羽化の作法[85]現在編 外側について
── 武 盾一郎 ──

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●私が見ている世界

例えば、「最近のツイッターは人の悪口ばかりになった」と、思う人がいたとします。ところがそれは「その人のタイムラインに於いて」という前提がありますよね。

ある人のタイムラインは年中エロいツイートに溢れてるかも知れないし、とある人は阪神タイガースのことが常にタイムラインを満たしてたりするかもしれません。

「自分のタイムライン」は「私の偏見の世界」と言えるでしょう。それらを収集して「近頃のツイッター」をジャッジしてたら、当然「偏見の壁」を乗り越えられません。

この「偏見に満ちた世界はSNSの特徴だ」と思うかも知れませんが、実は私たちが通常生きている「現実の世界」も、このツイッターのタイムラインと同様に「自分が作った世界の中を見ている構造」です。

私は「世界という外部」を見ていると素朴にはそう思います。ところが、実際には脳内に生成されたイメージを「世界」だと認識しています。つまり、世界は「私の中」で作り出されているわけです。





とは言うものの、「外部」が存在することもきっと確かでしょう。ひょっとしたら、映画『マトリックス』のように、私は夢を見せられていて、その外側でオゾマシイ世界が広がっているのかも知れません。

そんなディストピアな設定になぜかリアリティを感じてしまうのは、当たり前のように知っているこの世界の姿は「別に真実でもなんでもない」ことを本能的に知ってるからだろうと思います。

例えば、鳥や虫たちには紫外線が見えるそうです。それは私たちが見ている世界とは当然違ってるはずです。こちらに紫外線で撮影した花があります。花粉が光って見えますね。虫さんたちには、このように花粉がキラキラと輝いて見えてるのかも知れません。

『紫外線に浮かぶ花々、見たことのない妖艶な姿 写真17点』
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/photo/18/022800068/


生物たちはそれぞれの「環世界」に生きています。

「環世界」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E4%B8%96%E7%95%8C


ダークマターとダークエネルギーといった謎が96%を占めるこの宇宙。たった4%しかない目に見える物質。広大な地上と宇宙の星々、こんなに世界は広いのに、それでもたった4%を見てるに過ぎないのです。

そして、地球上にはおよそ870万種の生物種がいるらしく、なんとその90%はまだ未発見らしいのです。で、私たち人類はそのひとつでしかないんですよね。

「地球上の生物種、ざっと870万種前後=90%は未発見」
https://jp.reuters.com/article/idJPjiji2011082500367


私たちは雑食で二足歩行する哺乳動物、ホモ・サピエンスにカスタマイズされた世界を見ています。さらに文化背景や各個人の価値観といった、フレームというか偏見で絞り込んでますので、更に狭い世界を認識していることになるでしょう。

この「偏見に満ちた小さな世界に暮らす仕様」になってるのは、身を守る為だとは思います。しかし、ずっと同じ世界に留まっていても息苦しくなったり、つまらなくなったりしてしまうものですよね。なので世界の外側からやってくる「何か」のために、扉を開けることも必要だったりします。

●世界の外側

ところで、ここで「外側はあるのか?」というメンドくさい問いがあります。「認識」とは内側でされるものなのだから、外側は存在しないのではないだろうか? これについてはとても長いウンチクが語れそうですが、とりあえずそこはちょっとスルーしておきます。

では「外側」とはなんでしょうか? ひとつは人間以外の「環世界」でしょうか。紫外線が見える虫の視覚世界がどうなるのかは分かりませんが、上記のようにテクノロジーで翻訳して、擬似的に見ることはできそうです。

また「自然」も外側の世界と呼べるところあると思います。人間社会は自然を世界の外側に追いやってきたといえるでしょう。しかし、いつでも自然は私たちの都合とは別のルールでやってきます。

そして、いつでも自然界の方が普遍的だと教えてくれます。時おり他ならぬ私自身も、自然の一部であることに気が付いてビックリしたりもします。

それから「他者」も外側だったりします。自分と違った価値観を持つ他者は、猫よりも遠いと感じたりすることさえあります。同じ日本語を話してても、言葉が通じないほどに噛み合わなかったりする経験を、誰もが一度はしたことでしょう。

