ネタを訪ねて三万歩[107] 年末恒例の大仕事
── 海津ヨシノリ ──

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年末年始という、一年でもっとも落ち着かない日々が迫ってくると、本当に困ってしまいます。もちろん正月が好きとか嫌いといった単純な問題ではなく、とにかく落ち着かないのが嫌なのです。

そんなことはお構いなしに季節感を感じ始めるのが、モリサワ・パスポートの更新案内が届くことです。これは本当に面倒な書類手続きが必要で、毎年閉口してしまいます。今の時代にお役所的な書類を作成するなんて意味不明というかほとんど嫌がらせに近いですね。


余談ですが、この面倒な書類に当てこすりし、更新料を「年貢」と揶揄する方が案外多いです。よって届いた案内書は即刻廃棄し、手続きのいらない更新パックを購入して対処するのが、私の年末行事のスタートになります。

それに合わせて、ほとんど使わなかったソフトの更新をどうするかを、ある程度決めてしまうのもこの時期です。かつて、持ち物整理の達人であった友人が放った一言を私は未だに守れないのです。

曰く「半年使わなかったら廃棄」は本当に頭の痛い一言です。それでもダラダラとほとんど使わないソフトウェアなどのアップデートは、思い切らないと無駄以外のなにものでもないですからね。

実は、講義で使うためだけにアップデートを重ねているソフトもかなりあるのですが、それってなんか不経済だと気づき始めたのです。メインで関わっている多摩美術大学造形表現学部も募集停止で、あと3年もすれば消滅してしまいますので、そろそろ思い切りが必要だと考え始めました。もちろん私もお役御免です。

そんなわけで、授業に合わせて色々な実験や検証を行うのもあと数年だと思うと感無量です。色々な意味で楽しかったので、特にそのように感じてしまいます。実は、大学等で講師をするようになってからの私の年末年始は、授業で解説するツール類やメインツールの実験・検証特別月間だったわけです。

年末年始恒例の親戚回りや、飲み会の習慣がない私にとって、この時期はゆっくり時間を使うことのできる貴重な日々だからです。当然ながら大掃除や初詣もしたことがありません。もちろん、さすがにこの点について自分は変わり者だと自覚していますが、悔い改める気にはまだなっていません。

さて、続けて、年末一番の大仕事である年賀状作成があります。3Dで作成するようになって8年目となった年賀状印刷なのですが、これは今年に限りかなり早い段階に対処出来たので大助かり。

干支を一巡するまではスタイルを替えないつもりですが、2年ほど前からスタイルが崩れ始めており、本当にこの先どうなるかは私にも分かりません。また、既に7割近くはメールなどの対応に変更してしまっていますが、少なくとも葉書に印刷する年賀状は細々と継続することは確かです。

メールでの対応か、葉書かの判断の基本は、メールアドレスが分からない、または不明で判断しています。しかし、早めに対応が出来た翌年はギリギリとなることがお決まりです。どうしてお決まりになってしまうのかが不思議なほど、このリズムは続いています。正に「気の緩み」〜「昨年の反省」の繰り返しですね。

ちなみに、私は馬鹿正直に賀状の文面を信じてしまうタイプなので、年賀状にいつもイライラしてしまいます。「ご連絡下さい」「近々に会いましょう」これらは社交辞令と分かっていても、ついつい反応していました。

そんな私も、さすがに数年前から空気は読めるようになったので反応は鈍りましたが、やはり年賀状に限らず引っ越しの挨拶なども含めて、葉書の案内には反応しないが正しい大人の対処方法かもしれませんね。

ところで、年賀状の宛名は手書きにしたいところですが、申し訳ないと思いつつ印刷しているのです。今年はインクジェットプリンタを目詰まりで何台も廃棄しているので、かなりイライラしてしまいました。残りのインクジェットプリンタのうち、まともに使えるのが一台だけだからです。ないと困るインクジェットプリンタも寿命が短いので、激安型落ちでお茶を濁すことが得策かもしれませんね。

話を戻すと、次に区の健康診断を受けること。国民健康保険の健康診断です。東京都の学校へ提出する健康診断書類の日付を逆算すると、この時期に受けた方がお得なのです。新規に健康診断書を作成してもらうと、とんでもない金額が掛かりますからね。

そして、最後が書類の整理です。大掃除はしませんが、書類関係の整理はします。これが意外と大変なのです。整理自体よりも処分が。ほとんどがシュレッダー送りだからです。機密とまでは行きませんが、やはり不用意に捨てられるものではありませんからね。

