ネタを訪ねて三万歩[189]メイン環境がWindowsになった理由
── 海津ヨシノリ ──

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●macOS環境で操作がボロボロなこと

2019年初頭からメインマシンはWindowsになっていますが、Macもサブ環境として使用しています。リアルに問題なのはサブスクリプションの関係で、どちらでも使用可能なソフト達の使い勝手ですかね。

Adobe CCは、正直、どちらであっても違和感は皆無です。しかし、Office365に関してはWindowsですね。

これはときどきネタにしていますが、macOSにインターフェイスをむりやり合わせているので、大学でWindowsを使っている私としては、慣れの問題でMac上ではちょっと操作がボロボロになります。

MacでOfficeを使う場合は、Boot Campで素直にWindowsにした方が、精神衛生上は良いかもしれません。modoやZBrush等はAdobe CC同様に、どちらでも違和感はありません。





まっ、他にも色々あって、メイン環境はWindowsになったわけです。世間的にはNVIDIAのGPUが使えなくなってしまったことや、Catalinaがメタメタという点が大きなポイントのようです。確かにそれもありますが、私は少し違います。

シフトした主な理由を改めて整理すると、手書き文字入力ができないこと、長年愛用していてSnapzProがEl Captan以降まともに使えなくなってしまったこと、そして大学での環境が100%Windowsであることの3点でした。些細なことなのかも知れませんが、些細なことに引っかかると、何もやる気にならなくなってしまいます。

まず一番の致命傷ともいえる、macOS環境での手書き文字入力。これに関しては、Google日本語入力のオプションであるHandWritingがありますが、WindowsのIMEパッドの賢さに慣れてしまうと、冗談でも使う気になれません。

Macの横には手書き入力用のために、古いWindowsノートパソコンを置いていますが、これって本末転倒ですよね。とにかく、Mac上でまともに手書き入力が出来ないのは、私にとっては致命的です。まっ、国語力が低い私自身の問題なのでしょうが……。

GoogleとMicrosoftの手書き入力の機能対決
https://kaizu-blog.blogspot.com/2020/08/googlemicrospft.html


次が、画面キャプチャー問題です。少なくとも2007年以降から使い続けているSnapzProは、2016年9月以降アップデートが行われておらず、一年以上前から古いmacOS(El Capitan)上でもまともに使えなくなってしまったので、状況的にはオワコンです。

そして、優秀かつ私と相性の良い代用品が、いまだに見つからないのは痛かったですね。ちなみに、St. Clair Software時代からのユーザーなので、もしかすると20年近く使い続けていたかもしれません。

しかし、今は一年ほどの利用で、Windows環境のScreenpressoが便利すぎて、体の一部になってしまいました。デジタルの世界って残酷かもね。

WindowsのScreen captureはScreenpressoが神
https://kaizu-blog.blogspot.com/2020/01/windowsscreen-capturescreenpresso.html


最後は、Windows環境での執筆依頼が多かったのも影響しています。思えば、ちょうど16年ぐらい前にも、メイン環境をWindowsにシフトしたことがありました。Windows XPと、MacはPantherとTigerの狭間の頃ですね。

理由は忘れてしまいましたが、もしかしたらZBrushを使い始めた頃だったので、それが影響していたかも知れません。当時Mac版はありませんでしたから。で、この時は一年ほどで元のMacに戻りました。

今回はどれくらいで戻るのかはわかりませんが、現在21か月ほど経過しています。まっ、振り出しに戻ると、Adobe CCがCatalinaでは色々と問題が出ることも影響しています。

あと、Apple Siliconには一応期待していますが、実際に出てしばらくは様子見ですよね〜。重要なのは「安定してデータが作成できる環境」ですから……。

●液晶と板タブレットを使い分ける

そんなWindows環境は、昨年1月に購入したノートPCで、現在外付けモニターが二基になっています。一台はXP-Penの22インチ液晶タブレット(PC本体のモニターとリンク)、もう一台は23インチの普通のモニター。どちらもフルHDです。

で、ここまでは特別変わった環境ではないのですが、1月の「三万歩178」でも触れましたように、この環境にはXP-Penのもう一台の板タブレットが繋がっています。ここで多くの方は混乱してしまうかもしれませんね。

メーカー非公式(?)なので私も気が付かなかったのですが、液晶タブレットと板タブレットが共存できるのです。

整理すると、液晶タブレットは当然ながら液晶タブレット上でしか使えませんが、板タブレットは液晶タブレットを含む、すべてのモニターに連動しているのです。つまり、使い勝手に合わせて、液晶と板タブレットを使い分けることができるのです。

