[2912] 画家よ生きてくれ! クリエイティヴ・レイバー(芸術労働者)宣言

投稿:  著者:  読了時間:22分(本文:約10,900文字)


《運を天に任せて何も考えずに制作してきたが》

■武&山根の展覧会レビュー 特別編
 画家よ生きてくれ! クリエイティヴ・レイバー(芸術労働者)宣言
 武 盾一郎

■伊豆高原へいらっしゃい[番外]
 天体観測に「EOS Kiss X4」を導入
 松林あつし



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■武&山根の展覧会レビュー 特別編
画家よ生きてくれ! クリエイティヴ・レイバー(芸術労働者)宣言

武 盾一郎
< http://bn.dgcr.com/archives/20100908140200.html >
───────────────────────────────────
「クリエイティヴ・レイバー(芸術労働者)」という聞き慣れない単語を、最近、現代美術家・藤井光のアート・プロジェクトから知りました。

『アワーストライキ』
< http://silentlinkage.com/archives/180 >

「芸術の労働問題。このアポリアを私たちの切実な問題として脱構築するアクション+映像制作にご参加ください。アーティストやアートプロデューサー、アートNPO、技術者など断続的に雇用されるクリエイティヴ・レイバー(芸術労働者)が、アサヒビール本社の地下駐車場に数十基のテントを張り、芸術と労働に関する新しい概念/声をあげていきます。

墨田区役所前広場にも、無数のテントが張られ、美術、音楽、映画、アニメ、文学、デザイン、ダンス、演劇、建築関係者が座り込みのアクションを行います。自営でもなく、有期/無期の給与所得者でもなく、産休や労災、失業保障もない芸術労働者たちの生活実態を知る家族やパートナーも参加します。芸術労働者たちのかげがえのない一回性の生が、芸術の条件である事を知る学生やこの社会で多数者となった有期雇用者たちもいます。」

このプロジェクトに興味を持った方はぜひ参加してみてください。

さてそこで、「僕はクリエイティヴ・レイバー(芸術労働者)です」と宣言した時、感じること、考えたことを書いていこうと思います。「芸術」と「労働」が並んだ時、ちょっとした違和感を持つのは僕だけではないでしょう。

●芸術について

「芸術行為は労働なのか?」まず、パッとこの疑問が思い浮かびます。

1)芸術は好きでやる。(よって労働ではない)
2)芸術は貨幣価値換算出来るものではない。(よって労働ではない)
3)そもそも芸術は産業構造内に入らない。(よって労働という産業構造内の事柄が当てはまらない)

ではこの3点について自分に問いかけてみる。

1)自分は芸術を好きでやってるのか?

絵を描くと手首が痛くなるし、自分のアートについて考えると、もうほとんど可能性は残ってなく絶望的でシビアな現実から、どうやってほとんど妄想のような想像と創造を産み出すのかを考えるしかないのでひどく苦痛だったりする。もう他につぶしもきかないし、引っ込みも付かないし、祈りを続けるより他に選択肢がないというこの狂気じみた信仰のような心境で、好きなことをしているという感覚はもうほとんどない(それはある種の恍惚ではあるかも知れないが)。ただ、「好きではないことが労働である」ワケでもないだろうから、好き嫌いと労働の関係はあとで考えよう。

2)自分は芸術を貨幣価値換算してないのか?

自分で値段つけて絵を売ってるし、自分の絵をイラスト・デザインとして使用する場合はギャラを貰ってるし、絵を描いてと頼まれた場合もギャラを頂いている。断続的ではあるが、これはガッツリと労働だ。コンスタントに繋がりたいものだ。

3)自分の芸術は産業構造の外側なのか?

