ネタを訪ねて三万歩[102]偏屈なプライオリティー
── 海津ヨシノリ ──

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大学は前期試験も終わり夏休みモード。ここのところ非公式に多摩美術大学造形表現学部に向かう事が多くなっていました。非公式と行っても、担当授業のない日に出掛けるという意味です。

多くは飲み会、お茶会、勉強会なのですが、緊急時は車で20分ぐらいなのも助かっています。もちろん飲み会の時は電車で向かいます。

しかし、授業後だと21時30分ぐらいからの開始なので、終電との勝負です。先日も女学生3名と飲み会をし、私は本当に終電で帰宅したのですが、彼女達は多摩川の河原で夜明かしの酒盛りをしたのだとか。流石にそこまで付き合うパワーは私にはありません。でも羨ましいパワーです。

パワーといえば、映像演劇学科の演劇が見逃せません。顔見知りでオーラのある学生がかなり居るからです。きっと彼(彼女)らは将来有名になるでしょう。

とにかく非公式に出掛けるための問題といえば私のスケジュール調整。どうしても少し早めに着きすぎてしまうことがあります。大学に向かいたいときに限り、前の予定が不思議なことに早く終わってしまうのです。

ただし、一時間くらい前なら二子玉川で色々と時間つぶしが出来ますが,30分程度だとどうしようもありません。でもこんな時、造形表現学部の校庭の芝生は至福の休憩場所として私を迎えてくれます。

要するにバッグを枕に転た寝をするわけです。こんな事はそう簡単にできないですからね。しかも寝転んでいても誰も不審者扱いしません。普通の公園へ一人で出掛けて、不用意に寝転がるなんて事はちょっと怖くて出来ませんから。




まっ、爆眠してしまったら激写されてしまうかもしれませんが、掃除が行き届いた校庭のきれいな芝生の上で一度でも寝転がってしまったら、この空間からもう後戻りできません。ですから極力、この話は学生たちはしないようにしています。私だけのささやかな楽しみにしたいのです。

さて、ひょんな事から知り合った学生達の演技、脚本、そして監督作品が気になって仕方がありません。私はもしかしたら,いつの間にか彼らのファンになっているたのかも知れません。

学生に頼まれたから鑑賞に行くのではなく、次の作品が観たくて仕方がないという状況なのです。でも、そのほとんどの学生達が私の講義が引き金になっているらしく、ちょっと嬉し恥ずかしの状態でした。

もちろんリップサービスみたいなことだとは思うのですが、飲み会などで話し込むと、しっかりと私の講義を聴いていたことが分かり本当に嬉しくなってしまいます。やはり、熱く向かってくる学生にはコチラも熱く対応するのが礼儀ですからね。反応がなければ私も動きが本当に鈍くなります。

ところで、今年は大学側の規定によ卒業制作の担当を外されてしまいましたが、デザイン学科の別コースの学生から逆指名され、非公式に対応することになりました。そしてその学生の作品が映像なのです。

不思議なもので、アドバイスは機関銃のように出て来るのです。あとはそれを学生と話し合いながら整理し、実際に作り上げる過程で更なるアドバイスをするという流れなのですが、これが面白くて仕方がありません。

もちろん、今まで公式に関わっていた卒業制作担当も楽しい日々でした。でも、今年は更に面白いのです。多分これは造形表現学部の最後(2013年度で募集停止)が近づいているからかも知れません。最後に燃え尽きようという感じですね。いや、学生と騒げるのも今のうちというわけです。

ところで、気持とは裏腹に学生と騒いでいればイイというわけにも行かないのが今年の夏休み。夏休み中に読破しなくてはならない本が、20冊ほどに膨れあがってしまいました。

ちょっと考えただけでも悪夢ですが、なんとかしないと秋以降に苦労するのは目に見えています。自炊してiPadに入れてしまってもいいのかもしれませんが、理路整然と一方通行的に読むようなタイプの本ではないので、自炊しても無意味なのです。

自炊で自動リンクとか出来れば別ですが、流石にそれは現時点では手動での処理が必要......であれば、普通に読んだ方が時間の無駄がないというわけです。なにより夏休みはほとんど自宅警備員状態なので、自炊してiPadに入れても意味がないわけです。

あれって外出が多い人が電車の中で読むだと思っています。まっ、数冊持ち歩く事を考えたら便利という考え方もあますが、基本的に家に居る場合はちょっと事情が違いますね。と、言い訳をしてみたりします。

理由付け? でも決定打にはほど遠いのは一目瞭然。自炊をなぜ躊躇してしまうのだろうかと冷静に考えてみると、曖昧であったスタート時点には自炊やiPadのような概念がなかったが故、基盤的な部分が非iPadとなっているのに、最近の本に対してはドライに自炊できてしまったりする矛盾かもしれません。

最近の本に対して、どうしてこんなに残酷に自炊の刑を執行出来るのかの説明が付きません。自炊しなければならないのはむしろ昔の本の方なのに。これは、自炊の流れの最終地点であるiPadのようなデバイスが、まだ決定打ではないからかもしれません。

