武&山根の展覧会レビュー 2つの祝祭──【横浜トリエンナーレ】【BCTION】を観て
── 武 盾一郎&山根康弘 ──

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武:こんばんは!

山:はい、こんばんは。いやー、なんか知らんが、今やたらと忙しいんですよ。

武:そうなん? それはいいことじゃあないか。

山:まあね。いいねんけど、こういう時は問題もいろいろ出てくる、、、ま、それも含めて悪いことではないんかもやけど。

武:建築業界が忙しいってことは、日本の景気もいよいよ良くなるってことじゃね。

山:景気が良くても悪くても、潰れるとこは潰れるし、儲かるところは儲かる、という。ある意味それは健全か。

武:ああね。景気も「気」だからね。景気って実質的な問題じゃなくて、ひょっとしたら気分の問題なんじゃないのかな?

山:気分も大事やったりするけどな。

武:「不景気だ不景気だ」って言葉を多く聞いてるとやっぱり気分がブルーになる。

山:実は自分とは何にも関係なかったりもするのに、ってことはあるよな。

武:外的要因・情報から本人が何をチョイスするか、なのかもね。

山:なんやろな、そういうのって。チョイスするのであれば、少なくとも運命ではないな。

武:そうそう。自分で決めている。自分を変えることはいつでも可能なのよ。自分が変わればチョイスする軸も変わる。ブレないことは良い事という人もいるだろうけど、人間ってよく見るとほとんど筋なんて通ってないすよ。案外すんげえ変わってたりする。

山:実感ですか?

武:どうにも変えられないところもあるけどね。

山:それも自分で決めてることになるんちゃうの。

武:意識のレベルは変えることが可能だと思う。

山:わからんやん。無意識のレベルを変えることが不可能って。

武:ああでも、無意識のレベルから変えないと人は変わらないか。無意識のレベルて何かと言うと、結局身体ってことなんだけどね。習慣とか。身体と習慣が変わったら、意識上では認識してなくても無意識は変化してるよね。変わったことに気がつかないかもだけど。

山:結局、意識を意識化せずに持って行動するという、頭で考えるとわけわからないことを、人間は出来るってことやな。

武:その変化を認識することが重要なんだけどね。要するに意識が重要ってことにはなる。。

山:でもその意識を……、とかなんとか言ってると全然話しが進まないので、先に行きましょうw


武:そうですね。今回は言いっ放し報告会! 各々が行った展覧会の感想を一方的に報告する画期的なレビュー!

山:画期的ではない。えー、どっちから行きますか。

武:俺な、確信してることがひとつあるんですよ。

山:ほー、なんですの。

武:それはね、会話で最も重要なのって「ガールズトーク」なんですよ。最も脳にいいらしい。

山:なんやねんそれw どこで聞いたんや。

武:俺のカン。

山:カンって!

武:そのうち、そういう科学的研究結果とかでるから! 「ガールズトーク」ってつまり「オバチャンたちのおしゃべり」のことなんですよ。

山:それはまあわかるけど。

武:あれな、感想を発露し合ってるだけなんですよ。けど全ての人の言葉の表層を汲み取ってるんですよ、テキトーに。全ての情報を処理してるんです。議論とは違う次元なんですよ。ガールズトーク。

山:それが脳にいいってか。

武:うん。俺はそう思う。

山:それはそれでいいけど、、だからなんやねんww

武:今回はね、各々行った展覧会の感想を述べてるだけの「ガールズトーク」で行けばいいんじゃあないだろうか。

山:設定の意味がまったくわからんが、はいはい、好きにして下さい。

武:横浜はほんっとにいいところよ!

山:そうやね、いいとこやと思いますよ。

武:でねぇ、桜木町の駅を降りたところで気がついたのよぉ。「Tシャツの袖が汚れてる!」って。もう、ショック〜。ありえないわあ。

山:はあ。なんかに擦ってもうたとかとちゃうの。

武:そうなんだろうけどぉ、こんなに汚れてちゃ、美術館で恥ずかしい! って思ったので、無印良品でTシャツを買っちゃったのよ〜。ちょうど、安いのあったから(ハートマーク)

山:ちょっとまて、なんでオカマみたいになっとんねんw

武:いやー、ガールズトーク風で行きたいのかなあ、と、山根が望んでると思って。。

山:あんたやろ! 僕は望んでない、望んでないから!!

