ローマでMANGA[105]フキダシの形と位置の問題
── midori ──

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ローマ在、マンガ学校で講師をしているMidoriです。私の周辺のマンガ事情を通して、特にmangaとの融合、イタリア人のmangaとの関わりなどを柱におしゃべりして行きます。

●「天才的なプロジェクト」のその後

ローマのマンガ学校の講師仲間である原作者、絵師と組んで私がmanga式の演出をする「天才的なプロジェクト」は、絵師の遅れもあって企画出発から一年経過してしまったが、ようやく軌道に乗って来たようだ。

プロローグ4ページ+25ページの最初のエピソードが完成し、オノマトペを入れて完成原稿とし、出版社に送信するに至ったのだ。

これを書いている日の朝、出版社との連絡係である原作者から、編集部が原稿をダウンロードしたと連絡があった。出版社に請求書も送ったし、いよいよ正式に制作段階に入ったということ。

絵師は昨年、なかなか原稿を見せてくれないと思ったら、この描き方はどう? というのを3回もやってスタイルを変えて、その度に時間が経っていった。そうそう、その前には「自由にレイアウトを決めていいんだね!」と私のネームを無視したこともあった。

悪気でやったわけではなく、私の「演出」という立場をどうしても理解できなかったのだ。その上、私が作る乱雑な下書きのような「ネーム」の意味がわからなかった。




仕方がないので、ネームの上に赤で「このコマの目の位置の高さと次のコマの手の位置の高さを同じにして」などと注文を追加した。それでもネームの意味がわからない。「脚本を出してくれないと、どうしていいかわからない」と繰り返す。

原作者は肩をすくめて諦めて、私のネームを画像として埋め込んでワードで脚本を制作することにした。つまり、

「ページ2
1コマ目 主人公中央にアップ、憂い顔
2コマ目 島の遠景。水平線をほぼ中央の高さに……」

と、延々と続くわけ。こんなふうに文章で読む方が分かりにくいと思うのだけど、こちらでずっと仕事をして来たので、文句を言っても始まらない。

長くやって行くうちに、私の乱雑な下書きのようなネームを読めるようになってくるかもしれない。取りまとめ役の原作者は、私のネームをわかってくれるのが救いだ。

●欧文には横書きのフキダシ! と思いきや…

出版社に送信したプロローグ+最初のエピソードは、一人住まいの主人公の家での話なので、セリフがない。

副詞がそのままオノマトペになる日本語と、そうでないイタリア語での演出の違いを改めて感じつつ、ともかく終わった。主人公が無言で玩具を直すシーンで、主人公が画面に現れず、作業場の何か所かを「映し出す」構成をした。

主人公が現れないコマにも作業の音を入れたかったのだが、イタリア語にはそういう音がないし、無理に作っても読者には何の音かすぐには分からないので、オノマトペを入れることが出来なかった。

次のエピソードは、もう一人登場人物が現れて会話の連続になる。そこで、なるほどー! と思うことにぶつかった。フキダシの形と位置だ。

イタリアで翻訳出版されるmangaは、オリジナル通り日本式の読み方向だ。イタリア語は横書きで左から右へ読む。右から左へ読み進むmangaのコマ運びとセリフが、常にコンフリクトを起こしている状態だ。

しかも、縦書きの日本語に合わせて縦長のフキダシに横書きの文を嵌め込むので、単語が切れぎれになって読みにくい。

mangaファンで自分でもmangaを描く若者の多くは、絵のスタイルだけでなく、読み方向を日本式にして、フキダシも縦長にする。イタリア語なのに。

ページが進む方向とセリフの読みの方向がコンフリクトを起こすことと、縦長フキダシで文が切れて意味にくい、イタリア人読者を相手にイタリア語で書くのだからこの二項目は意味がない! とコメントする。

たいてい、これで慣れてるから全然違和感がないよ……とブツブツ言う。mangaみたいでかっこいい、とも。

今回、イタリアの市場向けにイタリア語で制作するのだから、フキダシの形は断じて横長だわ! と意気込んでネームを作って行って困ったことになった。

一段を全部使った横長の大きなコマだったら、横長のフキダシが入る。入るだけではなく、左寄り、右寄り、中央、上、下とフキダシを置く場所を選ぶことができる。

キャラの右にフキダシがあるのか、左にあるのかで、セリフを読む速度が変わってくるのだ。だから演出の大きな要素になる。

一段にコマが二個とか三個とか入って、コマの幅が狭くなると困ったことになるのだ。

イタリア語は他の欧米語同様、ひとつの文に主語、動詞、述語がある。ある、というか、ないと文にならない。必然的にセリフが日本語に比べて長くなり勝ちである。

その長くなったセリフを収める、横長のフキダシをコマの中に入れると、コマの横幅一杯になってしまうことが多々ある。絵も当然あるわけだから、フキダシはコマの上か下、横幅いっぱい使って置くしか方法がない。

