電網悠語:日々の想い[175]今期最終回 リーダーシップ:情熱を掻き立てる未来図を描けるか?
── 三井英樹 ──

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閉塞感という言葉に支配された時期が終わろうとしている。何をやっても手詰まり感のある時期から、じっとしているには惜しい時期に入っている。時がぐるっと回ってきたのを感じる。何周目かは分からないけれど、山ほどの技術とアイデアとデバイスが、人々が追いつくのを待っている状態。活用してよと、チャレンジしてよと声を上げている。

それに対して、情報構造的な部分は安定期に入っている気がする。「気がする」というのは、そう見えるのが、自分の加齢のためか、全体的なトレンドかの判断に迷っているからだ。それでも、様々な方法やメディアやデバイスで、検索から閲覧までを脳内処理していくに疲れが目に付くようになってきた。奇抜さよりも、標準を求める機運を感じる。

Webに「驚き」を求める声よりも、さっさと必要な情報をとって行ける簡便さを求める声の方が強く聞こえる。PCの前に腰を下ろしてじっくりと思索にふけるユーザは減り、目的を持って様々なデバイスでネットにアクセスし、駆け足で通り抜けるユーザが増えている。ネットは目的地から経路になった。

ネットリテラシやデジタルデバイドなどの問題は、依然大きく横たわってはいるけれど、ローマ字入力をさせるキーボードを心配していた15年前のように、中の人が心配するよりも、ユーザは遥かに賢く適応し更に上を要求してくる。もはや、ネットは情報入手の必須経路であり、その適正や危うさや胡散臭さすら、ユーザは本能的に察知していて、かなり巧く活用しているのだろう。

そしてその上で、前にも増して、分かり易さを求めている。操作性をメインとしたUI(User Interfface)デザインや、IA(Information Archetecture)の部分でも。「だから、なにが言いたいんだ?」「だから何をやらせたいんだ?」。その種の苛立ちへの許容度が減っている。一見して伝わらないものは、見向きもされない。



しかも、一見して制作者側の意図は感じ取っている、「なるほど、そーいうのやりたいんだぁ」、でもまどろっこしいのでヤダよ。作り手の無駄な努力は、無視というゴミ箱に直行される。だからこそ、企画段階での真の知恵が必要とされている。

選別の過酷さと、中の人のレベルアップ要求はかなり引き上げられたけれど、目の肥えたユーザが増えることは、そもそも求めていたことだ。生活の質向上を目指す以上、同時に起こりうるべき現象だから。ここは作り手が文句を言う場面ではない。素直に喜び、切磋琢磨の覚悟を決める場面なのだろう。

それにしても、と思う。この10数年、この5年で区切っても良いけれど、日本語で書かれたBlogやSNSやTwitter上の情報たちの質の高さ。膨大な量が日々生産され、選別され、私達を守ってくれている。もはや、Officeの質問を海豚クンに聞く気にもならない(ずっとOffだが)。オフィシャル情報がプアーでも怒る気にもならなくなった。ユーザ側で生産されるものですら、過酷な競争を経て、世に残る。いわんやプロ作品なら、だ。やはりじっとしていられない。


じっとしていられないから、動き出す。何処へ? ここで、行き先を指し示せる地図が欲しくなる。それがビジョンであり、その旗振り役をリーダーという。

牧師であり、大規模なリーダシップセミナーを率いてもいる、ビル・ハイベルズ氏は、ビジョンを「情熱を掻き立てる未来図(人々に情熱を生じさせる将来の絵)」と定義する。

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▼Willow Creek Association
Serving Christ-following church leaders around the world.
< http://www.willowcreek.com/about/bill_hybels.asp
>

また、指導者(リーダー)の選定規律は3つのCだと言う。
・品性(Character)
・能力(Competence)
・相性(Chemistry)
最近は、更に「文化(Culture)」を足して、4つで語ることもある。

特に品性は、日本でもこの言葉を冠するベストセラーが出てもいるので気にかかる。リーダーの品性、開発者の品性、経営者の品性。様々な品性が絡み合って、文化は育まれる。そして、行き先にも影響を与えるのだろう。

