●いきなり奈良美智とラッセンの話
武:こんばんはー。ざざっとやっていきましょう。
山:こんばんは! そう言えば最近の奈良美智。あれどう思います? なんだかなーって、思うねんけど。
武:え? ああ、「ラッセンのファンと一緒」って言われてキレてたこと?
山:そうそう。
武:まとめ的なのってないんかな?
山:『奈良美智とラッセンについてのUstream発言起こし』
< http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20131010/p1
>
武:奈良さんの激おこツイートまとめとかないんかな?
山:これか。『奈良美智 「自分の作品のファンがラッセンも好きなら発表をやめる」』
< http://togetter.com/li/569712
>
これはこれで一回チャット出来てまうんちゃうかw 盗作のときみたいな。
< https://bn.dgcr.com/archives/20060712140000.html
>
武:奈良さんの気持ちはよく分かるw でね、そのあとふと気になったのは、前提にあるラッセンの「ステイタスの低さ」なんすよ。それがアート関係者の間では当たり前のように共有されているところですよ。そして、
< http://www.j-cast.com/2013/10/06185102.html?p=3
>
にもあるように、このステイタスの低さは"ラッセンは「日本人のヤンキー心に訴えた」と分析する。"とあるように、ヤンキーへのステイタスの低さと結びついている。この文化のヒエラルキーが気になった。「ヤンキーとラッセンは低俗だ」という結論は決まっていて、それは不動なもの、的な。
山:ヤンキー、と言っても「どんなに頑張っても今いち垢抜けず安っぽい趣味に染まりやすい田舎者」ってこと、なんやな。
武:それヤンキーの定義じゃないじゃんw
山:ヤンキーと聞いて、そういう風には思わんわな。
武:山根はどこに面白みを感じたの?
山:うーん、僕も以前やったら、自分が発表したものがラッセンと同じと言われるとすごく憤慨してた気がするなw
武:おれもw
山:今やったらちょっとおもしろがってまうかも。だから、そんなに怒らんでもええんちゃうの、って思ったんですよ。まあ、その立場になってみないとわかんないけどね。
●なぜラッセンが嫌いなのか?
武:しっかし、今思うとなんでそんなにラッセン嫌いだったんかな。
山:売り方とちゃう?
武:「売り方が嫌い」ってどういうことなんだろう。強引に売ってるってこと? けど、売れてるものって、大体なんだって強引に売ってるよなw
山:美術にほとんど興味のない人が30万だ50万だで買わされた!とか、なんかあったよな。
武:その当時はバブルだったからねえ。そのくらいの無駄な消費はむしろ「善し」とされてた時代だから特別「売り方が悪い」って感じはなかった気がするんだよなあ。
山:これがわかりやすい。『ラッセンもこんな売り方したくなかった!? 悪徳絵画販売商法の実態』
< http://biz-journal.jp/2013/09/post_2942.html
>
結局かなり売れたんやろうし、現に今も来日して売っているw ファンがいるんかな。
武:ふむー。当時具体的には知らなかった。なのにラッセン大嫌いだった。なんでなんだったんだろ?
山:わかりやすかったんじゃないの。ひねってない、というか。
武:分かり易いって言ったら奈良美智も分かり易いけどなあ。
山:テキストとかロジックとか、美術(界)的戦略を感じないから、とか。
武:ああ。現代美術っぽくない、と。そこら辺が、「頭悪そう」って思わせたのかな。「頭悪そう」なつながりが「ヤンキー」だ、と。今、改めてラッセンをネットで見てみると「嫌い」って感じはないよなあ。イルカ思いっきりジャンプしてるしなあ、「笑わそうとしてるのかな?」とか思ったりw
山:すげーなw って思うよ。
武:エアブラシ? エアブラシのグラデーションって子どもの頃は好きだったんだよなあ。
山:どうなんやろな、実際。うまいけど。
< http://www.geocities.co.jp/PowderRoom/3169/pu.html
>
グレーズで描いてるってことは、油彩で筆なのか。
武:えー。そうなん!?
