「羽化の作法[72]神戸「しんげんち」での活動-2」からの続きです。
https://bn.dgcr.com/archives/20181030110200.html
1998年2月12日。神戸市須磨区下中島公園にあるコンテナハウス「しんげんち」へのペインティングを始めます。
同日、新宿西口地下道段ボール村が火事になったという知らせが届きます。
どうしてこんな偶然が起こってしまうのか。
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1998年2月12日。神戸市須磨区下中島公園にあるコンテナハウス「しんげんち」へのペインティングを始めます。
同日、新宿西口地下道段ボール村が火事になったという知らせが届きます。
どうしてこんな偶然が起こってしまうのか。
●しんげんちペインティング
コンテナハウス「しんげんち」へのペインティングは、何日か前にやって来たイトヒサこと鷹野依登久と二人で制作を始めます。
イトヒサはまず「しんげんち」に暮らすボランティア青年の三浦君と共に、仮設住宅を訪問したりして「しんげんち」のボランティアを手伝いました。
また、東本願寺のお坊さん、村長の娘のみえちゃん(小2)らと一緒に、コンテナ村「しんげんち」のカンパ呼びかけの「下中島公園ニュース」の折り込みを夜遅くまで手伝ったり、私とイトヒサは「しんげんち」のボランティアを手伝いつつ、コンテナハウスに絵を描ける日を伺っていました。
最初はコンテナが並べてある人が暮らしているハウスすべてを、ペインティングできたら良いなあと思っていました。しかし、コンテナハウスに暮らしてる人たちは、描いて欲しくないとのことだったのです。そこで「しんげんち」だったら描いても良いと、村長の田中さんがおっしゃってくれました。
「しんげんち」とはコンテナを二つ繋げてある「しんげんち」という看板のかかった集会所で、日常的に会議や宴会や炊き出しに活用されていたコンテナハウスではありましたが、人が暮らしてるわけではありません。
そこに私は少し「残念な」気持ちがしたのでした。「寝泊まりしてない家だと、生(なま)な感じが少し薄い」と。私のこだわりは、最初は「生きている場所そのもの」にあったのでした。
段ボールハウス絵画は、人が実際に暮らしている家の壁でした。中に人が暮らしているからこそ、意味のある絵画でした。集会所「しんげんち」は象徴的な建物なのですが、自分にとっては実際に暮らしている家の方が、描くべき場所だと思っていたのです。
その変更に対して、自分としてうまく折り合いがつけられなかったのでした。それから、自分はなぜ神戸に来たのか? という理由が元をただすと「コリーヌに言われたから」であり、自分由来ではない事に対して整合性がつけられず、後戻り出来ないとは言えずっと悶々としていました。
そんなところにやって来たイトヒサは、「絵を描くしかないっス」とまっすぐに描きたい衝動をシンプルにひとこと、静かに、にこやかに、そして力強く言ったのでした。
イトヒサに励まされて、私はようやく吹っ切れて全力で取り掛かる元気が出たのです。そして、2月12日の朝。イトヒサと二人で、いよいよ制作に取り掛かります。
村にはコンパネなどの板やビニールシートが転がっていたので、使ってなさそうなのを養生シートに使いました。次にペンキで色を作ります。水色系、緑系、ピンク系、オレンジ系と中間色を20色くらい。
ゴミ箱にある空き缶を、缶切りで飲み口を切り取ってペンキ容器にします。捨ててある割り箸や木の枝でペンキを撹拌します。イトヒサは寒色系の微妙な色違いの缶を更に加えて作ります。
準備が整うと、二人はスタート前のアスリートみたいに、軽く準備体操をしました。二月の空は晴れ渡っていました。二人は筆を持ちます。イトヒサは細めの筆、私はぶっとい筆を両手に。しんげんちの出入り口の扉から「せーのどん!」で描き始めました。
扉を二人で描き殴ります。イトヒサの描いた筆跡の上から私が描き、私が描いた上からイトヒサが描き重ねます。筆は壁面へと広がって行きます。色の洪水がコンテナハウスを覆い尽していくように描いて行きました。その勢いのまま脚立で上の方にも描きました。
●新宿西口段ボール村の火事
そんなノリノリで制作している最中に、「しんげんち」の中にある電話が鳴った。電話の主は、現在ドキュメント映画監督をやっている土屋トカチ、通称「トカちゃん」でした。
久しぶりの電話に嬉しくなって「おー! トカちゃんかぁ!」とテンションの高い声を出して喜んだのもつかの間、それを遮るような低いトーンで「ファックスでも送ったのですが新宿段ボール村が火事になりまして……」と申し訳なさそうに語るのでした。見てみるとファックスが受信されていました。
意味があんまり分からなかったのですが、だんだんぼんやりと理解してきました。受話器からは段ボール村のその後の予定などを伝えていたようでしたが、私は聞いていませんでした。
受話器を置いた後、ファックスを手に取りました。ファックスを送った後、わざわざ電話までよこしてくれたんだ。トカちゃんはそこまでして、私に段ボール村のことを伝えてくれたのでした。
トカちゃんからの報告で最初に感じたことは、「嗚呼、もう段ボール村を絵で埋め尽くそうと頑張らなくていいんだ」という安堵の気持ちでした。悲しみでも怒りでもなく。この不謹慎な発想には自分でも驚きました。なので、この気持ちは湧き起こらなかったことにしました。
元気に「しんげんち」ペインティングに立ち向かった矢先に、どん底に突き落とすようなニュースが飛び込んできたわけなのですが、それはまるでしんげんちペインティングに集中しなさいというお告げのようでもありました。
私とイトヒサは一生懸命「しんげんち」に絵を描くのでした。
●いったん東京に戻る
ボランティアを手伝い、宴会を開き、制作をし、濃密な日々を過ごしました。
描き始めて一週間も経たないうちに、公安が偵察にも来ました。
絵はどんどん増殖して迫力を増して行きます。ある日、ボランティアの三浦君が、懸命に制作してる私たちを見て「鬼気迫る」と驚いた様子で語りかけてきました。
描き始めてから二週間くらいの2月25日。絵は埋まって、ほとんど完成していました。それでも私たちは、この絵はまだ「未完成」だと村長の田中さんや三浦君、村人に伝えました。
それは完成させるために「しんげんち」に戻ってくる、という約束の意味があったのでした。「僕たちは朝8時過ぎ「しんげんち」を後にした。
三浦君が板宿駅まで車で送ってくれた。さようなら。ではなく「いってらっしゃい」と言って。(KOBENOTEより)」(つづく)
【武盾一郎(たけじゅんいちろう)/ポロックとカンディンスキーを勉強中】
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