■異例ずくめの大統領選
米国をふたつに分けた大統領選で、バイデン候補が勝利した。……すくなくとも、世界のほとんどの人々にとってはそれが今の現実だ。
選挙から1週間後の11月10日現在、トランプはまだ証拠を示すことなく「これは不正選挙だ。オレは勝ったんだ」と言い続け、法廷闘争を始めると息巻いている。
ブッシュ元大統領はバイデンに「おめでとう」メッセージを送り、元ニュージャージー州知事のクリス・クリスティは、トランプに「不正投票の証拠があるならそれを示さないことには、われわれもむやみに味方をすることはできない」と語った。
ほかにも数名の共和党の有力政治家がバイデン勝利を認めたが、そのほかの共和党トップの人々は現在のところ沈黙を守るか、「オレは負けてない」と言い張るトランプを積極的に支持する立場に回っている。
そしてコアな支持者たちは、「郵便投票でとんでもない不正があった」というトランプの主張を固く信じている。このままでは、この人たちが民主党の大統領を正当だと認めることは絶対にないだろう。
郵便投票や事前投票をする人が都市部の民主党支持者に多いことは、周知の事実だった。
だから選挙の何か月も前から、トランプとその側近は「郵便投票には不正が多いからやめろ」と証拠を示さずに主張し、実質的に投票を妨害しようとしていた。
トランプは8月にはUSPS(米国の郵便公社)へのコロナ禍援助資金を差し止めて、郵便投票を不能にさせようとしたし、トランプが据えた郵政公社長官は郵便システムそのものを遅延させることを承知で、郵便仕分け機の一割を撤去したうえ、投票用紙の扱いに関する残業を禁止するなどの措置をとった。
これには多くの州で投票妨害にあたるとして訴えが起き、これらの措置は撤回されている。郵便投票だけでなく事前投票も目の敵にされ、テキサス州では共和党の知事がそれに同調して、民主党勢力が強い都市部で事前投票箱を撤去したりした。
DWの参考記事:
US election: Which political party benefits from mail-in voting?
https://www.dw.com/en/us-election-mail-in-voting-biden-trump/a-55433216
今回の選挙では1億5,880万人が投票し、66.4%という近年最高の投票率を記録した。事前投票もそのうち1億100万件を超えるという新記録を達成。10月末の時点で、すでに事前投票が1億件を超えていた。
参考:United States Elections Project
http://www.electproject.org/2020g
バイデンが史上最高の得票数を獲得したのは、不正投票のおかげでもないし、バイデンにカリスマがあったからでもない(ほんとに、全然ない)。トランプを再選させてはいけない、という危機感が、これまで投票したことのなかった人たちも含め、多くの人を動かしたのだと思う。
今回は「VOTE」(投票しよう)という呼びかけが、街中でとても目立った。
シアトルがあるワシントン州は確実にブルー(民主党支持)の州。それが変わることはまずあり得ないのだが、それでも店や家の前に「VOTE」というステッカーや看板がたくさん出ていた。
ちなみに、ワシントン州は100%郵送投票を採用していて、投票用紙が自動的に有権者に送られて来る。投票箱が図書館や役場の前などに設置されていて、有権者は郵便で送るほかに、投票日前ならいつでもその箱に票を投函することもでき、とても便利だ。(わたしには選挙権はないが、息子のところに投票用紙が来る。息子は選挙前日に、近所の図書館の前の箱へ投票しに行った)。ワシントン州の投票率はなんと75%を超えている。
開票は当日の投票が先で郵便投票分はあとまわしなので、郵便投票分で民主党が追い上げることは予想されていた。
事前投票分の開票が進むと、最初はトランプ優勢だったウイスコンシン、ミシガン、ペンシルバニア、さらにはアリゾナやジョージアという激戦州でもバイデン票の追い上げが始まって、次々に結果が少しずつひっくり返っていった。水曜の夜から木曜にかけて、バイデン応援団はだんだんと光明がさしてくる気分を味わった。
