていきたいと決意している毎日なのだ
私は生きたい、心の限りも
芸術にかがやいた火をつけて
命の限り、無限の生と死のかがやきをもって
200年も500年も生きながらえて
平和と人間愛の行き着く所への不滅の志をもって
命の限り、たたかっていきたい
そして地球の人々に告ぐ
未来は原爆や戦争をやめて
かがやいた生命を
永遠の永遠の永遠に
私の精魂こめた芸術をぜひ見てほしい
あなたたちと一緒に宇宙にむかって
心から人間賛美をうたい上げよう


山:はい。

武:ちょっとイデオロギックだな。もうひとつつの方が好きかも。

『未来はわたしのもの』

こころの憂いの中で沈んだ今日の万物の気配
めくるめく人の世のよろこびと
悲しみの果てに落涙の中にうずもれて
わたしは今こそ芸術の力をもって
人の世のはげしさと天空の雲たちの身の色彩のこだまを聞きつつ
芸術の死にかけたはげしさ
私は人の世のかげりの中に
日々の幻影にたえて
明日の芸術のための心の虚しさをさびしく愛のさざ波の彼方に
心のかぎりの愛のしずくの中で
未来をも夢見て
花咲ける今の心は孤独に打ちのめされても
わたしは芸術の盾を持って
もっともっと人間としてのぼりつめていきたい
宇宙の果ての果てまで、心の高揚にすがりついて
生きて生きていきたいと祈る


山:はい。

武:「はーい、みなさん、音読してください!」とか、そのくらいしか言うことないなw

山:思考停止してまう。


武:何かをもの凄く拒絶してるよね。あ、わかった! 草間彌生自身、諦めることを強烈に拒絶してる分、観る者がすべてを諦めてしまわないとならない。とか? 思考や批評を諦める以外に草間彌生を楽しむ方法はないw

山:こんなんあったぞ。
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武:2001年放送のドキュメントか。凄いね。。やっぱり観る側は諦めるしかないな。これ全部見てまうから、チャットに戻ろう。

山:はい。

武:でだ。「自分は特殊でなくてはならない」思いについて、をやっぱり考えてしまうね。

山:展示観に行った後、飲んでそんな話してたな。


●特殊でありたい自我


武:「自分が特殊でありたい」。これはきっと全ての個体が「みんなと同じ」行動をしてしまうと、危機的局面で種が絶滅してしまう危険性を回避するための、生物多様性として遺伝子レベルで先天的に持つ行動欲求なんだろうけど。それに基づいて「特殊でありたい自我」が形成されちゃう、と。

  「特殊」であるためには、自分が何をして、どういう状態であればいいのか? という問いの、ひとつの最終型というか成功例(?)というか。自他ともに認める「特殊」の獲得状態だよね。


山:確かに草間彌生って「特殊」やんな。でも、草間彌生が描いたものとか作ったものって、それほど特殊とは感じられないんですよ。


武:ああ、感覚的にパターン的に直感的ラクガキをしてるんだろうけど、俺も同じ描き方なんで、なんとなく分るところある。なんつか「手仕事の天才(特殊)性」ではないよね。手仕事というより「やよいちゃんまだ描いてるお!」て感動かなあ。そうまでして、まだ「特殊」でいたいのか! という驚愕。


山:草間彌生その人には驚きとか感動とかあるねんけど、作った物を観てもあんまり感じない。僕は。

武:ポップだったりするからね。

山:ポップやから感動がない、とも思わんけど。


武:下の階にあったビデオ作品で制作過程の早回しがあったじゃないですか。大きなキャンバスを机に平らに置いて、俯瞰定点カメラで撮ってるの。あれ見た時に、仕事の進め方がとても感覚的でポップで気持ち良かったんすよ。バランス感覚は異常なんかではなく、むしろポップ、ひょっとしたらフツーなんかもしれない。


山:みょーな絵、っていう感じはないな。

武:「センスが普通」って重要でさ、そうすると他者も感覚的に心地良さが伝わり易い。そこに草間彌生っていう「特殊な物語」が加わるから、無敵になるのかなあ、、


山:伝わりやすいか? あんまり伝わってこないねんけど。絵からは。それって好みの問題なんやろか。

武:絵をたしなんだ人間は、だからこそ分る手仕事の技で打ちのめされたい、ってのがあるからね。草間彌生の「絵の仕事」ってそこに力点ないじゃん。

山:いや、そう言うことでもなくて。


武:そうか?

