ローマでMANGA[52]熱かった80年代終わりから90年代始め頃
── midori ──

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●日本国内でMANGAの成長

「少年マガジン」編集部の阿久津さんから宮原さんを紹介された。かつて、少年マガジンの編集長をされていた。「かつて」は、私の高校から大学への時期にあたり、1971年に編集長に就任された時、少年マガジンは「巨人の星(梶原一騎/川崎のぼる)」「あしたのジョー(梶原一騎/ちばてつや)」「アシュラ(ジョージ秋山)」が連載されていた。

紹介を受けた時、宮原さんは「ヤングマガジン」の編集長で、かつ海外コミック担当をされていた。記憶では編集総務局局長さんだったのだけど、この記事を書くにあたって年表を作ってみたら、紹介されたときはまだ局長さんではなかった。

この頃、私生活の方では、いろいろシッチャカだった。それまでの風来坊のようなペンション暮らしから、貸しアパート住まいに昇格。日本企業経営の土産物店勤務で、これも気心が知れた感じがして昇格の気分だった。

さらには、今現在のダンナと知り合ったのもこの時期だ。そうした「昇格気分」もつかの間で、前科成り損ない事件が起きた。店長が親切に「人並みに休みがほしいでしょう」と入店間もない私にも休暇をくれて、休みを一年ぶりの里帰りに当てた。

イラン・イラク戦争がたけなわの頃だった。民間航空機を通す時間帯というのが決められて、飛行機の出発が午前2時というとんでもない時刻で、空港にはほとんど乗降客がいなかった。で、パスポートコントロールの警官が暇を持て余したのかどうかは知らないが、私が一年前に日本を出国したことに気がついて、「イタリアに一年いるなら滞在許可証を出しなさい」と言い出しのだ。

嘘をつけない私は不法滞在の罪を認めてしまって、イタリア出国はできたけど、後にイタリア裁判所から呼び出しの手紙をもらうことになってしまった。ちなみにこの前科は、後に大統領が新しく選出されたことで恩赦になって無事消えた。ただし、この件で日本企業は馘首になり、イタリア人経営の土産物屋さんを転々とするようになり、足元の基盤のない不安定さに悶々とした時期でもあった。




日本のMANGAの話に戻ると、子供向けのギャグマンガが主流だったMANGA界で読者が成長し、そのために少年誌の読者に青年が加わってきた。当時、藤子不二雄の「オバQ」が大ヒットしていて、「オバQ知らん奴は大学生ではない」というある学生の発言が驚きを持って新聞やらマスメディアに載ったりした。子供のものだと思っていたMANGAが、日本の最高学府の学生に支持されていることに世間が驚いたのだ。

だから、宮原さんが「MANGAは小説に匹敵する表現力を持っているはず」と、原作者を起用して人間の内面に迫る作品をプロデュースし、「巨人の星」「あしたのジョー」「愛と誠」が生まれた時に、青少年が大いにその「小説的MANGA」を受け入れたのだ。

●漫画家と出版社の歯車がかみあった

1984年に、隔週だった「モーニング(講談社)」が週刊になった。創刊したのは、宮原さんの下で少年マガジン編集部員をしていた栗原さん。あるコンセプトを持って、起用した作家はすべて新しい人だった。

宮原さんの影響なのか、独自のものなのかは知るすべがないけれど、栗原さんも海外のマンガに興味を持っていて、日本人以外の作家をモーニングに載せたいと画策していた。

そんな折、イタリアの漫画家イゴルトさんが講談社へ売り込みに行った。なぜ講談社だったのか、「国際室」というのがあるのが当時は講談社だけだったのかもしれない。ボローニャで毎年開かれる「国際児童図書展」で話をコンタクトをとったのかもしれない。ともかく、外国人なら外国のマンガに興味があるモーニングへ、と回されて栗原さんと話をした。

イゴルトのサイト
< http://www.igort.com/characters.html
>

運命の歯車がガチッとかみあったように、モーニングに描きおろしをしてくれる外国人マンガ家を探す栗原さんと、日本人以外のマンガ家の描きおろしを掲載してくれる日本の出版社を探すイタリアのマンガ家が、うまい具合に出会ったというわけだ。

そしてまたまた折も折、1987年フランスの「アングレーム国際漫画祭」が
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%BC%AB%E7%94%BB%E7%A5%AD
>
日本をテーマに決めて、講談社、集英社、小学館、その他の編集部と作家が招待された。ところが、その時もまだイラン・イラク戦争が盛んで、ほとんどの出版社が招待を辞退してしまった。