山:わからんが。ブラシは使っててもおかしくないけど。
武:フォトショップが出る前から、キラキラしたデジタル画像処理みたいな絵を描いてたんだよね、ラッセン。ある意味ビジュアルを先取りしてたんだよな。なのに嫌いだった。
山:ただ「きれい」を描いてる、って思ったんじゃないの。
武:「嘘くさい」からかな? 3DCG映像みたいな。人とか動物とかリアルに近づけてる3DCG映像ってさ、ちょっと違うじゃん。リアルに近づいてく程、違いが「嘘くさく」感じちゃうじゃないですか。そういう気持ち悪さみたいなのを感じたのかなあ。だとしてもなんであんなにラッセン嫌いだったのか、、
山:例えば、これがアニメーションでストーリーがあって、つまり映像だったらそうは思わなかった、ってことない? 嘘くさくみえたとしても。この画風で。
武:うーん、、どうなんだろうなあ。勧善懲悪のストーリーじゃなかったら好きになるかもw
山:となるとだ、ストーリーに依拠している、ってことになる。つまり、ラッセンの絵から、何かしらのストーリーは感じている訳だ。
武:それこそ「新興宗教のパンフレットみたいなストーリー」なんだよな。
山:それを感じるから嫌やったんかもね。
武:なんで新興宗教みたいに感じるんだろ?
山:「びゅーてぃふるねいちゃー!」って感じやからなw でもさ、ラッセンの絵が昔の科学雑誌とかの挿絵で、イルカばっかりじゃなくて未知の生命体とかも描いてたら、子ども的には「すげーっ!」ってなるかもしらんぞ。
武:ああ!!!ラッセンの画風でUMAとか描いてたら、絶対好きになってた!!UFOと宇宙人とか!地底人とか金星人とか火星人とか!
山:めっちゃリアルにww
武:興奮してきた! いい! それはいい!!
山:興奮すな!
武:ポニョ、ラッセン、スキーッ!
山:なんやねんww
武:じゃあ、ラッセンの描写や画風が嫌いってことじゃないんだな。
山:やっぱストーリーちゃうか。
武:ふむー。したっけヤンキー心じゃないよな。ヤンキーストーリーは任侠だもん。ラッセンのストーリーは任侠じゃないもん。つか、ラッセンのストーリーって一体なんだ?ww
山:「どんなに頑張っても今いち垢抜けず安っぽい趣味に染まりやすい田舎者」とはあんまり関係ないのかもね。
武:まるでかすってないなw
山:「ヤンキー」って言葉にしてしまったから話をややこしくしてる、ような。
武:そだね。ヤンキー文化論って凄く難しい。
山:あれかな、車に描いてたりとかあったやん、こういうの。工藤静香をエアブラシでがっつり、とか。画風で判断しちゃったんかな。
武:「愛裸武勇(I Love You)」とか。じゃあ、ラッセンのストーリーってなんだろ?
山:「びゅーてぃふるねいちゃー!」
武:ああ。けどそうなると普遍的だよなあ。。「自然が美しい」なんて正解以外のなにものでもないからねえ。「びゅーてぃふるねいちゃー!」だったら割と好きになりそうなもんなんだけど、なーんで嫌いだったんかなー。
山:たとえば、全然違うかもしらんけど、空山基のセクシーロボットとかどうすか。
< http://public-image.org/column/2010/07/23/cq-1.html
>
武:あー、萌えポイントそこじゃないからなあ。。。
山:好き嫌いはいいとして、画法は似てるとこない? 厳密に言うと似てる訳ではないのかもしれないけど、グレーズはグレーズ、エアブラシ使ってたり。ラッセンは厚塗り、空山基は薄塗り、らしいが。二人とも絵で世界的に有名、ファンも多くいる。でもアーティストじゃなくて、イラストレーターなんだよな。
武:で?
山:いや、ラッセンも「イラストレーター」っていう括りやったら、奈良美智もそんなに怒らんかったんちゃうか、とか。
武:あー。文化ヒエラルキーかあ。けど、「イラストレーター」と「アーティスト」の違いって今じゃもうほとんど意味ないけどなあ。
山:そうなんやけどね。
武:ラッセンが海とイルカが好きでそれをひたすら描いたんなら「素朴派」と同じだよなあ。
山:でも素朴派ってなると、画風も関係して来るんちゃうかな。
武:なんかやっぱどこか下手じゃないとならんのかな、素朴派。
山:そう言う訳で枕が長くなってしまいましたが、今回は世田美! 世田谷美術館に行ってきましたー。
●世田谷美術館はここら辺(素朴派とアウトサイダーズ)が強い
武:なんとか公園のあるところです!