執行役員にと請われ、在籍中の8ヶ月役員会が一度たりとも開かれない会社にいたことがある。会社存亡の危機を救った相手から、信じ難い暴言を吐かれたことがある。ITアーキテクトと名乗りながら、四則演算レベルのチェックもしない駄目駄目な設計をしてプロジェクトを崩壊の危機まで追い込み、自分はさっさと逃げ出す輩も見てきた。

システム開発を受託しながら、HTMLコードすら見るのは面倒ですとクライアントの目の前で言ってのける若造も見てきた。昨日届いた「日経コンピュータ」の見出し文言をぺたっとパワポに貼って、さも自分が分析したかのように経営者に語る詐欺師も見てきた。

若い才能を買い叩き、押さえ込み、それで自分が得をしたかのように思っている勘違い野郎も見てきた。現場を無視し、自分のやるべきとをサボり、身勝手を押し通す狸も見てきた。虎どころか、狸の威を借る劣化コピー狐とも付き合った。

嫌な経験の多くは品性という言葉で説明が付く。自分の低品性が招きよせたものもあるだろう。でも、決裂した多くは、そもそもそのままでは歩を共にすることが無理な話であった。

ハイベルズはこうも言っている、「リーダーの言葉に表せない特権は、素晴らしい仲間を集め、その成長を助けるという聖なる挑戦である」。仲間とは他者だけではない、自分の中の「要素」も含まれていると思う。自分の良さを集め、それを育むのが、自分をリードするリーダーの仕事でもある。自分という群を率いる自分というリーダーという視点でも、3つのCを考える。未だ未だだと思い知る。でも未来図を描き続けるのは諦めない。


地図は一度作ったら終わりではない。行き先も一度決めれば終わりではない。定期的にメンテするものである。何度も測定し、書き直す。昔、ボーイスカウトの頃、地図上のルートを進んでいると信じていたのにどうも様子がおかしいと気付いたことを思い出す。周りを見渡し、コンパスを用いて、常に自分の位置を疑いながら確認する。地図を疑うときもある。でも確かに目の前の道がなかったりすることもなくはない。全てを疑いながら、全てを検証しながら歩を進める。

生還したなら、全ては美しい思い出だ。それ程ハードな登山はしたことはないが、笑って話せる失敗談はどれも美しい。迷ったことも、衝突したことも、頂に立つと美しく見える。きついルートであるほど、そう見える。そして、その頂で、更に上空に広がる青の広さと、飛ばされそうな風に晒されると、自分の小ささを実感して、そんな自分が思い煩っていることが更に小さく見えてくる。

そんな神妙になれる頂が、ネットの未来図には未だ未だ点在している。一人で行ける頂もあれば、チームでしか行けない峰もある。測量すらされていないエリアもある。直感だけで道が見えてる気がする所もある。

今漠然と想うことは、5年後に振り返って、真っすぐに歩いてきたな、と思いたいということ。歩みを止めることは選択肢にはない。そもそもワクワクが止まらないのだから。

PS.
宗教嫌いにとっては、あぁ教会かと興味を失うかもしれない。しかし、今年のリーダーシップサミットでは、ジャック・ウェルチ氏が語り、マーケティングディレクターの方も登壇している。語られる言葉も、付け焼刃的な手法紹介に留まっていない、本質的な変革を求めるものが多い。カルトと切り捨てるよりは、学ぶものは多いと思う。

更に補足すると、教会、特にプロテスタント教会は、組織論やリーダー論を考える場としては、今かなり興味深い。キリスト教では、教会を羊の群れに例えることは多く、牧師はまさにその羊飼い(リーダー)として立てられた者だと解釈される。羊を知り、牧場を知り尽くさねば、育成と統率はできない。そして、日本ではクリスチャン人口は1%に満たない。圧倒的なアウェーでの組織運営を強いられる。更に1%に満たない理由は、自分達の宣教組織運営にかかっている。おまけに世襲的牧師の比率が上がっているので、実就労経験のない牧師も増加中。羊のニーズを理解し得ない中、檀家のようなバックボーンを持たないこともあり、会社よりは比較的出入りが自由な状況でもある。

クリスマス。聖夜の雰囲気だけではなく、聖書の言葉に耳を傾けながら、そんなことを想うためでも、お近くの教会へ。

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・読むに足るものなのかを毎回問いながらここまで来ました、望まれるならまた、再見。
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