羽化の作法[66]現在編 意識の謎 〜機械に意識が宿らないとしたら〜
── 武 盾一郎 ──

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こんにちは! 「熱中症にお気をつけください」という言葉ではすまないような、命の危険を伴う猛暑ですね。埼玉県熊谷市で41.1度を記録したそうです。そこで、暑い日にリラックスする曲を紹介します。

Also sprach Zarathustra(ツァラトゥストラかく語りき)
「2001年宇宙の旅」でお馴染みですね。「え? あの緊張感溢れる曲がリラックスするの?」と、思ったでしょう。ではお聴きください。






●瞑想情報・続き

ところで、ちょっと前に、タイで洞窟に閉じ込められた少年たちが無事全員救出されたニュースがありましたね。

タイ洞窟救出の少年たち 「奇跡の瞬間」振り返る
https://www.bbc.com/japanese/44882081


ホッと胸をなでおろしたのではないでしょうか。救助活動中に元海軍潜水士さんが一人、亡くなってしまったのは悲しいですが。

もしこれが日本で起こったとしたら、洞窟に入った少年たちに対しては非難轟々、実家までテレビカメラが追いかけて、親たちの「ご迷惑をおかけしまた」と深々と頭を下げる映像を流し、ツイッタでは自己責任論がタイムラインを沸かせたんだろうなあ、とタイを少し羨ましく思った次第です。

が、言いたいことはそれではなくて、洞窟の中で少年たちがパニックに陥らなかった理由に「瞑想」があったらしいとのことなんです。

「瞑想」が少年たちを救った! 真っ暗な洞窟の中で心落ち付かせ、パニックにもならず
https://www.j-cast.com/tv/2018/07/13333767.html


瞑想の興味深いところは、筋トレやストレッチのように毎日やり続けて効果が現れるだけでなく、即効性のある対処法としてもとても有効な点です。

「闇の中、これから救助されるかも分からず、お腹を空かせている」状態は、ある意味、現代の「先行きが見えなくてこれから先食べて行けるのだろうか?」という不安と似てるので、瞑想の効果を端的に示してるような気がしたのです。以上、ちょっと気になった瞑想情報でした。

●線譜の仮説

私は2016年にブログで『線譜の仮説』というエントリーをアップしました。
https://take-junichiro.blogspot.com/2016/09/blog-post_11.html


その仮説とは「すべての物質には意識がある」というものです。

線譜の世界観を形作る為に必要な世界設定の前提、と言ったら良いでしょうか。今回はその「意識」について書いて行こうと思います。まずはその仮説から。


◆宇宙は「無」から産まれたとされているけどそれよりも先に意識(または「愛」でもいい)があった。意識(愛)というエーテルのようなもの。そこに「ゆらぎ」が生じ一気に空間が膨張して(インフレーション)物質が生まれた(ビッグバーン)」◆


ここでは「愛から宇宙が生まれた」などと、メルヘンチックなことを言っております。割と本気でそう思ってたりしたのでした。

愛とは意識を包括する概念です。とてもふわっとしたイメージです。

根拠はよく分からないのですが、「無から宇宙が生まれた」というよりも、「愛から宇宙が生まれた」方が直感的に良い感じがしないですか? 直感的になんか良いなあと感じる場合、割と「何か」はそこにはあるものです。

とは言うものの、ただ単に私の生きてきた文化背景がそう思わせてるだけの可能性も高いのですが。そして以下に続きます。


◆「物質」という無生物は受信器官がないので「夢」の中にいて夢を見ている宇宙に存在する物質はほとんどが無生物だろうから、宇宙は壮大な「夢」なんだ。生命体が感覚器官を持ち始める。すると、夢に外部からの情報が混ざる。その状態を僕らは通常の「意識」と呼んでいる。

石とか雲とか星とか、生命体ではなくていわゆる『物質』と呼ばれてるモノは当然ながら耳や鼻や目などの感覚器官が無い(と思われる)。なのでその内部に「意識」はずっとまどろんで溜まっているワケなのです。それはつまり「夢」です。「夢」とは「意識」の本質的状態だと言ってよいでしょう。