山:砧公園です。
武:読めない。
山:その下り、もう3回目やがな。
武:世田谷美術館に3回も行ってるのか!
山:シカラムータのライブ、
< https://bn.dgcr.com/archives/20061011140200.html
>
あとは山口薫。
< https://bn.dgcr.com/archives/20081210140200.html
>
まあ、きぬた、ですよ。きぬた公園。
武:広い公園の中に美術館があってとてもいい環境だよね。
山:日曜日に一人で行ったんですけど、天気もよくて、家族連れやカップルがたくさんいて、僕はひねくれてるんで非常に腹立ちましたけどね。
武:用賀駅から歩いて行くのが楽しいんだよね。あの歩道も好きだなあ。
山:あの歩道、ちょっと気持ちわるない?
武:美術館まで迷わなくていいじゃん。
山:丸石で装飾してて。草間やよいかよ! ってまあ、嫌いじゃないけどね。ひねくれてるもんで。美術館まできっちり案内があって、わかりやすいですね。
武:なんでひねくれキャラになってるんだよw ウィキベディア貼っておきます。
素朴派
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%A0%E6%9C%B4%E6%B4%BE
>
アウトサイダーアート
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88
>
アールブリュット
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
>
グギング
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B8%E8%A1%93%E5%AE%B6%E3%81%AE%E5%AE%B6_%28%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%82%AE%E3%83%B3%E3%82%B0%29
>
ざっくりと、ちゃんとした美術教育を受けてない、ちゃんとした社会人ではない、みたいなイメージね。
山:一括りは、実際にはちょっと無理がある感じするけど。でも展示として丁寧に見せてる、と言う印象。
武:世田谷美術館はここら辺が強い、というか、安定感のある展示だったな。ずっと「アウトサイダーアート・素朴派・アールブリュット」的な美術に力を入れてきた感じする。
山:そう書いてた。展示の冒頭に。
武:そうだっけか。今回はじっくり味わうように、好みか否かで振り分けるんじゃなくて、面白味を探すように観てみたの。そうするとやっぱり面白く観れる。ひょっとしたらラッセンだってそうやってじっくり原画を観たら面白味はいっぱい発見できるかも知れない。
山:例えば映像やったら、全体を把握するのに時間をかけて見ざるを得ないが、絵の場合は一瞬でも「判断」はできてしまうよね。特に、好き嫌いとかで。
武:「好き」「嫌い」ともうひとつ「どうでもいい」ってのがあるんですよ。
山:ああ、それもあるか。
武:絵の99%は「どうでもいい」類いで、1%に「好き!」「嫌い!」のはっきりするんがある、ってくらいかも知れないな。
山:へー、そうなんや。
武:俺はそうなんですよ。その「どうでもいい」ってのをゆっくり見てみると好きになって行く。魅力を発見して行く。
山:それって絵に限らんわなw
武:人間も一緒だよね。実は99%くらいはどうでもいいんだよw
山:99%って意味がわからんがw まあ、それぐらいそうだ、ってことやな。
武:そうそう。ルソーの絵が3点あったけど、「どうでもいい」類いだもんw
山:んなこともないやろに。
武:ルソーの油絵って3点だったっけ?
山:多分。最初にあったな。
武:おっさんと風景とあとなんだっけ?