武:二回も言うか! しょうがねえなあ、分かったよ。今回は美術の祭典、横浜トリエンナーレに行ってきました! iPhoneケース展の搬入があったので横浜に行ったんだけど、まあ、ちょうどよかったんで観に行きました。
< http://www.yokohamatriennale.jp/2014/index.html
>

●【横浜トリエンナーレ】レポート

山:あ、横浜で自分の展示もあったんやね。

武:そうですね。こちらがiPhoneケース展のfacebookページ
< https://www.facebook.com/IPhonecaseten
>

で、こちらが俺のブログ
< http://d.hatena.ne.jp/Take_J/20140913/1410571177
>

山:フェイスブックで見て展示参加してるのは知ってましたが、これはどういう繋がり?

武:iPhoneケース展のディレクターが「あーてぃすとはる」さんで、デジクリつながりです!
< https://bn.dgcr.com/archives/27_hal_/
>

山:おー、みなさん繋がりがあって、デジクリっていいやないですか! で、どうでした?

武:iPhoneケース展は搬入しか行けなかったんだけどね。あ、オープニングパーティもあって参加してきました。がっつり食べて呑みましたw ありがとうございます。

横浜トリエンナーレはね、ざっくりと言うと、各々のアーティストとかグループでもいいけど、そういう単体をつぶさに観てみるといいんですよ。おもしろいところ発見できるんです。というか、すんげえ面白い人がいてね、それ、山根に見て欲しかったわー。

山:へー。まだ終わってないんで行けるかもしれませんが。でも、単体として面白かったってのは、つまり括りとしてわかりにくいってことなんか。

武:なんつーかなー、全体としては「外してる」感が否めない。ヒジョーに残念だ。。。ひとつひとつを粘着的に観る気概のある人じゃないと楽しみにくい感じがしたんですよ。こういう大きな展示ってのは、どれだけその単体の魅力にアクセスしてあげるかの導線をディレクションすることでしょ?

山:うーん、そういうのもあるかもね。今回の横トリのタイトルが、「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」ですね。

武:もうね、それがダメ。いや、分かるよ。

山:そもそも華氏451の芸術とは、って話だが。

武:その本、読んでねえしw 文脈的な表題だけどさ。

山:文脈わかんないとわけわからんな。僕も知らん。

武:その割には「文脈」でもなかったし。けど、なんつーか「割と社会派にしてみました」、みたいなものは感じたよ。

山:なるほど、文脈依存が過ぎて、今とのリンクがいまいち伝わらない、って感じか。

武:文脈とかさ、どうでもいいんだよ。いや、よくないけどさ。要するにね、「アートって未来こうなってくぜ!」みたいな何かワクワクするものが総合的に決定的に欠けてたのよ。

山:「今の現状」を「今の美術界」に精通している人間が、「今」を文脈化するとこうなる、ってことなんかな。わかりにくいが。

武:もしそうだとすると、非常に優れた「美術業界リアリズム展」ということになるけどね。

山:それならそれで興味深い。

武:そんなん普通観たいと思わないよw

山:そうかなw おもしろそうやんか。

武:けどな、一部確実に変な人が混じっていて、ヤバさはあるんよ。

山:それはそれで良かった、と。

武:「忘却」がテーマだとしてもね、それがこれから生きていくこと、生きていきたいと思うこと、とどう結びつけるか、だと思うんだよね。それが総合的には皆無に等しかった。

山:「世界の中心には忘却の海がある」というのもタイトルになってるんやね。

武:だったら、「忘却とは何か」について徹底的に突っ込むとかあるじゃん! そうでもない。忘却ですらない。ノスタルジーでもない。掃除してたら昔の写真が出てきたってことより弱い。

山:忘却の本質を垣間見せてない、ってことか。

武:なんかな。観る側に任せる。という自主性を重んじたディレクションというより、ただ散らかってるだけ、みたいな。

山:「忘却」なんて言われると、僕はすごく興味は持ちますがね、言葉として。それが表現としてどう現されているか、ってのは観たい気はする。

武:パラパラと散逸してしまった観はあるかなあ。けどね、きっとね、そういう理屈の部分というよりも、全体的に「うわーっ!!おもれー!!」っていうエネルギーみたいのがなかった。なんかそういうのって一番先に感じるじゃないですか。テーマとかそういう問題じゃなくて。湧いてくる何かがあるかどうか。みたいな。

