電網悠語:未来IT編[202]電子書籍ではなく、電子コンテンツにすぎないのでは?
── 三井英樹 ──

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就活の合間に少しばかり電子書籍業界を散策している。無理してKindle HDXを買ってしまって、今までの白黒(米国から輸入した第2世代:Kindle Keyboard)とは違う世界に、遅ればせながら突入した。

 Kindle Fire HDX 8.9タブレット < http://amzn.to/Pm464O
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思ったよりも無料本が多く、期間限定無料版とかもあって、少なくともこうしたKindleというデバイスがあれば、そこそこ楽しめる広い世界が広がっている(Kindleアプリという手もあるけれど、体験としては微妙に違う)。

しかし、それでも書籍文化のリプレースというレベルの変革には、未だ道は遠いというのが実感だ。一言で言えば、今Amazonが進め広めているのは、電子書籍ではなく、電子コンテンツにすぎないのではないだろうか。「本/書籍」と呼ぶこと自体に抵抗感がある(電子書籍プロバイダは数多あるので、以下では一応最大手ということでAmazonに限って書く)。

最初に書いておくが、AmazonのKindleワールドは快適である。私の幼少期を考えれば夢のようなレベルである。それは大前提として、文句を書き連ね、最後に展望というか今後への期待を書きたいと思う。先ずは矛先だが、少なくとも現状では幾つかのミスが重なっていると思っている。書籍・書店・本棚・市場の四つの分野。


■書籍の仮想化ミス

・コンテンツ

見れば見るほど、読めば読むほど、「これは『本』なのか」と思う。脳裏に浮かんでいるのは、今まで本だと思ってきたものは何だったんだろうという疑問。端的に言えば、文字が読めれば本なのか、絵が見えれば本なのか、という自問。

実際は読みやすい。個人的読書傾向から、分厚い本になりがちなので、比べれば圧倒的に軽い。これが最大のメリット。厚みがないからページもたわまない。そして、本棚がいらない。全部マシン内(まぁ実際はNAS的/クラウド的なところだけれど)に収まっている。この動作軽量系の価値が何ものにも代えがたい。

しかし、読んでいて引っかかる、これが「本」なのか。もちろん中身が良ければ感動する。しかし、印象的には、豆腐の上に文字が印字されている感じ。豆腐は好きなんだが、ずっとこれを取って置きたいと思わせる何かにブレーキがかかる。アクセルになってくれないで、どこか不安が残る。30年先も、こんなので読むのか?

例えば行間。出版社や書籍によって微妙に異なるけれど、Kindleで示されるほど広い行間は余り見ない。読んでて多少間延びする。例えば目次系。コンテンツとして目次ページにあるものも、左の奥の方に隠れているものも、かなりイマイチ。

短篇集的な作品でさえ、インデックス的な情報が抜けているものが多くて、ただ直列に読み進めとと言わんばかり。検索できれば良いじゃないかと暗黙の圧力を感じる。読みやすくする、探しやすくする努力を最初から放棄している。

例えば図。マルチデバイスをサポートするだろうけれど、大きさがキチャナイ。汚れている訳ではないんだか、概して小さすぎてミミッチイ。図自体は美しくとも、パッと見で品がない、というか洒落てない。図が出る度に、ため息が出てしまう。インパクトがなくショボい。釣りたての魚を三日程日向に放置してから皿に盛られた感じ。

決定的なのは、(マンガの)見開きページ。横置きにして見開きを見ると、中央部が欠けていたり、ズレていたり。正直言って、これが紙の本なら、あり得ない品質。これは売り物なのかと目を疑う。作者はこれで怒らないのかと心配になる。これが名だたる出版社のものだったりした時のがっかり感は言葉にできない。

文字や絵で得られる情報量としては、まぁ及第点なんだろうけれど(たまにスキャン精度が低いのも混じっていて凹むけれど)、何かが欠落している。そう、この本を作っている人の愛情が感じられないのだ。

「ねぇねぇこれ読んでよ凄いでしょ!」という作り手(含編集者)の「推し」がほぼない。機械的にフォーマット替えただけ。文字だけ。絵だけ。読めるでしょ、見れるでしょ、何が不満なの? という逆ギレ圧力すら感じてしまう。