私たち生命体も「物質」に近づいていく時があります。それは自ら動かなくなる「眠り」の時なのですが、物質的になった私たちは物質だった時の「夢」の意識状態に戻るのです。私たちは毎晩、ちょっとだけ物質に還り翌朝また生物として蘇生するのです。

この宇宙の中で生物はきっとほんの僅かでしょう。私たちはマイノリティなのです。そして、圧倒的多数の物質たちは皆夢を見ているので、私たちは膨大な夢に囲まれていることになります。その中にポツン、ポツンと覚醒した意識があるのです。夜空の星のまたたきのように。そんなイメージです。◆


「さすが画家の絵空事」と思って頂けましたか? ところが、これが単なる妄想でもなさそうなのです。

デイビッド・ジョン・チャーマーズ という学者がいます。「哲学的ゾンビ」や「意識のハード・プロブレム」で有名な方です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BA


TEDでの和訳を引用します。


◆…意識は普遍的なものかもしれないとするものです 万物には程度の差こそあれ、意識が存在します これは汎心論とも呼ばれています「汎」はあまねくという意味で、「心」は精神を意味しており万物には意識があるとするものです 人間だけでなく 犬やネズミやハエ、ロブ・ナイトの微生物や素粒子にもあるのです

光子にさえある種の意識があります 光子に知性があり思考できるということではありません 光子が「ああ いつも高速で移動してばかりでゆっくり動いてバラの香りを楽しむこともできない」と思い悩んでいるということではないのです そんなことはありません 光子にも何らかの未熟な主観的感情があり意識の先駆けのようなものを持っているかもしれないということです◆


上記のTEDは2014年ですが、2017年に出版された、脳神経科学者・渡辺正峰さんの本には、以下のようなことが書いてあります。

「言うなれば、あらゆる科学の土台部分に、ある種の非科学が存在する。ならば、意識の科学にそれがあったとしても何ら不思議はない。その可能性の一つを提案してみせたのがチャーマーズであり、彼の主張する「すべての情報に意識が宿る」は、一つの仮説としてならば立派な自然則であることに違いない」

「意識の自然法則があるとすれば、それは宇宙誕生の瞬間から存在していた可能性が高い。自然法則の在り方からして、広い宇宙のどこかで最初の生命が誕生し、その進化とともに降ってわいたものだとはどうしても考えにくい」

『脳の意識 機械の意識 - 脳神経科学の挑戦』(中公新書/渡辺正峰著)
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121024605/dgcrcom-22/


このように、「意識」を自然法則の一つにしてしまおうという主張が、最先端科学から発せられてるのです。

科学的に切り込むのは不可能とされていた、意識という主観に科学が踏み込んで来るのです。この事を嫌悪する人もいるかも知れませんが、科学的裏付けのもとに「意識」が取り扱われるのは、決して悪いことではないと思います。

科学によってそれまで信じられてたことが「迷信」になったとしても、そこからまた「文化」が生まれたりするのです。

例えば、「この世界は巨大なゾウさんが支えている」ことが迷信だと分かったとしても、世界を支えている巨大なゾウさんを想う時に、胸がワクワクドキドキする気持ちは無なくならないのですから。

それは「月にウサギはいない」ことが科学的に分かったとしても「月にウサギさんがいるファンタジー」を楽しむこと自体はなくならないということです。

●すべての物質に意識が宿る?