7日土曜日の朝、バイデン当確をAP通信が発表すると、全米の各都市で息を詰めて待っていた人びとが歓喜の大騒ぎを繰り広げたのは、日本でも報道されている通り。
シアトルのバラードという地区にあるうちの近所でも、7日の朝はあちこちの家から歓声が上がり、カフェではシャンパンが振る舞われ、近くの公園では若者たちが花火を持って踊っていた。
報道された群衆の中には、BLM(ブラック・ライブズ・マター)の旗を持っている人の姿も見えた。コロナ禍への無策やハチャメチャで身内優先の人事、度重なる真っ赤なウソの拡散、そして人種差別を糾弾する全国的な大ムーブメントに対して「法と秩序」のロジックで抑え込むことでしか対応せず、国民の融和を求める呼びかけなどしようともしなかった、トランプに対する怒りと不満が、多くの有権者を動かしたのは間違いない。
でも、国の残り半分の人々がトランプを引き続き支持していて、これほど拮抗する選挙になった事実にも、わたしは改めて鈍い衝撃を受けた。国全体の得票総数ではバイデンが470万票ほど差をつけてはいるものの、たったそれだけか、と思う。
7,000万人以上の国民がこの人をまだ支持し、この人がトップで良いと考えているのかと思うと、遠い目になってしまう。
■田舎と都会の断絶とトランプ最大の「実績」
日本にもトランプをほんのり好きだという人が、けっこうな数いることに驚くのだが、思うに、この人の本当の下品さが報道ではきちんと伝わっていないのではないでしょうか。
先日、NHKのウェブサイトを読んでいて感じたのだけど、従来の政治家の発言と同じ文体でトランプの発言(とくにあの大文字ばかりの罵詈雑言ツイート)を翻訳するのは、誤訳に等しいといってもいい。
政策以前に、これだけ国内の分断を意識的に煽った政治家は、第二次大戦後の民主主義の国ではまず例がないと思う。
トランプは間違いなく、2016年の選挙運動中から現在までの4年半で、国民感情の分断を加速させた。もちろんそれ以前にも分断は存在していたけれど、トランプはそれを自分のために利用して押し広げた。
先月、わたしは息子と二人でユタ州、アリゾナ州、ネバダ州にロードトリップに行ってきた。砂漠のまんなかの小さな町や観光地で、「TRUMP」の大きな旗をかかげたピックアップトラックを何度も見たし、「赤い州」(共和党支持が優勢な州)の小さな町の家の前に、バイデン支持の看板が出ているのも見た。
トランプ支持者の基盤は「中西部の忘れられた人々」だとよく言われる。それは事実だけれど、田舎のトランプ支持者は経済的に恵まれない人ばかりではない。立派な牧場の豪邸にも、トランプ支持の旗が立っていた。「忘れられた」層だけではなく、分厚い富裕層がトランプを後押ししているのは確かだ。
この国はほんとに広い。意見の違う人たちが、一生、互いに顔をあわせなくても済むほど広い。
人口の多い都市部は「ブルー」つまり民主党支持が圧倒的に多く、人が少ない地域つまり田舎は圧倒的に「レッド」つまり共和党支持者が多い。
この図式は今回の選挙の開票結果を見ても顕著だ。たとえば、ジョージア州。アトランタ、サバンナ、オーガスタといった都会や郊外地域はブルーの民主党支持地域、それ以外はほとんど真っ赤な共和党支持エリアだけれど、州全体の得票数では1万3,000というきわどいリードでバイデンが勝っている。
ワシントン・ポスト紙のジョージア州開票結果:
https://www.washingtonpost.com/elections/election-results/georgia-2020
ワシントン州も、たとえばシアトルのあるキング郡が75%という圧倒的なバイデン支持だったのに対して、人口の少ない東部はトランプ支持者が多い。
ワシントン・ポスト紙のワシントン州開票結果:
https://www.washingtonpost.com/elections/election-results/washington-2020
日本で「田舎」と呼ばれる地域には、「都会のようにいろいろ揃っていない場所」という意識が強いと思う。地方都市の出身の友人も、自分の「イナカ」が「都会に対して劣る」という主旨の自虐ネタをよく言う。都会と田舎を同じ物差しで測って、当然ながら都会が優れている、と判定する感覚。