山:なるほど。それすごくむずかしいんやろな。意図して出来るものではなし、結果として出てきた、みたいなことが総合展にはよくあることやったりするんかも。

武:間違っててもいいんだよねテーマなんて。

山:それこそ最初の話やないけど、それが出来ると伝説の展示になったりするよね。無意識の領域に触れてしまった、みたいな。むしろアーティストってそういうことやったり。

武:個々ちゃんと観れば面白いんですよ。それは言えると思います。

山:伝説で思い出したけど、「歴史の門前で跪く」って昔の誰かが言っていた。つまり、「歴史化」される手前でほとんどが消えていく、と。それって、芸術家の業を見事に言い現した言葉だと思うが、ひょっとするとそういったこと自体が、もう古いのかも知らん。

武:なるほどね。そうすると「歴史化は誰がするのか?」って思うよね。単純に派手なの並べてた訳ではなかったからね。そういう「歴史化」に対するアンチテーゼがあってのディレクションなのかも知れない。それはそれは深い考えでは、ある。

けどね、トータルディレクションはちゃんと「匂い」を放たないとならない気がするんですよ。その「匂い」の形成が失敗してるというか作れてなかった感を僕は印象として抱いたんです。

山:なるほど。では、BCTIONに移ってみよう。いきなりですが。

●【BCTION】レポート

武:俺は横浜トリエンナーレを観たけど、山根はBCTIONを観に行ってたんだね! って、この展示があったこと自体割と最近知ったんだけど。。山:たまたま知り合いが参加していたからフェイスブックで見て、そうやなかったら知らんかったね。

ハマダラカ
< http://hamadaraka.tumblr.com/
>
<
>

何が言いたいねんw いや、わかるけどな。

武:あー、エルエム参加してるのか! この子たちのインタビューはまあ真性の天然なので放っておきましょうw へー、行きたかった! 終わっちゃったんだっけ?

山:またやってるんちゃう? アンコール開催。告知もそんなやってなさそうやけど、たくさん来たんやね。

武:なんでだろう? 取り壊すビルで展示してるんだよね。そのアプローチ自体は変わってるわけではないし。

山:確かにさほど新しいところはない。なんやろ。SNSの発信力とかか。

武:そういうことなのかな? けど、横浜トリエンナーレだってSNSでガンガンやってたし。

山:世代の問題ちゃうの。

武:世代の問題かな? なんか、コミュニティ違いじゃね? 確かにBCTIONの方が若そうだ。けど、エルエムとかいるってことは駒場寮とかにもいたわけで、なんとなくストリートというかグラフィティというか、そういうコミュニティなんじゃないのかな?

山:コミュニティはあるんかな。実際グラフィティ系のアーティストが多かったと思う。でも横トリと比べると、世代とちゃう?

武:横トリのディレクターが森村泰昌氏だとすると、確かにオッサンと若者というコントラストをつけることは可能だけど。美術業界的なコミュニティと、オルタナティブ的なコミュニティの違いなのかなあとか思ったけど、それって要するにジェネレーションになっちゃうのか?

山:ジェネレーションも多分に関係してくるとは思うけど、、、ってそれって「盛り上がり感」の話ですよ。あくまでも「感」ね。どっちも世代関係なく行く人は行ってるやろし。

武:で、観に行ってどうよ?

山:うん、良かったですよ。良かったって、作品が良かったってことでもないのかもしらんけど、なんて言うのか、、、パッションが良かったw パッションて! 自分でつっこむけど。

武:いや、そりゃ横トリだってパッションはあるでしょw 

山:観てないんで比べれないですが、エネルギーみたいなの感じない、って言ったやん。

武:ああ、まあね。全体的な雰囲気というか、「何か」気になるよね、BCTION。誰がどうとかじゃなくて。

山:ライブペインティングとかイベントは行ってないのでわからんねんけど、横トリと逆に、個々の壁画なり作品自体は正直「へー」って思うぐらいなんです。でもけっこうな面積の壁に描くってとても大変なので、よくまあそれやったな、と。「DIY精神のもと」って言ってるぐらいやから、ノーギャラか、もしくは微々たるぐらいで。そこを考えずにやってしまえる、そこがいい、という。

武:あーね。分かるよ。分かる。

山:昔の自分たちの感覚とまったく一緒か、とても良く似ていた。時代もそう、結局変わってない、みたいな。

武:俺たちと「まったく一緒」は分かるんだが、「時代もそう」って?

