羽化の作法[92]現在編 線と音楽/武 盾一郎

投稿:  著者:  読了時間:12分(本文:約5,500文字)



私はドローイングを制作してる最中に、「これってひょっとして音楽を描いてるんじゃないのか?」となんとなく感じて以降、自分の線画を「線譜」と名付けています。かれこれ10年になります。

その前は「当てずっぽうに線を描いて美に到達する」という、漠然とした欲求に従ってボールペンでドローイングを描いていました。線譜と名付けてからも描き方が同じなのですが、なんでそんなことを思ったのか自分でもよく分かりません。

そもそもアーティスト活動のきっかけが「段ボールハウス絵画」で、これもなんでそんなことをしたのか自分でも分かってないものですから。「衝動」を「体現」したのがたまたまそれだったのです。

後付けで何かもっともらしいことを言ったり書いたりすることはありますが、本当のところは分かってないのです。





とは言うものの、アーティスト歴二十余年、線譜と名付けて十年描いてきたわけですから、何か「体系」みたいな理屈というかロジックというか、根拠のようなものを持ちたいと強く欲するようになりました。

カンだけでやってきたのですが、カンも蓄積して行くと特徴というか法則というか、普遍的原理を発見しても良さそうなものだけど、なかなか分かりません。

描き始める時は途方に暮れています。「一体これから先どうなるんだろう?」と。
で、当てずっぽうに描き始めるのです。
「こっちかな?」「なんとなくここかな?」と。
何日か描き進めて行くとなんとなく終わりが分かります。
「ああ、これで終わりなんだ(少し寂しい)」と。

そして、不思議と「おお。どこか美が潜んでるっぽい。かも。」と、美になんとか触れられた感触があるとホッと胸をなでおろすのです。その繰り返しです。しかし、なんで自分がそうできてるのかは、まるで分からないのです。

これではまるで、蟻があの機能的で美しい蟻の巣を作ることが出来るけど、その作り方を蟻自身は説明できないのと同じです。

蟻の巣参照:Casting a Fire Ant Colony with Molten Aluminum(Cast #043)


それでも良いような気もしますが、もっともらしく説明する言葉が欲しい年頃なのかも知れません。そう言えば以前にもそんなテキストを書いてました。

『羽化の作法[81]現在編 カンディンスキーと私〜音と絵の関係について』
http://bn.dgcr.com/archives/20190319110200.html

羽化の作法[81]では、音と絵の関係について「ブーバ・キキ効果」を紹介したり、プロセスについて言及したりしてますが、今回はその続編という感じというか、さらに突っ込んで体系化に向けて書いてみようと思います。

●線には2種類ある

線画を描き続けてきた現時点での考えなのですが、線は大別すると二種類に分けられるんじゃあないかなと思ってます。

1・状態の線
2・虚構の線

「1」は状態から生じている線です。行為の痕跡もこの「1」に含まれます。つまりプロセスが表出した線です。軌跡。あぜ道やけもの道も「1」に含まれます。稲妻のような現象も「1」に含まれます。

「時間」を伴う線と言ったらいいでしょうかね。線そのものというか。現場性のある線です。線を描く者が、線の内側から線を生み出すような主観的な線とも言えます。

真島直子やジャクソンポロックは「1」的な線だと思います。

真島直子『密林にて II-2010』
http://www.ne.jp/asahi/naoko/majima/image_j/works/jworkjpg/wd006_2010Mzm_A_1200.jpg

ジャクソン・ポロック『Number 14 Gray』
https://shop.r10s.jp/arsonline/cabinet/jacksonpollock/p1070.jpg

けもの道
https://www.josholland.nl/wp-content/uploads/2017/04/olifantenpaadje2-680x510.jpg

稲妻
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20120411/305341/main_image.jpg

「2」は言い換えれば表現された線です。グラフの線、輪郭線、下書きの線、概念図や図形の線、設計図、文字など。これらは線そのものに「時間」が含まれてません。そしてこれらは虚構です。

輪郭線はこの世には存在しませんし、線で描かれた円もそれを指し示すイデアはこの世に存在しません。何かを表わすためのツールとしての線です。漫画の線も小説の文字の線もこちらの「2」に含まれます。そして、こちらは線を描く者が線の外側に居て、線を俯瞰して描く客観的な線とも言えます。

山口晃『Tokio山水(東京圖2012)』
https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/statics.pen-online.jp/image/upload/feature/yamaguchi-akira-ten/block_120.jpg

石ノ森章太郎『ファンタジーワールド ジュン』
https://ishimoripro.com/wp-content/uploads/2018/03/2JUN_037-757x1024.jpg

主要国名目GDP
http://www.garbagenews.com/img19/gn-20190102-01.gif

カオスの図
http://www.au.ics.saitama-u.ac.jp/wp-content/themes/saidai/images/general02.jpg