でも、アメリカの場合、「カントリー」の人たちは都会の優位性にそんなに敬意を払わない。アメリカの田舎には強大な矜持がある。中西部の小さな町に住む人々には、自分たちこそ正統なアメリカ魂を体現する存在だという意識があるのだと思う。日本で言えば、関西人が東京に対して持つひそかな優越感と矜持に少し似ているかもしれない。
トランプは、情念に働きかけるのにとても長けている。
支持者の多くは、トランプの「はっきり物を言う」「これまでの政治家にないスタイル」「とにかく強気を貫く姿勢」を「正直」「強さ」と受け取って、それを自分に投影して熱狂しているのではないかと思う。
スーパーヒーローのコスチュームを着けたトランプが描かれたTシャツを着た、支持者の画像を良く見かけるけれど、たとえばこんなイラストが、支持者の心情を代弁しているのだろう。
https://www.adn.com/nation-world/2020/11/02/as-trump-backers-rallies-and-caravans-escalate-critics-see-intimidation/
同性婚やLGBTQの権、多様性を尊重する空気感などは、たとえば白人ばかりの大草原の小さな町の人々にとっては、テレビ以外では見ない「異常な価値観」に映るかもしれない。
都会のいわゆるエリートたちが、自分たちの価値観をまるっきり無視して物事を進めている、という悔しさが、アメリカの中心部、カントリーサイドには以前から渦巻いていた。
トランプはその負の感情を利用して、悔しさを持つ人々にカタルシスを提供した。
それに集中するあまり、外交政策よりも何よりも国のトップに立つ政治家として一番大切なこと、つまり国民全体の信頼を得て国をひとつにまとめていくという任務を、あからさまに踏みにじってきた。
反知性主義とかアイデンティティの政治とか言われるけれど、トランプが支持者にこれだけ熱烈に押し上げられた動力源は、とりもなおさず、不満を持つ人々の負の感情に出口を用意したことだったのだと思う。
「敵」に対して意地悪な態度を取り、「やつら」に対する嫌悪をかきたてたこと、さらにはウソをついてもOKだと示したことこそが、トランプの最大の「実績」だった。
田舎と都市の分断を、トランプはとてもうまく操った。
自分の支持者たちの不安と不満に訴え、かれらが嫌悪したり不安を抱く対象(主要メディア、コロナ禍でソーシャルディスタンスやロックダウンやマスク着用を押しつける学者や医師や左派の政治家、移民、メキシコ人、中国人、都会のストリートでBLMやLGBTQの権利を主張する「極左」のデモンストレーターたちなど)を次々に汚い言葉で罵り、レッテルを貼り、「フェイク」と呼び、根拠のないセンセーショナルなストーリーを使って「敵」にまつりあげ、敵を作り上げることで支持者の団結感と使命感を盛り上げた。戦時中のプロパガンダとまったく同じだ。
トランプは4年間、国の半分を相手に戦争をしていた。敵を作って攻撃しては盛り上がる快感を、自分の支持者たちに与え続けるために。
トランプのこの手法は、前回の選挙でのヒラリー・クリントンに対する中傷のスローガン「牢屋に入れろ!(LOCK HER UP!)」以来続いている。2016年、トランプが繰り返し開いた集会で、群衆がこの言葉を繰り返すのをニュースで見て、背筋が寒くなった。
生身の人間に対するこれほど強い嫌悪の念を、民主主義の国の政治家があからさまにかきたて、それに人々が熱狂する光景は見たことがなかったからだ。しかも、大統領候補という立場で。そこにはむき出しの嫌悪、「悪者」「他者」を糾弾する魔女狩りのような熱狂があった。支持者が、まるでフットボールの試合を応援するような調子で、女性政治家を「牢屋に入れろ」と唱和している姿に気分が悪くなった。
この時からトランプとスターリンやヒトラーの姿を重ねてゾッとした人は、わたしのまわりにも多い。
2016年の大統領選で、トランプはヒラリーが米国のウラン鉱石をロシアへひそかに流して巨額の富を得たと、支持者にウソをついた。
