ローマでMANGA[81]「Henshu-sha」という存在
── midori ──

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90年代に講談社のモーニングが、海外の作家の書き下ろし作品をのせるという前代未聞の企画を遂行していたときにローマで「海外支局ローマ支部」を請け負って、そのときのことを当時のファックスをスキャンしつつ、それをもとに書いているシリーズです。

前回は、「ユーリ」のイゴルトと「ミヌス」のヨーリがイタリア(の一部)で注目され、マンガとポップの情報、及び作品掲載の雑誌に特集され、その記事の訳文を紹介しました。

今回は、同じ記事の中の囲み記事の訳文により記事全体を網羅します。そして、本文中で興味深い部分を抜き取って、イタリアと日本のマンガ世界の違いなどに言及してみたいと思います。


○MINUS

1977年12月、LINUS誌上でオレステ・デル・ブオノの名付けで誕生したミヌスはその丸っこい特徴を保ちながら日本で豊かに成長した。主要なものだけで成り立ち、会話をなくしたことで国際的になった。モーニング誌(週に120万部)に掲載。

○ヨーリの人生と奇跡

イタリアの撃術シーンで重要なヨーリは、80年代の歴史を作った展示会に参加。ベネツィア・ビエンナーレに二回参加。国内外で個展を開く。現在トリノの近代美術館で、レナート・バレッリ主催の「新しい新(I nuovi nuovi)」展に参加。

「禁じられた遊び」の場としてマンガに強烈に惹かれ、匿名でリヌス誌に掲載を始め、そしてアルター、フリジダー(注・いずれも70年台から80年代半ばに新しいマンガを発表して、イタリアのコミックスに一時代を築いた月刊誌)、およびフランスのレコ・デ・サバネス(L'echo des Savanes)にも作品を発表。

ボーグ・バニティ(注・モード誌)でも仕事。80年台の始め「バルボリーネ」グループの創始者の一人。また、マッシモ・リベラトーレ(注・圧倒的な画力で当時のヨーロッパマンガ界を風靡した作家)、パツィエンツァ(注・それまで誰も題材にしなかった生きた若者の生態を描いたマンガ家)など、いわゆる「新イタリア・コミックス」の一人。

80年代半ばに充分楽しんだ後、マンガをやめる。そして90年、拒否できぬ申し出をたずさえて日本人がやってくる。全世界に通じる偉大なコミュニケーション手段としてやってみないか。そして、LINUSもさらに難しい要求をした。日本でしていることをイタリアのためにしてみないか。不可能に近い企て。だからこそ、やってみたい!

○イゴルトの人生と奇跡

この10年間、ボローニャ、パリ、トーキョー、カピターナを飛び歩く。視覚と音楽の世界で作品制作。本はイタリア語、英語、日本語、スウェーデン語、フランス語、ドイツ語で出版。

そのタイトルの一部は「NERBORUTO」「GOOD BYE BAOBAB」 「IL LETARGO DEI SENTIMENTI」 「L'ENFER DES DESIRS」 「THA'TS ALL FALKS」 「DULLED FEELING」 「MANGARAMA」 「CARTOON ARISTOCRACY」等々。

1993年、ベネツィア・ビエンナーレでミュージシャン、造形美湯柄として参加。他に個展をニューヨークのTREAT WAXING SPACE、ミラノのエオス・ギャラリー、パリのTOUR DE BABEL、東京の西武で開催。

80年代の初めからヨーロッパ内外のコミックス誌で仕事。LINUS、フリジダー、アルター、ザ・フェース、メタル・ハーラント、エコ・デ・サバネス、モーニング、ブルータスなどなど。

新聞各種:マニフェスト、リポーター、コリエレ・デッラ・セーラ……。

創刊、企画した雑誌:イル・ピングイーノ(1980)、ラ・ドルチェ・ビータ(1980)、フエゴ(1990)。日本とイタリアで掲載されたマンガのために坂本龍一と仕事。坂本龍一の「未来派野郎(SOUNDBYTES)」のレコードジャケットはイゴルト作。

