Scenes Around Me[05]岡画郎の展示(1:1995年4月〜1996年4月)記録活動を始める直接のきっかけ
── 関根正幸 ──

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1995年11月以来、定例会に通うようになった高円寺岡画郎でどういう展示が行われていたか、数回に分けて私自身の思い出を交えて記すことにします。

高円寺岡画郎の展示に関しては、かつて、岡画郎のサイトに一覧が掲載されていたのですが、サーバーごと消失しています。
(www1.linkclub.or.jp/~okagarou)

幸い、インターネット・アーカイブにデータが保存されているのでスクリーンショットを紹介します。

1995~1996年
https://c1.staticflickr.com/5/4189/34612848691_9572798a75_c

1997年以降
https://c1.staticflickr.com/5/4195/33935170013_de058d31c6_c





この一覧を見た正直な感想は、自分で写真に記録した展示はほんの一部でしかなかったこと、しかも、写真に撮らなかったものの中には、展示内容を失念していたものがあったということでした。

幸い、部屋の中から発掘されたミニコミ「ラ・岡っぷり」第4号に最初の一年間の展示内容が紹介されていたので引用します(一部の展示を除き、定例会についての内容は割愛しました)。

ちなみに、「ラ・岡っぷり」というネーミングは、ミニコミのタイトルを定例会で決めた際、「ラ・岡」と「岡っぷり」という二つの案が拮抗したため、二案を合わせたものです。

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・1995年4月 岡画郎企画「窓際族」

展示スペースを会社に見立てて小さな机を置き、背広を来た人がヒマそうにしている展示。ベランダではたまに煙草を吸ったり、缶コーヒーを飲んだりしていた。

・5月 児嶋徳郎、児嶋扶砂子「PISS MAKER」

布団に尿でピストルと弾丸跡の形のシミを作り、おねしょとしてベランダに干す。作家(兄妹)の写真も展示。

・6月 丸井隆人「恋愛を機械とした居住計画」

ベラスケス「織女たち」の人物配置の構造を引用し、カーテンに影絵を映した。作家が週替わりのテーマを用意、この頃から定例会が積極的に行われるようになる。

・7月 木村美江「文通希望」

作家と不特定多数の観客との文通で、展示された手紙に対し、道の向かいに設置された芳名帳に観客が返事を書き、それを見た作家がその返事を展示した。定例会はすべて筆談で行われた。

・8月 樋口政樹「虫がつく夏」

牧瀬里穂の絵を展示し、それを囲むように誘蛾灯を設置して虫を集めようとした。結局、虫は集まらなかった。

・9月 佐藤えり子、ボブ「X・O・M・E」

UFOを呼ぼうという企画。道向かいの双眼鏡脇にアンテナや電波発信受信装置を設置し、UFOとのコンタクトを試みた。

・10月 岡画郎企画「テレフォンお見合いWINDOW展」

日替りで展示やパフォーマンスをする(水曜は休み)。道の向かいに設置されていた公衆電話から、作家に電話出来た。

各日の展示内容は、アーティスト・小説家・ミュージシャンのAKIRA(杉山明)さんのサイトに詳しい解説があります。
http://www.akiramania.com/profile/fooka.html


この企画は好評で、1996年10月と1998年4月にも第2弾、第3弾が開催され、そちらには私も参加しました。

・11月 岡画郎企画「常設展」

展示用に立てていた壁を取り除き、部屋の中を丸見えにし、岡さんの生活を展示した。

前述の通り、私が最初に岡画郎に行った時に行われていた展示です。

この時制作された「常設展」という看板は、長らく岡画郎内に置かれていて、現在も蟻鱒鳶ルの片隅に残っていると思います。

・12月 園子温「ハチ公増殖計画」

東京ガガガの提唱する「ハチ公増殖計画」の一環として、岡画郎に型どりしたハチ公を展示。新しい待合せ場所を考えようという趣旨。

昨年高円寺Garterで行われた園さんの展示でも、ハチ公のレプリカが展示されていたので、ご覧になられた方もいるかもしれません。

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・1996年1月 斉藤晋「わらしべ長者」

「わら」から物々交換を始めやがて長者になろうという展示。最後はポットふたつと高木ブーのサインに。

斉藤君は毎週物々交換の成果を報告書にまとめて配布していました。その後、「ラ・岡っぷり」の編集を手がけました。

・2月 岡画郎企画「受験」

受験番号を配り合格者を発表した(補欠合格者あり)。定例会では受験というテーマに沿って、毎週4コマの多岐にわたる授業が行われた。

初期の展示の記録をしていた本多晃子さんが仕事の都合で撮影に来れず、代わりに望遠レンズを持っている知人に、記録写真の撮影を頼んだ記憶があります。

それと、土曜日の定例会で数学の授業を依頼され、無限の数え方について話をしました。

・3月 岡画郎企画「休郎展」

休みがテーマで、毎週土曜日の定例会で週ごとの作家を話し合いで選出した。

1週目 三浦りか : 窓にふとんをはる。休日はおふとんで。
2週目 小川てつオ : 窓に「床」という文字を二つ書く。「家の全部が床だったらいいなあと思った」のだそう。
3週目 みとなおみ : 3月すべて休みの赤いカレンダーを展示。
4週目 岡ガロウ :「ラララ〜ルルルルル〜(以下略)」と窓に綿で字を書く。春っぽく。

・4月 AKIRA「高円寺新名所巡り」

AKIRAさんがツアーガイドになって、高円寺の隠れ名所をなわとびバスに乗って回る。窓は旅行会社になり、ツアー参加を呼びかけた。

高円寺駅南口で待ち合わせをしていたとき、AKIRAさんとアンディ・ウォーホルの話で盛り上がった記憶があります。

その直前に東京都現代美術館で開催されたアンディ・ウォーホル展を見に行って、シルクスクリーンの版画がキャンバスの側面まで回り込んでいたと話したところ、ウォーホルは金持ちだから、大きな布にシルクで刷った後、キャンバスに畳んでいると教えてもらいました。

後で知ったのですが、AKIRAさんはアメリカ放浪中にアンディ・ウォーホルの奨学金をもらって美術学校に入学したのことで、その縁あってか、翌年AKIRAさんが原宿DUGで開催した「偽アンディ・ウォーホル展」のスタッフをやることになりました。

さらに、その経験が記録活動を始める直接のきっかけになりました。

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1998年11月19日 三軒茶屋シアタートラム

この年は土方巽13回忌に当たり、それを記念する舞踏公演のシリーズが企画されました。

そして、そのシリーズの一日、土方巽の晩年に美術を担当された吉江庄三氏の公演に、音を拾い集める浮浪者役として出演しました。

出演することになった具体的な経緯は思い出せませんが、岡さんが和栗由紀夫氏(土方巽の弟子)が主宰する好善社のダンサーだったことから、岡さんの代わりの出演だったのかもしれません。

https://c1.staticflickr.com/5/4244/34752889452_d0279594af_c

この写真は、公演中に舞踏手のライフマスクをとった石膏の面を、公演終了後に撮影したもの。

黒い布の上に白い面が置いてあったため、露出オーバーで面が発光しています。


【せきね・まさゆき】sekinema@hotmail.com
http://www.geocities.jp/sekinemajp/photos


1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔。