5月のTokyo滞在に引き続き、おじさんバンドのせいで7月も番外編になった。
●おじさんバンドと流刑島と八代目
ダンナはDog's Lifeという名のおじさんバンドを持っている。高校の頃、プロのドラマーを目指したけれどバイクの事故で肘を痛め、趣味ならいいけどプロは無理になった。
それ以来ずーっとドラムを触ってなかったけど、50歳を期に、昔の夢を思い出し(というか、忘れていなかった)パーカッションの学校へちょっと行って、電子ドラムを買い、70-80年代のロックバンドやりたい人を探してバンドを組んだのだった。
プロを目指すのではなく、楽しく演奏を目指して週に一回、貸しスタジオで練習に励んだのだった。
かれこれ10年も経ったある日、二代目のバンドにベントテーネ出身のアウレリオさんが入ってきた。アウレリオはジャンベという西アフリカの打楽器を演奏する。バンドのレパートリーは70年代、80年代のロックだからジャンベがちょっと異質なのだけれど、趣味のバンドだからギター担当の親戚を断る理由もなかったのだ。
●おじさんバンドと流刑島と八代目
ダンナはDog's Lifeという名のおじさんバンドを持っている。高校の頃、プロのドラマーを目指したけれどバイクの事故で肘を痛め、趣味ならいいけどプロは無理になった。
それ以来ずーっとドラムを触ってなかったけど、50歳を期に、昔の夢を思い出し(というか、忘れていなかった)パーカッションの学校へちょっと行って、電子ドラムを買い、70-80年代のロックバンドやりたい人を探してバンドを組んだのだった。
プロを目指すのではなく、楽しく演奏を目指して週に一回、貸しスタジオで練習に励んだのだった。
かれこれ10年も経ったある日、二代目のバンドにベントテーネ出身のアウレリオさんが入ってきた。アウレリオはジャンベという西アフリカの打楽器を演奏する。バンドのレパートリーは70年代、80年代のロックだからジャンベがちょっと異質なのだけれど、趣味のバンドだからギター担当の親戚を断る理由もなかったのだ。
●ベントテーネ
ベントテーネというのは島の名前だ。
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%8D
>
ローマが州都であるところのラツィオ県ラティーナ市に属するけれど、ナポリに近い。ベントテーネ島からナポリ湾にあるイスキア島がくっきり見える。
ベントテーネが歴史に出てくるのは紀元前、第一代皇帝アウグストゥス帝の頃だ(もー、イタリアにいるとどこへ行ってもローマ帝国から離れられない)。
ここはアウグストゥス帝の娘、ユリアが姦通罪で島流しになった場所。罪人と言えど皇帝の娘だから、広いお館を建てて住んでいた。現在市役所(これがまた中世時代の要塞型のお城)の裏、庭になっているところから海に向かってお館の跡がある。
そして、今使ってる港の脇にローマ時代の長方形の小さな港があって、ここは小さなボートが碇泊して今でも使っている。長方形の陸側はなだらかな坂になっていて(写真の手前)波の力を吸収する。ここは、どんなに面の海が荒れていても、いつも湖のように静かなのだそうだ。
< https://plus.google.com/photos/102936978768158289322/albums/5767293867843611729
>
●アウレリオ
そしてアウレリオさんが出てくる。ブルボン王家の頃、1700年代にワイン用の葡萄を育てるために三家族がベントテーネ島に送られた。冬を知らない太陽の国、水が少ない、溶岩系の土地で育った葡萄は糖度が高くて美味しいワインができるのだ。
話はそれるけど、映画「イル・ポスティーノ」で有名になったプロチダ島でも、コクのあるワインが出来る。プロチダのワイン・リキュールは逸品だ。
アウレリオはその三家族のうちの一つの子孫で八代目だそうだ。ベントテーネでは今は商業的にワインを作っている人はいない。アウレリオもローマで仕事をして週末と夏休みに帰ってくる。
ベントテーネにこれといった産業がなく、観光が財源なのに市長も市政顧問もあまり頓着していない。そこで、アウレリオは10年前に「ジャンベ教室」を思いつき講師を招いて「ベントテーネのジャンベ」を発足させた。講師は亡くなってしまったが、ジャンビスタは島に10数人いる。
そして、おじさんバンド。ベントテーネのアウレリオがメンバーだからよそ者ではない。
夏になるとイタリア各地で規模の大小はあるにせよ、お祭や野外コンサートを催すのが普通にあることなので、企画としては違和感がない。それに、何しろ八代目だから顔だ。アウレリオは市長や顧問に報酬はいらんから、と、演奏会の話をつけた。
メンバーは自分の楽器とアンプ、交通費、食事は自腹。宿はベントテーネ持ち、ということになった。
メンバーの家族もオーケーということで、私も便乗して初めてのベントテーネ体験をした。
島への連絡船の前でギター二人と待ち合わせ。ギター三台、アンプ二台、ギターコードやペダルの箱二個、シンバルなどを、まず車から下ろして、私とギターの子供が荷物番をしつつ、メンバーが車を駐車しに行く。切符を買って、それぞれ目一杯荷物を持ったり押したりしながら乗船する。
何十年も前に「グループ・サウンズ」のライブに行って、楽屋出口まで行って、「ボーヤ」が重そうにアンプを押したり引いたりしているのを見た懐かしい記憶と一挙に重なってしまって、ちょっとワクワクする。
●教会広場
コンサート会場は島の教会の前の広場。島にオーディオを趣味しているおじさんがいて、高級機材を持っている。その人がボランティアで舞台の設置、ライトの設置、アンプの設置、ミキサーの設置を引き受けてくれた。音はプロの仕業に出来上がって、メンバーも満足だった。