ダイター・マイヤーのイエロと共同して、ドイツ・フォノグラムのミュージカル企画。企画の名は「SLAVA TRUDU」。1987年かたLPを発表。ドイツとイタリアで録音。「マカロニ・サーカス」というミュージカル・ナレーション企画を制作。劇・ミュージカルで脚本と背景。スウォッチでYURIを発表。1993年度スウォッチ・オブ・ザ・イヤー。

デザイン分野でメンフィスとアルキミアで仕事。1991年5月から講談社で仕事。日本で最大の出版社。現在、現代の小説としてのマンガを仮想して仕事。カフターコン(?)、フェルトゥレリネッリに絵を描き、ドゥ・セビル社のために子供向けカラー本を終えたばかり。(写真はイゴルトと当時のモーニング編集長・栗原氏)

○AMORE

アモーレは白黒作品で、イタリアの家庭を物語ることに着想を得たストーリー。マリオは21歳の青年で、人生を愛し、女の子を愛し、おいしい料理を愛す。それで友人は「アモーレ」とあだ名する。彼の家は力のあるマフィア。

ストーリーは死と犯罪の理論に入りたくない21歳の青年の困難な人生を描く。日常を崩していく最初のマフィア闘争から長の位置に着くまで。作品は東洋の市場に於いて、これまでヨーロッパ作家が描くことのない長さを持つ。1000枚予定し、7年かかる見込み。

○編集者からの手紙

親愛なるイゴルト様 『アモーレ』の原稿をお送りいただきましてありがとうございます。力強いコマが次から次へと展開され、読みながら興奮しました。更に、前回まで頂いたものに比べて日本人読者にとってとても理解しやすくなっています。あなたのMANGAに対する研究が明らかに実を結んでいるのだと思
います。

アクションシーンはとても強いインパクトがあり(ベジタリアンと言うのは残酷なんだね)、どうぞたくさん野菜を食べてどんどん残酷なシーンを描いてください。もちろん、今のところ壮大な『アモーレ』のごく一部しかその姿を現していません。どんどん描いてその全貌を早く現していただけるように強く望みます。良いお仕事を、そしてイタリアにとって野菜が豊作であるように祈ります。(モーニング編集部 堤泰光)

○不思議な世界旅行

この作者は読者を楽しませるには、まず自分が楽しむ事が肝心と確信。日本という自分が信じさえすれば、どんな狂気も許されるところで、あらゆる規制、恥から解放されて、子供のころの夢を実現することができる。

スーパーヒーローをやる。二本足の普通の人間にはできよない事をやる。エイの上に乗って飛ぶ。動物や植物と話す。有名な故人と話す。どんな知性も解り得なかったことを理解する。「冒険が不可能な事であればあるほど現実性を持たさねばならない」の原則に則り、映画風な手法を用いる。底の底まで信じるために主人公の役を自分がやる。

○YURI

ユーリは初の子供宇宙飛行士だ。ママのウバと一緒に過去を探して宇宙をさまよう。ウバは第五世代の木製ロボット。人工ママであり、遊び相手であり、チビさんのいたずらの犠牲者でもある。ユーリも他の同じ年頃の子供と同じように遊び、テレビを見、マンガをたくさん読む。時々、夜中に怖い夢を見る以外は元気でハツラツしている。

ユーリのストーリーは日本の週刊誌モーニングに今年中に掲載開始予定。イタリア人はユーリをスラバトルドゥのミュージカルビデオにちょっと出たのと、1993年スウォッチの小さな画面に登場したのを見ている。

