ローマでMANGA[97]mangaに似てるがmangaではない
── midori ──

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ローマ在、マンガ学校で講師をしているMidoriです。私の周辺のマンガ事情を通して、特にmangaとの融合、イタリア人のmangaとの関わりなどを柱におしゃべりしていきます。

●イタリア人のmanga

最近イタリア人が描くmangaについて考えざるを得ない、ふたつの投稿にぶつかった。

一つは、3月締め切りのサイレント・マンガ・オーディションで準大賞を取って、日本に招待されたサルバトーレ君の投稿。

サイレント・マンガ・オーディションはコアミックス社の主催で、審査員でもある北条司先生とミーティングをした時の報告だ。
https://www.facebook.com/notes/salvatore-pascarella/cena-con-hojo-e-opinioni-sul-manga-straniero/1048744835164028




今回受賞した5人の若手外国人作家たちが、「これmangaじゃないって言われるんです」と、自分たちの作品が母国でなかなか受け入れてもらえない事情を訴えると、北条先生が異議を唱える。

「(受賞者の作品を収録した本をかかげて)僕にはこの作品群があらゆる意味でmangaに見えるけど。これがmangaじゃないっていう人をここへ連れてきてよ! 僕がじっくり説明してあげる!」

日本人の作家が描いたものがmanga、日本人以外が描いたいわゆるmangaスタイルの作品は単なる模倣と受け取る風潮があるわけだ。

もう一つの投稿は、mangaとアニメの情報を載せる「アニメクリック」というサイトが、ナポリで開催されたコミックス・フェア「コミコン」で、mangaを出版する代表的な三社の責任者に話をしてもらった時の文字起こし。

ナポリ・コミコン
「イタリアでのmanga市場の現在。2016年コミコンで出版社が話してくれた」
http://www.animeclick.it/news/54344-qual-e-la-situazione-del-mercato-manga-in-Italia-ce-lo-raccontano-gli-editori-al-comicon-2016


読者を満足させる「manga」作品を探すのが難しい、というのが主な内容だ。それとは別に、司会者がイタリア産の「manga」について質問をする。

最近イタリア人による「mangaイタリアーノ」を出版したパニーニ・コミックス(パンにハムなどを挟んだパニーニというイタリアの食べ物を思い浮かべる人がいるかもしれないね。出版社となんの関係が?? 実は単に設立者の姓というだけなんです)のアレックス氏が答える。

「(イタリア人によるmangaは)あり得ると信じているけれど、質の問題だ。エレナとフェデリカの作品はすごくいいよね。でもここでもイタリア人読者がとても特異だと言わざるを得ない。発売当時はとてもよかった。当初は我々も100%イタリア製だということを言わなかったので曖昧性もあった。少しづつイタリア製だということがわかってくると、私に言わせると、我々が扱う日本作品に勝るとも劣らないと思うのだが、停滞し始めた。」

これを読んで、エレナとフェデリカの作品、「SOMNIA」を読んでみた。
(作品の公式Facebookページはこちら)
https://www.facebook.com/artofsomnia


この1ページをご覧ください。
http://ur0.pw/tNq5


絵柄はまったくmanga、少女漫画風だ。ペン入れもトーンの使い方も申し分なく、プロとして通用するレベルだと思う。でも、

でも、なのである。

manga構築法の講師としては、絵柄を以ってmangaとは認定しがたいのである。私としては、この作品はmanga文法を使っていないと判断する。mangaに似ているけれどmangaではない。

ここで、mangaとは何か、ということを整理してみる必要があると考えた。

●mangaって何?

まず殆どの人が混同しているので、はっきりと分けて解説する必要がある。なにを分ける? 多くの人が何を以ってmangaと判断し、私が何を以ってmangaと判断するか。

それは大きく2つの項目に分けられる。

見えるもの と 見えないもの

色即是空。見えるものと見えないものは一体なのだけど、人はどうしても見える部分に心を動かされてしまう。

見える部分とは言うまでもなく描画スタイルだ。前述のフェデリカの少女漫画風や、前出のサルバトーレ君の100%日本のmanga家っぽくはない混ざったような絵柄。

(↓サイレント・マンガで賞を取ったサルバトーレ君の作品はこちら)
http://comic.manga-audition.com/entries/a-smiling-tree-by-salvatore-nives/


欧米の絵柄に比べると、目が圧倒的に大きいのが特徴。そして表情が豊か。

つけペンか、デジタルの場合、それに似た効果のあるツールを使い、トーンを使う。

コマの種類が多い。つまり、斜めに切ったコマ、枠線をはみだした断ち切りのコマ、ページ全部を使った大コマなど。

オノマトペや動線を使うのも特徴。さらに構図の種類が多い。「カメラ」のズームの程度が豊富。キャラクターの全身を遠くからとらえたり、一部を大アップでとらえたりする。これらが大雑把に言って「見える」部分。

フェデリカの作品もこういうmangaの特徴を持っている。それでも私がフェデリカとエレナの作品をmangaとは言えない、と思うのは、見えない部分による。

mangaの最大の特徴、というか、mangaとは? に一言で答えるならば「読者はキャラクターに感情移入をしてその物語を生きる」というところにある。

「見えない部分」はこれを可能にするために働いている。

●はい、ここで構築法です。

感情移入を可能にするために必要なのは:

・読みの速度とキャラクターの動き(身体の動きだけでなく場合によっては心の動き)が一致すること。

・キャラクターの性格がはっきりしていて、キャラクターの動きや話し方はその性格による。

・物語はキャラクターの感情を中心に語られる。

そしてこれらのことを可能にするためのテクニックがある。

○フキダシ

結構大きいのがフキダシの位置だ。フキダシはご存知のように、台詞が書かれる雲状のエレメントだ。

フキダシが、その台詞を言っているキャラクターの右にあるのか左にあるのかで、読みの速度が若干変わってくる。

日本の本の場合、右上から入って左下に抜ける読み方をする。吹き出しが人物の右にある場合、読者はまず台詞を読んでからキャラクターを見る。

つまり、映画で考えると、カットが変わったとたん、つまり、画面にキャラクターが登場したとたんにその人物がしゃべる、という効果になる。

ちょっと間を置いて話させたい場合には吹き出しを人物の左に置く。

○セリフ

台詞の長さも重要だ。台詞が長すぎると何秒も人物が止まってしまう。読みの速度と人物の動きの速度が一致しないことになる。

○一つのコマに一つのこと

読みの速度とキャラクターの動きの速度を一致させるためには、コマの中に何を入れるのかも大事だ。

基本的に一コマで語るのは一つのこと。私のセミナーの生徒がやるみたいに、一コマの中に「一組の戦いの決着がついたところに、後ろに味方がやってきた」という二件の出来事をいれてはいけない。

読者がそのコマを見て一瞬でなにが起きているのか、キャラクターがどんな感情でいるのかを理解できるようにする。

読者が一瞬でキャラクターの感情を見てとれるようにするには、大きな目は有効なのだ。だからと言ってあの、少女漫画風の、あるいはアニメ風の絵柄でなければ表現出来ない、というわけではない。

谷口ジローさんの絵柄が良い例だ。
http://natalie.mu/comic/pp/taniguchijiro


○スペースの大きさ、ふたつの事柄の距離は時間

mangaでスペースというと、コマの大きさがある。コマが大きいほど読者がそのコマにとどまる時間が長くなり、読みの速度が遅くなる。インパクトがある状況で物理的、心理的時間が一瞬止まるときに有効だ。

もう一つの意味は、あるコマの中の人物の位置によってできる人物とそれ以外の背景部分のスペースもある。人物を取り囲むスペースの大きさも感情表現に一役買っている。

ふたつの事柄の距離というのは、話している人物とフキダシの距離、そして一コマ内に吹き出しがふたつあったら、そのフキダシ同士の距離。この距離で読みの速度が変わってくる。もちろん近ければ速く、遠くなれば遅くなる。

●イタリア人のmanga

ここでイタリア人のmangaに戻る。

絵柄がmanga風な作家は増えている。mangaに憧れてマンガ家を目指すようになる人が多いから、manga風な作風で描く人は多いのだけど、状況が許さずにアマチュアで勝手にやるしかなかった。

ここへ来て、前述したように小さな出版社がそのmanga風な作品を出版するようになってきた。

その中で、構築法の見地からmangaだと言えるものは殆どない。

パニーニ社の編集者の意見で「少しづつイタリア製だということがわかってくると、私に言わせると、我々が扱う日本作品に勝るとも劣らないと思うのだが、停滞し始めた」というのがあったけれど、イタリア製だとわかったから読者が離れたと見ているのは間違いだと思う。

感情移入がしにくいのだ。manga読者は「キャラクターに感情移入して物語を生きる」ことを意識に登らせていないにしても、そういう読み方をしている。

そうさせるのがmangaだから。イタリア製はそうさせてくれないのだ。つまり、イタリアの作家もイタリアの編集者もその辺に気がついていない、ということになる。

ああ、私がもっと表に出て行かねば……と思うのであった。


【Midori/マンガ家/MANGA構築法講師】midorigo@mac.com

前回お話した飼い犬のヌーボラ(雲)嬢(15歳)があの世に行った。歩けなくなったので獣医に運んだ。栄養剤、痛み止めなどを混ぜた点滴をすると歩いたり食べたりするようになるが、数時間しか持たずにまたぺたっと寝てしまう。

点滴を二回したところで、「このままずっと点滴をし続けるわけにいかないでしょ。彼女の時間が来た、ということじゃない?」という獣医さんの言葉で、痛みを続けさせないためにも眠ってもらうことにした。ダンナと息子と私とでヌーボラの体を撫でながら看取った。

寂しいけれど、これが命のサイクルと言うもの、というのを教えてくれた。

外出から帰宅した時に、跳ねながら迎えてくれる犬達の姿のないのが欠けた感じ。今のところ、私は誰かのお世話、というものをちょっと休ませてもらっている。

息子は「狼を飼いたいけど法律で許されてないから、シェパードにしようか」などと言っている。どうせ面倒を見るのは私。私も年取って体力がなくなっていくのだから、大型犬飼うなら、息子が面倒をみないならやめてくれと言うつもり。

MangaBox 縦スクロールマンガ 「私の小さな家」
https://www-indies.mangabox.me/episode/58232/


主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
http://midoroma.blog87.fc2.com/