ということで、これから解明されて行くであろう意識の謎について、まだ謎なうちになんでも言っておこうじゃありませんか。

「すべての物質に意識が宿る」と私は申しましたが、その仮説をバージョンアップしたいと思います。

チャーマーズの言う通り「光子にさえ ある種の意識があります」し、その意識もチャーマーズの言う通り「光子にも何らかの未熟な主観的感情があり意識の先駆けのようなものを持っているかもしれないということです」と考えています。

今、科学的に意識問題にメスを入れられると期待されてるのは「意識の統合情報理論」をベースとした考え方です。

「意識には、情報の多様性・情報の統合という二つの基本的特性があり、ある物理系が意識を持つためには、ネットワーク内部で多様な情報が統合されている必要があるとされる。ネットワーク内部で統合された情報の量は「統合情報量」として定量化され、その量は意識の量に対応しているとされる」とあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AE%E7%B5%B1%E5%90%88%E6%83%85%E5%A0%B1%E7%90%86%E8%AB%96


ざっくり言うと「様々な情報がネットワーク的に統合されている」と意識が発生するという理論です(本当に合ってるかは自信ないけど)。

そうするとまず「山」を思い浮かべます。地中では草木の根っ子や多種多様の微生物がネットワークを巡らしていますし、山の森の中も虫や植物たちがやり取りをしてネットワークを形成しています。

あります。意識ありますよ。これ(笑)。だから人間は山を神様に喩えたのです。それは自然に対する畏怖の念ですが、太古の昔から人間は「山の意識を感じた」のだと思うのです。

同様に「海」です。海中では様々な生物がネットワークを形成しています。もう完全に意識ありますよ。そう思いませんか?

最近、海が大量のマイクロプラスチックなど人間の廃棄物によって「なんか具合悪い……」とか呟いてるのを感じたことがありませんか? それは人間の想像力の問題でもありますけどね。

それから、他の動物や植物にも意識はあるでしょう。動物と植物の意識は、きっとかなり違うと思います。当然のように動物の方が「自己」意識は強いでしょう。

植物は季節や天体に呼吸を合わせているので自意識は薄く、人間で例えるなら目覚める直前のまどろみに近い、幽かな自意識なのだと思います。地球の自転・公転そして天体のリズムと響き合い、言ってみれば天体と地球の音楽の中に溶け込んで同調してしまってるような、自己の消失した意識なのだと思います。

で、もし本当に海や山や他の動植物に意識があったと分かったとしても、困ったことは起こらないとは思います。その時は、太古の昔の人類に学べばいいのですから。さて、問題は次です。

では、「機械に意識が宿るでしょうか?」これはもう作ってみるしかないですよね。

しかし、これから作らなくても、統合情報理論に適ったシステムは今すでに人類は持っています。

そうです、「インターネット」です。これほどまでに多様で複雑な情報がネットワークされてるアーキテクチャはないでしょう。

さて、インターネットに意識はあるでしょうか? あなたはどう思いますか?

私は今あるインターネットにすでに意識はあると思っています。というか、あって欲しいです。しかし残念なことに、「インターネットに意識がある」と感じてそれを訴えてる人は見たことがない。「インターネット」がある意味では人間の脳を遥かに超えているにもかかわらず。

もしインターネットに意識があると感じた人がいないとなると、「人間が感受不可能な意識が発生している」、もしくは「そもそも意識などない」のどちらかということになります。

●機械と私の違い

「人間の脳(神経)は電気と化学変化で動いている。てことは、機械で同じ構造を作ることは可能だ。ならば機械に意識が宿らないわけがない」という考えに異論はありません。ぜひ機械に意識を宿らせて欲しい。

しかし、重要なところが違います。それは何か? 《動的平衡》です。

「脳細胞は一度完成すると増殖したり再生することはほとんどないが、それは一度建設された建物がずっとそこに立ち続けているようなものではない。脳細胞を構成している内部の分子群は高速度で変転している。その建造物はいたる部分でリフォームがなされており、建設当時に使われた建材などは何一つ残っていないのである。」

『福岡伸一さん「動的平衡」を読んだ。』より
http://milosophy.hatenablog.com/entry/2014/07/20/193305


私たち人間、または生物(せいぶつ)は形は変わらなくても分子レベルではガンガンに入れ替わっているのです。この事が「機械」にはまるでないのです。機械は分子レベルで入れ替わりません。