そんなこんなで、シュレッダー処理は年明けしてもダラダラと続いています。なんだか変な感じですが、二日酔いでクラクラする正月よりは健全かも知れないと自問自答してしまいます。

こうして、気が付けば年明けの平常業務となるわけです。色々やることはあるのですが、あまり深刻に考えても手付かずになってしまいますので、なるがままにお気楽対処するようにしています。

しかし、だいたいこの時期にアイデアとして変な事を思いついたり、謎の書類などが出て来て、やることがどんどん増えてしまったりします。余計なことはしないことが一番なのですね。

そうはいっても、ついつい余計な事に手を出してしまうのは、子供の頃からの癖というか個性のようです。実は、今年から不定期に確認していることのひとつにブログの統計があります。どうしたわけか、日本よりもアメリカからのアクセスが異常に多いときがやたらとあり、他はロシア、ウクライナ、ドイツあたりからのアクセスが集中していることを知ってビックリしています。

理由はさっぱり分かりません。コメント類はほとんど付いていないのですが、この妙なアクセス結果は本当に謎です。Facebookでは英語と併記していますがブログはベタな、それも下手な日本語ですから。

もちろんアメリカにも多くの日本人の友人がいますが、ロシアとウクライナ、そしてドイツには居ないはずです。もしFacebookからの流れだとしたら、ロシア、ウクライナ、ドイツではなくて、イタリア、スウェーデン、スペインが上位に入っているはず。本当に謎です。

世の中には知らない方が幸せということが少なくないので、あまり考えないようにしていますが、やはり気になりますね。

そうそう、Facebookでも不思議なコトが。今年の6月から突然怪しい友達申請が激増し、8月だけでも50名を突破する勢いだったのに、何故か11月を境にプッツリと止まってしまいました。もちろん怪しい申請は来ない方が精神衛生上いいに決まっていますが、突然来なくなると、それはそれで妙な寂しさを覚えますね。

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■今月のお気に入り映画とミュージック

[Rockin' Around The Christmas Tree]by She & Him in 2011(U.S.A)

シー&ヒム(She & Him)は、アメリカ人女優のズーイー・デシャネルとノラ・ジョーンズの作品への参加などで知られる、アメリカ人シンガーソングライターのM・ウォードによるインディー・ロックデュオ。

アルバム[A Very She & Him Christmas]は以前にも紹介しましたが、とってもナイスです。この曲は1958年にジョニー・マークスによって作曲され、ブレンダ・リーの歌(当時14歳)でヒットしたあまりにも有名な曲ですが、色々なアーティストがカバーしていてどれもそれぞれ魅力的です。

Rockin' Around The Christmas Tree - She & Him
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[Gone]by Heitor Dhalia in 2012(U.S.A)

邦題「ファインド・アウト」。何者かに誘拐されたが危機一髪で逃げ出し、警察に助けを求めたが、妄想と判断されてカウンセリングと薬を強制されてしまったヒロインの妹が誘拐されて……。

警察が信用してくれないという切り口は本当にコワイですね。日本でも少しずつ、加害者の人権の方が被害者よりも重く取り扱われるような流れになってきていて、本当に不気味です。主役のアマンダ・サイフリッドの演技はとても光っています。ラストは本当にナイスです。

映画『ファインド・アウト』予告編
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【海津ヨシノリ】グラフィックデザイナー/イラストレーター/写真家/
怪しいお菓子研究家

yoshinori@kaizu.com
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>

今年も年間でおおよそ20000カット(携帯・iPhoneでの撮影は除く)ほどの写真を撮りました。一日平均50カットほどですが、自分では少ないと感じています。もっとも、フィルム時代から考えたらとんでもないカット数ですね。ちなみに、フイルム時代は最高2000カットぐらいだったと記憶しています。

ところで、写真理論と実習を教えるようになって感じたことは、最新のレンズでは説明が難しいということ。絞りリングもないレンズで、絞りの意味を説明するのは大変なこと。もちろん、フイルム時代の絞り付きレンズが潤沢に用意されているので助かっていますが、そうではない環境だと辛いですね。

世の中、すべからくこんな状況に流れてしまっていることに対しては、少しばかりナーバスになっています。体を使って感じたり覚えたりすることがスルーされてしまい、電子機器だけに頼らなくてはならない現在の若者に対しては、同情すら感じてしまいます。

アナログ至上主義ではありませんが、非アナログ的な感覚も同時に見つける訓練を学生のうちに体験しておいた方が絶対にいいと思うのですけれどね。