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< >
山:うーん、、、覚えてない。
武:まあそのくらい「どうでもいい」類いだったわけですよw けど「ルソー好き?」って聴かれたら「好き」と答えるよ。
山:なんやそれw
武:まあそんなもんですよ。ルソーの絵をゆっくり観ながら、ああ面白いなあ、って思ったことは確かなんだから。ルソー金太郎飴も買っちゃったしw
<
https://twitter.com/Take_J/status/386125248564699136/photo/1>
山:今回の展示はルソーと言うよりも、作家たくさん、ルソーもいるよって感じやったからな。
武:そうね。最もメジャーなルソーを入り口にしてアウトサイダーズの世界へ引き込んで行く展示で良かったよ。テレビ的演出だとルソーを最後に持っっちゃうからね。
山:ルソーのドキュメンタリー流したりするんかもな。
武:ルソーのドキュメンタリーは、それはそれで観たいがw あ、でも、ことさら「相手にされなかった、評価されなかった」的なことを強調するだけかも。
山:展示が全体的に、遅くから絵を始めた、っていうのを強調してたような。
武:英才教育を受けていないということだからね。
山:英才と言うか、専門の美術教育、やな。
●「身体」っていう言葉が何を意味するのか
武:身体が出来上がっちゃってる年齢から芸を始めると、どうしても変われない身体が表現に出ちゃう。身体成長と伴って芸を体得してきた人とは「何かが」決定的に異なってしまう。その面白さ。なのかな。
山:でも逆に言うと、身体が出来上がる前から変われない自分をすでに表現してしまってる、ってのは天才と呼ばれる人たちにはよくあることとちゃうかな。
武:画家だと誰かいるのかな?
山:そりゃピカソかってそうやろし。あと誰やろ、パッと思いつかんが。
武:ピカソって意図的に変えて行った感あるけどなあ。子どもの頃の写実的な絵に変われない自分ってあったかしら?
山:絵面はそうなんやろうけど、結局ちっちゃいころから相当描けたわけで。絵画に対する技術やな。アントニオ・ロペスとかもそうか。
< https://bn.dgcr.com/archives/20130530140200.html
>
変われない自分、というと、心的な方に聞こえるけど、それだけじゃないやろ。
武:「変われない自分」は心的というより身体だよ。心は変われるんだよ。
山:ここ突っ込みだすと話が細かくなる。
武:まあ、そうだな。子どもの頃にすでに芯はあって一生それは変わらないってのもあるからね。
山:それを身体と呼ぶのか心と呼ぶのかは、わからんとこあるし。例えば、生まれた時から手がない。これは身体やけど、手がない事で感じるもの、というのを身体と呼べるのか。
武:無眼球児の塑像をたくさん見せてもらったことがあるんですよ。生まれつき目のない子どもたちの。
山:あ、昔言ってたな。
武:「犬」っていっても犬の形してないんですよ。手に持つとあばら骨の凹凸があるへんてこりんな塊なの。彼らにとってはそれがリアルなんですよ。想像力とか個性とか言う問題じゃないんさよね。
山:ふむ。
武:身体なんだよね。
山:やはり「身体」って言う言葉が何を意味するのか、ってことになるよな。何気なく使ってまうねんけど。
武:ああ。難しい所あるな。でね、アールブリュット・素朴派・アウトサイダーズのそういうくくりの作品に対して、無眼球児の塑像じゃないけど、その人の中では「素でリアルにそうなってる世界」が観れる、と期待するところってのがあるわけですよ。アウトサイダーズは想像力を駆使してあの世界を描いてるわけじゃない。自然に、すでにその世界に棲んでいる、と。
山:はい。
武:けどさ、実はその境界って分からないよな。
山:まあね。僕らに取っては、アウトサイダーと呼ばれる人達が、彼らの「素でリアル」を表現しているようにみえるかも知れないけど、本人達はまったく違うかも知れない。
●しっかり描く=好感を持たれる最良の手法
武:例えば、ルソーの次にあったアンドレ・ボーシャン。パッと見「どうでもいい」の類いなんですが、ゆっくりじっくり観て行く。そうするとじわじわとなんか変なところが見付かって来るw 「この人、狙ってるんじゃね?」と思わせるフシもある。
山:この人は別に精神に異常をきたしていた訳ではないよな。ルソーもそうやけど。
武:そうね。
山:そりゃいろいろ狙うんちゃうか。下手したら、僕らの感覚よりももっと狙ってるかも知らんw
武:パッと観て「ヤバッ」って感じはしない。
山:巧みではないからね。
武:けど、じっくり観てて、なーんか好きになってもたw
山:しっかり描いてる。
