電網悠語:日々の想い[147]今までのWeb屋、これからのWeb屋
── 三井英樹 ──

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今までのWebは、これからのWebと違うのか。今までのWeb屋と、これからのWeb屋は違うのか。

最初の問いに対しては、本質的な部分では変わらないんだろうなぁと思う。でも、次の問いに対する答えは、違うんだろうなぁというのが本音。立ち上げメンバーと、その拡張メンバーとは、求められる資質が違うのではないだろうかと思うのがその根底。初代社長と二代目社長といったところか。




Webの黎明期に、Webを知らしめるために、文字通り骨身を削ってきた人の蒔いた種は、同じ努力をしなければ刈り取れない種類の実を結んでいる訳ではない。そう思うのは、蒔かれた種が荒地を平らにするためのものだったはずだから。そして、そうでないと報われない気がするから。

情報が走り回れず、特定の場所や人に縛り付けられていた時代。そんな不自由さを知っていたから、使命感も育った気がする。俺がやらねば、この情報はここで死ぬ、それで良いのか。こんなに情報が生き生きと飛び回る、俺がやるんだ、もったいなくて他人には譲れない。様々なレベル感と価値観と悲壮感と使命感とが織り交ぜられて、情報は宙に放たれ続けた。

見ている側は、ただただ驚きや感動をもって受け止めたかもしれないけれど、作り手はかなり頑張ってた。そして、頑張って(意識しながら)ショックや驚きを提供した。それは既存の仕組みに呑みこまれないように、少しでもアクセルを踏んで加速できるように、未来を1ピクセルでも近くにするために。

でも、それも10年強続ければ、道もできるし、歴史も残る。頑張った実績がきちんと、次世代が通る道を整備していく。同じだけ頑張らないでも同じことができるようになるのが、進歩。使い物にならなかったツールは、重さの難点に目をつぶると、既にかなり良い線まで来ているし、教え方もレベルアップしている。コードサンプルも要点が明確なものがすぐググれる。

黒電話でジーコジーコやっていたことが想像すらできなくなるように、今では自動ドアではないドアの前で開くのを待ってしまうように、ピーガラガラガラというモデム音の記憶が薄れていくように、Web黎明期の苦労は見えなくなっていくのだろう。でも、見えにくくなるだけで、消えては行かない。何かしらの芯として、情報流通の根底を支えるものと化していくのだと思っている。


前回書いたように、「どの会社にも(サイトは)ない」時代から、「どの会社にも(サイトが)ある」時代。それぞれの時代に必要とされるものは当然異なるだろう。誰もが持っているのだから、その気になれば比較がし易い。自社サイトを作る前に、競合サイトをそれなりに見て回れば、それだけである程度指針が見える。見えなければ、担当者としてちょっとさびしいとしか言いようがない。

指針を見据えた上で、戦略を決める。横並びになることをゴールにするのか、先んずることをゴールとするのか。体力、予算、能力、時期。様々な要素があって、ゴールを決める。どっちが良いとかの問題ではない。何が必要なのか、だろう。横並びを選択したなら、スタンダードと呼ばれるものをとにかく探ればよい。コンテンツの種類からその並べ方、遷移の仕方、様々な標準的なものは少しの検索時間で簡単に手に入る。でも先んずることを選ぶなら、様々な問題が起こってくる。業界的に新しいこととなれば、それはなおのことだ。それらを解決していかなければ、公開まで辿り着けない。

システム的な壁、表現の壁、対話の壁、部署間の壁、様々な壁の向こうにゴールがある。苦労はあれど、達成感も大きい。そして、信じるものが正しいと実証されたときの喜びの大きさは経験した者しか分からないだろう。アクセスログを眺めながら、単なる数字の羅列なんだけれど、その増加に涙が出てくる。頑張ってよかったと心から思う。黎明期は手探りの開発が多かったから、そんな感動が様々な場所で見られた。

目新しいアイデア、目新しい表現。未だUIが試行錯誤している時代は奇抜なものも採用されやすかった。それは、その時代にWeb経由で何らかのコミュニケーションが取れるようなユーザに対しては、そのようなアプローチが向いていたからだと思う。戸惑うようなユーザインターフェース(UI)でも、そこに驚きや感動があれば、何の支障もなく何度も訪れた。そのWebサイトのマナーが悪いから戸惑うのか、それとも自分の感覚が悪いから戸惑うのか。多くのユーザは自分の感覚やセンサー自身を疑いながら、鍛えながら、ネットの奥底へと進んで入ったように思う。