モーニングの編集長栗原さん、招待された有名作家の代わりに当時駆け出しだった田中政志さん(「GON」の作者)、寺沢武一さんとそのマネージャー、漫画評論家の呉智英さんが招待に応じたお客さんだった。栗原さんが、ついでに私も招待してくれたので、編集者のような顔をしてアングレームの漫画祭を楽しんだ。

アングレームで栗原さんはフランスのプロ・アマの漫画家と話をする機会を設け、モーニングに描きたい人を募った。私はフランス語なぞわからないので、栗原さんのそばにいて、通訳を通した栗原さんと作家のやりとり、通訳者の日本語の選び方など聞いていた。

作家は、栗原さんの申し出を面白いとニヤニヤする人、作品を何も持ってこずに「何を描いたらいいのか言ってくれればなんでも描く」と言って栗原さんをイライラさせる人など様々だった。面白いとニヤニヤした作家は、その後モーニングで長編を描き、日本では受けなかったものの本国フランスで賞を受けた。これだけでも、文化的価値がある。

バル著「太陽高速」
< http://bd-cafe.jugem.jp/?cid=1
>
< http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-6e62.html
>

海外の作家に描きおろしを描いてもらうこの企画で、作品が上がるかどうかは、作家が日本のやり方を受け入れるか受け入れないかということも大きい要素だった。

少なくもヨーロッパでは、作家が作品企画を立てて出版社と話し、それで行くか行かないかを決める。日本では(モーニング編集部しか知らないけれど)行けるかもと思う作家に担当編集者をつけ、二人三脚で編集者と作家と個人的な付き合いを交えて、話し合って作品を作る。

実際、気位の高いフランス人作家の中には「長年プロとしてやってきているのに、今更あれこれ口出しをされる筋合いはない!」と怒って去った人もいたそうだ。

イゴルトさん、アングレームの後、栗原さんは本格的に海外漫画のプロデュースに乗り出した。そして、イタリア人作家と編集部の間に立ってくれる人を、ということで栗原さんから私にコンタクトがあって、ここで、めでたく「モーニング編集部ローマ支局」が誕生した。1989年のことだ。

モーニング編集部と作家の打ち合わせは、すべてワープロとファックスを通して行われた。時々国際通話も。いやいや、読み違いではありません。ワードプロフェッサー。ファクシミリ。インターネットはまだ普及してなかったし、私はコンピュータをもっていなかった。国際電話代が嵩んで、当時土産物屋で店員をしていたが、その月給のほとんどをそれに使ったりした。

私的には、アングレームで栗原さんから「ローマでの生活で見聞きしたことをネタにMANGAを描いてみませんか」と言われて、30歳半ばにしてデビューしたのだった。エッセイ漫画とでも言うのかな。

今、作家自身の体験を基にしたMANGAが色々出てるようだけれど、当時は殆どなかった。毎回2ページの読み切りで、できた時に掲載という形だった。それでも月に一度は出して下さいとは言われていた。

あとで言われたこと。こうして「描いてみませんか。見本を送ってください」と言って実際に送ってくる人が意外に少ないとのこと。漫画家になるというのは子供の頃からの夢だった。それが30歳半ばにして叶ったわけだけど、MANGA以外にやることが多すぎたこと、怖がりでどんどん手を動かすことを知らなかったことなどで2年半ば、24話ほど描いて中断してしまった。

当時、編集長は「人気が出ても出なくても単行本一冊は出すことにしてます」と言っていたけれど、単行本分にはページ数が及ばず、本になっていないので幻の作品になってしまった。

私も残念だけれど、拾って下さった栗原編集長、担当して下さった編集さんに申し訳ないと思っている。

●イタリアのマンガが日本に上陸!

モーニング編集部ローマ支局が誕生して、いやがうえにも張り切る私があった。外部編集者として作家発掘というお仕事があった。イタリア国内で手に入るマンガ雑誌は全部買っていたのはいうまでもなく、毎年3月から4月にかけて3日ほど開催されるボローニャ「国際児童図書展」へ通った。

「児童図書」というくらいだから、絵本とか図鑑とか教科書などが主な展示物で、マンガは数が少なかった。それでも世界中から出版社が集まるのだから、イタリア国内にいて新しい情報を一か所で得ることができる重要な催しだった。

かつて自腹で行った時とは違う。公式な訪問だから、毎年ブースを持つ講談社の出張社員と共に同じホテルをとってもらい、出版社として業務入場だからタダ。その代わり、会場をくまなく歩いて、見るべきものがあるかどうか見て回った。

展示会場は国ごとにわかれていた。マンガらしいマンガを出版する出版社は、世界中を見回してもびっくりするほど少ない。マンガで見るべきものがあるのはフランスのブースだった。

フランスのブースをじっくり見て、買えるものは買い(この展示会は出版社や書店のミーティングが目的なので、小売するほど見本を持ってきていないのが普通)「for Kodansha」と入れた私の個人名刺を渡して、送ってくれるようにカタコトの英語でお願いしたりした。