自分の部屋から出たら、それはもう外側だと感じる人もいるでしょう。また、「異界」、「霊界」や「死後の世界」も「現世」「浮世」と対比されて外側にイメージされています。「外側」とは生きる活力源でありながら、襲いかかる恐怖でもあったりします。

そして、「内側」と「外側」の対峙を俯瞰するメタ的な視点が、外側の概念を作り出してるとも言えそうです。「私」と「対象」だけで、メタ的な視点がなかったら、外側を認識できませんからね。しかし、幼い頃のあの瑞々しい世界はきっとそれだったと思います。

メタ的視点とは、世界から自分が切り離されることを意味します。それは自我、そして孤独の始まり、なのかも知れません。メタ的視点を獲得できないと、これはこれで生きづらくなってしまいます。

幼稚さとはほとんどにおいて、メタ的視点の欠如から生じます。しかし臨場感や当事者性やリアリティといった生々しい体験は、自分を俯瞰していては得られません。

私はメタ的視点を得ることは、「薄汚い大人」になることだと思って抵抗していました。しかし、そんなことはなかったんですよね。

“もしも間違いに気がつくことができなかったのなら〜”の歌詞が聴こえて来ます。

小沢健二 - 流動体について


「世界の外側」として私が関心を持つものが2点あります。

1・目に見えているこの景色(世界)は、本当はこうではないかも知れない。だとしたら別の(真の)姿はどうなっているのか?

2・異界や異次元、霊界・死後の世界という外側があるのか? あるとしたら、情報のやり取りは可能なのか?

1の「世界の別の姿」を描いてる画家として、パッと思い付いたのが井上直久さんです。

『イバラードの旅』


『イバラード』とは作者の住む大阪府茨木市から来ています。岩手を『イーハトーブ』と言い換えた、宮澤賢治に倣っているようです。

見慣れた景色も見方を少し変えると違って見えてくる。そこからどんどん空想の世界に入っていけるのです。『イバラード』はジブリアニメ『耳をすませば』や『千と千尋の神隠し』などにも登場しているようなので、チェックしてみると楽しいですよ。

例えば、トーベ・ヤンソンの『ムーミン』は、舞台設定に現実世界が出てきません。ハナから異世界です。これを完全なファンタジーとすると、半分ファンタジーなのが『イバラード』です。これを『ムーミン』はVR(仮想現実)的で、『イバラード』はAR(拡張現実)的だ、と言うことができるかと思います。

テクノロジーはVRとARを組み合わせたMR(複合現実)を作り、そして時間軸を加えたSR(代替現実)に発展し、VR・AR・MR・SRの全てを使ったXRになるようです。

5分でわかる!VR・AR・MRの違い!そしてSR・XRとは?
https://vrinside.jp/news/vr-ar-mr/


この「XR」に展開可能なアーキテクチャを持った作品が、これから増えてくるでしょう。そして、これらのテクノロジーが進歩して行くと、ファンタジーや霊的世界が蘇ると思うんです。

●死後の世界

2の「霊界・死後の世界は存在するのだろうか?」という疑問に対する答えが出る前に、XRデバイスによって霊界を創作するような気がします。霊界や死後に対するイメージが、それらのコンテンツに引っ張られるようにして変化して行くのではないでしょうか。

例えば、生前のツイートが沢山あれば、その人らしさを抽出して本人の死後もツイートやリプライを続けて、それらのツイートも再入力してその人らしさが更新されて行く、なんてことは今の段階でもできそうですよね。

それは縄文時代の死生観、〈集落の中央にある広場にお墓を作ったり、家の中に埋葬したりすることが多
くありました。〉とちょっと似ていたりしませんか?