山:あ、時代と違うか。アーティスト、だけじゃないけど人が社会に対してアプローチしていく姿勢は変わってなくて、「対社会」っていう構図があって、それは魅力的だと。

あと、失われていくものに対するはなむけなのか、そういった場に独特の空気が流れて人が集まってくるというような祝祭性。そういうのは変わんないんだけど、変わったとこもあるか。

武:どう変わったと?

山:起きていること、起こしていることを広めやすいよね。前よりは。それをまとめる人がいてこそだが。

武:気になるのはBCTIONの作り手・描き手たちはそれで食っているのか、食っていくのか、ということかな。主催者も含めて。

●連綿と続くもの

山:どうなんやろなあ、それはわからんが。で、BCTIONのおもしろさは、もちろん絵の展示なんだけど壁メインなんですよね。そこがちょっと違う。つまり、壁画のインパクトを伝えている「壁画展」なんやね。

武:壁画はやっぱり面白いよね。けど俺がなぜ今壁画を描いてないかというと、壁画では食っていけないと心底思ったからなんだよね。壁画そのものが食えないって意味じゃなくて、たまたま俺が食えなかったってことだけど。

山:空間を掌握するという意味では、壁画は強い。

武:そうだね。

山:そのインパクトを上手く使っている、ってことなんやろな。描いているものは僕らの時代となんにも変わっていない。そこが不思議やし、なんかなあとも思うし、いいねとも思う。という感想。

武:それを今後30年続けるにはどうしたらいいかって俺は考えたりするんだよ。70歳過ぎてもやれること。

山:そう言えばハマダラカの魚の絵は、武さんとタケヲが描いた新宿の最初の絵と似てへん? それフォーマットだろ、って思た。
< http://cardboard-house-painting.jp/mt/archives/2004/09/post_118.php
>
< http://cardboard-house-painting.jp/mt/archives/2004/09/2_1.php
>

テイストは違うけど、同じものを感じる。そういうとこにいってしまうという。

武:そうなると、新宿の作品はその後の世代の無意識的な絵画トレース元となってるわけか。もし本当にそうだとすると、当時俺たちが望んでいた「本当にすごい絵画(芸術)」ということになるな。

山:さらに昔にフォーマットはあるんかも知らんがねw

武:なるほど、連綿と続いている「無意識の文脈」が存在するわけか。それは面白いな。

山:そういうものを感じてしまう。

武:だとすると藝術の本流はこっちだな(笑)

山:いや、むしろそれ藝術とは関係ない可能性ないか?

【横浜トリエンナーレ】
『華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある』
< http://www.yokohamatriennale.jp/2014/
>

会期:8月1日(金)〜11月3日(月・祝)※休場日:第1・3木曜日
開場時間 :10:00〜18:00
主会場:横浜美術館、新港ピア(新港ふ頭展示施設)
入場料:ヨコハマトリエンナーレ2014単体券
当日券大人1,800円 大学・専門学校生1,200円 高校生800円
連携セット券
ヨコハマトリエンナーレ2014+創造界隈拠点連携プログラム
[BankART Life IV/黄金町バザール2014]
当日券一般2,400円 大学・専門学校生1,800円 高校生1,400円

【BCTION】
< http://bction.com/
>
※ アンコール開催
9月27日(土)13:00〜20:00
9月28日(日)13:00〜20:00
場所:東京・麹町の某オフィスビル 全9フロア 1フロア平均250平米
来場方法 完全予約制(無料)
< http://peatix.com/event/52584/
>

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/さいたまトリエンナーレにゲスト出展する見込み】
地元上尾にあるアウトドアカフェ「山小屋」にポストカード置かせてもらってます!
< http://d.hatena.ne.jp/Take_J/20140918/1411029114
>
9.24山小屋水曜マルシェも無事終了いたしました!
< http://d.hatena.ne.jp/Take_J/20140924/1411548855
>
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【山根康弘(やまね やすひろ)/忘却の酒】
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