鶴山欣也さんが、11月3日に54才で亡くなりました。
鶴山さんは大駱駝艦にも在籍した舞踏家で、舞踏工房若衆(YAN-SHU)主宰、また「jet poet」というポエトリーリーディングのイベントを、長年に渡って企画されていました。
私自身は鶴山さんとSNS上でのつながりはなかったので、突然の訃報に驚きました。
鶴山さんのフェイスブックによると、鶴山さんは肝硬変で今年の9月に入院、6リットルもの腹水を抜くなど治療を行なったそうですが、還らぬ人となってしまいました。
鶴山さんの通夜と告別式は11月5、6日に藤沢市内で行われ、私は通夜に参列しました。
私自身は、鶴山さんのことを知ってから20年以上になります。ただ、私は鶴山さんとそれほど親しい間柄ではなく、生前の鶴山さんと一緒に何かを行なうといったこともありませんでした。
それでも、鶴山さんがいなければ知り合えなかった人は確かにいて、間接的な恩恵を受けているので、今回は鶴山さんの思い出について簡単に記すことにします。
鶴山さんを初めて見かけたのは、東京大学駒場寮にあった学外サークル「蟻天獄(アリテン)」だったと思います。鶴山さんは、もともと駒場寮内にあったゼロバーの常連だったそうです。
ゼロバーは1997年に閉店しますが、ゼロバーのバーテンだったテツくんが、ゼロバーを復活させようとアリテン内にバーを開いたため(1998年2月頃)、鶴山さんはアリテンに飲みに来るようになりました。
以前の連載に書いたように、その頃の私はアリテンに寝泊まりすることが多かったのですが、バーにはほとんど立ち入らなかったので、鶴山さんとは一言二言くらいしか話をしなかったと思います。
鶴山さんについて印象に残っているのは、アリテンのクロージングパーティー(1998年9月30日)の写真です。
この写真は以前に紹介したことがありますが、写真の中央に向かい合っている鶴山さんと、上々颱風の白崎映美さんが写っています。
鶴山さんと関わりをもったもう一つの場所は、2006年から2007年にかけて半蔵門にあったarts1stでした。
http://arts1st.jugem.jp
arts1stは、取り壊しが決まった建物を期間限定で利用していました。建物はダンサーの相良ゆみさんの、御実家が所有していました。表通りに面して喫茶店が入った3階建(相良ビル)で、その裏にテナント貸ししているビル(新相良ビル)がありました。
arts1stは相良ビル1階の喫茶店跡を展示・イベントスペースとして使っていましたが、その上の階で鶴山さんが舞踏のワークショップを行っていました。
arts1stのことは、駒場寮時代に知り合った、ミュージシャンのノブナガケンくんや絵描きのユミコフさんを通じて知りました。
おそらく、ユミコフさんがarts1stでライブペイントを行なうと、告知してくれたのだと思います。ノブナガくんやユミコフさんも、やはり鶴山さんとの共通の知人でした。
写真は、arts1stのクロージングイベント(2007年6月2〜3日)の時のものです。イベントは、テナントが出てしまった新相良ビルで行われました。鶴山さんの後ろでギターを弾いているのは、ノブナガくんです。
この後、ユミコフさんがライブペイントを行なったのですが、部屋が暗くシャッターを長く開けたので、鶴山さんとわかる写真がこれしかありませんでした。
arts1stのことは、今後の連載で取り上げるつもりです。
鶴山さんの活動を最後に見かけたのは、昨年、群馬県の中之条町で行われた「中之条ビエンナーレ」です。
私はビエンナーレ最初の土曜日(2019年8月24日)に、中之条に行ったのですが、8月24〜25日に暮坂峠近くの会場で、鶴山さんの公演があるという情報を目にしました。
ところが、私はその時日帰りの予定だったので、鶴山さんの踊りを見ることはできず、後日会場を訪れたときに、鶴山さんの映像が流れていることを確認して終わりました。
あの時は、鶴山さんがこれほど早くに亡くなると思っていなかったので、また何かの機会があれば、という気持ちだったのですが、その機会が訪れることはありませんでした。
鶴山さんの御冥福を祈ります。
鶴山さんの追悼にかこつけて告知をするのも気が引けるのですが、私が参加しているユニット111のイベントが、11月22日15時から30分程度(雨天の場合、11月23日に延期)飛鳥山公園で行われます。
https://blog.goo.ne.jp/111yanaka/e/462d27398120cc67bf1f7e91a784e104
111は大塚秀記さんの朗読、オオナカエイジくんの踊り、私(関根正幸)の音響の3人組です。3人のうち、エイジくんとはarts1stで知り合いました。
エイジくんはもともと鶴山さんのワークショップに参加していたのですが、ユミコフさんがエイジくんをライブペインティングのモデルとした、イベントを行いました。ライブペインティングは、踊っている最中の踊り手の身体に絵を描くというものでした。
イベントの打ち上げで、エイジくんが私と同じく谷中・根津・千駄木界隈に住んでいることを知り、そのことが111を結成する一つのきっかけになりました。
そういう意味で、鶴山さんがいなければ、111は結成されなかったかもしれません。
【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://sekinema.com/photos
1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な、自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