[5097] 本格VRゴーグルの期待と挫折4/和製ジョゼ・ジョバンニ/吾輩は飼い猫である

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《超絶めんどくさい》

■グラフィック薄氷大魔王[673]
 本格VRゴーグル、期待と挫折 その4 「あれ? 違う」
 吉井 宏
 
■日々の泡[042]
 和製ジョゼ・ジョバンニと呼びたい
 【無頼 ある暴力団幹部のドキュメント/藤田五郎】
 十河 進

■新連載 I do not understand
 吾輩は飼い猫である
 田中 実
 



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■グラフィック薄氷大魔王[673]
本格VRゴーグル、期待と挫折 その4 「あれ? 違う」

吉井 宏
https://bn.dgcr.com/archives/20201007110300.html

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●期待と違った!

結論を先に書くと、まったくダメだった。VR空間の中での3D制作のための3つのアプリ。

期待したのは「平面のパソコンディスプレイでチマチマやるんではなく、3D空間で全身を使って次々にキャラクター制作できたら楽しそう!」。仮想のFRP大型立体作品を「実物大」で次々に作りまくり、心地よい疲労に満たされる……的なw

グラフィック薄氷大魔王[672]本格VRゴーグル、期待と挫折 その3 「やってみたかったこと」
https://bn.dgcr.com/archives/20200930110200.html


VRゴーグルを装着して仮想空間でモデリングを始めた瞬間、僕的にディスプレイやペンタブレットで描くのが過去になる! と期待してたのだが、おかしいなw

アプリやVRゴーグルに不満があるわけじゃない。出始めで未発達かもしれないけど、VR世界で何かを作るにはどういうユーザーインターフェイスが適してるかなど、よく考えられて作られてるに決まってるし。実際、大勢の人がVR世界で3D制作やペイント作品を作って発表してるわけで。

●何がダメだったか?

・「指先」と「全身」

ディスプレイとペンタブ(や、マウス)で、指先を数cm動かして一瞬で操作できることが、VR空間では全身を動かさなきゃいけない。指先操作に慣れきってるため、「視点を変える=頭を動かして姿勢を変える」すら超絶めんどくさいのだ。

空間にラインを描いたり、両手で面を貼る操作など、完全にフィジカルの世界。体をどれだけコントロールできてるかモロに出る。スポーツに近いかも。

・形状を把握しづらい

3D制作は「真上・真横・正面など、どんどん視点を切り替え、どれだけ動かせばどれだけ変化するか、客観的に冷静に観察」しながらやるわけだが、VRではそれがやりづらい。

2mの巨大フィギュアを「実物大」で作る場合、5m後ろに下がらないと全体を把握できないかもしれない。もちろん、縮小表示したり、立つ位置を変えたりできるけど、「平面のディスプレイより便利」ではぜんぜんない。

僕は普段3Dモデリングする場合、形状が歪んで見えるパースはオフにしてるのだが、VRでは思いっきりパースがかかるので、作業中は形状がぜんぜんわからない。

そのへん、3D制作は初めての人は馴染めるのかもしれない。

・Gravity Sketchのポリゴンモード

最も期待したアプリの、ポリゴンモデリング機能。慣れれば「エッジやポイントやポリゴンを手でつかんで動かしたり、くっつけたり」ができそうに思えるのだが、一度モードから離れるとポリゴンに戻れないらしい。せめてローポリモデルを終始チャッチャと作れるようになれば、僕的に使い道はあるのだが。

・触感がない

粘土や発泡スチロールなど、リアルで立体制作する場合、両手で触って立体感を確認する。VR空間での3Dモデリングは、目の前にオブジェクトがあるのに、触れない! 手が突き抜ける!

・3D酔い

これは予想してた。Oculus Rift Sは内蔵カメラで周囲をトラッキング、VR内の映像と体感のズレは最小限。とはいえ、しばらくやってると酔う。助けてくれ〜! くらい酔うし頭が痛くなる。度が合わないメガネをつけてる感じ。

・VRゴーグルをつけていること自体が不快!

