●風が吹くと桶屋が儲かる
1月に入って、ローマのマンガ学校で私のMANGAセミナーが始まった。セミナー関係は金曜日と決まっている。第一週の金曜日は6日で、「ベファーナ」という祭日で学校は休み。だから13日の金曜日が2012年度第一回の授業となった。
お聞き及びかとも思うけれど、大型クルーズ船コンコルディアが中部イタリアのジリオ島付近で座礁した日だ。不幸にも死者も出て、さっさと逃げ出した船長に世界中が呆れた事故が起きた記念すべき日だ。
今年のMANGAセミナーのあり方を書くのに、どうしてもベースになっている私のあり方に触れないわけにいかない。風が吹くと桶屋が儲かる...くらいの因果がある。
それは幼い頃に得た性癖がベースになっている。「三つ子の魂百まで」というやつだ。いい癖ではなく、後回しにするという悪い癖。後回しにするのは、僅かな困難を前にして乗り越えるのではなく、迂回してしまう癖から来ている。
もともと持って生まれた性格の他に、ちょっとした失敗に大声で怒鳴る父を持ったというのも無関係ではないと思う。失敗してはいけない。失敗するくらいなら何もしないほうが良い。でもしなくちゃいけない。とりあえず、頭を空っぽにしてそのことを忘れておこう......とインプットしてしまったのだ。
私は両親にとって初めての子で、どちらも若かった。父は男ばかり4人兄弟の三男で、男勝りの母を大将に政治論議を活発に繰り返す家庭で育った。そのノリでふにゃふにゃの幼い女の子に怒鳴ってごらん。萎縮しないほうが無理......いやいや、言い訳ではなく診断です。親になるのは難しいという話でもある。
ともかく、そういう癖を持っていると気がついたのは相当後になってからで、癖が十分染み付いてからだ。闘い、挑むより、逃げるほうが楽。傷つかないで済む。アイデアが湧いても頭の中だけに納めて表に出さなければ、イニシアチブを取らなければ、間違わない。非難されない。
そうやって、MANGA家になりたいと思いながら、描いてみて下手だなと思うとそれ以上進まなかった。講談社モーニングの編集長と知り合い、ローマで生活して見たことをMANGAにしてみないかと誘われ2年は頑張った。
そろそろフィションを描いて見ませんかと担当の編集さんに言われ、8ページのショートを描いてはみた。一話目は掲載された。二話目の下書きにダメを出され、次もダメを出された。次に出したのは一話目掲載から時間が経ちすぎだから無駄と言われた。そして萎縮してしまった。たくさんの漫画家になりたい人が夢見る状況に恵まれたのに、自分で潰してしまった。
年を経て、ローマのマンガ学校にセミナーを持つに至った。自分でわかっていることと、それを伝えることは次元が違う話。わかってもらう、というのは難しい。
セミナーを初めて10年になる。10年経って私のセミナーから、なにか芽が出たようには思えない。誰かの心のなかに何か残っているのかもしれないけれど、私の目に見える形で出ていない。それを強く思ったのは、一昨年のことだ。
同じ金曜日に「視覚伝達と美術の歴史」というセミナーがあった。私のMANGAセミナーの前にある。私も参加したことがあって、目からウロコがボロボロ落ちる授業だ。当初は私のセミナーと同じように、始まってすぐは教室満杯で、徐々に参加者が減っていった。課題制作の量が増えていくのと反比例する。
ところが、一昨年、このセミナーの参加者がまったく減らず、逆に増えて他の教室から椅子を運びこむくらいの盛況だった。課題が増えているのに? 私のセミナー参加者はいつものように減っているのに?
なぜ? の答えは簡単だ。面白いから。ためになるから。課題制作の時間を削ってまで参加する価値があると生徒が思うから。
確かに、「視覚伝達と美術の歴史」はこの学校を選んだ人なら全員に興味があるはず。MANGAはそうではない。という違いはあるものの、もっとたくさんの漫画に興味がある生徒に「課題制作の時間を削ってまで参加する価値」を見出してもらってもいいのではないか。
10年の経験で、私が考えるレベルより下げること、説明に具体性をもたせることを学んだ。ただ、そのまま、なんとなく時間に追われるように授業をこなして来た。確かに時間に追われてはいたけれど。
そして私の年齢だ。今年で58歳。還暦まで余すところたったの2年。勤め人なら退職する時期。第二の人生を歩む時期。私は何をしてるんだ! と、やっと考えるようになった。さらに、父を含め、父方の親戚はほぼ全員70歳を迎えずにこの世を去っている。死ぬこと自体は怖くはないけれど、何かを成し遂げずに去るのが辛い。
それらが合わさって、昨年「MANGA言語をイタリアの漫画家志望者に伝える」ことをもっと具体的に活動しよう! と決心するに至ったのだった。そして、MANGA言語を解説した本を学校の編集部から出すことになった。
授業にもその思いをもっと込めたい、もっときちんと伝えたいと考えた。今まで、どうせセミナーだしと、生徒には甘かったが厳しくするのが彼らのためと思い直した。
クラス内でレイアウトを描いてもらうのだが、中には「家で描いてくる」と言って描かない生徒もいる。そういう生徒は大抵描いてこない。だから、言葉を尽くしてなんとかクラス内で制作するように持っていく。
提出された作品を毎回本にまとめている。授業が終わる5月末、「みんな6月の進級試験で課題が大変な時期だろうから、夏の後でもいいよ」などと甘いことを言っていたがそれも止める。今まで、夏の後、学年が始まって提出された例は一件だけ。今年から最後の授業で提出しない場合は受け付けないことにした。
今年二回の授業をやってみて、なんとなく私の心積もりが通じたような手応えを感じている。今のところ、教室内で皆、手を動かしている。とりあえず桶屋までことが運んだ。
もう一つ桶屋がある。セミナーの元生徒や、別口で知り合った漫画家志望者が、レイアウトを見てくれないかと言ってくることがある。私はMANGAの先生だから、ふたつ返事で引き受ける。
でも、正直、内心めんどうだと思ってたり、今までは週刊締め切りの仕事があったりして、ついついの頼まれたレイアウトが頭から抜けてしまうことが多かった。内心の内心では、時間ばかりかかって、お金にもならないのに......と思ったりしてることも、頭の中の予定表にちゃんと書き込まれない一因だと思う。正直なところ。