山:好みの問題かもしらんけどね。...例えば、草間彌生はアウトサイダーアーティスト、ではないんやろうけど、なんやろ、ヘンリー・ダーガーとかやっぱすごいやんw 絵はうまくはないぞ。エンマ・クンツすごい! とか思ってしまうんよね。絵を見て。別にうまい絵、という訳ではない。
< https://bn.dgcr.com/archives/20070501140100.html
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< https://bn.dgcr.com/archives/20091209140200.html
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武:草間彌生という特殊な人間から産み出されるモノはすでに特殊なのでしょうがないよ。という暗黙の了解がある。

山:いや、単純に絵からはあまり感じないな、と思ったんで。その人、というのはひとまず置いといて。


武:多分、近代以降の「特殊」の在り方ってのは、本人のストーリー性から来てるんだよ。ヘンリー・ダーガーやエンマ・クンツは俺らなんかに知られるに至った物語が運の良さだけに依拠してしまいがちだけど、草間彌生の場合、そこに「特殊を勝ち取って有名になりたい自我の強さ」があるので、個人が前面に出る特殊を獲得した感があるんじゃないかな?


山:だからやね、個人は置いといて。草間彌生はすげーな、とは思うし。そうじゃなくて、絵から感じないなあ、と思ったんですよ。何度も言うけど。うわあ、すごいなこの絵! って思う絵に出会った場合、必ずしもその人のこと知ってる訳でもないやんか。

武:それはある。


山:絵からあまり感じない、でもその人はなんかすごい、これはなんなんやろ、という素朴な疑問w

武:アウトサイダーアーティストに含めようとするから、疑問が沸くんじゃないのか? 現代美術の文脈で成立した作家だろうし。

山:単純に絵をみて、すげー! って思いたいなあ。


武:モノクロのシルクとオブジェとインスタレーションとドキュメント映像は良かったよ。実際に作ってるのが業者だからかなw 絵に関してはやっぱり観る者が諦めるしかなくて「草間彌生が描いてるんだからしょーがないよなー」て思うんですよ。

山:そうなるともう、なんでも良くなってまうんよね。


武:似たような感想を岡本太郎にも持つけどね。「岡本太郎なんだからしかたないよなー(棒読み)」みたいなのってあるよ。

山:ああ、岡本太郎も確かにそういうとこある。


武:この観る者を諦めさせちゃう「あくまでも特殊でありたい強靭な自我」みたいなのが、近代以降の藝術を支えたとは思いますよ。「藝術家たちは自我を盛大に誤解曲解してそれを実践してみせた」、と。

山:自我でも個性でもなんでもいいねんけど、そういうのから少し離れたものを感じさせる絵や作品を観たいな、という風に思ったんですよ。


●とある特殊なストーリー


武:けど、きっと草間彌生はそれを求めた絵を描いてるんですよ。だって宇宙と繋がってる訳だからw

山:それをこちらが感知できれば良かったんやけど。


武:それが「形式」を拒絶した藝術家の弱点なんじゃないのかなー、草間彌生にしろ岡本太郎にしろ。

山:「形式」ないのか? 絵ってことではあるやん。


武:「上手である形式」とか「伝統」とかって意味で。そういうものを「悪」と捉えたからこそ「前衛藝術」という革命があったわけじゃん。「腕の匠や技」を放棄しちゃう。最終的に目指す所は一緒かも知れないけど、「形式と伝統」を飲み込んで身体に受け取らないと宇宙と繋がれないのかもしれないなあ、て思ったんさよ。


山:宇宙に繋がるかどうかは知らんw 「形式と伝統」を受け入れるにせよ拒絶するにせよ、何か別の、、うーん、なんやろ。

武:ドキュメント映像でおよそ1年半で100点制作したとかあったよね。「何を描くか」よりも「100点描く」ことに主眼があったような気もする。


山:それかってある種の「形式」ではあるよな。百物語じゃないけど。

武:ふむー。

山:ああそうか、なんか別のストーリーを観たかったんかな。


武:一点一点宇宙に到達してるのか? を追求してるベクトルではなく、すでに宇宙と接続してることを前提として100点描いてるってことなんかな。「丹念な手仕事にゾクゾク感じちゃうようなアウトサイダーアートではない」ってことだよね。


山:草間彌生が宇宙と繋がっているか否か、というのは正直どちらでも良くて、僕としては、「とある特殊なストーリーを、絵ないし作品から感じたかった」ということかな。

武:ああ、なるほど。「時間を感じない」てことになるんかな? 単純に制作時間とか。1年半で100枚なら1作品に5日くらいしかかかってない。


山:制作時間がどうやったらどうやねん。

武:制作時間が長いと「とある特殊なストーリーが、絵ないし作品から感じられる」のではないだろうか?

