ローマでMANGA[100]「誰の目?」と問うことの意味
── midori ──

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ローマ在、マンガ学校で講師をしているMidoriです。私の周辺のマンガ事情を通して、特にmangaとの融合、イタリア人のmangaとの関わりなどを柱におしゃべりしていきます。

おしゃべりしてる間に、このシリーズが100回目を迎えることができました。何事にも飽きっぽい私がこんなに続けることができたのは、柴田さんのサポートもおかげ。本当に。

毎回、誤字や意味不明の表現や、リンクがうまく行ってないことなど知らせてくれます。つまり、いちいち、ちゃんと読んでくれているということ。依頼主(?)の真剣さに押されて続けられるわけです。ありがとうございます。




●エレナは偉ぇーな

Manga-editorと名乗り始めて細々としている活動の中で、頼ってくる若手漫画家(志望者)へのサジェスチョンというのがある。ネームを送ってきて、それに対してのサジェスチョンをするわけだ。

この活動は部活みたいなものなので、生活費を稼ぐ作業がある時は後回しにされる。だから、悪気はないのだけど、この過程で忘れてしまうことも多々ある。イタリア人といえども、マンガを描こうという子はシャイな人が多いので催促をして来ない。すればいいのにね。

その中でずっと連絡を保って、何度もサジェスチョンをしているのは、催促をしてくる人だ。

エレナというナポリ出身の女性で、mangaを通して日本が好きになり、ナポリ大学の東洋文化の日本語科を卒業し、奨学金を得て日本に三か月ほど留学した人がその人だ。

二十歳くらいの時にFAXでやりとりをするようになり、デバイスが替わってメールでのやりとりになった今でも続いている。

10年以上やりとりが続いているのは、彼女が、良い意味でしつこく私を追いかけてくるからだ。熱心に、何度でもネームを送ってくる。挨拶代わりにアマゾンから商品券のようなものを送ってきたりもする。

私の方でイタリア語の文章の校正が必要な場合が多々あるのだけれど、「いちいちできるかどうか聞かないで、ただ送りつけてくれればいいから」と言ってくれる。

売り出したい作家さんは、しつこく編集さんに連絡するのが、やる気を見せる意味でもアリですね。もちろん、ちゃんと見せるべきものを、次々に作っていかないと話にならないけれど。

さて、エレナは活動的な人だ。仕事を探しにロンドンへ行き、そこでmanga好きの仲間を見つけてグループを作った。国際都市ロンドンらしく、さまざまな国籍のメンバーで成り立ち、生き生きと活動している。

仲間の一人にネパール人の女性がいる。2015年のネパール地震のさい、被災して元気をなくした子供に絵を通して活気づけるボランティアを考案し、その費用を工面するため、彼女を筆頭に皆で「Home」というテーマでマンガを描いて本にして売ったりした。

エレナは30歳過ぎて、まだちゃんとプロとしての道が開けていないので、最近「もっと、根性入れて頑張るんだ!」と言い始めた。いや、根性という言葉を使ったわけではないけれど、彼女の意気込みはそういう感じ。

「物語を作ったり、構成を上手く出来るようになるにはどうしたらいい?」と聞くので、毎日、日記代わりに一番印象に残ったことを四コマmangaにしてみたら? でも毎日よ、とサジェスチョンしてみた。

最初の一週間は本当に毎日送ってきた。だんだん「ちゃんとやってるけど、毎日送りつけるのも煩わしいかと思って……」と送ってこなくなった。

この会話からもはや二か月経ったけど、その後どうなったか聞いてみようと思っている。

四コマを見る限り、言いたいことを絞る、という能力に欠けていると思う。あるいは自分の言いたいことを掘り下げきれない。一つのコマに多くを詰め込み過ぎたり、逆に必要な情報を入れなかったり。これはエレナだけではなくて、学校の生徒にも共通する。

●manga構成、もうひとつの見方

前回で触れた、日本で唯一(に近い)日本国外からも応募できるmangaコンテスト、SMA(Silent Manga Audition)にエレナも何度か参加している。
http://www.manga-audition.com/sma05-2016award/


今月末締め切りで第六回の作品受付が始まっている。
http://www.manga-audition.com/sma6-silent-manga-audition-2016-autumn/


エレナは、これに参加するので、ストーリーボードを見てほしいと送ってきた。いつものように、パッと見て話の内容はわかるけど(これは大事)何かが上手く回っていない、と感じた。その何かを探すのにちょっと時間がかかる。

送ってきたストーリーボードをプリントアウトして、何度も何度も読み返すうちに、今回のストーリーボードではキャラに感情移入ができない、ということに気がついた。物足りなさはそこにあったのだ。

ではなぜ感情移入ができないのだろう?