「マーケット・インとプロダクト・アウトとカスタマー・イン」という産業構造に案外とすんなり当てはめることができる。

「自分の感覚で描いた絵で個展をする」は、要するにプロダクト・アウトである。「あなただけの為に絵を描く注文制作」は、つまるところカスタマー・インである。そして、褒められた作品から画風を展開させて行くのはマーケット・インである。概念的には産業構造から外れないなら、制作を労働と規定しても良いのかも知れない。ただし、すべてが産業構造内でもないけど。

芸術とはなにか。それは身体化に辿り着いた哲学である。身体化によって生じた形式である。何をもって芸術家というのか。その表現の為に身体が奇形してることによってである。僕にとって芸術とはなにか。それは仕事である。

〈アートは豊かなところに棲息する〉

芸術があるということは、それを芸術と認識するかは別として、その人やコミュニティが豊かである証しだと思うのです。豊かさとはまことにざっくりした言葉ですが、ひとつ「生命維持行為のみで終始していない時間的精神的余裕がある」、ということでしょう。精神的余裕には信念も含まれると思います。奪われていない心とか。貧乏でも芸術作品を作っている人は、その時点では時間的精神的に余裕があるからです。

例えば、アルタミラの壁画や縄文土器も、それらが作られる背景として(自然や天変地異は容赦なく人間を苦しめ殺めたかも知れませんが)、その社会は人間の生存を保障していたことになると思うのです。

現在に目を向けてみると、幸運にも僕の暮らす日本のインフラは行き届いている。物質的には満たされている。もう生命維持は技術的にクリアされてると思うのです。何気に買い物をしようとした時、「僕はこんなに金にならないアーティストだけど、生きてくのに必要なものはとりあえず揃っている。欲しいものなんてないんだなあ」と思ってしまって、消費の快楽に参画出来ない寂しさを味わうことがしばしばあります。豊かなんですよ、裕福層ではないにしても。運がいいだけかも知れませんが。だからこそ僕は絵を描き続けられてるのです。

ところで、アートとは「需要と供給のバランスがとれてないもの」と云われることがあります。ところが、現代日本はほとんどの商品がアートと同様の「需要なき供給」であり、どう差別化、ブランド化するかだったりしています。

火にかけても底の抜けない「やかん」はすでに誰もが持っているのです。あとは「持ち易過ぎる手触りのやかん」だの「一人用のやかん」だの「有名人がプロデュースしたやかん」だの「伝統の南部鉄やかん」だの「100円のやかん」だの「カラフルなやかん」だの、と付加価値を与えているんです。家電にしろ車にしろ食べ物にしろ服にしろ。

余剰分つまり余裕やクリエイティブが商品価値である事の意味において、それはもはや「アート」なのである。僕らの日常はアート化された日用品や風景に囲まれているのだ。

Art(ist)はもう特別なものではなくなってるのは喜ばしいことかも知れないが、では「アーティスト」として生きてくにはどうしたらよいのだろうか。

a)商品競争と全く同じく、不要な余剰を価値として作り出し、差別化やブランド化を謀る。

例えば「生茶」が売れてるらしいが、それはネーミングだそうだ。生である意味も実質もなく、生という言葉で売れているらしい。これはコンテクストをでっちあげ、プレゼンテクニックだけで数字を盗りに行く今流行の現代アートもまったく同じ構造である。なんとなく、アメリカと中国を足したような下品さが否めないので、個人的には嫌いである。

b)最初からアートでの収入を考えずに賃労働をしながら兼業アーティストとして生きる。

これは割合としてはマジョリティだと思う。一昔前よりすんなりと兼業アーティストをやってる人が増えたのではないでしょうか。なぜか僕がもっとも軽蔑したのは先生兼アーティストだ。なぜ挑戦者であるアーティストが上から目線の先生になれるんだ? と疑問だった。今の20代は恵まれ過ぎているので、そういう貧乏臭い価値観を持たないのだろう。持続可能性を考えたらこの選択肢が最も正しいと思う。まさに現代の日本っぽい。

c)運を天に任せて何も考えずに制作する。

これを選ぶのはバカである。ひたすら制作することによって身体化し、ひとつ芸の領域まで到達出来たら生き残れるかも知れないという幽かな希望はある。近代以前の日本のようなアナクロなイメージである。

果たして僕は「c」を選んだのであった。そして今回、もうひとつの選択肢が加えられようとしている。

d)自分は芸術労働者(クリエイティヴ・レイバー)であると自覚し、労働者としての権利を訴えて保障を獲得する。

なんとなくヨーロピアンな香りが漂う選択肢である。しかし、そんなうまくいくのであろうか。

●労働について

ところで「労働」ってなんでしょう? wikipediaによると、「労働(ろうどう,英:Labour)とは、人間が肉体や道具を用いて対象にはたらきかけ、人間や動物にとって有用なものをつくりだす行為である」とある。