でも今年は違う。週刊締め切りの仕事がなくなったし、MANGA構築法を70歳になる前にイタリアの皆様に伝えられるだけ伝えることを目標に掲げたので、きちっと目を通して返事する。
こういうヤル気のある若い漫画家志望者から、こういう形でお金はもらわない。空気を栄養にする方法は獲得してないし、家のローンがあるから金銭の収入は必要だから、別の方法で獲得する。
例えば、本を出して、それを買ってもらう。きちっと返事をしていくことで、レイアウトを見て、直すべきところを見つける訓練の回数も増える。さらに、口コミで広げてもらい、ワークショップにつなげていけるかもしれない。ワークショップでお金をいただけば、生徒側の負担も軽くて済む。
こうして桶屋の出番になった。まだ「儲かる」かどうか分からないけれどね。
最近になって、またもう一件桶屋の続きが出てきた。FaceBookでオトモダチになったindipendent comicsと名乗る男性からコンタクトがあった。インディーズのコミックス+ミュージックフェスティバルを企画、開催した経験を持ち、そのコンセプトで季刊の雑誌を準備している。ついては、MANGAと日本の文化についてなにか投稿してくれないか、ということだった。
MANGA言語をMANGA好き以外にも話をする良い機会がやってきた! と感じた。イタリアのこういう機会は予算なしでやる場合が多いので、報酬は期待できないだろう。でも、彼は参加する人にはなるべく何がしかの報酬を出したいと思っている、とのこと。すぐに報酬の具体的な話をするのは珍しい。それだけ真面目と受け取った。
※風が吹けば桶屋が儲かるということわざは、今では「あり得なくはない因果関係を無理矢理つなげて出来たこじつけの理論・言いぐさ」を指すそうです。ことわざの本来の意味からすると、私の使用法は正しくないと思いますが、一見無関係であることがつながっていくという意味で、授業のあり方を説明するのに、私の幼い頃の体験とそこから来る性格を引いてまとめてみました。
●アングレームに飛ぶのは一部
前回、MANGA言語を解説した本「MangaBook」が、1月末のアングレーム国際コミックスフェア(フランス)に出ていくかも、という話をした。
一冊目の「キャラのスケッチからストーリーを作る」の作者が途中から生活費を稼ぐための仕事が忙しくなって、スピードダウンした。その間、二冊目をしあげたものの、編集部はMangaBookがファイルが揃ってない......という頭で、月刊誌の発刊に追われるまま、放り出した格好になってしまっていた。
二冊目を仕上げることに没頭して、編集がどういう状況で何をしてるのか、MangaBookの進行状況はどうか、というコンタクトをおざなりにした私のせいでもある。
つまり、アングレームには出て行かない。ただし、PDFは送ってあるので、これをプリントアウトして「プレヴュー」として紹介しようと思えばできる。校長はやる気あるかな〜。それとも、出来上がってから紹介の方を好むか。この次の機会は4月末〜5月初めのナポリのコミックスフェア「コミコン」か。
< http://www.comicon.it/
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いずれにしても、企画は進む。3号と4号の作画家も決まってさっそく表紙絵に取り掛かっている。読者の反応が今から楽しみでございます。
【みどり】midorigo@mac.com
このテキストの最初に書いたイタリアの豪華客船が座礁した件。
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挫傷の様子3Dシュミレーション
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事故もそうだけど、スケッティーノ船長がさっさと逃げ出し、「いや、逃げたんじゃない。滑って救命ボートに落ちたんだ」と言い訳したことにイタリア中が唖然としてます。
リボルノの湾岸監査の所長との会話が公開されるにいたって、あいた口がますます大きくなってます。所長が「船の前方へ行けばロープはしごがあるからそれですぐに船に戻って避難を指揮するよう要請する」に「そうは言っても、ここ、真っ暗なんですよ」
で、ネット、特にYouTubeにいろいろMADが出まわってます。「笑いを取るなんて犠牲者に対して悪いと思わないのか」という書き込みも見られます。皮肉はより良くあろうとするための発露でもあると思うので、犠牲者への冒涜にはならないと考えます。犠牲者を笑ってるわけではないしね。
以下、イタリア語ですが、どうぞ。
(画像)「沈んでるんじゃない! スケッティーノがフェザリングをしてるんだよ!」
< http://p.tl/w_Ho
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Full Metal Jacket
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A-team
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スケッティーノの歌
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コンコルディアのコマーシャル、事故後
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単語の意味「スケッティーノ」(スケッティーノする。有事の際、責任を逃れ、アホな言い訳をすること。名誉という感覚がない様。)
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中国製スケッティーノアニメ
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(MADはニコニコ動画で見る日本製のほうがよく出来てるね。というのは、別の話)
イタリア語の単語を覚えられます! というメルマガだしてます。
(強硬にサボり中。。。)
< http://archive.mag2.com/0000075559/
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