そして、軽量化という代えがたいモノと比較してしまうので、はいこれでOKですと言ってしまうヘタレな自分を感じて更に凹む。

作り手の情熱が微妙だからか、持っている喜びも減っている。単にコレクター的に集める情熱はそこそこ刺激されるのだが、何だか冷めている。そして新たな情報との出会いに冷めている自分に更に失望するスパイラル。もちろん作品自体には納得しているし、感動している。なのに、だからこそ、である。

・デバイス

当初は、どの電子書籍端末もページ送り/戻しは、ほぼハードボタンを使っていた。それがタッチセンサーの流れに変わり、全画面型のデバイスが主流と言っていいだろう。「電子書籍端末」と「タブレット」とは微妙に違うのに一緒くたにしがちなのが、問題を更にややこしくしている。

同じ包丁だから良いでしょと、肉も野菜もパンも全部同じ包丁で刻めよと言っているようなものだ。一本しかないのであれば、仕方がない。でも専門家は普通に使い分けているのではなかろうか。

専用機を買う層がどれほどいるかは不明だが、専用機としての調査研究よりは、如何に安く汎用機を作るかに投資が傾き過ぎている気がしてならない。

極上の読書体験を一度見せてもらいたくてたまらない。個人的には本を読むことに集中するのであれば、ハードボタン型の方が向いていると思う(ボタンは左右にあってほしいけれど、型としてはSONYのReaderタイプ)。

また、本を読むということは、実は手触りも含めて自分の読み進み度を確認している作業だと思っているので、もう少し「位置情報」を如何に無意識のうちに認知させるかというテーマも深堀りして欲しい。気軽にプロトを作れないので、未だ感覚知だけれど、左右にどれほどの残量があるかを示すインジケータみたいなものを標準で見せてくれるだけで、随分と違ったものになる気がする。

・読者の環境

しかし、専用デバイスを購入するのはまだまだ一部だろう。だからこそ驚くのは、Kindleアプリが全うに揃っていない現実だ。IT業界従事者を除外すると、家にはWindowsマシンが一台だけという家はまだまだザラにある。

先日、都市部だけでなくスマホが圧倒的に広まっているかのようなニュースが流れていたが、正直どこの国の話かと感じた。田舎でTVだけ見ていて幸せを感じている方々は実はかなり多い。そして恐らく実際幸せであろう。ガラケー標準で、更にWindowsがあれば進んでいるとさえ思われる層も存在する。

なのに、日本でWindows環境でKindle本を読むのは大変だ。米国ではサポートされているにもかかわらず、日本には未だない。私は知人に下記の方法を薦めることは、とてもできない。

 Kindle本をPCの大画面で読む方法!! < http://bit.ly/1gm8Mxk
>

・定形がなく、巧みが育てない開発環境

先日少々宣伝させてもらったけれど、Kindle絵本を作ってみた。作っていて一番悩んだのは、何を隠そう図のサイズである。更に告白すると、出版してから画像のサイズを変えている。

Amazonの推奨値で作ったら、何だか荒すぎるのだ。もちろん読書するデバイスによって見え方は異なるだろう。でも描いてる私自身が納得出来ない。多少の試行錯誤もしたけれど、最適解かどうかは未だ悩んでいる。

 キリストの物語─33の絵でたどる創世記から黙示録─ Kindleストア
 < http://www.amazon.co.jp/dp/B00HIKHC3I
>

また、普通の感覚でKindle Comic Creatorで作ると、表紙が2枚になったり(こういうマンガは多数ある)、目次のリンクがなかったり、諸々の本らしからぬ事態に陥る。日米文化の違いというよりは、単純なオペレーションの問題で、説明が余りになさ過ぎる。やる気あんのか、と疑う。

 Kindle Comic Creator
 < http://www.amazon.co.jp/gp/feature.html?docId=3077699036
>

ちなみに、この本を作るのに使ったツールは下記(全てMacBookPro 17"上):
 CLIP STUDIO PAINT PRO:下書き/ペン入れ(intuos)→jpg出力
 potrace:そのjpgをeps変換
 Adobe Illustrator CC:そのeps→彩色/仕上げ
 Adobe InDesign CC:レイアウト→全体のjpg出力
 Kindle Comic Creator:mobi化

