あるクリエイターの方と「制作時のアドリブ」という話になったことがあります。僕は基本的には「ガチガチに決め込み派」で、その相手の方は「フリーセッション派」でした。
まぁ、その時の話の主題は映像コンテンツの撮影時のことがメインだったのですが、僕は以前映像制作会社に勤めていましたので「アドリブ=余分な時間がかかる&予算が膨らむ」というネガティブなイメージを持っていました。個人的には、コラボレーションから偶発的に生まれる奇跡的な瞬間を信じていない訳ではないのですが、反対にグダグダになってプロダクションを圧迫する恐怖というのも知ってしまっています。
まぁ、その時の話の主題は映像コンテンツの撮影時のことがメインだったのですが、僕は以前映像制作会社に勤めていましたので「アドリブ=余分な時間がかかる&予算が膨らむ」というネガティブなイメージを持っていました。個人的には、コラボレーションから偶発的に生まれる奇跡的な瞬間を信じていない訳ではないのですが、反対にグダグダになってプロダクションを圧迫する恐怖というのも知ってしまっています。
実際に撮影をしている時に、演技のプロフェッショナルである役者が考えて生み出されるアドリブは、確かに作品に深みや、脚本上のプランでは生み出されなかった新しい側面を与えてくれることがあります。ただ、そこに意識を持っていきすぎると、シーン毎に主張の強いちぐはぐな作品が生まれる側面もあります。理想を言えば、あくまでも監督の立てた演出プランの枠内からはみ出さずに、作品に彩りを与えてくれる程度のアドリブであれば興味深いのかとも思います。
これは演技だけでなく、カメラをどこに据えるかというカメラマンのアドリブ、特殊な効果音で映像に迫力をつけるサウンドデザインのアドリブ等、いろいろな側面が考えられます。
このように考えていると、映像作品に限った事ではなく、創作を行う上の様々な局面で、アドリブの介入する機会はあると考えられます。では、デジタルコンテンツ制作におけるアドリブとはどのようにつき合ってゆけばいいのか気になってきます。
例えば、ウェブサイトを制作しようとした場合、0から考え始め、企画書や仕様書を作る段階ではたくさんのアイデアを詰め込んでゆきますが、アドリブとは少し違う感じがします。ただニュアンスの問題かもしれませんが、計画性を持って準備をしている段階でつぎ込まれたアイデアは、勢いのあるアドリブのライブ感とは別の所にあるような気がします。
では、デジタルコンテンツ制作におけるアドリブとは、仕様書にもない、デザイン案でもフィックスされていない部分において、制作時に瞬発的に注ぎ込まれていくものかと。
コンポジションやカラーリング、フォントの選択等々、感覚でこなすべき作業も多くあるでしょうし「そんなもんいつでもやってる」と言われるかもしれませんが、個人的には「流動的に修正されてゆくコンテンツ」と「意識したアドリブを用いたコンテンツ」は別物なんじゃないかと思っています。
「アドリブを活かそう」と思って作るコンテンツには、その為の準備が必要になります。冒頭の映像コンテンツの例えで言えば、アドリブを多く取り込もうと意識された作品は、そうでないものに比べてスケジュールに余裕を持たしたり、脚本の行間を緩めに書いておいたりする必要があると思っています。そういった「ゆるくしておく準備」があるからこそ、アドリブが活かされる場が生まれるのでしょう。
その上で、クリエイターの中に蓄積された知識や技術を、チャンスがあれば、効果的につぎ込んでゆき、そこから派生する変更や修正さえもプラス方向に転化して行く。パチパチと連鎖する火花の中で、予定にはなかった独創的な作品を生み出してゆく。
ん〜。やはりクリエイションに関する美しき伝説のような感じがします。しかし、実際にそうやって生まれたのだろうと感じるコンテンツもあります。
その多くは「個人発信」のものです。自分の為に時間を費やし、納得のいくまでいじり倒すという過程をふめば流動性にも対応できるでしょうし、内容がパーソナルになればなるほど、個性が際立ってくるものだと思います。
商業的に利用されているインターフェースも、ふたを開けてみればあるクリエイターが個人的に試行錯誤を繰り返し完成させたものを、代理店がみつけてセールスをかけたというケースも少なくありません。
また、もう一つのアドリブの成立するケースとして、「酸いも甘いも知っているベテランが協力する」というのも考えられます。複数の人が集まった場で、予定外の自己主張をするアドリブであるからこそ、場の空気を読む感覚、周りに及ぼす影響、最終的な落ち着き所を感覚的に見極めながら行う経験とセンスが必要になるのでしょう。
僕と話をしてくれたクリエイターの人は、このケースに当てはまるようなセンスと経験をもっている人でした。今、思い返せば、「ベテランなのに、何をピュアな事を……」と感じた話は、経験に裏打ちされた、僕のまだ見ぬ世界の話だったのでしょう。
創作現場におけるアドリブにはネガティブなイメージを持っている僕ですが、難しいことだからこそ、実は、めちゃめちゃ憧れてしまっているのかもしれません。
生意気言いました。
【あおいけ・りょうすけ】your_message@aoike.ca
< http://www.aoike.ca/
>
前回のコラムで触れました僕の名刺代わりになっている作品「CATMAN」がフジテレビ・お台場ランドで順次公開されています。過去の14作品公開後には、新作を公開します。この新作が名刺代わりになるといいのですが……
< http://www.fujitv.co.jp/game/catman/
>
