電網悠語:HTML5時代直前Web再考編[199]流水プールは人生の香り
── 三井英樹 ──

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体を壊してから、プールに通うようにしている。中学の時に水泳部だったのもあり、何だか懐かしい。毎回、入り口のところで礼をしそうになる。それは、中学の時に強制された名残ではなく、顧問の先生がそうしていたのを思い出すから。プールを神聖な場所としている姿が格好良かった。

公的なものなので、かなりお安い。夏場は400円/日、秋冬は300円/日。夏場であまりに混むと3時間制限をするらしいが、目撃したことはない。私は、基本的には、流水プールをグルグルと、長くても1.5時間ほど歩き巡るだけ。水の抵抗が足腰に心地良い。まったりした疲労感が、机とPCにしがみついて来た体に、これまた心地良い。

   志を立てるのに、老いも若きもない。
   そして志あるところ、
   老いも若きも道は必ず開けるのである。
   松下幸之助

そんなプールに、まさに老いも若きもが集まっている。凄い混雑には未だ当たっていないけれど、まさに赤ん坊から、かなりの高齢者まで、身障者も多い。ただ遊んでいる子ども達も多いけれど、体を癒そうと水の中にいる者も多い。そういう意味では、「志」がある。黙々と歩く姿は、時々感動すら誘う。






お安いと言っても、一周120mの流水プール、6コースの25mプール、幼児用のプール、更にウォータースライダー(40m/80m)、そして小さなジャグジー×2。贅沢と言えなくもない施設。無料で水泳教室や腰痛体操コースも開かれている。

そこに沢山の人が集う。一緒に歩いていると、こんなに年齢幅のある中に身を置くことがかなり稀だと何度も思う。街の雑踏の中よりも広い気がする。

赤ん坊は、一歳ちょっとあたりからいる。もちろんお母さんと一緒に。赤ん坊のためというよりは、お母さんのためのプールなのだろう。赤ん坊の泣き声が時々響き、シッカリとしがみつき、それをお母さんがまたシッカリと抱く姿は、なんだか美しい。既に憎たらしくなった我が子のそんな時代も思い出す。

そういえば、お腹の大きな妊婦さんもいるので、0歳以下からいることになるのかも。体重増加を最低限にと、頑張っていた妻を思い出す。そして、大きなお腹の妊婦さんが軽々と動き回れるのを見ながら、水の凄さを思わされる。重力から解放されるって、嬉しそうだ。きっと、重いんだろうなぁ、陸上では。

お腹の大きなオジさんも多い。年齢幅はあるけれど、概して男性は、そんな体系。大きさの幅は、妊娠数か月レベルから臨月を越えて双子が居そうな勢いのレベルまで様々。いやいや頑張ろうと思わされる(笑)。

もちろん筋骨隆々タイプも居る。大学生っぽい層と、逆に70〜80代位の二極化している。若い方の腹筋には驚かないけれど、高齢層の腹筋クッキリには、ちょっと感動を覚える。どういう生活をすれば、あんな体系を維持できるのだろうと考える。何か根本的な階段を踏み間違えて生きて来た気さえする。



オバさんも二極化している。プックリ派とストイック派。プックリ派は、まぁ体系もそうなのだけど、ゆっくりと駄弁りながら歩く方々は多い。全然避けてもくれないし、片側に寄るような配慮もないし、2〜3人で横一文字で歩く。ちょいジャマ。

見ていて全然プールという気がしない。全く普通の立ち話。それはそれで肩肘張らなくて良い。ちなみに、公式にはお化粧は落とすようにとも言われているけれど、全く水に顔をつけないでおしゃべりウォークもありなので、通り過ぎる度に化粧を感じる方も居る。

このプールのストイック派の代表は、ひたすらマラソンのように流水プールを走っている方(勝手に決定)。年齢的にはオバさんというよりオバアさんに見えるのだが、時々クロールもやっているので、真面目にトライアスロンでもやっているのかと思っている。

流水プールの水深は1m、そのオバアさんは150cm程度。だから肩のちょっと下あたりが水面。その状態で、まるで水がないかのように走る。殆ど陸上と同じリズムで。スタスタと走り抜いて行く後ろ姿に真剣さがにじみ出ている。その抜き方もマラソンの混雑時を想定しているような気配が漂う。健康増進のレベルではなく、何か競技なのだろう。



多くのオバアさんは、アクアエクササイズや水中ウォーキングに精を出している。珍しくGoogle先生で調べもしないで行ったので、生きる辞書として、色々と真似させてもらっている。

基本は足を思いっきり広げて歩く。その時手も思いっきり前後に振る。一歩一歩右左右左、体を上下させながら、手足を伸ばした時には首まで水に浸かるように歩く。これが結構力も使うし、足腰に良い。ストレッチとマッスルトレーニングを一緒にやる感じ。体がほてる。