体を動かさなくちゃならない制作作業では、ゴーグルの重みが非常に気になる。ユッサユサ来る。中でメガネもかけてるので不快。付け外しで髪の毛をはさんで「イテッ」は毎回のこと。はっきり言って、一分一秒でも早く、外したい!w

「朝起きてVRゴーグルをつけ、ゴージャスな仮想スタジオで一日中制作」とか考えてたけど、とても無理。そのへん、近い将来、メガネ並みに軽いゴーグルが出てくるんだろうけど。

・「無限の空間」と「狭い仕事部屋」

躊躇なく体を大きく動かして制作するには広い部屋が必要! Oculusの設定で「この範囲は安全」という柵が生成され、その範囲から出そうになると警告される。

しかし、机や椅子や本棚などを除いた安全圏は2〜3畳な仕事部屋。ゴーグルの外が見えない目隠し状態では、「何かにぶつけてしまうんじゃないか?」って手を動かすにも怖々やってる。ぜんぜん楽しくない!

Oculus Rift Sに付属のPC接続ケーブルって5mもあるんだけどねw 半径5mって直径10mだよ! 思いっきり走り回って使ってみたいなあw

●今のところ有用なこと

直接制作に活かせなくても、Sketchfabなどで「3Dオブジェクトを見る」は平面のディスプレイでは得られない体験。オブジェクトの内部に入り込んだり、もう一つの現実として見ることもできる。

従来の3DソフトにVRインターフェイスが搭載されてるものがある。ModoにもVRビューがあり、ある程度の編集作業も可能。制作中のキャラクターやオブジェクトをVRゴーグルで見ると、OpenGLでリアルに表示される。触れそうなキャラがそこに原寸大で居る!って感動する。

●いや、やめるとは言ってないw

夢に見たVR制作環境は「本当にただの夢だった」だけで、ここから現実が始まるのだ。Oculus Quest2も手に入れたいと思ってるし、Sketchfab関連では個人的に盛り上がってることもあったりする。そのうちまた書きます。


【吉井 宏/イラストレーター】
HP http://www.yoshii.com

Blog http://yoshii-blog.blogspot.com/


かすかにキンモクセイが香り始め、「ようやく秋本番だな〜」とか思ったら、数日でゲホゲホとむせかえる強烈さに。部屋のすぐ外にキンモクセイの大木があるのだ。

以前似たようなこと書いたなと検索したら、2008年10月15日の第154回の後記に「キンモクセイの香りにむせる、と昔EPOが歌ってましたが」とか書いてた。「アメリカ発の2回目の大恐慌来ました〜」とも。これはリーマンショック。今は僕的に12年前より圧倒的にひどいコロナ不況。恩恵ぜんぜん受けなかったバブル弾けて以来、ろくな時代じゃないなw

グラフィック薄氷大魔王[154]マジックベルト、締めて立つ
https://bn.dgcr.com/archives/20081015140100.html


○吉井宏デザインのスワロフスキー

・三猿 Three Wise Monkeys
https://bit.ly/2LYOX8X


・幸運の象 LUCKY ELEPHANTS
https://bit.ly/30RQrqV



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■日々の泡[042]
和製ジョゼ・ジョバンニと呼びたい
【無頼 ある暴力団幹部のドキュメント/藤田五郎】

十河 進
https://bn.dgcr.com/archives/20201007110200.html

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藤田五郎は、「人斬り五郎」と呼ばれた本物のヤクザだった。ヤクザ時代の体験を元に、自伝的な小説を多く書いた。「無頼 ある暴力団幹部のドキュメント」は渡哲也によって「無頼シリーズ」(1968年)となり、今も僕のような(あるいは矢作俊彦さんのような)熱烈な支持者が存在する。

フランスにギャング出身のジョゼ・ジョバンニがいたように、日本には藤田五郎という作家がいた。後に、渋谷の安藤組出身だった安部譲二が元ヤクザの作家(自身の体験を元に「塀の中の懲りない面々」を書いた)として有名になるけれど、それよりずっと前から藤田五郎は作家として活躍していたのだ。

