ローマでMANGA[54]アモーレの始まり
── midori ──

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●イタリアのマンガも日本へ入った

前回、日本のMANGAがイタリアに入った瞬間のことを書いた。
< https://bn.dgcr.com/archives/20120621140100.html
>

今回はイタリアのマンガが日本へ入った時のことを書いてみる。この時も、私が率先してイタリアのマンガを日本へ入れようとしたわけではなくて、巻き込まれたのだった。ずっとこうやって巻き込まれてきたので、自分からなにかを立ち上げることなく来てしまった。今、もっと色々できたのに、と思ったりするけれど、これは別の話だ。

まず初めに、私とMANGAとイタリアと講談社を結び付けたい神様が、イタリアの作家・イゴルト < http://www.igort.com/home.html
> を自費で講談社に売り込みに行かせた。

アーティスト精神の他にマネージング精神のある作家さんだから、下調べをして講談社に行ったにちがいない。当時、英語で答えてくれる部署を持つ、数少ない日本出版社だったのだと思う。ボローニャの国際児童図書展で話をつけたのかもしれない。

結び付けたい神様のせいで、イゴルトが講談社へ行った時、モーニングの編集長が海外の作品を載せたいと、モーニングに描きおろしをしてくれる海外作家を探してるところだった。

編集長の栗原さんは、私にイゴルトの話をし、編集部との間に立って「モーニング海外支局」として外部編集の仕事をしてくれませんか、と願ってもない話を持ってきてくれた。イゴルトにもローマに「外部編集者」がいるから、コンタクトはそちらへ、と話をつけた。段取りを済ますと、イゴルトに担当編集者をつけた。それが堤さんだった。

堤さんは、小林まことのMANGAの描き方のミニシリーズに登場した猫が面白いと「what's Michael?」< http://p.tl/NH4D-
>を誕生させ、原稿を取りに行った先にあった同人誌から「鶴田謙二」< http://p.tl/O9jE-
>を発見してプロにし、田中政志の初期作品「FLASH」に登場した恐竜の子に目をつけ、作者と一緒に悩んで「Gon」< http://p.tl/80xE-
>を誕生させたりの、私が天才編集者と尊敬する人だ。

堤さんとイゴルトの間に入ってやり取りの翻訳をしたおかげで、作者のアイデアを編集者がどんなふうに作品に持っていくのかをじっくりと観察することになった。




●マフィアがテーマの作品「アモーレ」

イゴルトが講談社に売り込みに行った時、当然、作品企画を持参した。それが「アモーレ」。その昔、ヒデとロザンナが「アモーレ! アモーレ・ミーオ!」と歌っていたが、まさにそのアモーレ、愛がタイトルだ。と言っても恋愛モノではない。社会派、マフィアがテーマの作品だ。

日本の文化圏が東西に分かれるように、イタリアでは南北に分かれる。イゴルトは南に属するサルデーニャの出身で、南イタリアには独特のメンタリティ「宿命」があるという。自分ではどうにもできない運命に流されていく。歴史的に様々な異民族に支配されてきたことと無関係ではないと思う。

イゴルト自身もそんな宿命論に翻弄されているのか、それとも、サルデーニャからボローニャへ出ていってアートを仕事にしているから、運命は切り開けると言いたいのか。

マフィアはそもそも、コロコロ変わる異民族の支配、だから規則も変わり、異民族支配だから被支配者のことは考えない...という状況(宿命?)から生まれた。マフィアの家族に生まれたら、マフィアと関わらないわけにはいかない。

主人公のマリオはマフィアのボスを父に持つが、そんな犯罪組織とは無縁に生きていきたかった。恋愛と料理にうつつを抜かしていた間は良かったが、父親が死ぬと、否応なくファミリーを統率していかねばならなくなる。

作者のイゴルトは、世の中に何か出すときには社会的責任がある。だから、自分はマフィアを扱うときには、決して美化しない、と言っていた。そして、その通りに、このマフィアのボスのファミリーの崩壊を描く。それと、南イタリアの宿命論。

イゴルトは当初、36ページくらいの読み切りのつもりで持ち込んだ。この時の会話は編集長となのか、担当となのか、私には伝わっていないのだけど、こういう会話があったと後にイゴルトに聞いた。

編集部はイゴルとの企画を読んで、これなら100ページは必要ではないか?と言った。イゴルとは、ちょっとびっくりして、200ページにもできる。と答えた。編集部は、それならいっそ400ページの長編にできないか? と。そして、大河ドラマ「アモーレ」の企画が出発した。

