ローマでMANGA[74]読者は「ミヌス」にきちんと反応していた/midori

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90年代に講談社のモーニングが、海外の作家の書き下ろし作品をのせるという前代未聞の企画を遂行していたとき、にローマで「海外支局ローマ支部」を請け負って、そのときのことを当時のファックスをスキャンしつつ、それをもとにこのシリーズを書いている。


●ミヌスへの読者の反応

いよいよミヌスがモーニング誌に掲載された。担当編集者はドキドキしながらあるモノを待った。あるモノとは、雑誌の巻末についている読者アンケート葉書だ。誰も反応しなかったら? こういう場合、無視が一番こわい。箸にも棒にもかからないというのが一番こわい。

でも来た! ミヌスについて反応した葉書が! 編集者はミヌスについて書かれた葉書を一部コピーしてファックスしてくれた。

このへんのやりとりは1994年の11月初めに行われている。息子がヨチヨチ歩き始め、郊外へ引っ越してガタガタしている時期の話だ。にも関わらず、整理整頓下手な私がちゃんとファックスを整理して、取っておいたのを自分で褒めている。すごく真剣にこの仕事に向かっていて、自分の性癖を理解していたから特に気をつけて「粗相があってはなんねぇぞ」と常に言い聞かせていたのだ。

「ミヌスの色は鮮やかでいいね!」
「色が鮮やかでいい。」
「シンプルな絵、鮮やかで豊かな色彩に、子供の頃に読んだ絵本を思い出しました。」
「色が溢れてるような感じです」
「言葉のないミヌスを読んでいるとチャップリンの無声映画を思い出した」
「オールカラーのミヌスのきれいな色彩にひかれて思わず買ってしまいました」
「絵本みたいなきれいな色彩ですね。絵の愛らしさと噺の内容のギャップが面白い」
「ミヌスの可愛い絵と美しい色使いに圧倒されました。」
「とてもかわいらしいキャラと絵が心に残る作品です」
「カラーインクでしょうか? 色がとてもきれいですね。」
「絵もかわいい、とても面白かった。発想が笑える」
「ミヌスは色がきれいですね。ぬりえがしたくなりました」
「ミヌスが不思議な作品でものすごく心に残りました。内容と色が合ってて大好きです」
「色がとってもきれい!」
「ミヌスにはびっくりしました。きれいな色、センスのいい結末。言葉でなんか表現できないよ〜」

これに対し、編集者は「読者の反応内容はすごく良いとはいえないが、けっして悪くはなかった。読者はきちんと反応していた。外国人作家の初登場としては上々と言える」と分析した。無視されなかったということがまず第一だ。

読者の反応は、新連載作品の今後の方向修正にも役立つ。編集者は反応を総合し、分析して整理した。

1)ミヌス(ミーアやミーオも)がかわいい
2)絵(色)がきれい
3)発想がユニーク
の3点を上げ、今後の制作で留意すべきは「ミヌスが可愛い」だろう、と指摘
した。

父親の「ミヌス」、母ミーア、息子ミーオの家庭劇として設定し、その枠の中で作品を展開していくのもひとつの方法かもしれないと、このファックスで言った。

ヨーリのオリジナルアイデアはすべて、まったく自由に思い付くままの、ほのぼのユーモアやブラックユーモアで語っていくことだった。ミヌスは特定の性格や職業などの設定はなく、何にでもなれて、何歳にでもなれるキャラクターとしてヨーリから生まれた。

これまでに編集者とのやりとりでOKが出た話は、ミヌスの役割は様々で、構成も様々だ。今回モーニング誌上に掲載になった話は親子で登場し大きなコマ割りのある8ページ。他は1ページものあり、1ページ1コマの絵本のような8ページもの。1ページ1コマの2ページもの。内容も一般人のミヌス、ファラオのミヌス、中世の騎士のミヌスとほんっとに千差万別。