藤田五郎は渡哲也によって「人斬り五郎こと藤川五郎」となり、スクリーンにその姿を永遠に残した。「いつかカタギになる」という夢を抱いて、ヤクザ社会に愛想を尽かしながらも、先輩や若いモンのために必殺の黒匕首(ドス)を抜かざるを得なくなる渡哲也の姿は悲壮美の極みだった。

そして、藤川五郎はよく泣いた。幼くして死んだ妹のために、無惨に殺された先輩のために、引き裂かれた若き恋人たちのために、そして、そんな世界から縁が切れない自分の宿命に----。今も僕は思い出す。松原智恵子の姿と共に永遠に忘れられない、「無頼 人斬り五郎」のラストシーンを。

ヤクザの世界と縁を切り、慕ってくる松原智恵子と共にフェリーに乗って去ろうとするとき、「たばこ買ってくらあ」と言いおいていなくなった藤川五郎を探した松原智恵子は、黒い革ジャンに雪駄で桟橋に立つ五郎を見つける。

岸を離れたフェリーのボードは徐々に上がり、五郎の姿は見えなくなる。松原智恵子はデッキに駆け上り、「五郎さん」と何度か叫ぶ。渡哲也と松原智恵子のバストアップがカットバックされる。人斬り五郎は、殺された先輩や友人たちのために、封印したはずの黒ドスを抜くしかないのだ。

人でなしのヤクザたちとの死闘、傷ついた藤川五郎は塩田の端に横たわる。夕日が落ちていく。五郎が刺した悪辣なボスが掛けていたサングラスが落ちている。そのサングラスには夕日の丘が映っている。その丘に、人影が現れる。

フェリーで去ったはずの松原智恵子。五郎を慕って戻ってきたのだ。サングラスに映る松原智恵子の姿を見つめる藤川五郎は、涙をこらえているような泣き顔である。そして、「ヤクザを賛美している」として放送禁止になった主題歌の二番が重なる。

俺しか知らぬ 無頼の心
ドスで刻んだ おまえの名

僕がまだ若かった頃、藤田五郎は週刊誌の連載小説を書いていたこともある。文藝春秋社の「週刊文春」や講談社の「週刊現代」ではなく、「アサヒ芸能」(通称「アサ芸」)とか「週刊大衆」といった格落ち(ゴメン)の週刊誌だった。もちろんヤクザ小説である。

その頃、大学の同級生が青樹社という出版社に潜り込み、編集者として売れない頃の藤沢周平や人気絶頂の頃の宇野鴻一郎などを担当していたが、藤田五郎も青樹社から著作を出版していた。ある日、僕はその同級生から藤田五郎に会った話を聞いた。

----やっぱり、怖い人?
----そんな雰囲気はなかったよ

「藤田五郎=藤川五郎」というイメージを抱き続けていた僕は、やはり黒ドスを握りしめた渡哲也の映像しか浮かばなかった。思えば、渡哲也と藤田五郎は切っても切れない関係なのだ。

「無頼」シリーズはもちろん、渡哲也が最高の演技を見せた深作欣二監督の「仁義の墓場」(1975年)だって、藤田五郎の原作である。ちなみに「仁義の墓場」は病気からの復活第一作だったけど、この撮影後、再び渡は入院する。深作監督の現場は、相当にきつかったのかもしれない。

「仁義の墓場」のポスターの惹句は「俺が死ぬときは、カラスだけが啼く。凶暴無惨・石川力夫」だった。自分の組の親分を切りつけ、自分が自殺に追い込んだ妻の骨をかじり、無茶苦茶な三十年を生きて「大笑い 三十年のバカ騒ぎ」と刑務所の壁に刻んで、屋上から飛び降りた伝説のヤクザ石川力夫。