山:そりゃ関係ないな。

武:あると思うよ。


山:関係ないやろw 制作時間が短いからストーリーがない、ってな訳がない。

武:それは出力技術だよね、職人性とか匠とか、技。

山:いわゆる技術だけの問題でもないと思うが。


武:ヘンリー・ダーガーは、たったひとつのストーリーをまず文章で10年以上かけて書く。それからまた長時間かけて絵を描く訳だから、まあ醸し出されてくるじゃないすか。制作時間が長い作品は、そこに分かり易い物語はなくても「とある特殊なストーリーが絵ないし作品から感じられる」ことはあるよ。

山:そうかなあ。


武:草間彌生は強靭な自意識で幻覚(水玉)を観ただろうけど、その後はそれ(水玉)をデザインしてるんだよね。編集してるというか。コピペな作品群なのかも知れない。けど、最新の絵は、また「産み出そう」としてる感はあったけどなあ。。


山:向かってくエネルギーとか、制作に対する首尾一貫性とか、そういうのは感じるし半端ないなあ、とは思いますよ。やっぱ好みの問題なんかな。

武:「手仕事のヤバさ」とはちょっと違うんだよね。


●アウトサイダーアート


山:僕としては、アウトサイダーアートと精神疾患と、「とある特殊なストーリー」の関係、ってことがどうしても気になる。

武:草間彌生はアウトサイダーアートではない。精神疾患ではあると思うけど。


山:まあそうなんやろうけど。ただ繋がり、と言うか、近いものは感じるねんけどね。

武:案外まともな人がいわゆる「藝術から疎外」されてることによって「藝術性を獲得」してる現象?


山:「一般的にもアウトサイダーアートというと知的障害者、精神障害者あるいは精神病患者が精神病院内におけるアートセラピー(芸術療法、クリエイティヴ・セラピーの一種)などで描いた絵画と思われがちである。しかし必ずしもそうではなく、芸術作品で生計を立てたり、既存の団体に発表することなく、独学で孤独に作品を作り続けた人達、刑務所などで初めて絵画に取り組んだ人達などの作品も含むのが本来の意味である。」
(アウトサイダーアート < http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88
> )
  これはわかりやすい説明やな。


武:「藝術の本来性」てのがあるとするならば、アウトサイダーアートの方が「藝術」だったりしてしまうというところにやっかいな問題はあるよね。アール・ブリュット/交差する魂』を観て
< https://bn.dgcr.com/archives/20080611140200.html
>


山:藝術の本来性ですか。

武:草間彌生の成功と有名さは確かに特殊性があるし、個体のユニークさは強烈よね。けど、直筆絵画はその特殊性の歴史が身体化されきってなくてうまく形象されてないかも? あ、「描いている彌生が好き」と「描かれた彌生の絵が好き」とか問題か?


山:よし。このままやとまた延々とかかりそうなので、どっちかの話からまとめて行こう。

武:どっちって?

山:僕の言いたいことと、武さんの言いたいことが、ちょっとずれてるので。どっちからいこか。


●草間彌生は少女なんだ


武:俺の言いたいことは、特殊で有名を獲得した草間彌生は好きだ。描かれた絵に作家の想いがのりうつってることをもっと感じたかったけど、みっちり時間を費やして描いてない絵に対してあんまり感銘を受けないので、絵を見た時に「えー」て思っちゃったその困惑。

山:制作時間にえらいこだわるんやな。


武:多分、草間彌生は少女なんだ。少女とは「宇宙で一番特別な存在は私」ていう自意識を持つと思う。けれどいろいろまだ不器用で不完全な身体なのが少女。その少女の身体を保とうとしてるのではないだろうか。少女の身体と感性を。

  けれど、熟練してない身体性が通用するのは若いうちだけなんだよね、往々にして、せいぜい20代前半まで。なのでみな何らかしらの技術を身に付けて大人になる。草間彌生はそれを拒み続けることに徹した。少女のままでいるために、精神疾患をともないながら、と。