担当編集者は読者の感想から、ある程度の決まった設定が良いと判断した。

●大海ではなくお庭へ誘おう

MANGAの読者は、キャラに感情移入して物語を生きる、という読み方に慣れている。結局はMANGAの基本をなぞるということにつきてしまうのかもしれない。

キャラに感情移入するためには、キャラにある程度の決まった設定があり、性格が決まっていて、お馴染み感を作りあげる必要がある。キャラがあまりにも奔放で毎回すべてが変わると、読者は毎回キャラをおさらいすることになる。毎回新しいキャラと出会って、関係を作り直すことになる。そうすると楽しめないのだ。

MANGAを始めとする表現芸術は、作品作品によって表現方法やシチュエーションが変わるので「楽しめないのだ」と言い切ってしまうこともはばかられる。毎回新しいキャラと出会って楽しめる作品もないはずがない。

でも、担当編集者が意図するのは、この場合、「ミヌス」と言う名のシンプルな画像のキャラがあって、読者が反応した美しい色彩(彩度が高い)という重要な二つの要素は変わることがない。

ミヌスが繰り広げるナンセンスなユーモアという要素も毎回同じ。この三つの要素のみ固定して、内容を果てしなく広げていって読者を大海のどまんなかに誘うよりは、固定した環境において身近な存在としてアピールしていくという意味だと思う。

同じひょうきんな顔をした三人の親子が、美しい色の洪水の中で、淡々と怖いことをしていくシリーズっていうのも確かに見てみたい気もする。

ここまでは11月のファックスで、担当編集者がボローニャへ行く話をしている。ボローニャに住むヨーリと、前シリーズで扱った子供宇宙飛行士「ユーリ」の作者イゴルトとの打ち合わせに行くわけだ。

ファックスでのやりとりでも話が通じることは通じるが、人間同士の付き合いは対面でのコミュニケーションも大事だ。会話だけではない表情や言葉の抑揚や、その場での対応が人となりを理解するのに役立つ。

正確な日付の記憶はないのだけれど、私も担当通訳として編集者のお供をしてボローニャへ行った。

息子は一歳過ぎて固形物を食べていたので、数日私がいなくても大丈夫だろうと判断した。ちょっと余計な話になるけれど、息子は一歳になっても母乳を飲んでいた。指吸もおしゃぶりも毛布吸いもしない、ひたすら母乳の子だった。

周りはまだ吸わせてるの?! とうるさかったが、育児のバイブルとあがめていた松田道雄先生の「育児の百科」にも、「子供は安心したい。おしゃぶりを選ぶ子もおっぱいを選ぶ子もいる」と無理に母乳をやめる必要はないと書いてあった。

成長するための栄養はちゃんと他で摂っていて、すくすく育っている。眠かったり不安になると、抱きついてきておっぱいをせがむのだった。「この世に生まれてきて歓迎されていると子供に伝えなさい」とバイブルが言い、安心するための口にふくむものをあげるのは「ここにいていいんだよ」と伝えることだと大いに了解したので、結果、3歳になるまで寝る前はおっぱいをあげていた。

乳牛と同じ理屈で、使用中は母乳を生産し続ける。ボローニャへ出張した時期も母乳生産中だった。子供がいつもお昼寝をする時刻になるとおっぱいが張ってきて、にじみ出てきたのを覚えている。生命の不思議+家庭内で仕事をして子どもと24時間そばにいられた幸運。

ボローニャでの会見は丸一日仕事の打ち合わせをしたわけではなく、作家たちと食事もして和気あいあいと過ごした。

今、ミヌスのことについて主に書いているけれど、先に始まった「不思議な世界旅行」の方もネームは進んでいた。ボローニャでももちろん両方の話をした。先のイゴルトはシリアスなマフィアの話「アモーレ」と、可愛い子供宇宙飛行士「ユーリ」を抱えていて、作家は二人なのに4人分の打ち合わせだった。

