羽化の作法[72]神戸「しんげんち」での活動-2
── 武 盾一郎 ──

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●自己表現とはなにか

私は自己表現がしたくて絵を描き始めました。内面にある鬱積した情念のようなものを、吐き出したくて絵を描いたのです。その強い衝動に突き動かされて、絵筆を握っていたのです。

なのでテーブルの上のリンゴとか、人体とかヌードとか石膏とか花とかを上手に描く、ということに価値を置いていませんでした。「形態の再現」という絵の上手さには関心はなく、自分の内面を吐き出し画面に叩き付けたかったのです。それが芸術だと思っていたのです。

「自己表現」こそ自分のやりたいことで、「自己表現」こそ芸術だと思っていたのです。

私にとって「自己表現」とは「(内面の)状態を表現する」こと。「むき出し」と言ってもいいのかも知れません。表現された「カタチ」は、その結果に過ぎないのです。





なので「絵を描く」というよりも、「作品が状態に成る」という感じです。作品と私の距離感はゼロで、作品も私も「状態」の中に放り込まれて、溶け込んでいるイメージです。

「形を上手に描く」というのは、「状態」を露出することと真逆でした。上手とは、内面状態を包み隠し、コーティングし、嘘をつくことに他なりませんでした。

だから、「上手になってはいけない」と思ってました。上手な絵は嫌悪の対象だったのです。カタチではなくて状態、有形ではなくて無形を指向していたのでした。

ところが、被災地神戸の非公認テント村「しんげんち」の滞在で、自分と作品を引き剥がしたい欲求が芽生えてきたのです。

https://www.facebook.com/junichiro.take/posts/2210386179006257



これまでは「私の存在も作品である」という感覚が強かったのですが、徐々に私自身は作品の外側に置きたくなってきたのです。

つまり、「作品世界」の中に私が棲むのではなくて、「作品世界」を描きたくなってきたのです。

それはどんな世界なのか? ぼんやりとしたニュアンスだけど確実にある。私はそれを描きたい。「状態」ではなくて「世界観」を描きたいと思うようになってきたのです。「状態」と言う底なし沼から抜け出して、作品と私の距離を置きたいと思うのようになってきたのです。

これは「自己表現」から離れていく事でもあったのだと思います。

●自己を手放したところに芸術は在る

現在、私は芸術とは自己表現とは対極のものだ、と考えるようになりました。自己を手放したところに芸術は在るのだ、と信じるようになってきたのです。

それはきっと、神戸での体験が「私(自己・我)」を破壊してしまったからかも知れません。

神戸滞在中、私は「しんげんち」の被災者支援活動を行いながら、ライブペインティングの続きの絵を描いていました。

「一体自分はアーティストとして何ができるのか?」何も分からずに悶々としていました。

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しばらくして私は、「しんげんち」のコンテナハウスに絵を描くことを、村長の田中さんに打診します。

そしてコンテナハウスペインティングの許可を貰い、イトヒサこと鷹野依登久が神戸に駆けつけてくれて、一緒に絵を描き始めることになりました。

ペンキ缶そのまま色を直接使うのではなくて様々な中間色を作り、感覚的に筆の線をぶつけて描いて行く、二人の即興によるペインティングです。

この「しんげんちペインティング」は「内面の放出」、と言うよりも「感覚」による二人のバトルでした。

イトヒサとは新宿西口地下道で出会って以降、東京大学駒場寮で、そしてデザインフェスタビルやラブホテルの壁画などでもコラボレーションしました。

コラボレーションは、同一画面に即興で描いて行くやり方でした。最初はキャラクター的な形態が登場してました。それらを重ねたり発展させたりしていたのですが、何度かやって行くうちに形を作らずに筆の動きだけを描いて行くようになりました。

それによってより感覚的に抽象的に画面を捉えるようになって行ったのでした。

東京大学駒場寮オブスキュアギャラリーでの『世紀末とのコラボレーション』(1997年)

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(キャンバス、壁画ともイトヒサとのコラボレーション。この頃はなんとなくキャラクター的なものが登場している)

『しんげんちペインティング』(1998年)。

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(線と形が交錯して抽象的になっている)

今から思い返してみれば、イトヒサとの即興コラボレーションを繰り返すことで、絵が抽象的になって行ったのでした。

その後「ペインティング」と言うよりも、線で描く「ドローイング」になり、「線譜」に至ります。絵に人物などが登場することはなくなり、抽象的で曖昧な線画を描き続けます。

「線譜」になってしばらくしてから、猫とか人とか風景とか、具体的なものが画面に登場するようになって今に至るのでした。

●新宿西口地下道段ボール村の火事

コンテナハウス「しんげんち」に絵を描くことが決まり、ようやく最高の自分を発揮できるステージが整ってペンティングを始めたその日、一本の電話が「しんげんち」にかかってきました。

電話の主はトカちゃんこと映画監督の土屋トカチ氏でした。「新宿西口地下道段ボール村が火事で丸焼けになってしまった」とのことでした。

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火災の原因は不明だと言う。「段ボール村を良く思わない人による放火か?」一瞬なんのことか理解できずに呆然としましたが、電話を切った後、コンテナハウスしんげんちペインティングに、全身全霊を傾けようと思ったのでした。

『KOBE NOTE 1998.1.15-6.22』(2005年)より。

新宿ダンボール村が消滅する。
トカちゃんからtelがあった。
新宿の絵がなくなった。僕のスタート地点が消える。
今を支えている土台、僕の絵の故郷、西口地下道段ボール村がなくなろうとしている。

神戸に居ながら何も出来ない僕が居た。
泣きたい。誰か胸を貸して欲しい。
でも僕は泣けない。ふんばっている自分が居る。
僕は何に耐えてるんだ?
どうして強くあろうとしてしまうんだ。

壁画開始の記念する日でもあったのに。
1998年2月12日

(つづく)

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