[5139] 久々にスプラトゥーン/「ヨパクラ」写真/私とプログラミング

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《手洗い、加湿、ビタミンD》
 
■装飾山イバラ道[279]
 久々にスプラトゥーン
 武田瑛夢
 
■Scenes Around Me[84]
 小川てつオくんのこと[17]
 イベント「ヨパクラ」で撮った写真[6](2006年)
 関根正幸

■crossroads[98]
 私とプログラミング(最終回)
 若林健一




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■装飾山イバラ道[279]
久々にスプラトゥーン

武田瑛夢
https://bn.dgcr.com/archives/20201208110300.html

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一か月ちょっと前、スプラトゥーンのフェスに久しぶりに参加した。ハロウィンイベントだったので、お祭り騒ぎ感があって楽しかったけれど、自分の腕前はずいぶんとナマった気がした。

自分の持つ武器のことはよいとして、敵の武器のことをすっかり忘れてしまったのが、弱い原因かもしれない。〈今回はゲームの用語をそのまま使っています〉

●楽しさを思い出す

スプラトゥーンは、4人対4人で床を味方カラーで塗りながらすすめるゲーム。ナワバリルールでは、最終的に敵よりも多くの床面積を塗った方が勝ちとなる。

そして、敵に出会ったらインクの弾で打ちあって、倒す。倒されてもしばらくすると復活するので、ヒドい時はゲーム中に何回も復活することになる(笑)。塗る時間は大幅にロスするので、対面で負けないのが味方のためだ。

敵を見つけたら武器の射程を判断する。相手の射程が自分の武器より長かったら、近づく前にやられてしまうこともあるからだ。バケツや筆、銃の形でおおまかに分けた武器種では覚えていても、細分化された種類についてはすっかり忘れてしまった。

メインの武器以外にも、サブとスペシャルの組み合わせもある。上手い人は味方と敵の武器編成を見ただけで、瞬時にそれぞれの長所と短所がわかるらしい。

私は忘れてしまったことはもうしょうがないので、ゲームに参加しながら思い出すしかなかった。ただ、勘を取り戻してくると、やはり楽しい。すごく楽しい。

敵が近づいてきた時の音や、インクの動きがわかるようになってくる。スプラトゥーンは、プロゲーマーの皆さんを夢中にさせるゲームなだけはあるのだ。

フェスに参加してから自分が弱いのが嫌になり、こまめにナワバリで遊びながら練習。この「自分の弱さを思い知る」という経験により、改善点を見出したくなるというのが、私のマジメすぎるところかもしれない。

今の私の持ち武器はオーバーフロッシャー(無印、デコ)なので、射程は長め弾速遅めの特徴から、敵の射程長めの人が動きづらくなるように、インクの弾を投げ続けるというサポート的な立ち回りが大切らしい。

がしかし、私のスプラ人格が結構猪突猛進型(笑)なので、ついつい前に出てしまう。ZAPを持っていた癖が抜けないせいもあるけれど、前に出がちなのだ。仲間の皆さんごめんなさい。

とくに敵のローラーからは目の敵な武器なので、ローラーとの死闘を繰り広げている。上手いローラーの人だとコテンパンだけれど、私もサーマルインク(敵にいちどインクを当てれば壁に隠れていても見える)のギアをつけているので、私からは丸見えで勝てることもある。

夫が言うには、夫には見えていない敵も私は倒しているらしく、目が良い方みたい。確かに遠視からの老眼始まり時期なので、遠くはまだけっこう見える。

そして、やはり敵と対面勝負で大事なのはエイム力。カタカタみたいで読みにくいけど、えいむりょく。照準を的確に合わせて相手を撃ち抜く力だ。ダミーの敵で試しうちも出来る場所があるので、エイム練習をするのが上達への道。

それだけやりこんでいる人が腕を上げていける訳で、やはりスポーツ、格闘技みたいな要素のゲームなのだと思う。

フェス後、オーバーフロッシャーで勝ち進むと上がる「チョーシ」が20の「チョーシサイコー!!」になり、それこそ調子に乗っていたらあっという間に、「チョーシぼちぼち」に下がってしまった。

延々勝ち続けられないようになっているとしか思えない(泣)。人生でのグチは減ってきたのに、ゲームでは思うようにいかないことが多すぎる。地道に腕を上げるしかない。

●誰とも知らぬ遊び仲間

おうち時間が長くなっているというのもあるけれど、コロナ渦の中でも、ゲームの世界でオンラインでつながる場所があるのは地味にありがたい。今までもあたりまえに存在していたゲームの世界に、助けられている人も沢山いるのではないだろうか。