「縄文人の死生観 ~死は消滅ではありません。自然に還って存在し続けるのです」
https://mainichigahakken.net/hobby/article/61.php


テクノロジーによって、死者とともに生きる社会は起こり得るかも知れません。ただしこれは「死後の世界は本当にあるか?」の答えにはなってませんが。

「死後の世界は本当にあるかどうか」の検証よりも、あると信じると心が安定しそうだ、ということがありそうです。ここで「死後の世界」についてちょっと違う角度から考えてみます。

「死後の世界」とは、「死」を外側に設定して初めて成立します。何の外側かと言うと当然「生」です。現代の私たちにとって、生と死の間にはとてつもなく厚い壁が立ちはだかってるかのように思えます。まさに生と死は次元が違う。それが当たり前だとすら感じてます。

上記の縄文人の死生観の記事を読むと、それとは大分違うような印象を受けます。むしろ「死」はこちら側にあって循環の一形態に過ぎない、という感じですよね。

丸いごろっとしたジャガイモがあるとしたら、すりおろしたジャガイモになってる、みたいな? そうしたら薄く伸ばして焼いて食べられるよね! みたいな? そのくらいの違いしかないようなニュアンスすら感じます。(この例えが的確かどうかは分かりませんが)

もし縄文人が「死」を「こちら側」だと捉えていたら、「死後の世界」という「外側」は存在しないことになります。

ひょっとしたら、「死後の世界」という設定自体が「最近特有のもの」なのかも知れません。幽霊に足がなくなって、明らかに異界から来たような姿になるのが江戸時代。天才絵師・円山応挙(1733-1795年)が売れっ子で忙し過ぎて、幽霊の足を省いて描いてから、などといわれています。

このエピソードが本当かは分かりませんが、足のない幽霊がポピュラーになるのはこのあたりからというのは事実のようです。時代による死生観の変化により、たまたま現在は「死後の世界」をイメージできるだけなのかも知れません。

それにしても「死後の世界は存在する」と考えると、少し気が楽になる感じがありませんか? 「死んだら何もない」とすると、死者とコミュニケーションなんて当然のごとく取れるはずがない。すると、社会として死者とコミュニケーションする共有儀式がなくなってしまう。

「盆踊り」は死者とのコミュニケーション・アプリですよね。年に一度だけ起動させて、みんなで踊る特別なアプリ。だけど本当に「死後の世界はない」と結論付けられてしまうと、お盆の意味は消えてしまいます。現にほとんど意味としては消失しています。だから、現代はどこか少し寂しいのではないでしょうか?

だったら「死はこちら側に存在する循環の一形態に過ぎない」という考えの方が、もっと楽観的に生きれるような気がしませんか?

その為には社会システムがその考えになるように、変化してないとならないのですが。

例えば、人が死んだら死体は肥料になるとか、建築資材になるとか、サプリメントになるとかして、循環する社会インフラが整うとか(その前に糞尿の再利用システムが先だと思いますが)、死んだら誰だって社会のインフラになって役に立つと思うと、自己肯定感が今よりも楽に持てるようになったりしませんかね?

そして、先ほどのツイッターの例のように、死者とのコミュニケーションがツイッター並みに身近になるとか。そしたら「死後の世界」は消えてしまうかも知れませんね。私たちの暮らしや生き方によって「世界の外側」も変わっていくということなんですね。

ただ、この「死後の世界」が消える、というのは生者から見た「死後の世界」であって「私が死んだら死後の世界に行くのか?」、つまり自分を認識する意識のようなものが私の死後も続いていくのかどうか? については言及できていません。

●死んでも私は続くのか? そして生まれ変わるのか?

おおよそ予想されるのは、寝ていいて意識がない時と同じように、または全身麻酔で意識がない時のように、何も感じないのでしょうね。

子供の頃に、この「死んで何も感じない」ことを想像するととても怖くなったのを覚えてますが、今では死に至るまでの痛みや苦しみがなければ、意識が消えて戻らないことは別に怖くはないのかなって思います。

ところがです。なぜか死んでも意識が続いて欲しいという願望があります。これは単なる願望なのでしょうか? それとも信仰の一種なのでしょうか? または事実なのでしょうか?

こればっかりは死んでみないと分かりません。。。

最後に論文のリンクを貼っておきます。

「過去生を持つ子供について」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jmbs/20/1/20_KJ00007297291/_pdf/-char/ja



【武盾一郎(たけじゅんいちろう)/異界の人】

◎初恋118人展
令和元年5月31日迄(木金土日祝)
参宮橋 Picaresque
https://picaresquejpn.com/staff-letter/hatsukoi-118ninten-picaresque-artist-introduction-part23/

出展しております! ぜひお立ち寄りください!

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