武:そこがいいんだな。
山:えーと、山本作兵衛とかもそうよな。しっかり描いてる。
< https://bn.dgcr.com/archives/20130417140200.html
>
武:そうね! 観て行く程にいい感じに見えて来るんさよ。
山:子どもに絵画教室で教えるのは、上手い下手ではなくて、しっかり描く事やったりするからね。やりきると、なんか出てきてしまう。ま、なんにも出てこない場合の方が多いかも知らんがw
武:しっかり描くってのは好感を持たれる最良の手法だしね。見返りを度外視する趣味性がある、ってことなんかな。
山:趣味性というのか、集中性(?)かなあ。そこに圧倒されるふしはある。
武:そうね。
山:変に狙うとバレるよな。抜くとこ抜いたりするから。だけど彼らはそれをしないんやろうね。
武:「抜かない」ってところが素人っぽいんだよ。
山:そもそもそういう発想がないんやろ。
武:で、そこが魅力なんだな。
山:そうやね。実際むずかしいやろし。それをやろうとすると。
武:だねえ。抜く。「略」って経験も必要だろうし、センスも才能も勇気も要るしなあ。
山:合理性を考えるとそこやもんな。抜きの技。
武:そんな感じで、じっくりゆっくり観てじわじわとスルメのように味わう絵が多かったのですが、パッと観て「キターッ!」って思った人もいた。マッジ・ギルとアドルフ・ヴェルフリ。で、なんかやっぱちょっとおかしい人たちなんだよなあ。
山:アドルフ・ヴェルフリ良かったね〜。二人とも、本物観たの初めてやったんで感激しました。
武:降霊みたいなんでイッちゃって描くんだねマッジ・ギル。ヴェルフリもパッと見て引き込まれてしまった。楽譜なんだよな。
山:僕としてはここに、オーギュスタン・ルサージュとかエンマ・クンツとか入ってると、諸手を挙げて「すばらしい展示やった!」って言いそう。ま、ひねくれてるので何かしら文句は言うとは思いますが。
武:だからなんでひねくれキャラになってるんだよw
●難しいアウトサイダーズのくくり
山:ってかね、この展示の括りがやっぱりちょっとむずかしい。素朴派とアウトサイダーは違うしなー。一緒に観るとそれはそれでおもしろいけどさ。
武:まあ、ざっくりと言えば、自らの手で有名になれない類いの人、セルフプロデュースできない人、なんじゃないのかな?
山:そんな気もないんやろうしね。
武:バスキアは違うけど。つか、バスキア入ってるのなんかの間違いだろwwwww
山:あ、そうや。バスキアがあった!
武:よっぽどバスキア好きだったんだな、キュレータの方がw
山:なんでなんやろ。
武:「非白人」ってことで「アウトサイダーズじゃん!」ってwww
山:そういうことなん??
武:バスキアの代わりに俺を入れてくれ!
山:それでもおかしくもないようなww
武:「貧しい母子家庭で育った武盾一郎は正規な美術教育を受けておらず、ホームレスの段ボールの家、震災で家を失った人々が暮らす公園のコンテナの家、ラブホテルに暮らしながらラブホテルに絵を描くなど、巨大な絵、壁画を描いて暮らしていた。その後、精霊を探して車に暮らながら放浪していたが、やがて定住し牛乳配達をしながら筆記用具でオートマティズムに絵を描き続けた。」って解説があれば素朴派じゃん! アウトサイダー アートじゃん! アールブリュットじゃん!
山:わはは!
武:が、しかし、なんでバスキア? キュレータの説明を聴きたいw
山:正規の美術教育を受けていない、っていうところだけ、、か? なんか他にあるのか?
武:正規の美術教育を受けていない、ってだけなら、河原音だってそうじゃないか!
山:そんな事言い出せば、けっこういるんやろね。
武:そうそう。なのでアウトサイダーズの境界は極めて難しい。意識的にアーティストであろうとする人はアウトサイダーズではない、としてもだよ。
山:バスキアは、道端と放浪の画家という括りやったな。
武:アウトサイダーアートの括りに何か「あこがれ」と「天才」を先入観として抱いているのではないか、と。例えば、音楽の場合、正規の音楽教育を受けてないとか、他に職業があるとか、精神病であるとかが何か特別な区分けを生むだろうか? 好きでギターを弾き始めて、なんか他の仕事しながら、ちょっと病気なミュージシャンってフツーにいるだろう? 「アウトサイダー・ミュージック」っていう企画でライブやらないだろ。
山:それもそうやな。
武:そんな感じでアウトサイダーアートっていう特権ってなくなって行く気がする。
山:昔はそういう括りがあった、ってことになればいいんかね。ってかさ、アウトサイダーアートって聞くと、精神障害者の作品、ってイメージしてしまう。僕は。言葉の捉え方、みんな違うんやろうな。
●特別室「久永強」がよかった!