文字や絵は得意のツールでやっていいけれど、InDesign的なフォーマッターはAmazonが用意すべきだろうと思う。自主出版に大金払う層にはヨダレが出そうな未来がそこまで来ている。この本を気軽に出せるという、とんでもない人参がぶら下がっているのに、結局そこへのハシゴが小さすぎたり狭かったり乗れなかったりしている。このまだまだ感が、完全電子書籍化計画に突き進む力を削いでいる。

■書店の仮想化ミス

・書架

本屋に行くこと自体が趣味だったと気づいたのは、不思議なことにAmazonを強く使い始めてからだった。あの本棚に囲まれた空間が好きなこと、さらに店ごとの配置のされ様の妙に惹かれていたのだ。あぁこの本はここに置くのね、これはこいつと並べるかぁ…。見て回りながら、店員さんのIAスキルや心配りにワクワクしている。

それがAmazonにはあまりない。微塵もないと言っても良いかもしれない。効率的とは思うけれど、検索の無味乾燥感が一杯に漂っている。カラカラの本屋さん。この書架の列は「俺の縄張り」みたいな感覚を持つことも禁じられている。でもね、本屋は、本が探せれば良い場所ではないんだよね。本に触れる場所なんだと改めて思う。

・セール

Kindle本に関して言えば、セールス方法も気にかかる。Kindle本は中身を見せる代わりに、最初の数ページを、サンプルとしてKindleデバイスやアプリに送ってくれる。

この送られてくる分量がイラッとさせられる量である。文字系はそこそこの量があるのが多いが、非道いのは目次部分だけというのもある。それサンプルとは呼ばないし(事実PC版では普通に簡潔に表示されている)、それだけで何を判断しろと言っているのかとカチンとくる。

マンガにしても、ほんの数ページしかなくて、主人公の影すら見れないものもある。更に文句を言えば、一度サンプルをダウンロードしているのに、価格改定があってもほぼリコメンドしてくれない。無料のものなんかは、その巻だけリストから外されたりもする。

要は、セールスエンジンが未成熟。店員としては本当に青二才。世界一の書店に司書能力のない丁稚が偉そうに采配している感じ。

■マイ本棚の仮想化ミス

そして、買った本の置き場も変。並べ順は、著者順/最近使用した順/タイトル順の三択。この順で全ての蔵書を並べている人って実在するのだろうか。少なくともジャンルと著者という複合ソート、購入順、自作のタグ順…など、必須機能がなさすぎて唖然とする。

タグについても「コレクション」というものはあるけれど、複数書籍を一括で整理したりする方法が一冊ずつやるしかなく、かなり前時代的。つまり、購入した本の並べ方を楽しんだりする方法が提供されていないのだ。

本棚の空きスペースがあるときは、色々と入れ替えて並べ替えて、一人でドヤ顔で見つめるのが至福の時だった。友人の家に行っても、蔵書とその並べ方に刺激も受けてきた。こんなの読んでんのか、これとこれを並べるか。ほとんど書店と同じだ。それを自分でやれるという喜びを、Kindleというかこの整理アルゴリズムは見事に奪ってくれている。無念。ドロボー、返せ!w

■市場拡大路線の読みミス

更にコンテンツの品質もかなり問題がある。玉石混交も極まれり、という匂いが強すぎる。もちろん書籍併売ものの品質は、まぁ一定だが、それ以外が凄い。

文書自体の品質に揺れ幅があるのはしょうがないにしても、表紙だけマトモなものや、間違い探しのような差分しかないモノだったり、青空文庫単純組合せ技など、ちょっと首を傾げざるを得ないものが多くある。

確かに青空文庫が提供している複数冊を、一冊にまとめることなどは意味はある。むしろ電子書籍で複数冊に分かれている方がおかしいとも言える。でも、まとめ本が節操なく並ばれても困る。引っかかっちゃうんだから。

データは同じであろうが、既存のものが読みにくいので改良している部分があるのかもしれない。でも、同じ作者のものを、ちょっとレイアウトの違いだけで、山ほどの出版社が出したりはしない。

そもそも、中途半端な体裁で本を出すこと自体がなかった。それが誰でも、中途半端なツールで、あっという間に出せるようにしてしまったものだから、混乱が生じている。しかもコメントがつければ、それが作者であろうが、サクラであろうが、お構いなしに検索上位ヒットするという便利な書架が混乱を助長してくれる。