島はおじさんのボランティアに慣れているので何もしない。メンバーが報酬代わりになにか贈ろうとしたけれど、頑として受け取らない。せめてコンサートの終わりに、市長、顧問へのお礼に続いて、彼への拍手を観客と共に贈った。
コンサートの日は、ワールドカップの試合があった日で、動員が気になるところだったけど、結構広場いっぱいになっていた。
< http://bit.ly/1mypKiY
>
< http://bit.ly/1xRnsiN
>
おじさんバンドは毎週一回真面目に練習するので、グループとしての一体感が出てきてそこそこ聞ける。
バンドを始めた時はダンナの趣味で70、80年代のロックだった。ストーンズとか。ボーカルを担当してたギターが抜けて、新たに歌えるギターを入れたところ、彼のレパートリーはイタリアン・ポップスだというので、それも新たにレパートリーに加わることになった。
最新動画がないので一年前のものはこちら。今はもっとうまい。30分もあるけど、28:33からジョイントでベリーダンスがあります。
< >
今回は、ジョイントでベントテーネ・ジャンベとも共演した。リハーサルなしで、どうなるかと思ったけど、一曲、ギターが機転を利かせて皆の演奏を止めさせて、ジャンベだけにした。ダンナのドラムはリズムセクションだし、ジャンベがダンナをチラチラ見てリズムを取るので、やめるわけには行かずに演奏をし続けた。
結果、ジャンベの熱いリズムは、教会の屋根を超え、広場を埋め、海に届き、観客にも届いて拍手喝采だった。良い音楽というのはテクニックだけではなく、特にライブの場合は、そこに演奏者と観客の間の交信が起こると魂に届いて良い音楽になる。この夜は実にそれが起こったのだった。
●おじさんバンドが起こした経済効果
ベントテーネは住民届けを出している人が700人余り。実際に年間通して生活しているのは300人程度だそうだ。小学校と中学校一校づつ。診療所一軒。重病はヘリコプターでフォルミアかナポリへ(どっちも怖い)。
高級ホテル一軒(ヴィッラ・ジュリア/「ユリア」のイタリア語読み)。民宿多数。旅行代理店二軒。そこそこ高級レストラン一軒。1.45平方キロメートルという小さい島なのに食べ物やさんはやたら多い。スーパー二軒。教会一つ。お土産物屋さん、ざっと見て四軒。パブ二軒(そのうち一軒は、野外で庭で踊れる)。
どこも夏の海水浴季節に一年分の生活費を稼ぐ。海がきれいなので、潜水を趣味してる人の目的地(地じゃないね、海)のひとつ。
おじさんバンド、Dog'sLigfeは経済活動に好影響を与えた、と翌日知った。島民を全員知ってるアウレリオからの報告によると、バンドが演奏した夜、近く(どこも近い)のBAR(地中海式カフェ)は演奏が終わった午後11時半以降、三々五々お客が来た。庭のあるパプはその前の土曜日は誰もお客がいなかったのに、今回は遅くまで盛況だった。
島での遊びは、海周りで、日中に限られる。保護区だから夜釣りもできない。映画館もない。だから、食べて駄弁るか、家でテレビ、ぶらぶら歩きくらいしかない。
そこへおじさんバンドが音楽を提供したので、他に楽しみもないツーリストも(バンドの関係者以外にも、の意)外へ出て演奏を楽しんで、そのついでに食後酒を飲んだりしたわけだ。
たかが素人バンドでこの経済効果。企画者のアウレリオは満足気だった。9月に地元の守護聖人のお祭りがあるからその時にも......という話が持ち上がっている。
こうして、おじさんバンドはその規模にあったコンサートを無事終え、何かを残し、ついでに翌日のんびり海水浴もした。これで今年のバカンスはおしまい。もっとも、我が家が農園で避暑地みたいなものだけど。
【みどり】midorigo@mac.com
このところ、自分が若い作家志望者になったみたいなことが起こっている。マンガ学校を何年か前に卒業して、原作者として仕事をしている青年から連絡があり、トリノの小さいタロットカード専門の出版社がMANGAタロットを企画してるので、一緒に仕事をしないかということだった。
うん、やるやる、と返事をしたものの、よく考えたら、ちゃんと絵で仕事して報酬を頂いた経験がすごく少ない。それでも、未だになにかやりたいと思ってるのだから、思う通りにすればいいのだと、数少ない見本の絵を出版社に送ってみた。
それらの絵は、親戚連中の似顔絵だったために、カリカチュアだし背景がないので判断ができないと返事が来た。ここで「お騒がせしました」と退散するといつものコース。
この期に及んでこういう話が来たときうことは、「えーかげんにせーよ。これが最後のチャンスだからね!」という天の声だと思って、背景付きの絵を描いた。背景付きを持っていなかったからだ。出版社に何かあったらしくてまだ返事がない。それでも、めげなかった自分を褒めてあげられる。
娘ほどの年のナポリ出身MANGA家志望女性と、コンタクトを取り続けている。彼女も日本のMANGA界の常識で言うと、デビューには遅い年齢だけどめげていない。英語で応募要項を掲げた日本のMANGA賞を見つけてきて、私作(ネーム)+彼女作画で参加しないかと持ちかけてきたので、これも参加することにした。7月31日締め切り。
少なくも30年前にはやっておくべきだったことをやっと始めた還暦。
「イタリアで新しい漫画を作る大冒険」(←ひえ〜、これをやってる暇がない)
< http://p.booklog.jp/book/77255/read
>
主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
< http://midoroma.blog87.fc2.com/
>
よかったら協力してください。
無料サーバーbitcasa。下記URLをclickして無料登録していただくとあなたと私に無料スペースがもらえます。
< http://l.bitcasa.com/poG6F9QI
>