●テクノロジーの進化とともに

イゴルトと編集部のやり取りはほぼ全部とってある。なにしろ、私を通さないと意思の疎通がスムーズに行かないわけだから。「ほぼ」なところが捨てられない病な割には、中途半端な私だ。このテキストを書くのを機会に、もうずっとやろうやろうと思っていたことを実行した。やり取りを全部スキャンしてDropBoxに放り込んだのだ。

一番古い日付は1991年8月21日。イゴルトから私に宛てた「手紙」だ。富士通のワードプロセッサーで打って、点々で字が構成されている。30(36?)ページなのか、300ページなのか、の確認とともに、原稿料についての提案が続く。

その後私はFAXを手に入れ、イゴルト宛には、日本から持ってきていたオリベッティのヴァレンタイン< http://www.rakuten.co.jp/twinland/301056/1811715/1811929/
>で打ち、日本へは手書きで送信した。

それからポータブル・ワープロへと進化した。ポータブル・ワープロは今のノートブックよりちょっと大きめのワープロだった。ただ、画面が小さくて一行しか表示されない。打った文章を記憶してくれているけど。だから、とりあえず、全文打ち込み、そしてやおら印字してみて変な文章や誤字を見つけねばならなかった。

印字はカートリッジテープ。これがなかなか馬鹿にならない消費なので、試しの印字用には、使いきったテープを巻き戻して使用し、清書には新しいテープを使用するという工夫をした。その内、FAXの感熱紙を使うというアイデアを得て、テープの消費を節約した。

話が進むうちに妊娠、出産をし、子供を見せに里帰りをした折に中古のMacのPowerBook165Cを購入した。
< http://www.dentalx.jp/01product/develop/mac_otaku.html#pic9
>

AirMacなんていうのがある今から見れば、やたら重いnotebookだったけど、持ち運び出来るコンピューターで、しかもカラー画面!! 内蔵HDは脅威の16MB!! GBなんてなかった時代の話。

ちゃんとフォントを選んでいたり、なぜかうまく行かなくて昔の富士通のワープロみたいな点々の印字なったりしながら、FAX通信は続く。どうも、出荷時にすでに問題のあった機械らしく、何度も修理に出してすごく高く着いてしまった。そのせいで捨ててしまったのだけど、あの歴史的マシン、オブジェとしてとっておけばよかったな、と、後悔している。

FAX通信の最終の日付は1996年9月10日になっている。その後は、Performa5200< http://ja.wikipedia.org/wiki/Performa
>を手に入れ、電話回線ながらインターネットでメールのやりとりに変わった。後のパソコンのHDが死んだりして、残ってないメールもある。

ちなみにこのマシンはまだ生きてる、というか、休眠中。電源につなげれば動く。メールも残っているかもしれない。そのうち、サルベージに行こう。

イゴルトと編集者から受け取ったFAXは感熱紙だ。この頃、息子が生まれて腕に抱えながら仕事をしていた。その息子が19歳だから、19年経った感熱紙なのに、そこそこ読めるのがすごいなと思う。
< https://picasaweb.google.com/102936978768158289322/xEckIB#5767293895581120370
>

●日本の雑誌に掲載するということ

イゴルトはこの当時で、すでに20年のキャリアを持つプロだ。だから漫画家としての仕事の進め方は知っている。でも、日本の雑誌掲載は初めて。編集の方もヨーロッパの作家と仕事をするのは初めてだ。

ここで、イゴルトも編集者も大いに戸惑いつつ作業をすすめることになる。どちらも自分のやり方がスタンダードだと思ってしまうのは仕方がない。両者ともそのやり方でずっとプロとしてやってきたのだから。

イゴルトのコマ割りは原稿をほぼ同じ高さに三段に分ける。コマの大きさが読者の読む時間をコントロールする手段の一つであるMANGAの構成から見ると、ちょっと異質ではあるけれど、編集者は意に介さない。このコマ割りでイゴルト独特のちょっと実際の出来事よりゆっくりしたリズム、回想シーンを見ているようなレトロな感じが、絵柄とよくマッチしている。

やり取りを読み返してみて、編集者が何度も何度も書いているのはページ数についてだ。何度も32ページに納めてくれ、と書いている。イゴルトがハーフトーンを使いたいと希望したので、オフセット印刷のページを割り当てることにしていた。当時230円の週刊モーニングで、オフセットページは64ページあった。これがコスト的にギリギリだそうだ。