ここで何が「有用」なのかを問うとややこしくなる。「無用なダム、無用な絵画、無用な戦争、無用な低カロリー食品 vs 有用なダム、有用な絵画、有用な戦争、有用な低カロリー食品」を考えるのはまたの機会にとっておくとして、「肉体や道具を用いて対象にはたらきかけ、(有用無用問わず)何かをつくりだす行為」となると、人間のほとんどの営みは労働ではないだろうかとも思えて来る。

「雇用された賃労働のみが労働である」という、近代に作り上げられた労働価値観は根深く残ってはいるけど、労働ってそれだけではなかったりします。雇用関係も賃金も発生しない労働ってあるし、今まさにそれらの労働が表面化してる最中であるとも言えるでしょう。

それらをざっくりと「近代の崩壊で現れた労働」と呼んでみてプロットすると、

イ)疎外されていた営み
ロ)能動的な営み
のふたつが思い浮かぶ。順を追ってみよう。

イ)疎外されていた営み

例えば、前近代的な大農家コミュニティ。主に女性が行なった台所仕事、主に子どもが行なった更に小さい子の子守り、主に男性が行なった力仕事、確かに性別年齢によるヒエラルキーはあったかも知れませんが、それらは全てコミュニティを守り維持する為の労働だったと思うのです。専業主婦の家事、町内の掃除、ご近所付き合いも、コミュニティ維持の日常労働と言えるでしょう。

そして、コミュニティ維持の非日常労働としてお祭りがあったんだと思います。芸術の原点はお祭りです。その疎外されてきた根源的な何かこそ芸術に求められる要素だと僕は思ったりしてるのです。

コミュニティ維持労働は、どこか貨幣換算しずらい特徴を持ってます。なので、労働として認識されにくかったのですが、近代の崩壊によりその原初的な営みが立ち現れ、労働の意味を問い直させてるような気がするのです。

ロ.能動的な営み

例えば、フリーソフトを公開してドネーションを得る、絵やマンガを描いて展示会で売るなどは、プロダクト・アウトと呼べるでしょう。ひょっとしたらコスプレもそうかもしれません。金銭にならなかった場合、この膨大な営みは「道楽」と呼ばれ、金銭にする目的がない場合は「趣味」と呼ばれます。

どうやら、頼まれてもないのに行なう能動性が高い行為を労働とは呼びたくない心情が働いてそうです。労働には「楽しくないこと」、「出来ればやりたくないこと」、といった感情が含まれてるようなのだ。

僕はこれを仮にこう解釈してみます。雇用された賃労働者の権利を訴える時、不当労働として被害者正義を強く打ち出して組合運動を行ってきた。被害者正義は心情的に昂ると悲劇的ナルシシズムとなる。ハマれば盛り上がりそうだ。確かに被害者で正義な労働は今でもあるだろうが、運動にはナルシシズムが付き纏う。特に悲劇は歓迎されるだろう。しかし、能動性の高い行為にはどこか加害者性が潜んでいるので、悲劇的ナルシシズムが喚起されない。労働者は被害者正義であって欲しい気持ちが、「楽しく見える能動性の高い労働」を認めたくないのではないだろうか。

●クリエイティヴ・レイバー(芸術労働者)とは

派遣までの労働問題は、言ってみれば雇用問題だと思うのです。派遣という非正規雇用者たちは、資本側と正規雇用組合側のダブルパージを喰らうという悲劇的構図でした。

派遣労働問題が整頓されて来ると、いよいよクリエイティヴ・レイバー(芸術労働者)問題が浮上すると予測できそうです。

クリエイティヴ・レイバーとは自営業、フリーランス、ひとり親方といった個人事業主以下の労働者だ。現在では無職やニートにカテゴライズされるだろう。

資本家│壁│経営者>雇用者>個人事業主>>>>無職・ニート(クリエイティヴ・レイバーを含む)

