エセー物語(エッセイ+超短編ストーリー)[53]ナンバーズって、なに 渡し船
── 松岡永子 ──

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◎ナンバーズって、なに

「6月25日は超短編ナンバーズの日です」と、デジクリの原稿を取りまとめてくださっているタカスギさんからメールが来ました。

ナンバーズの日って、なに???

わたしも最近知ったのですが、ナンバーズというのは難波でオフ会(文学フリマの打ちあげ)をした時に話が決まったことからの命名だそうです。




オフ会をしたのは、最近ウラなんばと呼ばれている辺りにあるお店でした。あの辺もまあまああれな場所ですが、ミナミ(大阪難波周辺をそう呼びます)では、そういうことで一番有名なのはやはり千日前でしょう。江戸時代には刑場もありましたし、50年ほど前には大きなビル火災もありました。

その跡地に建ったプランタンなんばにはいろんな噂がありました。上層階の窓に外から覗く人の顔が映る、とか、夜ひとりで残っていると妙なものを見るので、従業員は一斉退出する決まりになっている、とか。

当時、プランタン内の店舗に勤めている友人がいたので、行った時に訊いてみました。

「全従業員一斉退出ってほんとう?」
即答されました。
「そんなわけないでしょッ!」

ですよね~。彼女、すごく忙しそうでした。

これは又聞きですが、出るという噂の病院の看護師さんに取材に行ったら、今死にかけている人のことだけで必死なのに、もう死んでしまっている人のことにまで構っていられない、と言われたとか。

生きていくというのは、それだけでなかなか大変なことです。生きていても死んでいても、人間ならそのことは知っているはずです。たいていの人なら、忙しい人のことはそっとしておいてくれると思います。


◎渡し船

ランチのとき、祖母の家には渡し船に乗って行ったと話すと、へえ、すごい田
舎なんすね、と言われた。まあ知らなくても無理はないが、大阪市内にも渡船
場はある。

祖母の家は大正区のやや南の方にあった。地図上では我が家からすぐなのだが、間の川に橋がない。電車やバスを使うとなると、ぐるっと遠回りしなくてはならない。

小学生だった私は、まだ補助輪の取れていない自転車で出かけた。渡し船は自転車も乗せてくれる。船着場で待つ時間ばかりが長く、動き出せばあっという間だった。

橋がないのは不便だろう、と父が尋ねた。
──いやあ、別に。バスの本数も多いから困らんし、それに……
ふと真顔になって祖母はつぶやいた。
──橋なんかできたらあれが渡ってきてしまう。
──おばあちゃん、あれって
なあに、と尋ねようとした私の言葉は遮られた。
──しっ。名前を呼んだら来てしまうよ。

その祖母も数年前になくなり、それから渡し船には乗ったことがない。実家も出て、今は職場まで歩いていける街中のマンション住まい。狭いが寝に帰るだけだから問題ない。

今日も残業で夜更けて帰る。昼間はにぎやかな場所だが、日付が変わる頃にはさすがに人通りがない。

この辺ではすべてが暗渠になった。むかし川だったという道路には、石の欄干だけが残っている。私の家はこの向こうだ。名ばかりの橋を渡る前に、祖母の癖を真似ることにする。

私は振り向き、深々と頭を下げる。
「お見送りありがとうございました。ここまでで結構でございます」
しばらくためらってから踵を返すあの気配がする。

【松岡永子】
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