●通訳の頭のなか

ところで対面の打ち合わせだと、通訳はファックス通信の翻訳ように時間をかけて辞書を用いたりしながら言葉を選ぶことが出来ない。当然ながら、その場で言葉を変換していくわけだ。日本語の特殊性を痛感するときでもある。

イタリア語をはじめとするヨーロッパ言語は、主語+動詞+述語の順でフレーズを構成する。日本語は主語+述語+動詞。つまり、日本語からイタリア語にするときも、その逆の時も、フレースを全部終わるのを待たないと通訳に取り掛かれない。

ヨーロパ言語体系に属する言葉の場合は、ほぼ同時通訳も可能になる。だって、順番が同じなんだもの。

This is a pen. みたいな単純なフレーズの場合はあまり困らないけれど、イタリア語に大豊富な形容詞をたくさんくっつけてくれると、日本語にするのに戸惑う。(形容詞+主語+形容詞)+(動詞+副詞)+(形容詞+述語)=(形容詞+形容詞+主語)+(形容詞+述語)+(動詞+副詞)と単純にいくならまだいい。

日本語の主語にたくさん形容詞をくっつけるとすごく不自然になる。日本語は副詞が豊富にあって、これをイタリア語に単純に同義語を当てはめることができない。「さめざめ」とか「しくしく」と泣いたりしないのだ。イタリアでは。なんとか形容詞を見つける方がしっくりくる。

頭の中のスイッチをパチン、パチンと切り替えて、日本語にしたりイタリア語にしたりを繰り返すこと2時間に及ぶと、スイッチが疲れてくる。まず起こる現象が、何語をしゃべっているのか認識できなくなって、日本人にイタリア語で話しかけたりする。

次にやってくるのが、頭が真っ白になる現象。席にいる誰かがしゃべる。聞いているときはちゃんと、しっかり内容を把握している。それをいざ訳そうとすると、なぜかなんにも頭のなかに残っていないのだ。今、聞いたばかりなのに!!!

夢を見て、朝起きた時に夢の残骸の余韻の仄かなニュアンスは残ってても、内容を全く思い出せないのと同じ状況がやってくる。その時は、勝手にでっち上げるわけにも行かないので、ごめんさいと言ってもう一度繰り返してもらうほかはない。

最初、これが訪れた時は、私ってダメな通訳! とおもったけれど、他の国の同僚もそうなのだと聞いた。パリ在住は「あ、来そうだな! と思ったら、ふんっ! と踏ん張るのよ」と金縛り対策みたいなことを言っていた。

幸い、私の場合はその前にファックスで散々やりとりして、周知の仲なので繰り返しをお願いして嫌な顔をされたことはない。

国際会議で日本語同時通訳をする人の頭のなかはどうなってるんだろうと、同情と尊敬の念を以てテレビニュースを眺めたりする。いやぁ、あれは針のムシロじゃなかろうか。

次回は1995年へと進みます。

【みどり】midorigo@mac.com

1月、2月、3月とマンガ学校のフィレンツェ校で授業を持った。ローマ校ではずっとセミナーだったので、初めての正式コースだ。セミナーは週に一回2時間のみ。正式コースは一回3時間で週に3回。だからじっくり生徒と付き合える。宿題も出せる。

そうすると課題のアイデアも色々出てくる。なるべく自分の頭で考えることができるように、既成の作品(漫画に限らない)を見て分析することができるようになるように工夫した。

1月には4ページ、2月には8ページ、3月には16ページのネームを作らせた。この16ページのネームを持って4月から6月まで、日本からの漫画家さんが講師として描画実技して原稿を完成に持っていく(我が子を里子に出した感じがして、ハラハラ)。

2月に生徒から出してもらったネームでバーチャル雑誌を作ってみた。
みんな、なんとかキャラの感情を中心に話を作ることに成功したと思う。
< http://issuu.com/midoriyamane/docs/gianni >

無料電子書籍「イタリアで新しい漫画を作る大冒険」
< http://p.booklog.jp/book/77255/read >

主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
< http://midoroma.blog87.fc2.com/ >

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