コマの中央に置いたら、コマを三段に分けてしまってよろしくない。

欧米マンガでフキダシが全部コマの上部とか、昔のマンガだと、コマの下に文を置いたりしたのはむべなるかな、なのだ。

つまり、日本式の(やや)縦長のフキダシの方が、コマの中に自由に配置できるということなのだ。

manga好きの若者が自分のmangaを描くときに、文が切れて読みにくくともフキダシを縦長にするのは、「オリジナル」のmangaのやり方を真似したいと思ってるだけなのかも知れないけれど、縦長のフキダシを使うな、と言われたら大いに困るだろう、ということがよくわかった。

昔、手塚治虫が使っていたような、丸っこいフキダシがちょうどいい気がする。縦長フキダシほど単語を切らずに済むし、置く場所も横長より自由になる。

出版社に送った完成原稿を見たら、取りまとめ役/原作者は「全ページ無言だと寂しいから」と、主人公がモノに話しかけたりさせていた。そのフキダシの形は……カクカクとした横長長方形。そう来たか。

セリフがごく短いので、コマの幅いっぱいに広がらないで済んでいる。すごく感覚の優れた人だから任せて安心。でも、カクカクの長方形は予想外だった。とっても外国的。今後の演出のために頭に入れておかねば。

●ガンバレ、絵師!

今、絵師が次のセリフ満杯の10ページを製作中だ。出版社と月に10ページ納品すると約束しているのだ。

その次にさっさと進みたいから、次の10ページ分のシナリオを頂戴、と原作者に言ったら、いま絵師が描いている分が終わったら、それを見ながら書くと言った。

それぞれ製作の仕方というのがあるので文句は言えない。ネームを考える時間があまり取れない、ということだけは確かだ。ネットで色々な画像を見たり、テレビで映画を見たりして、なるべく様々なテンポや構図を頭に貯めているところだ。

ところで、この作品がいつから実際に掲載になるのかは、出版社の社長の胸三寸で、未定なのが残念。もっとも、まだ30ページしか手元になかったら、次が本当に来るのかどうか不安だから、スタートしないだろうな。

ちゃんと、何か月かにわたって、月に10ページを提出して初めて信頼を得ることになるのだろう。このへんは、日本人には理解しがたいことかもしれない。月に何ページ、と約束したらその通りにするのが普通でしょ? と思いますよね? 出版されなければ、当然支払いもない。

絵師、頑張って! と声援を送るしかない。


【Midori/マンガ家/MANGA構築法講師】midorigo@mac.com

最近興味が出て来たのが、筆と墨。墨はお手軽に墨汁だけど。私のmangaの「彩色」を、墨絵風に滲みを生かしてやってみ始めた。

元を辿ると、ローマのコミックスフェアで学校のブースに参加し、ライブで絵を描くのに、人のキャラは描けない、自分のキャラはない、そこで目の前にいる人の似顔を描き始めたのがきっかけ。

つけペンでキッチリ描くのは性に合わず、筆ペンを使って下書きなしで即興で描き始め、その線が気に入った。私のmangaもつけペンをやめて、筆ペンで野蛮な線を敢えて使った。繊細な線が描けない、とも言う。

さらに昨年、iPad ProとApple Pencilを買い、筆のアプリ導入して、それが気に入ってしまった。

デジタルで墨絵風な感じに影をつけてみた。Facebookにアップしてみたら、知り合いのプロの漫画家さんが「デジタルでもいい味出てるね。アナログでやってみないの?」とコメントをくれて、それがすごく私の心の奥の方にひっかかった。

デジタル彩色や描画を否定したり、アナログの方が上だという考えかたはまったく持っていないものの、私の場合は、白い紙が怖い……という事実を隠してのデジタルだから、見たくない欠点を見透かされた感じなのだった。

オンラインで和紙(風?)の紙を買って試してみた。あっ、しまった!失敗か! という線が結構面白かったりして、ちょっと自信を持ったところなのだ。消せない、後戻りできない、というのもいいかも。

アウトラインは筆ペンで描いて、それをスキャン。スキャンしたものをプリントアウトし、その上に和紙を置いて筆を使うことにした。墨が下に置いた紙を汚すので、これで原画は無傷のまま保てる。しばらくはこれで。

MangaBox 縦スクロールマンガ 「私の小さな家」。更新してない…
https://www-indies.mangabox.me/episode/58232/