ローマでMANGA[79]日本独特の会社事情でプロジェクトの危機?
── midori ──

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90年代に講談社のモーニングが、海外の作家に書き下ろしてもらった作品をのせるという前代未聞の企画を遂行していたときに、ローマで「海外支局ローマ支部」を請け負って、そのときのことを当時のファックスをスキャンしつつ、それをもとに書いているシリーズです。

今回は1995年の5月のファックスから。


●担当編集者が異動?

前回、大会社の常として何年か経つと「異動」という話が出てきて、担当編集者もその候補に上りそうということだったのだろう、反応がすごく悪くなった。

前回の話題は1995年の2月と3月のファックスをもとにしたのだが、その後、なんと4月は一通もなし! 5月は12日に編集者からのファックスが一通、私がそのファックスを訳してヨーリに送ったものが一通という寂しさだった。

編集者からの一通は担当するイタリア人作家二人に向けて、それそれ原稿を受け取った、ありがとうという8行と9行の通信が一枚に書いてある。

二人に向けて一枚に書くのはいいのだけど、いつも、私信で私の息子と同じ年の子供の話など書いてきたりすることが多々あったのだけれどそれがない。私信としては、この受け取った原稿の取扱手数料の請求をしてくれと手書きで追記があった。

しかも、その請求書は国際室から移ってきていた編集者宛に送るようにとある。今までは、すべての事務手続きは作家担当の編集者に一任するのが通例だった。

これはイタリア側としては情報がない分、不安になる。もっとも、担当編集者も異動になるのかならないのか、自分で決めるわけではないので、どちらに転んでもいいように周りを固めておくしかない。

新人賞などで、たとえ賞を取らなくても新人が編集部に現れた時に、編集部員全員が一致して押さなくても、ある編集者が「私はこの新人に何かあると思うので、担当していきたい!」と強く支持すると、その新人は切り捨てられずに手を上げた人が担当者としてついて育てることがある、と聞いたことがある。あくまでもモーニング編集部の話で、どの編集部もこのやり方をしているのかどうかはわからない。

逆に言うと、この海外作家企画のようにヒットを出していない企画の場合、押す担当編集がいなくなったらどうなるかわからない、というのはあったかもしれない。すると、無駄になるかもしれない作業を、どこまで作家に急がせていいのか編集者も判断に困ったことだろう。

会社には会社のやり方があるから、私がとやかく言うことではないのだけれど、ある企画進行中にその担当を替える、っていうのはどうなんだろう。

特にこの海外作家に描き下ろしてしてもらう場合、MANGAの言語を知らない作家を指導しつつMANGA作品に持っていくのは、日本の作家に対するのとまったく違う。

編集部自体が初めての経験で、担当編集者自身も実践でやり方を身につけて行っていたところなのだ。ここで、はい交代! でこれまで何年もかかって築いてきたもの、理解してきたものをたかだか数か月(?)の交代期間で後任にわかってもらえるとは思えない。

まぁ、結果として、この年に担当編集者の異動は発動しなかった。でも、異動の可能性が表に出てきてから数か月、進行がかなり遅れた。

●漫画雑誌「linus」で特集記事

味気ない淡々とした編集者の5月半ばのファックスの、次に出てきたのは一か月後の6月だ。ヨーリの全部大文字手書きで「堤さんと仕事を続けられることを知った僕の喜びをまずおしらせします。」で始まる。

「山の途中まで登ったロッククライマーがザイルを失ってしまったのと同じ心境でした」とはうまい表現だと思う。

ここでは、長編「不思議な世界旅行」の続きのネームを近日に送るということと、イタリアでヨーリとイゴルトが話題になっているという報告だった。

「イタリアで」というのは、ちょっと大げさかな。小さなイタリアマンガ界でちょっと注目されて、ある漫画雑誌で特集記事が組まれたということ。マンガに興味のない人々にまで知れ渡ったわけではない。残念だけど。