「1」か「2」にパッキリと分かれてしまうのではなくて、ミックスもありそうです。

例えば、地震計のグラフは「1(状態の線)」を含んだ「2(虚構の線)」だったり、レコードの溝は「2」のような「1」のように感じます。

オシロスコープの線は「1」に見える「2」でしょうか。書道の線は「1」であり、同時に「2」でもある感じします。

地震計
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0f/Kinemetrics_seismograph.jpg

レコードの溝
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/81/1e8f7cc6d389ecc57924219642c6bc5b.jpg

オシロスコープ
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/39/RAV4_Tach_750rpm.JPG/1024px-RAV4_Tach_750rpm.JPG


そして、私は「絵とは行為の痕跡である」としてきたことから、「1」の「状態の線」の描き方をやってきました。最近は、そこに下書きといった「2」を加えてミックスさせています。

「1」と「2」を共存させる「線の内部に居ながら線を俯瞰する」ように描けたらと思っているのです。

さて、その線と音楽はどう結び付くのでしょうか?

私の考える「音楽」とは、一般的に言われてる音楽よりも適応範囲が広いと思いますので、それらの特徴をまとめてみました。

●音楽とは

a.基本見えない
b.曲とは限らない
c.聞こえるとは限らない

a.「基本見えない」ということは応用として、または例外として「見える」ということです。それがまあ「線譜」だったりするのですが。

音楽の可視化という意味では、まずディズニーの『Fantasia』が思い浮かびます。冒頭のナレーションでは「芸術家の想像力を介した音楽の姿です」とファンタジアを解説しています。

『ウォルト・ディズニー(Walt Disney) - ファンタジア(Fantasia)Part1』


1940年です。現代のVJやプロジェクションマッピングで使われている、映像効果の元ネタ全部ありますよ、これ。

b.作曲された曲だけが音楽ではありません。いわゆる「楽曲」のていをなさないノイズやアンビエントも音楽です。

MASONNA

伊東篤宏


また、作品として作られたものではない自然音、人工音、環境音も音楽になると私は思っています。

例えば、朝目覚めて窓の外から聞こえてくる鳥と虫の声と、ゴミ回収車のエンジンと回収の音。それらを「音」ではなく、「音楽」として聴くこともできるのです。

c.については以前デジクリで書きました。

『羽化の作法[88]現在編 聴こえない音楽』
http://bn.dgcr.com/archives/20190709110200.html

聞こえない「1◇宇宙の音楽」についてですが、宇宙とは数の不思議であり、数の不思議はそのまま音楽にもあてはまることから、「宇宙と数学と音楽」はある意味では同じだと私は思っています。

例えば、音律には「ピタゴラスカンマ」ってのがありますが、案外とそれは音の話だけに留まらなくて、宇宙の仕組みと関係があったりするのではないだろうか? とか思ったりしています。

ピタゴラスコンマ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%BF%E3%82%B4%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%9E

そして聞こえない「2◇人間の音楽」についても、ひょっとしたら奥深い何かがあるのかも知れません。

ひとつ、音楽の鑑賞にヒントがありそうな気がしています。

●音楽鑑賞には2種類ある

音楽を聴く時、私たちは複数の聴き方を同時にしています。まずは耳で聴いてることは確かでしょうが、その他にも骨で聴いてたりします。ひょっとしたら、皮膚や内臓やリンパでも聴いてるのかも知れません。音楽を聴く体の部位も様々あるのでしょう。

それに伴うのかは分かりませんが、音楽の体感の仕方もいくつかあると思うのです。私は大きく二つあると感じます。

イ・ひとつは「私は音楽を聴いている」という感じで、対象を観察するように耳で聴いている鑑賞です。ここには時間が明確にあります。

ロ・そしてもう一つは、音楽の内側に入ってしまう鑑賞です。私という観察主体は消失します。この場合、なんとなく耳では聴いてません。時間も消失しています。

この「イ」と「ロ」は、きっぱり分かれるものではなく混ざり合って、またはグラデーションして、音楽体験をしてるんだと思うのです。

さて、この「イ」「ロ」ですが、原稿の前半の「●線には2種類ある」の「1・状態の線」「2・虚構の線」と関係しているような気がします。

「イ」の「対象を観察するように耳で聴いている鑑賞」は、「2」の「描く者が線の外側にいて線を俯瞰して描く客観的な線」に。

そして「ロ」の「音楽の内側に入ってしまう鑑賞」が「1」の「描く者が線の内側から線を生み出すような主観的な線」に。

前者は「対象を観察する側に立つ」視点で、後者は「観察対象と同化している」状態です。

私たちは常に、何か対象を見つめた時、同時に見つめた対象の内側に入り込んでいるのかも知れません。(つづく)


【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/結構大変】

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