●MANGA編集者は『マンマ』

では前回のテキストからの抜粋コーナーに行きます。インタビューの中でヨーリはこう言っている。

「かの栗原さんは間違えない人として知られていて、ヨーロッパ作家との共同作業を試みると決めていた。その仲間に入れてもらえるのは光栄だ。イタリアのマンガ出版界の困窮は遠い話だった。講談社は巨大な出版社だ。でも、僕が惹きつけられたのはMANGA編集者の存在という制度だった。この編集者が僕には必要だったのだ。『マンマ』のような、いや、むしろコーチの役割を担う編集者。彼らが前進を助けてくれる」

イタリアを始めとするヨーロッパと、日本とではMANGA編集者と作家の関わり方違う。まず、私のテキストをずっと読んでくれている人には繰り返しになるけれど、海外のマンガ界の様子を少し。

イタリアでマンガ家がマンガだけで食べて行ける数少ない機会が、ボネッリ社のシリーズ物か、
< http://www.sergiobonelli.it/sezioni/3107/home
>

ディズニーマンガのチームに入ることだ。ストーリーを作る人と作画は別々の
担当、彩色も別の担当、更には表紙専門の人もいる。
< http://www.topolino.it/
>

アメリカの場合は殆どDCかマーベルで既存のキャラクターを描くことになる。
DC < http://www.dccomics.com/characters
>
マーベル < http://marvel.com/
>

こうした伝統的なキャラクターを中心にした作品の他に、たまにペーパーバックのオリジナル作品が出てくることもあるけれど、今のところイタリア人で出たのはマッシミリアーノ・フレッツァートの「Margot in Badtown」がUSA Magazine に出たものと、メタル・ハーラント誌に出たサベリオ・テヌータの短編しか知らない。懸命に探していないので、他にもあるかもしれないけれど、つまり、耳に入ってくるほどのものは出ていないということだ。

自分のオリジナル作品を出そうと思うと、フランスのB.D.(業界では「ベーデー」と発音。フランス語のマンガを表す「バンド・デスネ」の頭文字。バンドはベルトのこと。デシネは描かれた、の意味で、イタリアを始め、昔のヨーロッパ・マンガは横長の紙に描かれていたので、そう呼ばれるようになったと思われる)界にその活路を求めることになる。

でも、フランスは自国の文化を大切にするので、外国人に一作品全部を丸投げすることはあり得ない。すると、フランス人による原作付きか、彩色担当として仕事をする。

唯一、イタリア人で自作のストーリーと作画でBD出版を果たしたのは、前出のサベリオ・テヌータの「紅の雲」だ。
< http://www.humano.com/album/35298#.VFjPofSG8ts
>

さて、本題。イタリアのボネッリ、ディズニーも、アメリカのDCやマーベルも、アメリカの作家独自のストーリーも、フランスのBDも、日本のようなMANGA編集者はいない。その企画に出版社が乗り、原作脚本があって作画家がいたら、後は作業を進めるのみ。

この企画中、イゴルトは何度も「今まで僕たちは孤独な作業をしていた」と繰り返したものだ。日本国内でも話を一般化することはできないにせよ、少なくとも、私が出会ったMANGA編集者は一様に「担当編集者は最初の読者です」と言って、まず、出てくる作品の話がわかるようにすることを最優先に置いた。

作品がわかる、とは共感できることを意味するのではなくて、作者が言いたいことが伝わるかどうかの意味だ。作者がわざとわかりにくくして、それが物語の中で効果があるのなら、そのわざと作るわかりにくさが伝わればいいのだ。

要するに、誤解がなるべく出ないように言うならば、作者の意図が伝わる構成かどうかを見るのが、最初の読者である編集者の仕事なのだ。

そのためには作家に丸投げではなく、時には企画の段階から、そしてネームの段階では注意深く話し合いを進める。この段階が欧米にはないのだ。

モーニング編集部は、日本人以外の作家に描き下ろしてもらう企画を進めながらこの事実を発見した。そして「MANGA」とか「anime」のように「Henshu-sha」という言葉も浸透させようというアイデアを出した。