山:でも草間彌生がみっちり作業してないか、というとそういうことはないよな。確かに1ヶ月も2ヶ月も同じ絵を描き続ける、ということではないんやろうけど。

武:サササ、と描いて、次から次へ。熟練を拒否する。同じ絵を長時間描いてない所は俺的にはポイント。


山:サササ、なんかね。

武:新月から満月へそしてまた新月へ、という1サイクルの時間身体を現してほしいw

山:それはどーでもええけどな。僕は。

武:俺はそこかな。


山:そういう問題よりも、出てきたものに対する印象の方が重要とちゃうの?

武:まったく同じものが出てきて構わないけど、それを30日くらいかけてゆっくり描けば、「おー!」てなるな。俺の見方としては。

山:時間をかければいい、ってことか?


武:そう、簡単に言えば。草間彌生は自分に「何時何時までに何作描くと決めて(決められて)やってる」感じしたんすよ。

山:ほう。


武:そういう「時間」を感じたので、「永遠の永遠の永遠」な感じになってない。それが、ちょっと不満だった。展覧会のスケジュールとか決まってる中で描いたっぽい。それだと、要するに「ジョブ」。プロとしてのアートワーク。


山:つまり草間彌生職人ってことか。「草間彌生」というものを作り続ける。でもあのスタンスで作り続けるってのは、なかなかできることでもないとは思うけど。

武:「(例えつたない絵でも)私は特殊なんだから愛してよ!」という少女の願望。


山:本人の特殊性よりも、本人の権威性の方が見えてくる。

武:少女性だなw

山:もしほんまにそうやとしたら、アウトサイダーと呼べるのかも。

武:なるほどw ひるがえって。


●詩と絵


山:で、こっからは僕の話で。草間彌生の詩があったやろ。

武:詩?

山:あったやんか。詩、というのか文章。

武:冒頭に載せてる二篇の詩?


山:そう。ほんまかなあ、と思った訳ですよ。

武:ほんまかなあって? どゆこと?

山:ほんまにこの人こう思ってんのかなあ、でもほんまに思ってはいるんやろうなあ、だけどそう言ってる割には、絵からは見えてこないなあ、とか。


武:理想は詩で表現、現実は描かれた絵、と。理想は理想。現実は現実。理想と現実を想いが繋いでる。ということかもよ。

山:なんやろね。だから、とある特殊なストーリーを「絵から」感じたい、と思ったんやけど。


武:絵は「行動してます」という証しで、絵の内容はどうでもいいところはあるんじゃないのかな? 口ばっかりではありません、理想ばっかりではありません、実際に絵を描いてるでしょ! という。「そんな私を愛してくれなきゃイヤ!」という少女の願望なのですよ。


山:武さんはおそらく、アーティストという観点から草間彌生を考えるんやろうけど、僕は絵から何か感じたいなあと思ったんで、好み、としか言えなかったんですが。

武:なるほど。俺はその場合、問題は「時間」だったのだw

山:僕は制作時間はどうでもいいからなあ。何か「おっ!」って思えれば。


武:俺なんて、こんだけの点数の時間を、一作品に費やしてみたらどんだけいいかをすんごく強く思ったよ。「永遠の永遠の永遠」だったら、永遠に終わらない一作品を作ってる方が詩と矛盾ないじゃん!


山:一作品で終えることって実際出来るんかね。まあでも、この時代の権威あるアーティストの制作姿勢を観た、とは思う。それはそれで面白かったし、すごいな、と。つまり、草間彌生を感じることはできたw 

武:そうすね。

【草間彌生 永遠の永遠の永遠/埼玉県立近代美術館】
< http://www.momas.jp/003kikaku/k2012/k2012.04/k2012.04.htm
>
< http://www.asahi.com/kusama/
>
会期:2012年4月14日(土)〜5月20日(日)無休
会場:埼玉県立近代美術館(さいたま市浦和区常盤9-30-1)
観覧料:一般1100円、大高生880円

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/庭に野菜を植えました!】
アトリエ「世界征服研究所」に遊びに来て下さい!
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take.junichiro@gmail.com

【山根康弘(やまね やすひろ)/とある酔っぱらいのめんどくさい繰り返し】
yamane@swamp-publication.com