・価格

紙版もデジタル版も、原稿は同じなのである。それは多分多くの読者が理解している。ただただ安くあれば良いとも思ってはいない。良い作者にはちゃんと生活して次作を書いてもらいたい。でも紙を消費せず、どちらかというと自分のデバイスのリソースを消費して読むモノに対して、5%程度しか価格差がないという文化が適正なのだろうか。適正価格は何とも言えないが、肌感的には5〜6割といったところか。

象徴的な問題だと感じたのは、「週刊Dモーニング.vs.漫画アクション」問題。前者は500円/月の読み放題サービスアプリ、後者は70円/冊(月2回発行)という価格帯(先日まで100円だった)。一冊あたりの価格差は微妙にないレベル。にも関わらず、前者の方に抵抗感がある。更に言えば、後者で私が興味があるのは「達人伝」というマンガ一本である。それでも、何かしらハードルを感じている。

 週刊Dモーニング < http://app.morningmanga.jp/
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 漫画アクション 2014年3/4号 < http://amzn.to/1ivfGXZ
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もしかしたら、こうしたサービスを受け入れると、徐々に侵食が起こっていって、毎月の天引き部分が巨大化するのを恐れているのかもしれない。でも色んなコトがサービス化して月極支払いになり始めているので、慣れてコントロールしていく必要もあるのだが。

▼電子書籍の未来

と、文句を延々と書いてきたけれど、既視感がある。そうWebの黎明期そのもの。当時は行間なんて考えてもいなかった、いや考えられなかった、読めれば天国。見た目の美しさを追求する余裕なんて皆無。データが配信されているだけで充分感動的だった。

それが少しずつデコレーションが施され、シンプルさも研ぎ澄まし、今に至っている。そして今にして思えば、Webブラウジングって、タブレットが出て初めて完成形に近づいたんじゃないのだろうか、とさえ思う。

電子書籍もそうなのだろう。今は多少のデコレーションは付いているけれど、まだまだ「量」を相手にしている段階。個別の「質」にまで目が行っていない。

でもいずれWebがそうであったように、読めればよいという段階では満足できなくなってくる。デバイスの改良も、適正価格も、適切な品質管理も進むだろう。そして、個人所有というWebよりも一歩生活に寄った部分だからこそ、その要求ハードルは高くなる。W3Cが勧告を出しにくくなって行ったような状況が迫ってくる。

そして、既に買ったものを再度買えとは言いにくくなる。サーバ側から再配信すれば良いのだから。ビデオやレーザーディスクなどの、消えていった財産の後ろ姿もちらつく。もうあんな再購入は御免蒙りたい。だって、購買履歴ごとサーバにあるのだから。そうした権利系も含めた個人嗜好情報までもをひっくるめて、電子書籍はWebとは違うステージに上がって行く。

決定打にまで至っていない品質のものを先ず配ってしまう、というWebの定番路線。「永遠のベータ」、改良し続ければよいという考え方。

しかし、ホームページ(サイト)と書籍では、根幹部分が異なる、それは沢山の人が同じものを所有するにも関わらず、極めて個人的な資産になるということ。ここへの配慮というかおもてなし感というか、UXというべきか、そんな領域への配慮がこれからの成長に欠かせない。

これからの電子書籍の道は、Webの道をどう捉えて来たかを現す道でもある。想定外でしたとか、騒いでいるのは一部だけですよねとか、そんな言い訳はもう聞きたくない。

Webで学んだすべてが、叡智を文字化して後世に残すという部分で、「ITすげーッ」と唸るように支えて行って欲しい。Web屋が負っていた苦労は、きっと力強く役に立つ。できることならば、そういった部分で私も貢献していきたい。

では、また。
以上。/mitsui

【みつい・ひでき】@weblyst | mit_dgcr(a)yahoo.co.jp
< http://mitmix.net/
>

・久々なので長〜くなりました。最後までお読みくださった方、ありがとうございました。また、懲りずに声を掛けて下さった編集長様、感謝です。
・今遅々として進めているのが、20年前に出版させて頂けた育児本「ミルクエイジ」の電子書籍化。権利系はクリアしたので、フォーマット化で、ない知恵を絞ってます。
・今だFree、探職中です、お仕事あればお声かけ下さい。
・あ〜Kindleプロジェクトに加わりたい > Amazonさんw