ローマでMANGA[33]気持ちのいいMANGA/midori

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過去において、講談社の「モーニング・アフタヌーン編集部」と10年ほど仕事し、その後も時々仕事が発生する。そんな関係なので、私にも「関係者」として「モーニング」「モーニング・ツー」「アフタヌーン」を送ってくれている。週刊モーニングは、どういうわけだか知らないけれど、時々来なくなって今もその時期。

それはともかく、モーニング・ツーそしてアフタヌーンに付いてくる「四季賞」の単行本(年に4回開催される新人賞の入賞作品を集めて発行。だから年4回)が楽しみだ。

二つに共通の読後感がある。「フィクションの快楽」と私が呼ぶやつ(母によく「女の子がヤツなんて言っちゃいけません」って言われた。ごめん、ママちゃん、また言っちゃった)がそこにある。

日常生活だったり、アクションだったりの「衣服」はともかく、リアルを超えた想像力を駆使したエピソードや設定がすごく楽しい。現実の生活でありえない設定や展開を、起こってもおかしくないような説得力を持って提供してくれる。そして、その世界がそれぞれ作者によって違って、いろんな世界が出現する。「ありえなさ」と現実世界の差もそれぞれだ。大人の童話、ファンタジーだ。旅みたいに、いつも使わない脳みその部分をこちょこちょされるのが気持ちいい。

この気持ちよさを提供してくれるMANGAには、二つ特徴があるように思う。あり得ない世界に説得力を持たすためのノウハウ=MANGA言語と、もう一つは作者の言いたいこと、あるいは伝えたい自分の世界の存在だ。



特に四季賞では話、絵ともレベルの高さに驚くのだけど、たまに絵の表現に稚拙さが見え隠れしている作品がある。ただ、その線には、叶わないまでも必死に表現したいものに近づけようと苦心した結果が読み取れる。その賢明さもまた気持ちがいい。そういうことって文なら行間に、音楽なら音符と音符の間に、絵なら空間ににじみ出るもの。

空間ににじみ出る、その「これを伝えたい」「これを表現したい」という思いがとても大事。それは壮大なテーマでもいいし、特殊な設定でもいいし、ただただ好みなカワイコちゃんでもいい。

ローマのマンガ学校での私の授業は「MANGA・セミナー」。MANGA言語をなんとか学習して欲しいと思ってる。そして実際に4ページか8ページの作品を作ってもらう。もちろん、200作以上の応募作から選ばれ、大賞を取ったアフタヌーン四季賞の作品と、学校に入って初めてマンガを描く人の作品を同じ土俵に並べるのは酷である。それを十分承知しながら、その無理をしてしまう。

絵が下手なのはいい。描き始めたばかり(マンガが好きなら、もっと前から描かないの? と思うのは私ばかりじゃないだろうけど)。ストーリーが稚拙なのもいい。描きたいこと、伝えたいこと、が......ない。これが一番難しいのだろうか。

実は、中には、毎年何人か何年も温めてるストーリーがあるからこれを描きたい、と言う生徒もいる。大体において初心者が、扱いきれないほどの大河物語で、既出のものによく似てる。まぁ、これもまだ慣れてないのだからしょうがないとしようか。憧れたものに近づきたいという、ファン意識が制作の動機になるのはよくある話だから、決して悪いことではない。

MANGAは絵とテキストで話が進んでいくわけだけど、絵のほうがインパクトがあるので、素人はどうしても絵に力を入れたがる。なんというか、絵に力をいれることが悪いというわけではなく、絵だけに力を入れてしまう。そしてその絵は、状況を説明するためのイラストレーションになってしまう。

どこかで読んだ話に、状況解説のイラストレーションではわくわくできない。例えば「この僕の理想の女の子の、こういうセクシーな姿を描きたい〜」っていう思い。これが足らないのだと思う。

そういうものがあればどこかで読んだ話がベースでも、彼の、彼女のMANGAになるはず。MANGAの基本である、キャラへの思い入れが足らない。キャラは大河物語を展開するための駒に過ぎなくなっているように思う。

憧れの既成の物語に触発された何かがあるはずなのに、その物語の表面的な構成要素だけに目が行ってしまってる。ファンの目で止まっているというわけなのだ。作家なら、もう一歩、中に入り込む...そういう道があるのだということをわかってもらうのが先決のようだ。

今年の授業は11月半ばから。小学校、中学校、高校などの普通校ですら、長い夏休みが終わって9月に半ばから新学期が始まる。マンガ学校のような専門学校は10月開講が普通。その中で私が受け持つセミナーは、開講のゴタゴタが済んでからの開始となるわけで11月半ばから。

ちょっとだけ拗ねたような空気を感じました? 実は、ちょっとだけすねてます。正式コースではなくMANGAセミナーであることに。ヨーロッパ式のマンガにも役に立つと思っているので。ただ、校長の、専門学校なのだから卒業してすぐに役立つことでないと、生徒をおちょくっているようなもの。。。という意向は理解できます。

ヨーロッパのマンガは以前にもここで書いたように、状況展開で話が進むので一冊のページ数が少ない。日本のMANGAは、読者がキャラに感情移入をして読んでいくので、経過時間が読む時間とキャラの体験時間が一致し、ページ数が多くなる。出版側の体制はページ数が少ない本作りなので、イタリア人作家が書き下ろしで多いページ数を作っても、売ってくれるところがない。。。

校長が理解している「MANGA」は絵のスタイルだから、MANGA言語を理解してくれたら、少なくもコミックス科の授業の一環くらいには成りうるとも思うけれど、私が何とか説明しないと校長からは言ってこないだろう。。。というのはまた別の話、別の問題。

【みどり】midorigo@mac.com

これを書いてるのは、9月24日。そう、日本の外交が終わった記念すべき日。中国の「漁船」が海上保安庁の巡視船に体当たりをして逮捕され、法治国家として法に基づいて裁かれるべきところを、中国の脅しに負けた日本にあっさり釈放されてしまった。海上保安庁によると、あの漁船は一隻で領海侵犯していた。漁業であれば数隻で作業をするのが当たり前。中国漁船の多くは海軍船を改造した工作船であることが多いそうな。「いつものように」百隻ほどの中国船が近くを航行してたとか。そして一隻だけ領海侵犯した。

レアアースをもう分けてやらん、建設会社フジタの関係者4人を拘束したぞ、そのとたん船長を釈放。つまり、騒げば言うことを聞く国と認識されてしまった。いや、実際そうなのだと見せてしまった。

これからは中国のやりたい放題。。。なんて嫌ですよ。外交が終わった日と書いたけど、そうであってはならないの意味。政治家は票を得るために民意に添って活動する。あるいは民意を誘導しようとする。もうたくさんだ、日本は独立した法治国家だと一人一人が認識し、声を上げる時が来たのではないでしょうか。

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