Scenes Around Me[60]駒場寮強制執行のこと/2001年8月/関根正幸

投稿:  著者:  読了時間:6分(本文:約2,500文字)



この数回、私は、以前にネガからスキャンしていたオブスキュアに関する写真を紹介してきました。それも一通り終えたので、今回は駒場寮強制執行直後に撮影した写真を紹介します。

1998年の年末にオブスキュアが駒場寮を立ち退いた後、私は東京大学駒場寮に立ち入ることはほとんどありませんでした。

そして、駒場寮の廃寮裁判の情報も、こちらからは積極的に知ろうとしませんでした。

そのため、私が駒場寮がなくなるという話を事前に知ることができたのは、幸運というよりほかにありませんでした。





私は2001年7月末から8月初旬にかけて、数学の研究集会のため京都に滞在しました。

そして、京都大学吉田寮に宿泊を申し込む際、東京大学の所属と記帳していたため、寮生に私が以前駒場寮に出入りしていたことを話したのだと思います。その寮生から2001年8月15日頃、駒場寮に強制執行があるという話を聞いたのでした。

私自身、駒場寮委員が学外生を追い出してまで争った裁判に、結局勝てなかったということに複雑な思いがありました。

ですが、駒場寮の最後を見届けたいという気持ちもあり、東京に戻った後、駒場の様子を見に行ったのだと思います。

■駒場寮がなくなることを事前に知る

ある晩、駒場寮の入口に大量の木枠を積み上げた、バリケードが出来ているのを見かけました。木枠は真っ黒に塗られていた、という記憶があります。

私はバリケードの写真を撮りたいと思いましたが、三脚を持っていなかったため、次の日に出直して撮影することにしました。今思うと、その場で何らかの写真を撮っておくべきでした。

私は翌日の昼過ぎ、仕事先に行くついでに駒場に立ち寄ることにしました。(後述する日付に間違いなければ、その日は曇りだったので、午前中は埼玉県内で中山道の撮影をしたようです)

渋谷から山手通りに出ると、警察の輸送車が何台も止まっているのを目にしました。強制執行でした。

駒場キャンパスは立ち入りができなくなっているばかりか、山手通りの歩道も通行規制が行われていて裏門方面に行けなかったため、私は脇道に入り、通用門側に回りました。

そして、通用門から学内の職員や関係者が入構できることを知り、私は数学(数理科学)科に用事があることを口実にして構内に入りました。

通用門から入って道なりに進むとT字路の突き当たりになるのですが、左に曲がると数理科学科、右に曲がると駒場寮前の道になっていました。

私はT字路から駒場寮方面を見ましたが、寮の大分手前で封鎖されていて、近づくことができませんでした。

そして封鎖された向こう側、駒場寮前で警察や機動隊に混じって、過激派と思われる人たちがアジテーションを行なっているのが見えました。

私は、あちこちに警備がいるためカメラを出すのをためらい、そのまま数理科学科の建物に向かいましたが、私と入れ違いに警備員が隊列を組んで建物から出てきました。

どうやら、数理科学科が警備員の詰所として使われていたようです。私は一階の教室の中で大勢の警備員が弁当を食べているのを目にしました。

結局、その場では一枚も写真を撮らずに駒場を後にしました。

■駒場寮の強制執行は8月8日

私は長い間、駒場寮の強制執行は8月8日に行われたと思っていました。

というのも、8月15日の予定を1週間前倒ししたため、個人的には不意をつかれて写真を撮る準備ができなかったことを残念に思っていたからです。

ところが、駒場寮についての記事を書くにあたり、日付を調べたところ、ウィキペディアや「東大駒場寮物語」では、強制執行によって学生が退去させられたのは、8月22日となっていました。

私は、当事者が日付を間違える訳がないので、自分が勘違いしたと考えました。しかし、今回当時のネガを見返したところ、強制執行は8月8日で間違いないという結論を得ました。

https://live.staticflickr.com/65535/48913579291_2647b6832c_c.jpg

これは強制執行の翌日に撮影した写真です。駒場キャンパス内は普段と変わらないように見えますが、写真の奥の方には駒場寮の周りに作られたフェンスが写っています。

私はフェンスの写真を撮ろうとしましたが、多くの警備員がいたため、少し離れた学生会館のあたりから撮影したのです。

この写真と同じネガシートの後に、8月11日に行われた東京湾花火大会の写真があるので、この写真はそれ以前に撮影されたものです。

https://live.staticflickr.com/65535/48913578831_20ea2ebe96_c.jpg

フェンスで囲まれた駒場寮。フェンスの内側に幟が立てられています。

この写真と同じネガシートの前のコマに、寿町フリーコンサートの写真があります。2001年の寿町フリーコンサートは8月12日に行われたこと、そして8月18日に私は中山道の撮影に出かけていることから、写真は8月13日から17日の間に撮影されたようです。

https://live.staticflickr.com/65535/48913576181_4575089d72_c.jpg

ネガの前後に写っている写真から判断すると、8月23日頃に撮影したようです。フェンスの前に入寮募集の立て看板を設置して、駒場寮を追い出されたことに抵抗を試みています。

https://live.staticflickr.com/65535/48913782177_a1ccab7db7_c.jpg

同日の夜に撮影。駒場寮を追い出された寮生は、明寮跡の空き地にテントを立てて、しばらく暮らしていたようです。

駒場寮の周りにフェンスができた後も、寮生は寮内に残された荷物を運び出すために、しばらくは寮に出入りできたと聞いているので、8月22日というのは寮内に立ち入ることができる期限だったのかもしれません。


【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://sekinema.com/photos

1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