足の出し方で、常に水の中にいるようにも出来るし、ひねりを入れたり、横向き蟹歩きをしたり、時には逆走(歩)することもある。水をジャバジャバと跳ねながら歩く時もあれば、波立たせぬように静かに歩く時もある。

自分で波を起こし、人の起こした波に揺らされ、急いだり、ペースを落としたり。一時間程度なら飽きないで集中して歩ける。

2時間ごとに強制休憩時間が10分はいるけれど、それ以外はまさに水の中でやれることしか出来ない。ネックレスなども禁止だが、デジタル機器系も駄目。

せめて耳付けイヤフォンで音楽でも聞きたいものだけど、きっと注意される(防水性のそれを持っていないので未検証だが)。水音で近づく人を感知したりもするので、何もないのが自然なのかもしれない。その分、歩くことに集中できる。

通うようになってから気がついたのは、陸上では変な癖の付いた歩き方をしていたこと。水中が故に体を支える必要がほぼないので、歩き続けると自然と力みがとれる。何も意識しない(多分)自然な姿勢で歩いている時間が生まれるようだ。

やることがないせいか、使っている筋肉を意識し易く感じる時もある。あ、今あこの筋肉が伸びているんだ。ここが突っ張るってことは、こーいう運動する時にはここを使っているのか。ぼんやりと考える。体って巧くできている。



常に自分のペースで歩ける訳じゃない。オバさんの壁が立ちはだかったり、やたらと密集している集団があったり、小学生がはしゃいでいたり。それらを適当に避けながら、時に早足で、時にやり過ごしたり。

あまりに五月蝿い子どもには一度注意もした、「もう少し回りを見なさい」。通行人を身の隠し所にしながら、追いかけっこをしていて、限度を越えていた。苛立ちよりもずっと冷静な言葉が口から出たのに、自分でも驚いた。

障害を持っている方とも出会う。プールへのスロープまで車椅子で来る方も居る。陸上ではまったく動けないようにしか見えないのに、水中では背泳ぎを始めてビックリしたり。

精神的なものを抱えている人もそれなりに来る。奇声をあげながらはしゃぐ方も何人か居る。水が何かを解放してくれるのだろうか。傍に来ると、ちょっと身構えはするけれど、そのはしゃぎ様は嬉しそう。

大きな傷跡を背中に残す人も見る。どう見ても事故っぽい人も、大きな手術の跡の人も。腕を抱えながら明らかにリハビリしている人も。それぞれの人生が少しだけ見える感じ。

若いカップルも、たまに見る。初々しい。中高生のグループのいる。男女混合で来ているのに、何だか気にしつつ分かれて行動しているのが、微笑ましい。子連れのお父さんもいるし、夫婦も居る。夫婦で話しながら歩く姿は、何だか良い感じだ。あんな老い方をしていきたいとも思う。



時間帯に依ってライティングも変わり、それで少し水の表情も変わる。基本的には自然光なのだけれど、夏の陽射しや夕陽、それに節電のためか控えめな照明が時間帯によって愉しめる。

秋めいて来た最近は、夕方に行くと、徐々に暗くなって行く様が人生っぽくて、それはそれで味がある。5時前には保護者同伴でない子ども達は帰される。うるささが一気に消える。

かすかにFM横浜が流れる中、一瞬夕陽の紅色が窓に広がる。それは長くは続かなくて、直にかなり暗くなる。今までの明るさを見たが故の暗さ。そして照明が灯されて行く。

水面を灯りが揺れる。見ていて飽きない。真昼の光も、夕方の照明も。そういえば、幾つも水画像を使ってサイトを作ったっけ。そういえば、こんな人達向けのサイト開発に関わったっけ。今考えている構想に、この人達は関心を示すだろうか。こんなペルソナかぁ。ネットから遮断された空間で、またネットの方向に頭が動く。

ネットは本当に人を社会を豊かにしたのか、そんな問いも浮かぶ。少しの工夫と配慮で、誰ともぶつからずに歩んで行くことは出来るんじゃないか。それも結構豊かに。

水の中を歩きながら、深呼吸する。いつだって、どこかへ通じる道が開かれている想いがする。先の松下幸之助の言葉をちょっと考える。そして、もう一つ昔巡り会った言葉も思い出す。

   これからはデザインの時代やで。
   松下幸之助

ウェブサイト、マルチデバイス、クラウド、ライフバランス、そして震災。これらが今の私のキーワード。色んなものがデザインされるのを待っている。

【みつい・ひでき】@mit | mit_dgcr(a)yahoo.co.jp
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・今期の連載はあと1回
・明後日でbAを退社。お仕事ご紹介頂けると嬉しいです m(_"_)m