もしかして、藤田五郎はヤクザ時代に石川力夫と面識があったのだろうか。時代は重なっている。そんな凄絶な男たちの生涯を描き続けた藤田五郎は、書き続ける中で何かが己の体の中に澱のように溜まり続けたのかもしれない。一九九三年十二月十一日、藤田五郎は壮絶な死を選んだ。

それから二十七年後の八月十日、「東京流れ者」の不死鳥の哲、「無頼」の藤川五郎、「仁義の墓場」の石川力夫を演じた渡哲也は死んだ。七十八歳だった。一九六四年に日活に入社し、一九六五年に「あばれ騎士道」でスクリーン・デビュー、五十六年間の俳優人生だった。

淡路島で育ち、青山学院大学に入り空手部の部員として活躍していたが、日活が浅丘ルリ子の相手役募集をしたときに(例によって)友人が黙って応募し、石原裕次郎に会えるかもしれないと日活撮影所に赴き、そのままスカウトされて俳優になった。

デビュー当時は救いようのない大根役者で、日活が提携していた劇団「民藝」に勉強に出されたけれど、あまり演技は上達しなかった。当時の劇団「民藝」の長老は、宇野重吉と滝沢修だ。共産党系文学者だった中野重治から二字をもらって芸名を付けたという宇野は戦前からの演劇青年だったが、戦後、様々な映画に出演して顔の売れた役者になった。

しかし、左翼系の劇団を運営するのは大変だったらしく、戦後に製作を再開した日活と提携し、劇団員を日活映画に出演させて運営資金を稼いだ。だから、昔の日活映画には後に名優になる「民藝」の俳優たちがいっぱい出ている。宇野重吉と石原裕次郎の仲も日活時代に培われたものだった。

幸いなことに、渡哲也は「新劇的演技」には染まらなかった。おそらく、彼の目標は石原裕次郎だったのだ。自然体の演技、本人の魅力で惹きつける演技である。デビューしたばかりの頃の出演作、石原裕次郎主演の「泣かせるぜ」(1965年)を見るとよくわかる。演技者として見ればぎこちないが、素の部分で観客を魅了する「スター性」を持っていた。

渡哲也自身もインタビューで言っている。「演技は弟(渡瀬恒彦)の方がずっとうまい」と。しかし、デビューから四年後には、あの「藤川五郎」になるのだ。渡哲也を思い出すと、五十年以上昔の黒ドスを構えた泣き顔の藤川五郎が浮かんでくる。そして、僕は「ヤクザの胸はなぜにさびしい〜」と「無頼のテーマ」をまた歌い出す。


【そごう・すすむ】
ブログ「映画がなければ----」
http://sogo1951.cocolog-nifty.com/

「映画がなければ生きていけない」シリーズ全6巻発売中
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■新連載 I do not understand
吾輩は飼い猫である

田中 実
https://bn.dgcr.com/archives/20201007110100.html

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吾輩は猫である、とは日本の有名な作家の本の出だしだそうだ。誰かは知らぬのだが。知らぬのも当然なのだ。吾輩は人間ではなく飼い猫だったからだ。この有名な小説の出だしを真似ると、次のようになるようだ。

吾輩は飼い猫である。名前は寅次郎という。

なぜ寅次郎なのかと聞かれると困るが、吾輩が猫天国に召される前に時々覗き見していた仏壇部屋の棚に、「男はつらいよ」なる古いビデオテープがごっそり並んでいた。ずらりと並んだ四角いVHSビデオテープという物が、猫目にも入ってくる。まあ、飼い主の御仁が多分好きなのだろう。猫天国に行く途中、寄り道をして飼い主の御仁に尋ねたところ、寅次郎とはその映画の主役の名前だそうだ。

しかし、念のために猫仏様にも確認したところ、「前の飼い猫と同じ名前ですね。新しい名前を考えるのが面倒だったと、この猫歴史書には記録されてますよ」とのこと。

大変ありがたくない事実が判明した。御仁はお年を召していたので、新しい名前を覚えられないだろうという、家族の配慮もあったようだ。猫仏様の持っていた、吾輩について書かれた猫歴史書の注意書きをのぞき見すると、そんな猫文字が書いてある。