これが恐ろしく便利でビックリ。とくにオンライン授業などでは、思っていたよりも大活躍して助かりました。ペンタブレットは描くことや、3Dのスカルプト系のモデリングに威力を発揮しますが、通常のオペレーションでも違和感なく使えるコトが大切ですね。

ただし、この環境にはコツが入ります。最初に液晶タブレットを認識させてから、板タブレットを接続するという手順が必要です。もしかしたら偶然かも知れませんが、とにかくメーカー非公式なので自己責任です。


■えこひいきミュージックと映画

"A Perfect Day" on Directed by Fernando León de Aranoa in 2015(ES)

邦題「ロープ/戦場の生命線」。1995年、ユーゴスラビア紛争停戦直後の「バルカン半島のどこか」を舞台としたブラック・コメディ映画。

「ボーダーライン」のベニチオ・デル・トロ、「ショーシャンクの空に」のティム・ロビンス、「その女諜報員アレックス」のオルガ・キュリレンコ、「ゼロの未来」のメラニー・ティエリーという顔ぶれで描く、国際援助活動家たちの活動とくだらない現実。

紛争地が舞台で、ベニチオ・デル・トロとオルガ・キュリレンコが出ているのに、戦闘シーンは疎か武器も持たず、アクションシーンも一切なく、淡々とストーリーは展開します。信じられます? でもラストまで観ると名作と納得。

結局、外国人でしかなかった彼らの絶望と悟りかな? とにかく牛飼いのお婆さんや、劇中で関わってきた人達が出てくるラストシーンで、マレーネ・ディートリヒ版の「花はどこへ行った」が流れてきたのには圧巻でした。

そして、見終わってみると原題の素晴らしさが伝わってきます。本当に名作ですね。邦題はつくづく残念な表現だと思いました。

「ロープ/戦場の生命線」予告編


"Where have all the flowers gone?" by Pete Seeger 1955(USA)

邦題「花はどこへ行った」。ピート・シーガーによる世界で一番有名な反戦歌ですね。個人的に反戦と冠が付く映画や歌には、違和感を覚えています。それは、あえてそのような表現を取ることが不自然と感じているからです。

それはさておき、今回は映画「ロープ戦場の生命線」のラストシーンでバート・バカラック編曲によるマレーネ・ディートリヒ版(1962)が流れ、シームレスにエンディングへ溶け込んでいたことで思い出しました。

オリジナルのピート・シーガー版を、マレーネ・ディートリヒ版は完全に越えていますね。他にピーター・ポール&マリーやキングストン・トリオのカバーもいいですね。まっ、有名すぎますけれど。

ちなみにマレーネ・ディートリヒは、ゲイリー・クーパーと共演した『モロッコ(1930)』でハリウッド・デビューしていますね。なんと、日本語字幕映画の第1作だったそうです。

Where Have All the Flowers Gone?(Marlene Dietrich)


Pete Seeger-Where Have all the Flowers Gone



【海津ヨシノリ】
グラフィックデザイナー/イラストレーター/写真家/お菓子研究家

突発の支払い、しかも振込用紙のために郵便局へ出かけた時の不快な出来事。

恰幅のいい60代後半ぐらいのオジサンが、いつから使い回しているのか分らないほど薄汚れた使い捨てマスクを、嫌々顎のあたりに付けて。大きなクシャミを何度もしながら、割り込んでくる迷惑千万行為。

いわゆる、電車の中などで大声で馬鹿な話をしているオジサン系ですね。私は直接の被害はありませんでしたが、本当に迷惑な話です。態度が横柄なのは言うまでもありません。ああなりたくないと強く感じた一日でした。

人間、歳を重ねると無意識に横柄な態度に陥りやすくなりますね。友人達にも増えてきました。もちろん、えらそうにソレを注意するなんてことは絶対にしません。それこそ、大きな御世話の上から目線ですからね。

私は横柄な態度に陥りたくないので、かなり神経質に自分の話し方などに注意するようにしています。それは大学へ関わるようになってから、とくに強く意識しています。とかく上から目線の高圧的な先生が目立ち、気分が悪かったことも影響しているのかも知れません。

一歳でも年下とわかれば、「君は〜」なんて話しかけてくる先生が本当に多く、その昭和的な感覚に思わず笑っちゃいます。どれほど素晴らしい実績と学歴があっても、人としては残念な方としか言えません。

非常勤講師の時はフレンドリーであったのに、専任になった途端「打ち上げには非常勤なんて呼ぶ事はないでしょ」とか。もう笑っちゃうほど分かりやすいお馬鹿さんが多いので、近づかないようにしています。

私は学生への対応は、上から目線ではなく、平行線で対応するように心掛けています。ま、年を重ねたら、求められない限り余計な話はしないことですね。自発的にやると確実に「ウザイ」と烙印が押されますからね。

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