羽化の作法[02]たまたまなのだが続けるしかない
── 武盾一郎 ──

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段ボールハウス絵画を実際に描き終えてみて、最初の「描きたい」気持ちが収まったかというと、まったく違いました。描いたあとに「一回ポッキリ描いて、これではいおしまい。ってワケにはいかないなあ」という感覚が湧き上がってきたのです。

新宿西口地下道に何軒も並んでいる段ボールハウス群。たった二軒だけ絵を描いても何にもならない。何より、「絵がもっとないと!」って強く感じたのである。

もし、いわゆる「都市のどこかの壁」に書いたんだったら違ったかもしれない。書いて逃げれば、「書きたい!」衝動は昇華できたのかもしれない。

何が違うのかというと「ことわって描いた」からかも知れない。人と関わってしまったのだ。それもホームレスの人たちと。未知の扉を開けてしまったような感覚。それで、次の日にもまた行くことにしたのだ。

新宿に行くのは最初の頃は夕方から夜だった。一晩制作して翌朝帰る。それは、まずは通行人とトラブルを起こすのが怖かったからだ。それから暑かったので夜にしたというのもあった。

そしてもうひとつ、夜に描いていた理由は通行人に風景の変化を見せたかった。通行人にしてみたら、前の日になかったもの(絵)が、次の日に突然現われる、となるわけで、それがどんどん増えていくのは面白いだろうなあと思ったのだ。

でも描いて行くうちに昼夜逆転生活は何かとしんどく、最終的には昼に描くようになる。9月14日まで休みなく制作し、描き始めた「(8月)14日」を記念日として一か月に一日だけ休日として制作するのだった。




●描き方と制作スタイル

絵の描き方は、現場で段ボールハウスと対峙して「絵」を浮かび上がらせていくという、アイデアを持って行かないやり方で進めた。自分のアイデアを「場」に押し付けるのではなく、「現場で描くものを決める」という行き当たりばったりのやり方だ。描きながら考えてゆくのだ。

家で考えてくるという「宿題」が苦手だったからというのもある。しかし何よりも、あらかじめプランを立ててもここでは無意味な気がしたからだ。これは僕の制作の重要な基点となる。

ところで、新宿西口地下道段ボールハウス絵画はいわゆる「グラフィティ」と混同されそうだが、自分の中ではグラフィティとはまったく違うものなのです。

グラフィティは自分を表現するもの、名前とかメッセージみたいなものをマーキングして「書く(write)」自己表現行為です。

だけど、僕らがやった段ボールハウスに絵を描く行為は、「そこにあるもの(あるいは見えてきたもの)」をペンキで「描く(paint)」んです。自己表現に見えるけど「自分」を表現してないんです。ある意味、「受け身」なんです。この感覚は段ボールハウスに描いて初めて覚えた体感でした。

気持ちとしては以下のような宣言になる。

[僕らの絵は段ボールハウスを変身させることではない。「本当はこう在ったに違いない」という姿に段ボールハウスが成る、その為のペインティングなのだ。段ボールハウスが内在しているものを描きおこす。それが成功すると段ボールハウスはこの新宿西口地下の空間に「ハマる」のだ。]

随分とエラそうなことを言ってるけど、当時の僕は本当にそう考えていたのだ。

そしてもうひとつ重要な制作スタイルがある。それは、同一画面に同時にお互いが筆を入れて共同で仕上げて行く方法だ。この描き方はとても楽しかったし刺激的だった。

なんでこの同一画面での制作作業を重んじたのかというと、バンド活動をしていたからだった。僕はベースを担当していたのだが、バンドではほぼ100%ジャムセッションから曲を作っていた。

使ってないガランとした倉庫を借り、メンバーが集まるとセッティングを始めて思い思いの音を鳴らす。「なんかいいな」って感じたらその音に誰かが音を重ねる。乗ってくるとしばらくその演奏を続ける。

そういう無方向無目的の自然発生的な曲作りだった。録音しておいて聴き返して面白いところを採用していく。時間はかかったけどそれが凄く楽しかったので、その方法を絵画にも活かせないだろうかと常々思っていたのである。