ゲーム実況者のYoutubeでも、複数で遊んでいる動画を見るのが楽しい。人との対戦に疲れたら、一人で遊べる練習モードもたくさん用意されている。

最近は壁登りやジャンプなどの、キャラコン(キャラクターコントロール)が上手い人の動画を見ると、カッコ良くて惚れ惚れする。機敏な動きで一瞬の隙も見せない立ち回り。

これって、「パルクール」という跳んだり、駆け上がったりする競技に似ている。調べてみたらパルクールは、フランスの軍事訓練から発展したらしい。

スプラトゥーンの場合は、インクの中ではイカ形状になって泳ぐように進むことができるので、可能な動作の幅が広い。上手い人は敵をみつける速さも、敵に近づく動きにも無駄がない。身体能力と頭の良さの両方が優れているから、強いわけだ。若さが優位なのはしょうがないとして、私なりに楽しもう。

腕前のランクでマッチングの部屋が分けられるガチマッチもあり、自分だけが下手で悪目立ちすることもない仕組みになっているので心配ない。

そして、戦いで嬉しい瞬間もある。敵を倒そうとインク弾を撃っていると、仲間が助けてくれる時。そんな時はボタンを押して、「ナイス!」と意志を伝えることが出来る。ガチマッチで勝利が確定した直後の「ナイス!」も実に爽快。数分間だけでも良い仲間に恵まれて良かったと思える。

実際は、なかなか爽やかな気分で終われる試合ばかりではないけれど。忍耐力が養われるツールなのかもしれない。明るく気楽に、時に本気でゲームを楽しみたい。


【武田瑛夢/たけだえいむ】
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/


今は買い物も宅配も注意深く受け取って、手洗いに加湿、ビタミンDを忘れずにというのが私の年末だ。湿度計が壊れていたので、仕事部屋と寝室用に大きめデジタル表示のものを新しく買った。湿度計って、温度計よりもデリケートなせいか壊れやすい気がする。新しい湿度計には結構目が行くし、加湿器の効果も良くわかる。湿度計が壊れていた頃はほとんど気にしてなかったのに、今や時計よりもしょっちゅう見ているかもしれない(笑)。


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■Scenes Around Me[84]
小川てつオくんのこと[17]
イベント「ヨパクラ」で撮った写真[6](2006年)

関根正幸
https://bn.dgcr.com/archives/20201208110200.html

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今回も高円寺岡画郎の主宰者である岡啓輔さん、小川てつオくん、アーティストのマイアミくんが代々木公園で始めたイベント、ヨパクラ(ヨヨギ・パーティー・クラブ)で撮影した写真を紹介します。

2006年はヨパクラ(ヨヨギ・パーティー・クラブ)が行われた最後の年でした。

ネガを見る限り、私はヨパクラに3月12日、4月9日、5月14日、9月10日、10月6日の5回参加して写真を撮っています。

このうち、4月9日はちょっとしたハプニングがあって、撮った枚数も多かったので、この日の写真を中心に紹介します。

https://live.staticflickr.com/65535/50686347863_e3940b2c81_c

この日、私は割と早い時間から代々木公園にいて、写真左手に写っている女性がヴァイオリンを弾いているのをみていました。

https://live.staticflickr.com/65535/50687097176_629c3d97fb_c

肩車されて踊る岡さん

https://live.staticflickr.com/65535/50687098351_4be8747e97_c

この写真を撮った後、養成所に通っているという女の子が飛び入りで踊りに参加して盛り上がりました。

https://live.staticflickr.com/65535/50687182332_f91a1116d5_c

代々木公園から原宿駅近くに移動しました。

https://live.staticflickr.com/65535/50687098086_95d4862ae7_c

DJをするジェラルド。ジェラルドはこの頃エノアール(てつオくんがテント村で開いたカフェ)に出入りしていたフランス人のアーティストです。ジェラルドは自転車で世界中を旅しながら、現地で入手したいろいろなものをコラージュしていました。

https://live.staticflickr.com/65535/50687183507_d167990bb0_c

近くの台座から俯瞰で撮ったのだと思います。他の日に撮った写真も1枚ずつ紹介します。

・2006年3日12日
https://live.staticflickr.com/65535/50688305298_1ffcdc866d_c

・2006年5月14日
DJのテント前で話す3人
https://live.staticflickr.com/65535/50689054051_880cf40b97_c