それが、総ネットユーザ化にもう少しのところまで来た。高齢者の中には未だネットに縁遠い方々もいるだろう。でも、これからでも孫達が誘導するかもしれない。公共的な情報には興味がなくても、親近者の情報への想いは熱く、それがモティベーションになったりするだろう。更にネットは、PCサイトだけではない。モバイルサイトをWebとは意識せずに使っている人も多いだろう。いずれにしても、既に現状でかなり行き渡っている状態になっている。

対象ユーザが入れ替わった状態というべきなのかもしれない。期待されることが変わってきたと言うべきかもしれない。道具が行き渡れば、奇抜なものよりもオーソドックスなものが、総量的には多くなる。奇抜なコンテンツでさえ、馴染みのある親しみやすいUIで操作されるべきだと考える。もはや「ビックリ箱」を望む場よりも、「あって安心・使って納得」を望む場が増えるのは道理である。

更に、システム的な要件も増えた。もう数年前になるけれど、社内で予算をかき集めて、小さなサイトを作ろうとした時、社内規定に従ってセキュリティを保とうとすると、予算の8割がセキュリティのために必要になった。それではコンテンツに使える予算がない。店は規定通りには作れるが、並べる商品がない状態だ。

でも逆に様々なWebサービスやAPI(Application Program Interface)が活用できるようにはなった。いわゆるマッシュアップ。全部を自分で開発する必要がない。その意味でサイト構築の敷居は確実に下がっている。でも、スタートがしやすくなっただけで、本格的な戦略にそってWeb(サイト)を活用しようとしたなら、実は越えるべき山や壁は以前より遥かに高くなっている。ITの進歩は、リスクの増大とコインの裏表の関係のようなものだから。

そしてWebサイト(Web活動やWeb戦略)自体が、4大メディアの活用路線と入れ替わるように広報活動の中心的な位置に来るようになってきた。アクセスログを生で見れることは、広告代理店という中間層を軽減し、自力でやって行くための道でもある。エンドユーザとの接点をそれまで持たなかった(持てなかった)企業が、いきなりそれらを持てるようになった。

Webでできることと、すべきことは、企業の規模によってもかなり変わる。ブランディング戦略は、多彩なグループ会社や商品構成があるからこそ考慮すべきことだし、多部署間調整はそうそう性急には進められないし、進めては軋み(きしみ)が出ることも多い。ゆっくりと進めるべき事柄があり、何よりもスピードが求められる案件も存在する。後者はこれから新サービスを立ち上げて業界に打って出るようなプロジェクトが多く、阿吽の呼吸で共に活動してくれる小規模Web屋が適しているとも言える。前者は大企業が多く、どっしりと社内ネゴにも耐えられる品質のドキュメントが必須のものも多い。

情報の開放が、黎明期とは異なるステージに上がってきて、求められるレベルも広がった。どこまでやるのかが更に決めづらくなり、意思決定の大切さが増し、HTMLや技術的なものでカバーできる範囲が相対的に狭まりつつある。

ということで、Webの本質が明らかになるにつれ、Web屋に求められるものが変わり広がっている、と言った方が正しいのかもしれない。黎明期に見えていたWebの姿は、実はまだ片鱗で、もっともっと浸透して広まった今、更に裾野の広さが実感できるようになってきた。そこに人的・技術的な世代交代とが重なって、再び混沌とした状態になりつつある。でも以前よりもずっと静かにその混沌は進んでいる。

それでも、今までやってきたことが無駄になるわけではない。あくまでユーザのニーズに目を向けていた、視線の先にある未来にブレはない。私達は変わっていくしかないのだろう。でも本質は変える必要はない。もっと本質を見据えればよい。道は続く、進むしかない。その先の広がりを求めるならば、なおのこと。

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・なんとなくtwitterの面白みが分かりかけてきた気がする。mixiより時間かかった。
・今日は母の命日。様々なことを思い出す。