週刊誌はご存知のように紙を重ねて半分に折って、真ん中を金具で止める。だから、オフセットページが64ページあっても、続けて配置されるわけではない。雑誌を中央で開いた状態で右に32ページ、左に32ページ、その上に別の活版印刷ページが載って、オフセットページを分けている。

この当時、オフセットページを確保していたのは、中国人作家・鄭問(ちぇんうぇん)の「東周英雄伝」
< http://kc.kodansha.co.jp/content/top.php/1000001613
>
と田中政志の「Gon」
< http://kc.kodansha.co.jp/content/top.php/1000000361
>
だけだった。

それでも、どうしても32ページを超える回が出てしまうのであれば、モーニングは負担と危険を追うことになるが受け入れます、とまで言っている。それだけ、編集部でイゴルトを買っていたことが伺える。実力を認めていたのだ。

何度も書いている、ということはイゴルトが何度も32ページ以上でネームを書いてくるからだ。しかも、37ページという奇数で。ヨーロッパの場合、片起こしという決まりがないので奇数ページで構成するのは変でもなんでもない。見開きで始まって、片ページで話が終わったりする。

イゴルトの方でも、構成と日本人読者の理解に関して悩んだ。自分の好きな構成がミーティングで編集長にわかってもらえなかった。日本の読者にはわかりにくい構成がいくつかあると指摘されたが、どういうやり方なら理解されるのかわからない、とFAXに書いている。

わかりにくいと指摘された構成の一つは、「主人公とお目付け役の会話→その時間帯に行われた殺人→殺人を告げるTVニュース→そのTVが主人公の部屋にあり、ニュースをBGMにベッドで恋人といちゃいちゃ」という構成で時間軸にそっている。編集長は殺人場面を主人公の回想場面と解釈した。

つまり、MANGAでは主人公の感情にそって構成していくので、読者が見る場面(作家が用意する場面)は主人公になにかしら関係があるものと考えながら理解しようとする。ヨーロッパマンガは「何が起こったのか」を語るのが大事だから、時間軸のみに添って話をすすめるのは不思議でもなんでもない。

この構成のしかたの疑問を呈したFAXは1993年2月4日の日付がついている。イゴルトの最初の手紙を受け取ってから、すでに1年半だ。問題の場面は第二話に出てくる。つまり、第二話のネームを基に話をしている。

講談社に持ち込んだ30ページの第一話はやり直しにやり直しを重ねて、イゴルトも編集も納得の行くまで詰めに詰めた。編集のダメをこれだけ受け入れたヨーロッパ人作家は他にいないのでは、と思う。

日本人読者にわかりにくい構成をした場面は、その後、「主人公とお目付け役の会話」と「その時間帯に行われた殺人」の間に、見開きでパレルモの大聖堂を入れ、マフィアの一人が殺人の舞台になるアパートの階段を上がっていくシーンを挿入し、それに合わせて他を構成しなおして32ページにまとめ、殺人が主人公の回想シーンではなく、別に起こった出来事なのだと日本人読者にもわかるようにした。

そして、アモーレの制作はまだ続く。

【みどり】midorigo@mac.com

毎年恒例で、6月の半ばに息子の学校が夏休みに入るとバカンスに行ってしまう。今年は6月の4週目と7月の最初の週の二週間。初めて訪れる土地、クロアチアへ行ってきた。昨年から寡夫となった海好きの舅と一緒に行く。舅がTVの旅番組を見て「クロアチアって海がきれいなんだよ、行ってみたいね」と言い、高齢でいつまで動けるかわからない父親を喜ばせようと、旦那が企画した。

ただし、使えるお金が充分ではないので、アンコーナから出るバカ高いフェリーでの近道ではなく、延々北上し、国境の町トリエステからスロベニアを経て入るルートをとった。874キロ。ローマ・東京直行便が12時間のフライト。我らが1000ccに満たないちびカーで、天井に荷物入れをくっつけての走行は14時間だった。

リアス式の岩ばかりの海。透明度が高く綺麗な海。海上からしかたどり着けない貸家はネットにも繋げられず、帰宅してからは溜まった仕事を片付けるので日本の状況を見聞きする暇が殆どなくて、実に精神状態良くすごしている昨今です。

主に料理の写真を載せたブログを書いてます。クロアチアの写真はまだ載せてない。
< http://midoroma.blog87.fc2.com/
>