言葉というのは概念だ。新しい言葉は新しい概念ということだ。「編集者」を「editor(イタリア語だとeditore)」と訳している限り、日本のMANGA界の編集者の特異性は伝わらない。

実際には、この頃ヨーロッパでのコミックスフェアや図書展などで、機会がある度に「Henshu-sha」の言葉を使うにとどまった。この企画は90年代で終了したので、世界中には広まらずに終わってしまった。つまり、「Henshu-sha」の存在(概念)は外に知られていない。ちょこっと顔を出しただけだ。

日本のMANGAがこれだけの広がりを見せたのは、もちろんMANGA家のすさまじい努力と向上心によるものだけれど、最初の読者となり、作者の意図を伝えるための作者の外側からサジェスチョンをし、取材を手伝うMANGA編集者の存在も大きかったであろうと思う。

その編集部が大きな出版社であれば、例えば私も通訳としてお伴したけれど、海外(イタリア)の取材も可能になるのだ。写真や映像だけで見るオペラ座、コロッセオ、ベネツィアの運河の上の街と、実際にその場所に行って大きさに圧倒され、綿密な細工に感心し、年月を経て丸くなった大理石の彫刻の模様はさまざまな影響を作家に及ぼす。絵の中に現実感を入れられるし空気感も入れられる。物語は大きくなる。

海外へ行かなくても、若い作家をなるべくいい店に連れて行く、というMANGA編集者もいた。自分が知っている小さい範囲の世界から外へ連れ出すためだ。趣味が合ってクラシックのコンサートへ一緒に行った編集者もいる。そこで、作家と編集者が同時に同じインスピレーションを受けた、というおまけのエピソードもある。

今、日本ではMANGA雑誌の売上げが落ち、かと思うと発行部数の少ない雑誌からいきなりのヒット作(「テルマエ・ロマエ」とか)が出たりして先が読めないらしい。もっとも今までも、作家と編集者の手探りであり、なにか、こうしたらこうなるという条件があったわけではない。

それでもMANGA編集者の存在というのは、MANGAの内容の広がりに大いに役立つものだと思う。作家が自分の知ってる世界だけで描いていると、もちろんそういうものもあってもいいのだけれど、小さく縮こまってしまうのではないかと危惧する。

往年のMANGA読みとしては、60年代、70年代の夢と希望にあふれたストーリーよ、もう一度、なのだけど。

次回、また記事の中からイゴルトかヨーリの言葉を取り出してコメントします。

※このコラムで「MANGA」とローマ字で表記する時は、アメコミやBD(フランスマンガ)などを含まない、こちらでも外来語となっている日本の漫画のことを指しているのでお含みおきください。

【みどり】midorigo@mac.com

10月の終わりから11月のはじめにかけて、例年のごとくトスカーナの珠玉の町、ルッカで行われるコミックスフェアに行ってきた。

毎年入場者の数が「歴史上最高」になり、今年も上書きされたそうだ。帰ってきたばかりなのでまだちゃんと調べがついていない。

イタリア各地であるコミックスフェアは、人が呼べてお金になる日本のMANGA、アニメ、ゲームのグッズが中心になる傾向があるけれど、ルッカコミックス&ゲームスは日本だけに偏らないように、ちゃんとコミックス全般に注意を向けているのが良い。自費出版組にも毎年スペースがある。

私はここ4年、公式な日本人ゲストの通訳として呼ばれる。今年は小学館で描いていらっしゃる柿崎正澄さんの通訳を仰せつかった。正直作品を知らなかったのだけれど、今回でファンになりました。他の作家さんとは漫画家になった経緯も、絵の特徴もちょっと特異。
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E5%B4%8E%E6%AD%A3%E6%BE%84
>

COMICO 無料マンガ 「私の小さな家」
< http://www.comico.jp/manage/article/index.nhn?titleNo=1961
>

「イタリアで新しい漫画を作る大冒険」
< http://p.booklog.jp/book/77255/read
>

主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
< http://midoroma.blog87.fc2.com/
>