こうして見ると、絶望的に酷い。「好きでやってるんでしょう」と死にそうになってもまったく同情されない恐怖、そして本当に孤独のうちにのたれ死ぬ恐怖、のオマケ付きだ。

さて、僕は今日、芸術労働者宣言をする。

僕は普通に生きていきたい。絵を描いて生きていきたい。家庭を持って生きていきたい。幸福でありたい。芸術労働者である僕がこれらを実現したならば、きっとこの社会はとてもステキな社会なのだろう。売れるか、悟るか、ベーシックインカムになるか。
(つづく)

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/9月8日19:30●新月】
take.junichiro@gmail.com
twitter < http://twitter.com/Take_J >
ドローイング作品スライドショー
< http://take-junichiro.tumblr.com/post/79833607 >

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■伊豆高原へいらっしゃい[番外]
天体観測に「EOS Kiss X4」を導入

松林あつし
< http://bn.dgcr.com/archives/20100908140100.html >
───────────────────────────────────

●WEBカメラでの木星撮影

今年は記録的な猛暑で、ここ伊豆高原も、うだるような暑さが続きました。さらに、ニュースでよく聞く「ゲリラ豪雨」的なものもまったくなく、梅雨が明けてからほとんど雨が降っていません。しかし、やはり湿度は高いのです。湿度が高いと、水蒸気も多く、夜空を見上げても星は数えるほどしか見えません。その数えられる星の内、今の時期一番輝いているのが「木星」なのです。

木星は赤道直径が約71000kmのガス惑星で、火星の外側を回っています。近年の例では、夏は木星、冬は土星が観測しやすい条件となっていますが、これは年と共にずれていきますので、ずっと夏に見えている訳ではないのです。しかし、そのズレは非常にゆっくりで、当分は夏の代表星の座を譲り渡すことはないでしょう(只今、みずがめ座とうお座の間を移動中)。

そしてこの木星、夏の時期は非常に明るく輝いているので、多少の水蒸気や月の明かりがあっても、望遠鏡越しには結構よく見えます。それに比べて、星雲や銀河はもろに水蒸気や月明かり、人工光の影響を受けます。これらは、本当に真っ暗な状況でなければ観測は難しいのです。

ですので、結果としこの夏の観測成果は木星だけでした。以前の記事でWEBカメラで天体撮影する、というのを取り上げたことがありますが、木星に関してはかなり撮れるようになりましたので、御覧ください。

< http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/f3/137dd9559c2a839e8b821b031afc81e5.jpg >
〈Jupiter〉
10_08_27 23:40 自宅ベランダ
MEADE LX90-GPS20  直焦点撮影(2倍バローレンズ)
Webカメラ ToUcamPro約2700フレーム
画像処理 Registax5 Photoshop CS4

小さな点は、衛星のイオとその影です。真ん中下あたりに太い帯が見えますが、昨年まではこれが上の方にもう一本あったのです。昨年夏、その帯が突然消滅して話題になりました。原因は未だに不明です。

それと、衛星イオをよ〜く見ると、下に煙のような物が見えませんか? そして、イオの影にも煙が......実はイオには活火山が多数あるのです。しかし、地球からその噴煙を観測できたという報告は聞いていません。もしや、大噴火の発見か!!! いえいえ、これだけ見ると、影もあるし、何らかの天文現象に見えますが、他の衛星にも同じ筋が同じ方向に付いており、撮影時のエラーであることが判明しました。残念。

●高感度カメラEOS Kiss X4購入

WEBカメラは惑星撮影には大きな力を発揮しますが、星雲や星団には向いていません。何故なら星雲は非常に暗い天体が多く、WEBカメラの感度では対応できないためです。やはりこのような淡い天体は、高感度のデジタル一眼を使うことになります。

今まで使っていたカメラはOLYMPUS E-410。発売当初はライブビュー搭載の一眼レフで、しかも世界最小最軽量として話題になりました。その前はPENTAX *istDL2でしたので、ライブビュー搭載カメラがキラキラして見えました。