よく見ると、さらにその下にも注意書きがあるではないか。

※トラ柄だから、トラで。と子供がつけた可能性もあり

虎柄だからトラ……実に安直である。どうやら、この家の歴史書を見たところ、他の猫らも同じ名前になっているではないか。おまけに寅次郎でなく、虎次郎が正しい名前のようだ。まあ、この国の複雑なる漢字はよく分からないが、呼ばれる時は省略される上に、トラと呼び捨てだから、どっちでも問題はない。

それにしても、この家で飼われる猫達はみんなトラという名前なのか? せっかくだから、猫仏様に頼んで過去の家族の歴史書を見せてもらった。飼い猫の名前を並べてみた。

タマ、シロ、クロ、トラ、ハーロック、トラ、トラ、トラ、トラ、トラ

一猫だけ変な名前の猫がいるではないか。一体誰だ? ハーロックって。にしても、同じ名前ばかりだ。人間とはここまでいい加減な生き物なのか? それとも、この家族がものすごくいい加減なのか。今度はもっとしゃれた名前にしてもらいたい。

寅次郎「猫仏様。お願いがあります」
猫仏様「なんでしょう?」
寅次郎「次はしゃれた名前を付けてくれる家族の所に行きたいのですが」
猫仏様「それは難しいでしょう」
寅次郎「どうしてですか?」
猫仏様「それは他の猫達の歴史書を読むと分かるでしょう」
寅次郎「そうなんですか?」
猫仏様「みんな同じトラという名前ですからね」
寅次郎「それは飽きました」
猫仏様「でも、ここにいるのは皆、トラ柄なのですよ。他にどんな名前がありましょうや。どのみち、名前にトラがついてしまいますよ」
寅次郎「……わかりました。でも、トラで始まるしゃれた名前だってあるはずですが?」
猫仏様「仕方ないですね。考えてあげましょう。これから言う名前から選びなさい。その名前をつけてくれる家族のところに飼ってもらえるように、未来の歴史書に書いてあげましょう」
寅次郎「ありがとうございます」

猫仏様「トランプ」
寅次郎「それは、どの猫だって嫌です」
猫仏様「トランジスタ」
寅次郎「嫌です。静電気嫌いですし」
猫仏様「トラック野郎」
寅次郎「嫌です。デコトラなんて」
猫仏様「トラブル」
寅次郎「嫌です。トラブルなく安らぎたいです」
猫仏様「トラえもん」
寅次郎「いいような気もしますけど、権利的にまずそうなのでやめておきます……」
猫仏様「トライさん」
寅次郎「いえ、勉強できないんで……」
猫仏様「トラム缶」
寅次郎「それはドラム缶では……」
猫仏様「ドラ息子」
寅次郎「それは飼い主の息子のことですよね?」

そして、名前が決まらないまま月日は流れた。そうこうするうちに猫天国がいっぱいになり、また魂が人間界に放り投げられてしまった。なんということだ。まあ、どうにか、新しい家族の一員にはなったのだが……。

吾輩は飼い猫である。名前はまだない。


【田中 実】
〈日本一多いフルネームランキング 男性編第1位〉のなかの一人
I do not understand の意味:わかりません
連絡先:デジクリ編集部


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編集後記(10/07)

●偏屈BOOK案内:野村克也「野球と人生 最後に笑う『努力』の極意」青春出版社 2019
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/441304584X/dgcrcom-22/


野球は奥が深い。弱者が強者に勝てるスポーツでもある。才能がなくても努力次第では天才に勝てる。二流でも一流を超えられる。それを実証してみせたと自負するのが野村克也である。その土台にあるのは「正しい努力」だという。この本はそういう野村が辿ってきた軌跡、考えて実践してきたことの数々を、自著の中から(編集者が)抜き出し、体系的にまとめ直したものだという。