芸術的才能を持った誰か一人のアイデアに従って作品を製造するのではなく、関係性がやがて創発になることを目指すプロセス重視の作品作りである。

実際に僕らは段ボールハウスに絵を描くことに夢中になった。タケヲの絵筆の動きや、生まれてくる絵の生々しさをバンドのセッションのように全身でビンビン感じたのだった。

●偶然のアートプロジェクト

新宿の段ボールハウスに描くことができたのは「偶然」でした。たまたまいろんなことが合致したのです。

現場で感じたことをジャムセッションのように協働で描く方法。反応が即座に返ってくるストリートというメディア。ホームレスの人たちの家である段ボールハウスに描くという社会性。そして、人間の存在の意味を問う哲学性も見い出すことができるだろう。

これら自分たちが行っている段ボールハウス絵画という状態は、言語化できない自分の藝術観とピッタリと合った。描き始めてすぐ「自分はこれがやりたかったんだ!」と分かった。

最初に上尾の喫茶店であれこれ考えてひねり出したアイデアが実現できなかったことによって、自分の本心に辿り着いた感じがしてとても不思議だった。不本意ながらやってみたらそれが答えだった、というニュアンスだ。

それから、「与えられた課題に高得点で応えるのが藝術なのか?」という疑問が自分にはずっとあって、それに対する答えが見つかった感じもしたのだ。

彩光舎で絵を描くことによって自分は救われたのでとても感謝してるのだけど、「世界観を持つ人」は受験で失敗してる感じがしてた。課題に上手に応える「要領の良さ」が大学の合否を別けてる。業務処理能力を問われる職種ならそれでいいのだろうけど、果たしてそれは「藝術」を高めるのだろうか?

そんな偉そうに美術制度を批判するのなら、「自分なりの藝術」をやってのけないとダメだ、とジタバタしていたので段ボールハウスに絵を描いた時、「これが自分なりの藝術だ。ああ、ひとつ本懐を遂げることができた!」と思ったのだった。

この偶然だらけの体験が強烈だったので「計画通りにことが運ばないほうが、より良い結果を生みだす」と信じるようになり、のちのち「コンセプトや計画を打ち立てない」、「直感と偶然に頼る」の極端な方向に突っ走ることになり、結果、10年余り落ち込むことになるのだが。

●最初の苦労

最初の一件目はたまたま描かせてもらったけど、これがなかなか「描いてもいいよ」とは言ってはもらえなかった。最初の頃に苦労したことのひとつが絵を描く許可を得ることだった。飛び込み営業をやるわけですから、それはそうでしょうけど。

一軒描き終えたら、違う段ボールハウスをノックする。「俺の家に絵なんか描くな」「絵? いいよ、いらねえ」……なかなかOKしてくれるところはなかった。

それでも描かせてくれる段ボールハウスが見つかるまで次々と聞いて回り、「ああ、いいよ」と言った家主がいたら、すかさず新聞紙を家の周りに敷く。

「いいよ」って言ってくれた人もなんとなく「でも、描かれちゃうのやっぱりイヤかな」と迷う人もいるだろうからすぐに取りかかる。「何が何でも絵を描く」というパワーで家主が心変わりする前に描き始めるのだ。

段ボールハウスの側面の壁に絵の具を乗せ描き始めると、その後は集中して休まずに描き続けて行くのだ。

集中の密度が途切れるとおっちゃんたちは話しかけてくる。「俺にも描かせろ」と筆を持って行かれそうになったりもする。

「僕らはホームレスの人たちとおしゃべりをする為にここに来てるのではない。絵を描く為にここに居るのだ」という意思を描く集中力で示す必要があった。なので人を寄せ付けないくらいの勢いで描いてないとならなかった。

ホームレスとは「命」に直接関わる状態であると言える。その場所に絵を描くのだから僕らは「命がけ」で絵を描かねばならない。それがこの場所で生きて行く作法だと思ったのです。

今思うと、もうちょっとうまいやり方がありそうなんだが、当時はそれしかやりようがなかったのである。(つづく)


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