そこで見つけた「魔法使いイリス」が編集部のお眼鏡にかなって、ヨーロッパ作品5作目として掲載の運びになったのは嬉しい。イタリアからはビットリオ・ジャルディーノさんが他に先駆けて1989年に掲載になった。

ビットリオ・ジャルディーノのサイト
< http://users.skynet.be/vittorio_giardino_universe/albums/albums-overzicht-frans.htm
>

元設計士だそうで、緻密なくっきりした絵柄はわかりやすく、読者の受けもそこそこ良かった。ただし、描きおろしではなく、編集部とも話し合って既成の読み切り短編を選んで、日本の雑誌サイズと読み方向にあわせてコマを再編成して原稿にした。

ジャルディーノさんの作品はキャラの気持ちの動きに合わせて構成されているので、MANGAとして充分に通用したからこそできた再構成だった。ただし、何故か二作で同氏の作品掲載は終わってしまった。

ジャルディーノさんの作品掲載と同時に、イゴルトさんの作品打ち合わせも進行していた。そして日本のMANGAがイタリアへ入っていくのも同時進行という、熱い時期だった。

そうした熱い80年代終わりから90年代始めに、その渦の中でお手伝いができたのはMANGA好きとしては、宝物のような体験だった。

次回、日本のMANGAがイタリアへ入っていく瞬間をお話したい。

【みどり】midorigo@mac.com

●西田昌司「電力需給を無視した脱原発は財源なきマニフェストと同じだ」
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原発を全部止めて、みんなが少しづつ我慢すればオッケーだと思いますか? この夏、節電でクーラーを止めたら、たとえば実家の老母の心臓が心配。でも、周りの目もあるから自分だけクーラーを点けるわけにもいかないだろうな、と心配してる。

たとえば、安定した電力が長時間必要な工場や、生命維持装置を使っている患者がいる病院はどうするの? 安定した電力が得られる外国に移転? 移転するほどの規模ではなく生産が落ちてやっていけなくて倒産? 生命維持装置が必要な人は淘汰?

大体、福島の事故の原因究明も、「ストレステスト」で原発を停めることも、自然エネルギーだ! と言ってることも、民主党は行き当たりばったりで現実的な問題点を把握しているわけではないので、発電を何にしてもリスクが高くなる一方。

↓「電気が足りるかどうかためしてみるための準備をしよう!!」
< http://twinklestars.air-nifty.com/sorausa/2012/05/post-1187.html
>

それでも原発は怖い! という前に、知識を得よう。放射能のこと、本当に知
ってますか?

「福島原発事故を恐れないための基礎知識 1」
< http://twinklestars.air-nifty.com/sorausa/2012/05/post-987e.html
>

チェルノブイルとの放出された放射性物質の推定放出量の対比もあるので、チェルノでは白血病が、奇形児が、だから日本でも...と怖がっている人は数字で違いを把握してみてください。怖い怖いというストレスのほうがガンを招きますぞ。

●4月の末に米菓の亀田製菓が韓国の農心製菓と提携を決め、亀田製菓のブログが炎上している。
< http://kamedaseika.cocolog-nifty.com/kametu/2012/04/post-3ac3.html
>

農心製菓は衛生管理に問題があって、イギリス、ドイツでは輸入停止。人一倍食品衛生には気を使うはずの日本の企業が、なぜそんな企業と提携するんだろう? 農心と提携するなら亀田製菓はもう買いませんというコメントに亀田製菓からはコメント削除という反応しかなくて、ますます不信感を煽ってる。でもマスコミは報じてないとか?

●イタリアでは、ベルルスコーニ元首相のスキャンダルの後、中央ローマをこき下ろし、独立を喚いていた北イタリアの北部同盟(Lega Nord)のスキャンダルが次々に暴かれて、イタリア国民の口をあんぐりとさせてます。党首の自宅の改装が(本人の知らぬまに)党費でされていた。党首の息子(鱒とあだ名されている)がロンバルディア州の州会議顧問に就任し、一般職員の10倍の月給。鱒君は高校卒業試験に3回落ち、アルバニアの大学の卒業証書を持っている。

ベルルスコーニが廃止した固定資産税が復活することになり、増税が決定され、国会議員の報酬のケタ違いの多さや年金の多さ、しかも、議員の他に地方の役所の要職を兼任してその給料もあったりで、広がる一方の格差に国民が不満を煮えたぎらせている。

日本でも、イタリアでも、こうした行政のお粗末さで経済が悪化してる。国民がお花畑から目覚めるいい機会ではないのかな。

主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
< http://midoroma.blog87.fc2.com/
>