・2006年9月10日
この時は、フラかなにかのダンスを教わっていたようです。
https://live.staticflickr.com/65535/50689054191_4b023f95b2_c

・2006年10月6日
ヨパクラゲ(ヨパクラの旗)を付けた自転車を撮影
https://live.staticflickr.com/65535/50688305038_b36b8ee03f_c

ヨパクラは2007年以降行われませんでした。

小川てつオくんが代々木公園に住み始めてから、ヨパクラで使うアンプや発電機などの機材をてつオくんのテントで保管するようになりました。

その結果、てつオくんがヨパクラに最初から最後までいなければならないという状況が続いたことが、ヨパクラをやめる要因になりました。

また、2005年の暮れから岡さんが蟻鱒鳶ルの建設を始めたことも一因かもしれません。

ヨパクラ自体は高円寺岡画郎の延長線上にあるようなものだったので、2006年は岡画郎が終焉した年と言えるのではないでしょうか。


【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://sekinema.com/photos


1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な、自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔


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■crossroads[98]
私とプログラミング(最終回)

若林健一
https://bn.dgcr.com/archives/20201208110100.html

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こんにちは、若林です。本題に入る前にお知らせがひとつあります。

本日、このメールが配信されている12月8日は私の53回目の誕生日です! はい、拍手! パチパチパチパチ

誕生日といえばプレゼント、私に誕生日プレゼントをあげようという(奇特な)方がいらっしゃっるでしょうか? もしいらっしゃったら、その気持ちを社会のために活動しているみなさんに、寄付として向けていただけると嬉しい。

寄付先はご自身で決めていただいて結構なのですが、私が支援している組織や活動をこちらにまとめていますので、よかったら参考にしてみてください。
https://bit.ly/BDonation


あらためて、誕生日おめでとうございます、私。

■本日はハードウェアと就職のお話です

今回は、私がプログラミングの世界に入るまでについての話の続き、ハードウェアの拡張と仕事としてソフトウェアに関わるまでについてお話します。
前回の記事はこちら。

私とプログラミング(複写)
https://bn.dgcr.com/archives/20201124110100.html


■アルバイトで拡張したグラフィック機能

最初は不満なく使っていたの愛機MZ-2000も、ある程度使いこなせるようになってくるとグラフィックとカラー表示が欲しくなってきました。

MZ-2000でグラフィックを使えるようにするためには、増設のグラフィックメモリボード(39,000円)の追加が必要で、カラーを表示させるためにはその上に増設グラフィックメモリ(8,000円)が2つ必要。

つまり、カラーグラフィックを表示させるためには55,000円の追加投資が必要だったのです。
高校生には厳しい金額ですが、どうしても欲しかったのでこれだけのために夏休みのアルバイトをしました。後にも先にもアルバイトの経験はこの時だけです。

もうひとつカラーモニターが必要でしが、もうそこまでは手が出せなかったので、RFコンバータを使うことにしました。

RFコンバータとは、アンテナ線を経由してチャンネルの1か2でコンピュータの画面をテレビに表示できもの。コンピュータの映像を放送電波に変換する機器です。

デジタルテレビ世代の方にはまったくイメージできないであろう代物ですが、任天堂の初代ファミコンがアンテナ線に接続されていたのをご存知の方であればわかっていただけると思います。
専用モニターではないので画面の荒さはありましたが、それでも嬉しかったものです。

その他にも、漢字を表示できるようにする『漢字ROM』16bitにパワーアップする『16bit拡張ボード』などもありましたが、自分には活用できそうになかったので見送りました。

拡張性が高いといえば良いように聞こえますが、言い換えると標準機能を削っただけなのでトータルではかなり費用がかってしまいましたね。
その後発売されたMZ-1500やMZ-2200をうらやましく思ったものでした。新しいものが欲しい、これは昔も今も変わらないものです。

■就職

そんなマイコン生活を送っていた私は工業高校に通っており、高校3年の就職活動でシャープに技術職で応募、無事採用していただけることになりました。

当時は事業所ごとの採用があったので、私は迷うことなくMZを開発している奈良の大和郡山市にある事業所へ応募。これが奈良で生活する第一歩となりました。

配属はMZの事業を担当しているコンピュータ事業部(当時)を希望していましたがかなわず、コンピュータ事業部に配属された同期がうらやましかったものです。MZに関われるというのもありましたが、なんとなくコンピュータ事業部が一番花形に見えたからです。