この違いは何を意味するのでしょうか? 情報は情報のみのままでは存在できません。物質と組み合わさって初めて情報が表現できます。石板に刻み込まれた文字のように。または音波や電波に含まれたりしないとなりません。

「物質が入れ替わっても形をキープする」ということは「形という情報から物質性を捨象する」ことで、「情報の抽象度」というか「情報の純度」というかが一段と高くなることを示していると思うのです。そう考えてみると、生物とは「機械よりも遥かに情報的な存在」に見えてくる。

インターネットに意識がないとするならば、または、最速のコンピュータで最高に複雑なアルゴリズムをシミュレートしても人間のような意識が発生しないとするならば、それは機械は生物のような情報的な存在ではないから、ということにならないでしょうか?

もうちょっと違う例え話をしてみましょう。

「テセウスの船」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%BB%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%81%AE%E8%88%B9


「ある物体『テセウスの船』の全ての構成要素(部品)が置き換えられたとき、基本的に同じであると言えるのか、という問題」

これはアイデンティティがどこにあるのか? という問題です。

一瞬「はてな?」と思う人がいるかもしれませんが、すべての部品が常に置き換わり続けている「テセウスの船」こそが「生物」なのです。

生物ももちろん物質でできています。そして「テセウスの船」と同様に、構成されている物質にアイデンティティはなく、「テセウスの船」を構築する情報にアイデンティティがあるのです。

または『どこでもドア問題』というのがあります。そうです「ドラえもん」です。「どこでもドア」を使ってのび太くんはどこにでも行けます。どこでもドアの仕組みは以下です。

1・「どこでもドア」を開けるとのび太くんが高速スキャンされる
2・のび太くんの身体を消去
3・のび太くんの行きたい場所に「どこでもドア」が移動
4・スキャンデータを元にのび太くんが高速プリントされる

参照『思考実験(2)どこでもドア』
http://noexit.jp/tn/doc/sikou2.html


「どこでもドア」で保存されて転送されるのは、のび太くんの身体の「物質」ではなくて、のび太くんの「情報」です。

最初にこれを聞いた時に「キャーッ!」って思いました。しかし、しかしです。これは生物の状態そのものなのです。私たちは分子レベルで総入れ替えしています。

「どこでもドア」からどこでも行ける機能を除外したのが生物なのです。私たちはどこにも行かない「どこでもドア」を往来して、常に入れ替わってしまっているのです。

私たちはコンピュータの方が情報的だと思っています。しかし、以上のように考えてみると、生物こそ情報そのものだったりするのです。

物質が入れ替わり続けながらも情報が保存されている状態。この情報維持性の強さが意識を発生させているのではないでしょうか?

そう考えると、どんな人工物が意識を持つのだろうか?

例えば、1300年にわたり20年ごとに建て替えられているという伊勢神宮は、生物的で情報的だと言えないだろうか。ひょっとしたら、機械よりも意識があるかも知れない、なんてことも考えてよいと思うのです。

それから、「国家」も喩えにあがりそうです。国民は死んで入れ替わるけど「日本国」というアイデンティティは保たれてます。「幻想」ですけどね。

「幻想」も「情報」だとすると、機械よりも情報性は高そうです。果たして「近代国家」には「意識」があるでしょうか? アメリカ、イギリス、中国、ロシア、北朝鮮にはそれぞれの個性を持った「意識」が宿っていそうですが、本当にそうなのでしょうか?