しかし、その魔法もすぐに冷め......実際ほとんど使えなかったのです。そもそもライブビューにこだわった訳は、カメラファインダーは暗すぎて淡い天体の導入やピント合わせが非常に難しかったからなのです。ライブビューなら液晶モニタを見ながら明るい画面でピントが合わせられる......と思ったのが甘かったです。液晶が小さい上ドットが荒いので、暗い天体は結局どこでピントが合っているのかわかりませんでした。

さらに、ISO1600の感度もノイズがひどく使い物になりません。ISO800で撮影した画像を縮小して見ればなんとか見られるという感じで、実用レベルとしてはISO400が限界でした。ですので、銀河(天の川)を写すのには30秒以上の露出が必要でした。30秒というと私には敷居が高いのです。赤道儀の追尾設定が厳密にできないと、30秒では星が流れてしまいます。今まで追尾設定が大成功した試しはなく、結局銀河や星雲を綺麗に撮影する事は、半ば諦めざるを得ませんでした。

しかし、近年になってなんとISO102400という超高感度カメラが発売されたのです。12400ではありませんよ、十万二千四百です! ISO400の世界で撮影していた私にとっては別次元のカメラです。

それが、Nikon D3SとCanon EOS-1D Mark IVです。この感度では暗い夜景も手持ちで撮影でき、夜の室内でもストロボなしで手ぶれをしない写真が撮れるそうです。当然、わずか数秒の露出で銀河も撮れるでしょう(つまり追尾装置なしで天の川が撮れる)。しかし、しかし、両機とも本体だけの実売価格で50万円前後です。お値段も別次元ですね(Nikon D3Sは国際宇宙ステーションでのロシアの公式カメラに認定されています)。

やはり超高感度カメラは私にとっては高嶺の花です......諦めるしかないのか、と思ってました。しかし一年ほどして、あるカメラが目に止まりました。それがISO12800のEOS Kiss X4だったのです。エントリーモデルではありますが、ISO100〜ISO6400(拡張ISO12800)は、今までのカメラに比べたら別次元です。さらに、ハイエンドモデルに匹敵する画素数である1800万画素、フルHDのハイビジョン動画モードまで付いています。実売価格は本体だけで6万円前後、かなりリーズナブルです。

結局、ネットオークションで購入することにしました。入手したEOS Kiss X4と手放したOLYMPUS E-410との差額は27,000円ほどです。ただし、別にレンズを買わなければならず、こちらは他社製にしました。マクロ撮影と望遠撮影を一本のレンズで済ませられるよう、18mm-200mmのレンズにするためです。

しかし、これは失敗だったかも知れません。EOS Kissの手ぶれ補正機能はレンズ側に付いており、オートフォーカスで手ブレ補正がついたレンズは結構バカでかいのです。荷物が届いてから後悔しました。

まだ、本格的な天体撮影には使用していませんが、とりあえず天の川を撮ってみました。ガスや雲も多く、光害もあってあまり良い条件ではありませんでしたが、追尾装置なしでこれだけ撮れました。

< http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/90/7ee3fb025e2f5ecd23027b271fda4a13.jpg >
EOS Kiss X4 ISO6400 15秒露出 天城高原

それと、暗がりで最も力を発揮するのが、リアルタイムのライブビューです。実は、高感度とはいえ、薄暗い場所でのオートフォーカスは非常に精度が落ちるのです。ですので、マニュアルフォーカスにせざるを得ませんが、ファインダーを使うとやはり暗いのでピント合わせが至難の業です。

しかし、このライブビューは10倍ズームが付いており、液晶を見ながら拡大した画像でピントを合わせられるのです。これは、天体観測にも応用できそうです。暗い星雲を狙うときは、まず明るい星でピントを合わせ、そのまま目標の天体に向ければいい訳ですから。

< http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/84/010c944551fa0d21a9b6f9b06c2ac733.jpg >
EOS Kiss X4 ISO6400 
シャッタースピード:オート マニュアルフォーカス
薄暗いレストランで料理を撮影

まだ使い始めですが、これからどんどん暗がりを撮っていこうと思います。

※ハイビジョン動画ですが、なんとフォーカスがフルオートではないのです。つまり、一度オートフォーカスでピントを合わすと、ずっとその位置にフォーカスが合ってしまいます。つまり、動くものや近づいてくるものに対応できないのです。せっかくのHDなのに、これでは使えません。