もちろんそんな事実はひとつも確認されていないが、トランプが大声で自信たっぷりに語り、ツイートした内容を支持者は信じて、ヒラリーを「牢屋にいれろ!」と大声で連呼した。
そこにあるのは、嫌悪を共有することで得られる快感だ。それは傍から見ると、弱い者をいじめて喜ぶのと同じくらい卑しい喜びじゃないかと思うのだが、支持者の多くはそれを愛国精神だと信じ込んでいる。
今年になってからは、トランプ支持者が銃で武装して、民主党の政治家やその支持者たちを威嚇するケースも、頻繁に見られるようになってきた。それも、反トランプ陣営の警戒レベルをさらに上げることにつながった。
■ポピュリズムの火に油を注ぐエリートの傲慢さ
ウェブ版『クーリエ・ジャポン』のインタビュー記事で、ハーバード大のマイケル・サンデル教授が、政治を変える前に「エリートたちがまず謙虚さを養うべきだ」と語っている。
クーリエ・ジャポン「バイデンが勝っても根本的な問題は消えない」
https://courrier.jp/news/archives/217431/
大統領選挙戦たけなわの2016年9月某日、ヒラリー・クリントンは支持者(コアな支持グループであるニューヨークのLGBTコミュニティだった)のファンドレイジングイベントで、うっかりこんな発言をした。
「You know, to just be grossly generalistic, you could put half of Trump’s supporters into what I call the ‘basket of deplorables.’ Right? The racist, sexist, homophobic, xenophobic, Islamophobic - you name it. And unfortunately, there are people like that, and he has lifted them up.」」
「ごく大雑把な言い方ですが、トランプ支持者の半分は、わたしが『デプロラブル(嘆かわしい人びと)のカゴ』と呼ぶカテゴリーに入れてよい人びとだと思います。そうですよね? レイシスト、性差別主義者、同性愛を嫌悪する人、外国人恐怖症やイスラム恐怖症の人など。残念ながらこういう人たちは存在します。トランプは、こういう人たちを持ち上げてしまったのです」
そして、残りの半分のトランプ支持者は「政府に取り残され、経済に恵まれず、誰にも顧みられることない人びと、彼らの生活や将来については誰も案じてくれず、絶望的なまでに変化を必要としている人びと」だとして、「彼らに対しては理解と共感を持つべき」と自分の支持者に向かって訴えた。
この発言が大炎上した。サンデル教授も上記のインタビューで指摘しているが、このヒラリーの発言は、もしかしたら2016年にトランプの勝利を後押しした、大きな要素のひとつだったかもしれない。
自分たちがほかの人たちよりもずっと優れている、という上から目線をむき出しにしたら、その「ほかの人たち」を傷つけ怒らせるのは当然だ。ヒラリーとその支持者たち(多くは大都市やその周辺に住む高学歴高収入で情報に通じた人々)は、自分たちが完璧な善人だと信じていて、人を見下していることにまったく意識的ではなかったのじゃないかと思う。相手に嫌われて当然だ。
サンデル教授はこう語っている。
「社会の頂点に立った人は、自分が成功できたのは自分の実力だと考えがちです。実力で成功したのだから、市場社会が成功者に配分するものを受け取って当然だと考えるのです。それは置いてけぼりになった人たちは自業自得だとみなす見方にもなります」
「外国人嫌悪や超国家主義といった醜悪な感情に働きかけ、トランプの場合はそこに人種差別が追加されました。トランプなどの発言が醜いせいで、トランプなどを支持する人たちの訴えが正当だということになかなか気づけていません」
そのうえで「市民が分かち合う公共空間を作り直す」ことが必要だと訴える。「階級が異なる人や生活条件が異なる人と出会えるように」社会インフラを見直すことが必要だと。
まさにこれは先日のロードトリップの間、息子と話していたことだった。