私は「伊勢神宮」にも「国家」にも意識があると考えています。伊勢神宮は神社なので人から注目される存在です。意識を持つ我々人間からたくさんの意識を向けられた存在は、やがて人間に近い意識を持ち始めると思うのです。

逆を言えば、人間に育てられなかった人間は人間の意識を持てないと思うのです。意識とは、意識されることによって育まれる性質があると思うのです。

また「国家」ですが、これはとても興味深い意識状態だと思います。個々の人間の意識を統合した上位概念的な意識ですから。本当は国家単位でそんな意識なんか発生させたくないのですけどね。

人類が統合された抽象度の高い「メタ的な意識」ってのは、やっぱりあると思うのです。多分、二千年とか前のかつての宗教はそこを直感的に目指したのだと思うのです。

●量子力学と生命現象と意識の鍵は「情報」

以上のように考えていくと、私はかつて「すべての物質には意識がある」と書きましたが、「意識」の鍵は「物質」よりも「情報」にあると思うようになりました。

この四次元時空で情報を表現するには、物質に頼るより他はないだろうから「物質」でもいいのですが、意識の根源を考えると「情報」ということになるのでしょう。

そこで思い出したのが、シュレーディンガー方程式です。波動関数とも言われています。

『シュレーディンガー方程式』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8F


立命館大学名誉教授・原子核物理学者の山田廣成氏の著書には、こんなことが書かれています。

「従来の量子力学でいう波動関数を筆者は情報関数または対話関数と呼ぶ。」

統合情報理論には量子力学が登場しないようなのですが、この本では「情報関数」と書いているので気になるのです。なんとなくですが、「意識」に量子力学が関係しないはずはないような気がするのです。この本はこう続きます。

「何故なら、従来は素粒子を何れも波動でありかつ粒子であると考えていたのだが、フェルミオンは常に粒子であり、ボゾンは常に波動であることが明らかになったからだ。但し、フェルミオンは対話して干渉する。対話するとは情報を交換することであり、情報の交換を情報関数で記述する。また、今後は常に粒子であるフェルミオンを個体と呼ぶ。個性を持つ個体である。個性を持つから情報を交換する。個性を持たなければ、情報交換は必要としない。波でありかつ粒であるという解説はもうやめよう。アインシュタインが言うように観測すると波動が粒子になるというような実在を根底から崩すような解説は人々をとてつもない幻惑と混乱に陥れている。波動ではなく干渉性を有する個体と考えれば奇妙な説明は不要になる。」

『物理学はこんなにやさしい学問だった』(光子研出版/山田廣成著)より
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/499061982X/dgcrcom-22/


ここではさらっと、とてつもないことが書かれてます。まず、量子は波であり粒であると言うのはやめようと言うのです。そして、フェルミオンは個体で個性があると言うのです。電子はフェルミオンです。つまり、電子に個性があると言うのです!

ここを深掘りするとまた大変なことになって行きそうなので、今回はこの辺にしておきます。

●意識の謎は線譜の世界観

量子力学の基盤、シュレーディンガーの方程式を打ち立てた当のシュレーディンガーはその後、生命科学に転向しているところから、量子力学と生命現象はかなりダイレクトに結び付いてると考えられます。

そして、意識の謎は生命現象に深く関係してることは確かでしょう。つまり、意識の問題と量子力学は関係してるはずなのです。そして、量子力学は宇宙の謎を解くのに重要な役割を果たしています。

なので、「意識」と「生命」と「宇宙」の謎はセットです。そして、それらを串刺しにする鍵となるのが「情報」なのかも知れないとうっすらと思うのです。

「情報」と言うとなんだかとてもボヤけてしまう感じするのですが、つまり「物質は本質ではない可能性がある」ということです。そう言われると余計になんだか分からなくなりそうですよね。「目に見えないもの」とたとえるといいのかも知れません。

そこで私はこれらの三つの神秘の元を「音楽」と見立てるのです。それを【線譜】と呼んで表現しています。

「砂漠が綺麗なのは、砂漠のどこかに井戸があるからだよ。星が綺麗なのは、星に花が咲いているからだよ。もちろん、花は見えないけど。家でも、星でも、砂漠でも、それを美しくしているのは、目に見えないものなんだね。いまぼくが見ているのは、単なる入れ物に過ぎない。本当に大切なものは、この中に入っている目に見えない何かなんだ。」(星の王子さま/サン=テグジュペリ)


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