私はというと、レジスタを開発している事業部への配属となり、その中のソフトウェア開発グループに入ることになりました。あれだけBASICでたくさんプログラミングしていたにもかかわらず、当時の私はプログラムを作ることを専門にする仕事があるとは思ってもいませんでした。

メーカーというのは機械(ハードウェア)を作るのが仕事で、会社に入ったら毎日はんだごてを使うだろう、プログラムというのはそういった仕事に従属するもの、ぐらいにしか思っていなかったのです。

しかし、この時の配属が今の私につながります。MZ-2000でプログラムを作っていた経験は、すべて仕事でも役に立ちました。配属直後なにもわからない私でしたがタイピングだけは即戦力で役に立ちました。

当時の開発はアセンブラ言語で、設計者はA3サイズの方眼紙にフローチャートを書き、それをアセンブラで入力していくという流れでした。

まだパンチ(プログラムを入力する業務、コーディングとも少し違います)という仕事があった時代なので、高校をでたばかりの私でも役にたったのです。

最初の5年間は下働きのような仕事ばかりしていたのですが、22を過ぎたころから「自分も設計をやりたい」とアピールを繰り返し、そこではじめてマイナーチェンジの設計を担当することになりました。

その後も、ネットワークの敷設、サーバーの構築など新しいことをどんどんやらせてもらいましたが、すべてのことが今の自分につながっており、感謝の気持ちでいっぱいです。人間、大学を出ていなくてもなんとかなるもの、ましてや今の時代ならなおさらです。

■最後に

5回に渡って私がプログラミングを始めて仕事として関わるまでを書いてきましたが、今回で終了となります。年寄りの昔話におつきあいいただき、ありがとうございました。

あの時、祖母にマイコンを買ってもらってなければ、シャープに就職することはなかったでしょう。
あの時、それがゲームをやりたいという理由だったとしてもプログラミングをやっていなければ、ソフトウェアの世界で生きていくことはなかったでしょう。

人生なんて何がどう影響するかわからない、だから色んな可能性を知り、色んな選択肢を持つことは重要です。私は、多くの可能性と選択肢を与えてもらったので、これからは子どもたちや若い人にそれを提供する番だと思って、日々の活動を続けています。


【若林健一 / kwaka1208】
https://crssrds.jp/aboutus/


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https://www.amazon.co.jp/dp/4873119243/



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編集後記(12/08)

●シバレンと呼ばれていた作家が柴田錬三郎、高校でシバチューと呼ばれていたわたし。嘘です。27歳まで高橋だもん。クラス会をやらなくなって久しい。もう実現しない。入院グッズの一つ、文庫本の選択をしていて、つい読みふけってしまったシバレン「地べたからもの申す」1995にあった、おしゃべりの話から。

ケネディは演説上手で、当時のライバル、ニクソンを足元にも寄せ付けなかった。彼は演説前の数時間、一人部屋にとじこもって、鏡の前で、いかに巧みに魅力あるしゃべりかたをするか、苦心した由である。第一次世界大戦の講和会議を牛耳ったウイルソン大統領は、5分間の演説には一昼夜の練習が必要だと言った。古来、衆に抜きんでた政治家は最も巧妙な演説家だったという。

豊臣秀吉もナポレオンも、ヒットラーもチャーチルも、すべて卓越したおしゃべり上手だった。明治以降の日本の首相で、話術の大家がひとりでもいたか。シバレンは東条英機の演説をきいたとたん、「日本は戦争に負ける!」と確信をもったという。シバレンが菅義偉のしゃべりを聞いたら、「日本はどこの国にも負ける」と言うだろう。残念。(柴田)


●お誕生日おめでとうございます!!

/楽天モバイル続き。本人確認するまでも、サポート先の振り分けのためのやり取りはあった。ざっと説明を書き込み、スクリーンショットを添付した。

そして、まずは本人確認をという流れになったのだ。書き込んだ後から返答まで数時間から半日はかかる。読んでいないのだ。こりゃ長期戦だわと、返答を見に行くのは一日一回程度にした。

本人確認後、一日経っての返答が、購入場所、SIM購入日、端末購入日、開通日についての質問であった。「は?」である。

いや、ログインしているし、そっちに当然情報はあるだろうし、最初にオンライン契約時に端末やSIMを同時に購入しているって書いたし、日付も書いたし、スクリーンショットもつけたよね? え、それらは無視? 続く。(hammer.mule)