1972年生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。学生時代に自主映画を制作したのち、カナダ・モントリオールで映画製作会社に勤務する。Flashアニメシリーズ「CATMAN」でWebアニメーションデビューする。芸術監督などを経て独立し、現在はフリーランスとして、アニメーション、Webサイト、TVCMなど主にFlashを使い多方面なコンテンツ制作を行う。
・書籍「Create魂」公式サイト
< http://www.ascii.co.jp/pb/flashbooks/create-damashii/
>
・連載「創作戯れ言」バックナンバー
< https://bn.dgcr.com/archives/22_/
>
これは演技だけでなく、カメラをどこに据えるかというカメラマンのアドリブ、特殊な効果音で映像に迫力をつけるサウンドデザインのアドリブ等、いろいろな側面が考えられます。
このように考えていると、映像作品に限った事ではなく、創作を行う上の様々な局面で、アドリブの介入する機会はあると考えられます。では、デジタルコンテンツ制作におけるアドリブとはどのようにつき合ってゆけばいいのか気になってきます。
例えば、ウェブサイトを制作しようとした場合、0から考え始め、企画書や仕様書を作る段階ではたくさんのアイデアを詰め込んでゆきますが、アドリブとは少し違う感じがします。ただニュアンスの問題かもしれませんが、計画性を持って準備をしている段階でつぎ込まれたアイデアは、勢いのあるアドリブのライブ感とは別の所にあるような気がします。
では、デジタルコンテンツ制作におけるアドリブとは、仕様書にもない、デザイン案でもフィックスされていない部分において、制作時に瞬発的に注ぎ込まれていくものかと。
コンポジションやカラーリング、フォントの選択等々、感覚でこなすべき作業も多くあるでしょうし「そんなもんいつでもやってる」と言われるかもしれませんが、個人的には「流動的に修正されてゆくコンテンツ」と「意識したアドリブを用いたコンテンツ」は別物なんじゃないかと思っています。
「アドリブを活かそう」と思って作るコンテンツには、その為の準備が必要になります。冒頭の映像コンテンツの例えで言えば、アドリブを多く取り込もうと意識された作品は、そうでないものに比べてスケジュールに余裕を持たしたり、脚本の行間を緩めに書いておいたりする必要があると思っています。そういった「ゆるくしておく準備」があるからこそ、アドリブが活かされる場が生まれるのでしょう。
その上で、クリエイターの中に蓄積された知識や技術を、チャンスがあれば、効果的につぎ込んでゆき、そこから派生する変更や修正さえもプラス方向に転化して行く。パチパチと連鎖する火花の中で、予定にはなかった独創的な作品を生み出してゆく。
ん〜。やはりクリエイションに関する美しき伝説のような感じがします。しかし、実際にそうやって生まれたのだろうと感じるコンテンツもあります。
その多くは「個人発信」のものです。自分の為に時間を費やし、納得のいくまでいじり倒すという過程をふめば流動性にも対応できるでしょうし、内容がパーソナルになればなるほど、個性が際立ってくるものだと思います。
商業的に利用されているインターフェースも、ふたを開けてみればあるクリエイターが個人的に試行錯誤を繰り返し完成させたものを、代理店がみつけてセールスをかけたというケースも少なくありません。
また、もう一つのアドリブの成立するケースとして、「酸いも甘いも知っているベテランが協力する」というのも考えられます。複数の人が集まった場で、予定外の自己主張をするアドリブであるからこそ、場の空気を読む感覚、周りに及ぼす影響、最終的な落ち着き所を感覚的に見極めながら行う経験とセンスが必要になるのでしょう。
僕と話をしてくれたクリエイターの人は、このケースに当てはまるようなセンスと経験をもっている人でした。今、思い返せば、「ベテランなのに、何をピュアな事を……」と感じた話は、経験に裏打ちされた、僕のまだ見ぬ世界の話だったのでしょう。
創作現場におけるアドリブにはネガティブなイメージを持っている僕ですが、難しいことだからこそ、実は、めちゃめちゃ憧れてしまっているのかもしれません。
生意気言いました。
【あおいけ・りょうすけ】your_message@aoike.ca
< http://www.aoike.ca/
>
前回のコラムで触れました僕の名刺代わりになっている作品「CATMAN」がフジテレビ・お台場ランドで順次公開されています。過去の14作品公開後には、新作を公開します。この新作が名刺代わりになるといいのですが……
< http://www.fujitv.co.jp/game/catman/
>
1972年生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。学生時代に自主映画を制作したのち、カナダ・モントリオールで映画製作会社に勤務する。Flashアニメシリーズ「CATMAN」でWebアニメーションデビューする。芸術監督などを経て独立し、現在はフリーランスとして、アニメーション、Webサイト、TVCMなど主にFlashを使い多方面なコンテンツ制作を行う。
・書籍「Create魂」公式サイト
< http://www.ascii.co.jp/pb/flashbooks/create-damashii/
>
・連載「創作戯れ言」バックナンバー
< https://bn.dgcr.com/archives/22_/
>
- Create魂 Flashクリエイターによるオリジナルアニメ創作論
- 青池 良輔
- アスキー 2006-12-15
- おすすめ平均
- 新分野の第一線で活躍するプロのクールで熱い創作論
- クリエイターの魂が伝わるバイブル
- 個人制作の可能性が拡がる
by G-Tools , 2007/07/10