この絵は2005年スピカアートギャラリー(2011年閉店)で開催した「しんげんち展」でギャラリー外壁に展示した作品です。
この展示では、神戸での出来事をまとめた冊子『KOBE NOTE 1998.1.15-6.22』を展示しました。そこから引用して神戸でのことを綴って行こうと思います。
1997年。僕は東京大学駒場寮に潜伏し、そこで絵を描きながら、新宿西口地
下道に通って段ボールハウスに絵を描き続けていた。
そんな中、ジャーナリストのコリーヌ・ブレから電話があり、被災地に行っ
て制作をしてみないか、という話を持ちかけて来た。
コリーヌの会というのを結成して、神戸の事を話し合っていたらしい。そこ
で、武盾一郎、僕の名前が上がったのだった。その時のメンバーは、
コリーヌ・ブレ(ジャーナリスト)
豊田正義(ジャーナリスト)
西谷修(大学教授)
平井玄(音楽評論家)
辻仁成(作家)
そして、僕は神戸での制作を決意する。意味や意義は分からなかったが、と
にかくそこに暮らしながら制作をしてみることにした。
この KOBE NOTE 1998.1.15-6.22 はスケッチブックと日記である、神戸出発
の1998年1月15日から1998年6月21日「しんげんち祭り」翌日までの手記をま
とめたものである。
2004年11月 武盾一郎(KOBE NOTE より)”
●1998年1月18日
阪神淡路大震災からちょうど三年。私は「しんげんち」での活動を始めました。
最初は市役所前でのライブペインティング。「しんげんち」の片隅に積んである単管とクランプを持ち出して、市役所まで運びます。現場に着くと私はステージ横に勝手に足場を組んで、コンパネを置けるようにしました。
ソウルフラワー・モノノケ・サミットの演奏が始まると、音楽に合わせてをコンパネにぶちまけて、ライブペインティングをしました。
単管とクランプは駒場寮でも劇などで使ったこともあって、好きな素材です。ラチェットを手に持つと、なんとなく得意げな気分になるのです。
この日のライブペインティングで描いた絵を、「しんげんち」で時間をかけて完成させて行くことにしました。
今日ライブペインティングをして、右手の薬指にベニヤの一片がつきささっ
た。痛くてしかたなかったけど、神戸に来てたみんながよってたかって抜い
てくれた。嬉しかった。
1998.1.17.モノノケとのLIVEペインティングを終えて(KOBE NOTE より)
緊急集会 神戸YMCA 2階にて
今、仮設が抱えている住宅問題はゆううつすぎる。そして土地・地区のすれ
違いがあることもとても悲しい。みんな一所懸命なのに、なかなかうまく行
ってないみたいだ。神戸新聞に真実はいっさい掲載されてなかった。
8時頃「しんげんち」に着く。腹ぺこだった。僕のげんこつの1.5倍はあるお
にぎりを3つペロリとたいらげ、スープは2杯のみこんだ。
僕は絵描きである前に人である。人である前に生きものである。
いや しかしそれは同時にかねそなえたものである。
僕はこの神戸での生活をどう過ごそうか、まったく始めから考え直すことを
感じる。(KOBE NOTE より)
ふと新宿の事が気になった。
僕は新宿に住んで絵を描くべきなのだろうか?
僕自身ホームレスと呼ばれなければ あそこに絵が描けないのだろうか?
あそこに住まうことはそもそも可能だろうか?
東大駒場寮に比べれば、自治の完成度は神戸の方が圧倒的に高い。ハタチそ
こそこの子供たちによる、屁理屈の政治ごっことは訳が違う。
駒場両委員会の人たちを仮設か公園に住まわせて「暮らし」と「理論」の大
きな隔たりを感じて欲しいと思った。(KOBE NOTE より)”
●1998年1月21日
けれど神戸は楽しかった。ティンゲリーの作品のようなゆかいなオブジェが
あったり、絵本館があったり、港を眺めるロマンチックな風景があったした。
テント村から神戸駅前へ。僕はこの強烈なコントラストに少しくらくらした。
「神戸」というイメージ通りの神戸だ。新宿のコントラストもすごいが、神
戸の方がおしゃれである。
震災などなかったようにモザイク通りを歩く恋人たち。僕だって恋人とここ
を歩きたい。僕はわざわざ深刻ぶりたくなかった。楽しい所は楽しくてよい。
僕はなぜここに来てるのだろう? これはずっと僕につきまとう謎だ。
真実を求めてさすらう旅人なのか?
僕も役に立ちたい。僕のつくったものが何かを変えられたら。誰かを励ませ
られたら、誰かを笑わせられたなら、誰かにショックを与えられたなら、誰
かを目覚めさせられたなら、僕は嬉しい。絵がもっと全てを支えられたなら。
(KOBE NOTE より)”
●1998年1月23日
「しんげんち」には子どもも住んでいました。名前はみえちゃん。村長の娘さんである。当時小学二年生くらいだったと思う。
村長の田中さんは靴工場の工場長さんでした。震災で家も工場も失ったけれど、行政は何もしてくれなかったので公園にコンテナを置いて、テント村を立ち上げて「しんげんち」という交流の場を作ったのでした。
みえちゃんとの遊び相手が、「しんげんち」での私の主な仕事でした。みえちゃんは時折とても悲しげな表情を見せます。震災後三年経ち、公園から学校に通っている彼女。心の中にはなにかいろいろ渦巻いている感じがしました。
それから、「しんげんち」では毎週日曜日に「お昼の炊き出し」を行っていました。近所の仮設住宅に暮らす人たちが何十人と食べにきます。仮設住宅にも行けずに、公園に暮らす田中さんたちが、支援活動の拠点「しんげんち」を作っているのです。
三浦君という、たまたま「しんげんち」に流れてきた青年がテント村に暮らすようになり、ボランティアをしていました。三浦君は炊き出しに来た人たち全員に声をかけ、ひとりひとりの状況を丹念に聞いていました。
「しんげんち」は行政やリッチな人たちの行う、目立つ支援から取りこぼさている人たちを支援していました。
「ひとりも取りこぼさない」と、村長の田中さんは言っていました。それは途方に暮れるような理想論のように聞こえてしまいそうですが、お偉い為政者のきれいな言葉と違って、ここでは本当にそういう支援をしようとしていたのでした。(つづく)
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