松林あつし/イラストレーター・CGクリエーター
< http://www.atsushi-m.com/ >
pine1289@art.email.ne.jp

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■編集後記(9/8)

・松林あつしさんの連載「伊豆高原へいらっしゃい」は2009年3月に34回をもって終了しましたが、ピンチヒッターとしてご登場いただきました。デジクリサイトにあるバックナンバーもぜひお読み下さい。
< http://bn.dgcr.com/archives/30_/ >

・林望「謹訳源氏物語」は現代語訳の文章が読みやすいばかりでなく、本として読みやすい。ともに画期的である。「コデックス装」という特殊な製本なので、どのページも完全に開くから、じつに読みやすい。こんな本は初めてだ。読書の楽しみが倍加する。「平安朝から中世にかけて日本の貴族の写本に用いられた『綴葉装』という古式床しい装訂法を彷彿とさせる糸綴じの製本です」と解説がある。ところが、内容と製本はすばらしいのにカバーのデザインがいまいち。読みやすく美しい本文デザインは祖父江慎、これに文句はない。装訂(見慣れない用語だが、辞書によれば「製本の仕上げとして、書物の表紙・扉・カバーなどの体裁を整えること。また、その意匠」とある)は林望とある。カバーのデザインは筆者自らということか。ところが、なんでこうなっちゃうのかというくらい平凡で芸がない。何色というのか中途半端にくすんだ赤地にタイトル白抜き、天部に若草色の細い帯(各巻違うようだ)、なぜこの赤? 書誌学からいって源氏物語のキーとなる色がこれなのだろうか。好みからいうと、むしろ嫌いだ。10巻並んだ本棚を想像すると美しくない。まことに惜しい。将来文庫にするときは、カバーのデザインは変えたほうがいいと思う。(柴田)
< http://www.shodensha.co.jp/genji/ >
祥伝社「謹訳源氏物語」サイト 9月30日まで第1巻中の「桐壺」無料公開中
< http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/doyou/CK2010031302000202.html >
年輪重ね書ける機微 源氏物語の現代語訳に挑む 林望さん(作家)
(東京新聞 2010.3.13)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/439661358X/dgcrcom-22/ >
→アマゾンで見る(レビュー3件)

・姉妹誌「写真を楽しむ生活」のサイト。コメント欄をTwitterと連携させたら、レスポンスがあることがわかって、とても励みになる。嬉しい。Twitterっていいなぁ。/英語できない。単語覚えなきゃと思いつつ、後回しになってる。「日本人が英語オンチであり続けるたった一つの単純な理由」をコメント欄含めて、斜め読みして納得しつつ、でもできる人もいるんだよな〜と。/「父親が死んで得したこと7つ」。7さんの書き込みが秀逸。1さんの主張を見ると、いろいろ嫌なことあったんだな...。/「タバコやめて1年半経ったからやめ方教える」。タバコ吸わないので禁煙の辛さはわからないのだが、経験者の話は役に立ちそう。値上げでやめたい人へ。禁煙外来は良さげですばい。禁煙手帳からの引用、「タバコを吸うと、脳にあるニコチン受容体という部分にニコチンが結合して、快感を生じさせる物質を放出させます。」チャンピックスという薬があって、ニコチン切れ症状を軽くし、吸った時には受容体との結合を邪魔し、おいしさを感じにくくさせるらしい。/......そう、ネタがないんです。まとめサイトの紹介って楽〜。(hammer.mule)
< http://photo.dgcr.com/ >  写真を楽しむ生活
< http://bit.ly/c9yVS0 >  ぶらピ展は日曜日まで
< http://masuda.livedoor.biz/archives/51479756.html >
日本人が英語オンチであり続けるたった一つの単純な理由
< http://masuda.livedoor.biz/archives/51483344.html >
父親が死んで得したこと7つ
< http://nicovip2ch.blog44.fc2.com/blog-entry-1775.html >
タバコやめて1年半経ったからやめ方教える
< http://sugu-kinen.jp/ >
お医者さんと禁煙しよう。
< http://sugu-kinen.jp/patient/pdf/pocketbook.pdf >
禁煙手帳。チャンピックスと