武:アウトサイダーズに括れない感じはしたし、特別室みたいな形で久永強の絵があったけど、あれはよかった!
山:あ、あれよかったわ。
武:シベリア抑留の絵は圧巻でした! 観れて良かった! って思った。ホントに感動したよ。
山:体験した人しか描けない。
武:シベリア抑留の絵って最初の解説で書いてあって、「え? なんでアウトサイダーズ展でこんなんあるの?」って思ったけど、絵を観て「おおおっ!」って思った。冒頭の解説読まないで、シベリア抑留の絵だと知らずに久永強を観たらどうだったんだろう? あんなに感動したのかな? けど、やっぱなんか鬼気迫る感じはあったよなあ。
山:香月泰男の絵を観て、自分のシベリアと違う! といって描きだしたという。
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E6%9C%88%E6%B3%B0%E7%94%B7
>
武:凄いよね。それがきっかけで、何10年も封印していたものが解き放たれるんだよね。
山:そうやな。香月泰男も凄いけど。
武:何が違うって感じたんだろうなあ。。ともかく「そんなんじゃねえ!」っていう気持ちってものっそいアンチテーゼじゃん。
山:育ちとか? 香月泰男エリートやし。
武:「ラッセンと同じにするな!」って吠えた奈良さんとは逆のパターンか。
山:ははは。まあそういうわけでもないか。
武:香月泰男は絵がスタイリッシュだよね。
山:センスいい人、って感じする。
武:久永強初めて観たけど、具象しか描けない感じモロ出しだよね。香月泰男のような洗練されたデザインや抽象表現は出来ない感じ。でも、そこがいいんだよね。けどさ、死体が横たわる絵はまるで抽象画なんだよね。
山:勉強してるっぽいな。あんな感じの抽象、いっぱいあった気がする。当時。
武:頑張ったんだw デフォルメも頑張ってたよね。赤鬼の顔とか。
山:頑張った感はすごいある。
武:目がダブってる絵とか。なんか「前衛」っぽいw マン・レイ?w
山:でも、そこに嫌みをあまり感じなかった。
武:そうなんだよな。
山:それって、ストーリーのせいやと思うんよね。
武:なるほど、香月泰男のようなエリートが描くスタイリッシュなシベリア抑留とは全く違うストーリーだ、と。色彩もよかったよ。綺麗だったじゃん。綺麗って書くと語弊あるけど。
山:いや、香月泰男との違いってことではなくて、シベリア抑留っていう体験者しかわからない過酷なストーリー。体験の重さが絵を描かせていて、そこに真摯に向き合ってるところが、嫌みを感じさせず、体験してない人も共感出来るんとちゃうかな。絵が良くないってことではないけど、文章が良かった。のかも。
武:ああ、そうだね。久永強の文章ね。基本的には状況を解説してるだけなんだけどね。どこか素朴な詩のような感じしたよね。
山:素朴派やんw 香月泰男の方が詩的やけどね。
武:絵の良さはストーリーに尽きる、かあ。。
【アンリ・ルソーから始まる素朴派とアウトサイダーズの世界/世田谷美術館】
< http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html
>
会期:2013年9月14日(土)〜11月10日(日)月休 11/4開館・11/5休館
開館時間:10:00〜18:00(最終入場は17:30)
観覧料:一般1000円、65歳以上800円、大高生500円、中小生300円
【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/断捨離中】
Picaresque主催ゼロネロ小文間無事終了いたしました!
3名のアーティストの作品に投票する企画です。第一回ゼロネロで栄えある1位を獲得いたしました! どうもありがとうございます!
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【山根康弘(やまね やすひろ)/財布持つのやめた】
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