イタリアに、「linus」という漫画雑誌があった。あの、シュルツ作「ピーナッツ」の中のキャラの名前がタイトルになっている雑誌だ。Baldini&Castoldi社(ミラノで1897年に創業)から出ていた。
< http://www.baldinicastoldi.it/
>

当初はこの「リヌス(イタリア語の発音。ライナスではなくローマ字読みで書いてある通りに発音する)」はシュルツのマンガを掲載して1965年に創刊された。1972年以降編集長が何人か代わり、そのたびに編集方針も変わって、若者向けの、その時々の人気作家を起用したマンガ、読み物誌になっていった。

70年代半ばから80年代始めまではイタリア・マンガの春だったから、リヌスも大御所のセルジオ・トッピ
< http://bit.ly/1qI5VsY
>

グイド・クレパックス
< http://bit.ly/1qI6HpV
>

アメリカの鬼才、リチャード・コーべン
< http://www.ne.jp/asahi/techno/drome/corbentop.htm
>

等の作品を載せて意気揚々としていた。

90年代の半ばは、イタリア・マンガが衰退まっしぐらの時期に当たる。マンガ月刊誌が次々と廃刊していった。それでもマンガ家たちは単行本などを出していたしマンガ発表の形態が変わっていくのだろう……と思っていた、あるいは夢見ていた。そして、それに代わってMANGA単行本がじゃかじゃか売れて行った時期に当たる。

そんな中だから「あの」日本で仕事をしているイタリア人作家二人(しかもオトモダチ)を取り上げるのは、今後のイタリア・マンガの明るい希望の星を示すことになったのだと思う。

イゴルトがYURIを、ヨーリがミヌスを抱いている写真と絵の合成の白バックの表紙の号を持っているはずで、それをスキャンしてお目にかけようと思っていたのだが、杳として行方が知れない。おかしいなぁ……と、あちこち探しまくってグズグズしていたら、本棚のイゴルトコーナーの後ろに並んでいた。

それぞれがそれぞれのキャラを抱く表紙
< https://plus.google.com/photos/102936978768158289322/albums/5767293867843611729/6059594223918838722
>

それぞれのキャラがそれぞれの作者を手に乗せている裏表紙
< https://plus.google.com/photos/102936978768158289322/albums/5767293867843611729/6059594333683689906
>

全114ページの中、51ページから61ページの特集記事、続いて4ページ見開きでイタリアで出版されているMANGAの解説がある。linus誌でMANGAが掲載されることはなかった。linusの読者は年齢が20代後半から40代で、谷口ジローさんなどが知られていない当時のMANGAは子供っぽすぎたのだと思う。

そしてlinusは2013年に休刊(事実上の廃刊)、出版社は今年2014年2月に倒産
した。
(↓linus休刊を告げる日刊紙の文化面)
< http://www.corriere.it/cultura/13_maggio_28/linus-chiude-editoria_ed98a696-c7b8-11e2-803a-93f4eea1f9ad.shtml
>

記事が結構面白いので、次回、これをお届けします。

【みどり】midorigo@mac.com

安倍ちゃん戦略面白いな。
< http://crx7601.com/archives/40847730.html#more
>

来年、東京に「国連女性機構」日本事務所が設置されることになったそうな。国連との連帯を一層強化して「紛争状況で女性の名誉と尊厳が申告に毀損された歴史がある。21世紀でこそ女性に対する人権侵害がない世紀を作る」と話した、と記事にある。

頼りにしていた記事を朝日新聞が取り下げて、国連で「日本軍による慰安婦強制連行」を騒いでる団体も困ってくるだろね。米軍慰安婦やベトナムでの乱行が表に出てしまう「母国」も困るだろう。

正義が勝つ! という風になって欲しいね。

また新しいこと始めちゃった。
COMICO 無料マンガ 「私の小さな家」
< http://www.comico.jp/manage/article/index.nhn?titleNo=1961
>

「イタリアで新しい漫画を作る大冒険」
< http://p.booklog.jp/book/77255/read
>

主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
< http://midoroma.blog87.fc2.com/
>