プロの世界で生き残っていくためにはどうしたらいいか。ライバルに勝つには何をしなければいけないのか。答えは「人の何倍も努力すること」である。昼間の練習はみんな同じメニューをこなすので、差は縮まらない。野村は合宿に帰ってから、絶対に2、3時間は個人練習をやった。バットも一日に400、500と振ったという。

野村はバッターのタイプを四つに分類している。A型:ストレートを狙い、変化球にも対応するタイプ B型:内角か外角か、打つコースを決めるタイプ C型:レフト方向かライト方向か、打つ方向を決めるタイプ 、D型:球種にヤマを張るタイプ すべてのバッターがこのどれか、あるいはその組み合わせのタイプに当てはまる。

A型には長嶋、王、田淵、松井らの錚々たる強打者が並ぶ。いわゆる天才型。B型は落合、C型は元木大介、辻発彦、宮本慎也ら。野村はD型の代表だ。典型的なヤマ張りタイプで、A型のような器用なことはできなかった。ストレートを待っているときにカーブを投げられると、もう手も足も出なかった。「カーブの打てないノ・ム・ラ」とよく野次られた。

そこで不器用なりのバッティングを突き詰めることにした。カーブを打つ練習と、ピッチャーの癖やバッテリーの狙いを読むことに没頭した。配球をどう読むか。南海ホークスの名物スコアラー・尾張久次に、「相手ピッチャーが私に投げてくる球種とコースを毎回記録してほしい」と頼み快諾を得る。また、ピッチャーの仕草とデータから、一人ひとりの相手ピッチャーの配球のクセが見えてきた。

狙い撃ちタイプの野村の読みは的中した。気がつけば打率3割を超え、ホームラン王、打点王も取り続けることができた。それだけではなく、データを見つめ直すと、キャッチャーとしてもバッターの心理が読めるようになった。ID野球はこうして生まれた。「考える野球(シンキング・ベースボール)」のベースとなったものだ。

野村は「なぜキャッチャーだけがファウルグラウンドにいるのか」を考えた。守備についたとき他の選手はみなフェアグラウンド内に立つが、キャッチャーだけはフェアグラウンドの外に座っている。ひとりだけフェアグラウンドに入ってはいけないということは、何かを暗示しているのではないか。そして、「外から協力する」という意味だと理解した。

「ひとりだけ他の野手とは反対を向き、一歩引いたところからマスク越しに試合を俯瞰してシナリオを練る。それがキャッチャーなのだと。つまり、表に出てはいけないのがキャッチャーで、あくまでも黒子、縁の下の力持ちであるべきなのだ」。さらに「キャッチャーは監督の分身である」とも。

いや、面白いことをいうなあ。野球好きにはたまらないいい話が出てくる。この本も出典書籍・雑誌一覧が巻末にある。野村が一から書いたのではなく、OKを出す程度の関与しかないだろう。まあ、面白いからいいけど、本作りを舐めているぞ。それにしても、往年の名選手の名前が出てくるが、今の若い野球ファンはぜったい知らないぞ。野村克也の名前で狙う読者ターゲットは老人だろう。まあ、いいけど。(柴田)


●NFCタグシール使ってみたいの続き。iPhone標準アプリ『ショートカット』を起動し、「オートメーション」タブをタップし、右上の+マークをタップ。

「個人用オートメーションを作成」→「NFC」→「NFCタグ スキャン」で、カルワザカード(Edy)をスキャンし、タイマー3分にしてみた。やり方はIFTTTみたいに、「いつ」「行う」で、「実行の前に尋ねる」はオフにした。

ロック画面で鍵がかかっている状態だと、実行するかどうか聞かれたけれど、かかっていない状態だと自動的にタイマーが動き出して、3分後に音が鳴った。

やれることは追加できる。Kindleの起動とタイマー50分をセットしておけば、かざすとKindleアプリが立ち上がり、読みかけの本のページが開く。読んでいる最中にタイマーが鳴って、終了時間を知らせてくれる。続く。(hammer.mule)