気がついたのが、「カメラ」はキャラの目線ということ。あるエピソードあるいは動作を、誰の目で見たものとして描いているのか。感情移入出来ない場合、欧米のマンガのように「カメラ」は第三者の目になっている。

その見方を私は「神の目」と呼ぶことにした。「神の目」は場面を変える時や複数のキャラの位置関係を示すときに使う。「神の目」ばかりの構成だと話の内容は理解できても感情移入できない。

読者はキャラに乗り移って物語を生きていく。ただし、読者が乗り移るキャラは主人公とは限らない。場面場面で「カメラ」となるキャラ、つまり、読者が乗り移るキャラは変わっていい。それが演出の腕の見せどころだ。

エレナはSMAの他に、自分でスポンサーを見つけてきた物語も作っている。これは長編で、だいぶ長いことかけて案を練っている。この物語についても、ストーリーボードを見てサジェスチョンを送る役目を頂いている。

こちらのストーリーボードも、誰の立ち位置から構成をしているのかを見てみた。やはり「神の目」が多い。

この物語にはアクション場面も多々あるので、手持ちのmangaからアクション場面を拾って、一つのアクション部分だけスキャンしてプリントアウトしてみた。テーブルに並べて全体の画面構成を比べたり、気がついたことを赤鉛筆で書き込んだりできるように。

選んだmangaの中に井上雄彦さんの「バガボンド」がある。セミナーが始まると必ず生徒に、ぜひとも手に入れるように薦めている作品だ。「バガボンド」の画面構成は実によく出来ているのだ。

改めて「カメラ」が誰の目線なのかという見方で観察してみたら、主人公ではなく周りのキャラを使うことが多いのに気がついた。

お手本にしているのは第一巻で、これは主に主人公の狂気じみた強さ、強さへの執念を描いている。周りの、幾人ものキャラが主人公に圧倒される様を描いて、主人公の強さを読者にわからせているのだ。

これは頭いいね。読者は一般の人間で、そうそう腕力が強い人ばかりではない。だからものすごく強い人から見た風景よりも、その強い人を真近に見て、あるいは戦って負けたりする方の目線のほうが現実感がある。

そして逆に言うと、「バガボンド」は多くの場合、「カメラ」は誰かキャラの目になっていて、「神の目」であることが少ない。もちろん、効果的に「神の目」はここそこに散りばめてあるけれど。

キャラの目であるから、そのキャラがどのように見ているのか、どこから見ているのか、また感情によってどのように見ているのかを描き、読者はキャラに乗り移りやすい。

「誰の目?」と問うことによって、エレナやセミナーの生徒に色々気がついてもらえるのではないかと思った発見だった。

エレナは9月いっぱいSMAの応募作品を手がける。そして長編物語のネームの見直しの10月が待っている。そして、これが私のmanga-editorとして報酬を得る初仕事になるのだった。


【Midori/マンガ家/MANGA構築法講師】midorigo@mac.com

この後記に必ず以下の二行をつけています。

MangaBox 縦スクロールマンガ「私の小さな家」
https://www-indies.mangabox.me/episode/58232/


せっかく描いたmangaだから、なるべく沢山の人に見てもらいたいと思ってのことなんですが。ノロノロと描いているこのmangaを、出版したいという会社にめぐり逢いました。

イタリアの小さな出版社で、オンライン販売と、コミックスフェアでの販売のみなので発行部数は1000部にも満たないのでは、と思いますが、望んでもらえたことと紙の本になるのが嬉しい。

投稿したり、賞に応募したりという活動をするには歳とりすぎと考えて、誰でも投稿できるサイトやFacebookに載せたりしていたわけですが、ひょんなことで本が出ることになって、素直に喜んでおります。

主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
http://midoroma.blog87.fc2.com/