米国は広い。広すぎて、田舎と都会、「赤い」地域と「青い」地域に住む人びとが、お互い顔を合わせる機会がほとんどない。自分の住んでいる環境にはだいたい似たような生活条件や考え方の人が集まるから、自分の「常識」の範囲を出ることがなく、遠くのまったく異なる地域に住んでいる人への想像力が育たない。SNSもこの傾向に拍車をかけている。
対話を始めるには、まず、お互いに共通の経験をもたなければならない。嫌悪を横に置いて、お互いが自分と同じ人間だと認めるところからしか、何も始まらない。本当に当たり前の話なのだけど、今の米国にはそれが決定的に欠けている。
高校までのあいだに、国外ではなく、内陸部の「田舎」と都会の間で「交換留学」をすべきでは、というのがわたしの妄想。
費用は国の上位1%の富豪たちに出してもらおう。全国の中高生が数年に一度、まったく関わりのない土地のホストファミリーの家に滞在する。小さな町で育った子どもたちにも、都会で育った子どもたちにも、大きな収獲があるのではないか…。
今回の大統領選の泡沫候補の一人に、ラッパーで起業家で自称天才のカニエ・ウェストがいる。
カニエは去年、自分のアパレルブランド「YEEZY」(イージー)の本拠を、ワイオミング州のコーディという小さな町に移した。YEEZYは市場で大成功を収めていて、今年始めにはGAPとのコラボも発表された。
コーディというのはイエローストーン国立公園のすぐ東側にある小さな町で、カウボーイの聖地みたいな場所。もちろん人口(約9,000人)のほとんどは白人だ。わたしも一度行ったことがあるが、カウボーイハットとブーツを売る店ばかり並んでいて、夏の間の観光収入に頼っているのが明らかだった。
カニエはこの町を拠点に、綿などの素材の生産からデザインから製品化まで、すべて行おうという壮大なビジョンを持ち、熱心なキリスト教徒としてキリスト教をベースにした学校を作るなどの構想も立てているらしい。
気が変わりやすい自称天才のことだから、気長に結果を待つしかないが、コーディの人たちは、新しいお金をもたらし雇用を生むかもしれないカニエの事業展開を、おおむね好意的に見守っているようだ。
参考:ニューヨーク・タイムズの記事:「Kayne, Out West」
https://www.nytimes.com/2020/02/23/style/kanye-west-cody-wyoming.html
エキセントリックな起業家を待つまでもなく、こんな国内の異文化交流がもっとたくさん始まると良いのだけれど。
7日夜のバイデンの勝利演説は、今、この国がなによりも必要としている融和と癒やしに焦点を当てていた。
バイデンには本当にぜんぜんカリスマもなく、オバマのような雄弁さもないが、現在のアメリカ人に語るべきポイントに的を絞って、きちんと語っていてほっとした(もっとも、国の半分が聞く耳を持たないと思うと、気持ちが沈むが)。
クリスチャンにも届くよう有名な旧約聖書の言葉を引用して「今は癒しの時」だと語りかけ、互いに「demonize(悪魔のような存在だと忌み嫌う)してはいけない」「互いを敵と呼ぶのはやめよう。私たちはみなアメリカ人なのだから」と続けた。
トランプは4年間、まさにdemonizeできる敵を支持者に提供し続けた。相手を理解しようともせずに、悪魔だとみなして攻撃するのが流行した時代は終わったのだ、と思いたい。
トランプと彼が提供する敵への罵詈雑言に熱狂してしまう人々の姿、そしてエリートたちの無意識な傲慢さから、この国は多くを学んだはずだ。
ジョージ・フロイドの殺害事件は、多くの白人たちにとってそれまで見えていなかった差別構造を切実な体験として共有する機会をもたらし、社会正義の実現を願う人々の新しいグループを生んだ。コロナ禍の一年は、多くの米国人にとって、より謙虚になり、より深く考え、より冷静に自分と社会を見つめ直す契機になったのではないか。
道は遠く長いけれど、謙虚で冷静な対話が始まることを祈ってやまない。この泥仕合を見てうんざりした10代や20代の若者たちの間から、建設的な架け橋が生まれてくるのを期待するばかりだ。
【Tomozo】
英日翻訳者 シアトル在住
https://livinginnw.blogspot.com/