兎に角、モノで溢れかえっている部屋を何とかする意味でも自炊が必須なのは充分に理解していますが、上記の理由により実現していません。

夏休みなどにまとめて自炊してしまえば良いのですが、予定が詰まっていてそれも出来ません。それでは冬休みに期待しようとしても、多分避けられない予定が入ってくるでしょう。なんだか悪夢のようなイタチゴッコから永遠に抜け出せないような気がしています。

いや、だからこそ学生とバカ騒ぎに走るのかも知れません。そうであるのなら、騒ぐのを止めて整理の時間に割り当てる......という考えは私にはありません。学生と騒げるうちに騒いでおかないと、こればかりは後回しに出来ないからです。私の中の偏屈なプライオリティーなのかもしれません。

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■今月のお気に入りミュージックと映画

[Space Walk]by lemon jelly in 2002(U.K)

アンビエント、ダウンテンポ、ブレイクビーツといったジャンルで地位を確立した彼らのデビューアルバム「Lost Horizons」に納められた曲。テクノのようでクラシック的でもあり、全編にわたり、とても不思議な楽曲集で、特にこの曲が気に入っています。そして注目すべきはCDに同梱されているPV映像。これはポップなグラフィックイメージで、60年代を彷彿させるご機嫌なテイストです。

[Bridge to Terabithia]by Gabor Csupo in 2007(U.S.A)

邦題『テラビシアにかける橋』。キャサリン・パターソンの同名児童文学を元にしたファンタジー映画。家が貧しく絵が上手な男の子と、友達もいない女の子が友情を深めていき、空想の森で冒険をするお話なのですが、後半は衝撃的な展開で、切ない流れになりますが、ファンタジーだけではない現実が感動を増幅させています。

主人公のジェスを演じるジョシュ・ハッチャーソンは、『ザスーラ』の主人公のイメージが強いですね。またヒロイン・レスリーを演じるアナソフィア・ロブは『チャーリーとチョコレート工場』のチューイングガムをかみ続けている女の子のイメージとは真逆でビックリ。

更にジェスの父親を演じるロバート・パトリックは、『ターミネーター2』のT1000役が有名ですね。でもとってもいい味を出しています。実は......音楽の先生役で出演しているズーイー・デシャネル目的で借りたのですが、いい意味で予想外の掘り出し物だったのでビックリです。ファンタジーなのですが、優れたヒューマンドラマですね。

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■アップルストア銀座 8月19日(月)19:00からのセッション

海津ヨシノリの画像処理テクニックVol.80
Photoshop とIllustrator の最新版となるCreative Cloudの新機能及び環境について検証、整理します。

Photoshop CCで強化された「スマートシャープ」に「スマートオブジェクトのサポート強化」や、新機能の「手ぶれ補正」、「ディテールを保持(拡大)」「Camera Raw 8とレイヤーのサポート」。

Illustrator CCで強化された「パターンブラシ」や新機能の「文字タッチツール」「フォントの検索」「ファイルのパッケージ」を中心に何がどのように機能強化されたのか、新機能の利便性はどうなのか、またそれらがクリエイティブワークにどのように影響するのかを独自の視点で整理します。

予約無用・参加無料・退席自由ですので気軽に遊びに来て下さい。

【海津ヨシノリ】グラフィックデザイナー/イラストレーター/写真家/
怪しいお菓子研究家
yoshinori@kaizu.com
< http://www.kaizu.com
>
< http://kaizu-blog.blogspot.com
>

私は普通に歩いて一時間ほどになる、田園調布への道のりを頻繁に往復しています。雨の日と歩行タバコ、そして自転車にさえ気をつけていれば、徒歩二時間程度は気まぐれ散歩のうちなのです。

もっとも、それ以上の道のりを散歩したことがないので、実際にやってみたら、限界はどのくらいなのか分かると思うのですが、こういった事って無理してやることではないですからね。今度は駒沢公園あたりまで足を伸ばしてみようかと思っています。

これは毎日なんらかの案件で車を運転していることの、反動のような行為です。車の運転は毎日ですが、片道一時間の散歩はもちろん毎日ではありません。気持ち的には日課にしたいのですが、それはどう考えても無理です。

しかし、人間は無意識のうちに日課的な行動に走っていることが多いですね。「一定の時間になるとポストに向かう」なんていうことは思い当たる方も多いのではないでしょうか? この無意識の行動が時として裏目に出ることがありますね。

例えば、私はどんな状況であっても駅の構内では走らないことに決めています。また、基本的にエスカレータは使わずに階段を使うようにしています(大きなキャリーに荷物を積み込んでいるときは、エスカレータを使いますが)。

問題はそんな時です。今まさに発車寸前の状態の場合、後ろにいる人から押されたり、罵倒されたりすることがあります。急ぐのだったらもっと早く家を出てくればいいのに。私は怪我をしたくないので一切動じません。要するに構内で走る人は自殺行為だとさえ考えているからです。マナー違反ですね。とにかく年々マナーが悪くなっていますね。

以前もネタにしましたが、マナーが悪いのは圧倒的に中高年です。もうどうしようもない世界のような気がします。もちろん一人でカリカリしていても解決する訳ではありません。